ミステリークレイフィッシュ
書き始めると何故かネタが振ってくる、というのは、エッセイにはありがちなことなのかも知れない。しばらく間が空いていたのは、べつに何も飼育していなかったわけではなく、大した事件もなかったからだ。
だが今回、ついに書いておくべき、と思うような事件が起きたので書いておく。
結構ややこしい話なので、面白いかどうかは別問題だが。
前回も外来生物のことで半分近く文字数を割いたわけだが、今回もテーマは外来生物問題、ということになる。
表題の『ミステリークレイフィッシュ』というのは、外国産のザリガニの一種のことで、けっこうペットとして流通しているから、ご存じの方も多いと思う。
個人的には『フィッシュ』という表記とザリガニは、どうもイメージが合わない気がするのだが、英語でザリガニのことを『クレイフィッシュ』というので仕方が無い。
このミステリークレイフィッシュ。ザリガニの仲間で唯一、単為生殖をする種類として知られている。
単為生殖、すなわち雌だけが存在し、雌が交尾することなく子供を産み殖やす生物である。
北アメリカ原産ということもあって、日本の冬は余裕で越すらしい。
飼育者にとっては、「世界唯一の単為生殖のザリガニ」というキャッチフレーズは興味を引く。
流通し始めた当初は高価だったから、殖えた分売れれば儲けにもなる、とも考える。
一生、半透明の幼体っぽい姿で、アメリカザリガニのようにでかくならないのも、飼いやすいといえる。しかも保温も要らず、水質にもうるさくないとなれば、買う人は多かったはずだ。
だがこの性質、どれも裏を返せばマイナスにもなり得るものだ。
まず、どんどん殖えるということは個体に対する愛着が薄くなり、だんだんめんどくさくなる。
小さい、という特徴も、裏を返せばカッコ良くない、ということでもある。
しかも水質も水温も雑でいいとなると、飼い方も雑になる。流通しすぎて値段が下がってくると、売れなくなって更に興味は薄れる。人にあげたり逃げても放置したりし始めるだろう。
いや、俺がそうだというのではないが、そういう気持ちになりやすいということだ。
また販売者にとっても、いくらでも殖えるから次々に売れるもんでもない。実際のところすぐに価格が下落したから、扱いも雑になっていたのではないか。
そういう理由もあって、ミステリークレイフィッシュは、当初から日本の自然に帰化するんじゃないか、とその道の連中の間では危険視されてきた。
実際に二〇一七年三月、愛媛県松山市の河川で採集されたというニュースも出ている。
だが、今回の話はもしかするともっと以前から、という話になるかも知れない。
二〇一七年六月某日。
俺は、稼働している一畳敷き水槽内に、奇妙なザリガニを発見した。
大きさは五センチ前後。明らかに幼体の形態を持っているにも関わらず、お腹に大量の子ザリを抱えている個体である。
一畳敷き水槽、というのは、俺が中学時代に中古で入手した大型水槽である。自宅に置くところがなくなったので、職場の倉庫に設置してあるのだ。
もともとは、駆除したアメリカザリガニの収容所であり、そこから取り出してオオウナギやアカミミガメ、ナミゲンゴロウ、キジハタなどに餌として与えていた。
それでも溜まりすぎそうな場合は、自分で食ったり、知り合いのペットショップオーナーにアロワナなどの餌として差し上げていたのである。
だが、ザリガニの発生量はどこも凄まじかった。一回の罠で百匹近く採れることも珍しくなく、すぐにオーバーフローしてしまう。いちいち職場の水槽まで持ってくるのが面倒になった俺は、別の場所の一回り小さい水槽にザリガニをキープし、数百匹溜まるとすぐにペットショップに持っていくようになったのであった。
もとの一畳敷き水槽は水深を二〇センチほどにして、三分の一くらいを陸場にし、スッポンやセマルハコガメの越冬場所として利用してきた。
グッピーやプレコといった熱帯魚も泳がせ、見栄えも良くなってのどかな水景となったのだが、問題もあった。
ザリガニがいなくならないのである。
ふと気づくと、成体にはほど遠い大きさの子ザリが、水底をのんびりと歩いている。
取り残しがあったかと、すぐに捕獲してオオウナギの餌にする。
しばらくすると、また子ザリが歩いている。オオウナギの餌にする。の繰り返し。
それがなんと、二年以上も続いたのだ。もうさすがにいなくなったと少し油断すると突然十匹くらい現れたりして、誰かが放しているんじゃないかと勘ぐったものだ。
たしかに、陸場はブロックと赤玉土で作られていて潜り込めるし、流木や石など隙間の多い材料も使っている。これらを全部取りのけて探すのは大変だからやってない。
なにより水槽そのものが広いから、見落としもあるだろう。
だが、それにしてもだ。
幼体ばかり、というのはどういうわけか。どこかに親ザリ、ビッグマザーがいないことには、この現象は説明できないのではないか。見落としがあったとしても、二年以上も幼体のままなんて考えられない。そのように思った俺は、水槽全体をひっくり返す勢いで探し回ったが、思うような大型の雌ザリはついに発見できなかったのであった。
その後もどういうわけかザリガニ幼体の出現は続いたが、不思議なことにこのザリガニ幼体、大半が体色が青いのである。だがザリガニの場合、栄養失調だとこういう現象が起きるので、そう珍しい現象ではない。そもそも水槽内にはカメ用の餌しか入れていないわけだから、この一畳敷き水槽内が栄養不足なのだろうと勝手に思っていた。
そこへ今回の、幼体のくせに子供を抱えていた不思議なザリガニの発見である。
いくらなんでもおかしい。
そう思って調べてみた結果、どうやらこの個体、ミステリークレイフィッシュであろうという結論になったわけだ。
ミステリークレイフィッシュとアメリカザリガニの幼体は、近縁種であって実によく似ている。
細かい違いはあるのだろうが、ぱっと見ての違いは胴の部分に模様が入っているかどうかだけ。しかも、模様といっても派手なモノではなく体色の濃淡がマーブル状に散らばっている程度なのである。
アメリカザリガニの幼体にはそんな模様は無いのだが、そんなにまじまじ観察しないから、たまにこういう個体も見たような気もしたりして、比較しないで識別するのは割と難しいわけだ。
では、いつからコイツが水槽に住み着いていたのか?
確認しようが無いのだが、これまで何度も現れ、オオウナギの餌となってきた青い体色の子ザリたち。彼らはミステリークレイフィッシュであったと考えると、すべてに説明がつく。
つまり、親ザリガニがいないのに殖え続けていた、というのは幼体の姿のまま発見までに抱卵して、さっさと繁殖していたのであろう。しかも、ミステリークレイフィッシュの幼体は小さい。目立たなくて当然だ。
さらに、あのブルーの体色。どうやら、アメリカザリガニよりも体色のバリエーションが多いらしいのだ。
全部同じDNAを持つクローンのくせに、様々な体色が出るなどというのは不思議きわまるが、これはおそらく食物や環境で体色変化しやすいということなのだろう。
そういうわけで、どうやら一畳敷き水槽には二年以上前からミステリークレイフィッシュがいたことになる。
その頃大量に入れていたアメリカザリガニに混じっていたと考えると、ひとつ、思い当たることがあった。
それは、近所の某中学の中庭の池に発生していたザリガニ群である。
その頃、学校からの依頼で中庭の小さな池にゲンジボタルの生息環境を作ることになったのだが、そこは数年間放置された睡蓮池で、ザリガニとメダカが異常発生していたのであった。
水抜きをして泥上げを行い、しばらく放置して様子を見ると、一番低いところにザリガニが集まり出す。これを定期的に取り除く、のを繰り返して駆除したのだが、そう広くもない池なのに、雨が降る度にどこからともなくザリガニは現れた。
池の周りの土や岩の中に隠れていたとしか思えないのだが、さすがに炎天下の夏を越すと発生数は大幅に減少し、三ヶ月目くらいにして、ようやく殲滅できたのであった。
この時、捕獲したザリガニはすべてこの一畳敷き水槽に入れていた。
おそらく、ではあるが、この中学校の生徒の中に自分の飼っていたミステリークレイフィッシュが殖えすぎたとか、あるいはただ単に面白そうだとかの理由で中庭に放した者がいたのではなかろうか。
野外放逐、となるとやってはいけないと知っていても、中庭は閉鎖環境だから構わないと判断した者がいても不思議ではない。
だが、もしもこの推理が当たっていたとすると、すでにミステリークレイフィッシュは地元の水系に逃げ出していることはまず間違いない。
第一に、ザリガニを駆除していたのは俺だけではなかったのだ。
科学部の生徒や先生も、お手伝いの名目で駆除していた。しかし彼らはこともあろうに、捕獲したザリガニを殺さず、近傍の河川に捨てていたのである。
第二に、そもそもこの中庭の池は完全閉鎖系などではなかった。
雨どいから雨水が供給されるような構造で、池の水が一杯になるとオーバーフローして、建物脇の排水路に流れ込む。排水路は地下埋設管を通って近傍の河川に流れ込む。
そのルートで出て行ったかどうかは正直分からないが、逃げ出していた可能性は充分にある。
また、ここにいたという推理が正しいならば、ミステリークレイフィッシュはアメリカザリガニとの共存が可能、とうことになる。まあ、ほとんど生態は同じなのだから当然といえば当然だろうが、逆に言えば競争も起こるはずなのだ。巨大な近縁種があれほどの高密度で生息していた状況でも、圧倒されることなく生き残っていたとすると、なかなかの生存能力と言わざるを得ない。
もう一つ特徴的な問題は、たかが水槽レベルで二年も駆除しきれなかったということだ。
アメリカザリガニは大型なので目立つ。成体になり、真っ赤になってから抱卵するまでの間に駆除すればいいし、捕食者にも見つかりやすい。
だから、おそらくアメリカザリガニだけならあっさり水槽からいなくなっていたであろう。
野外でも自宅近くの用水路ではカラスやサギ類が狙っているし、イタチらしき生物が大型のザリガニを捕まえて食った跡も残されていて、そうそう大発生したりはしていない。
だが、ミステリークレイフィッシュはそもそも幼体が小さい上に、成体になっても小さいので、見逃されやすい可能性がある。その上、そこそこの大きさになったらすぐに繁殖してしまうとなると、そこらじゅうミステリークレイフィッシュになる可能性もあるだろう。
とはいえ、小さいなら小さいなりの不利もあるし、アメザリの大型個体のように土を掘るパワーも少ないであろう。恐怖におののいたところで、なってしまったことは取り返しがつかないのだから、あとは今後はコイツらがすでに自然界にいる可能性を考慮した上で、様々な手を打っていくしかないのである。
ただ、ここでとりあえず注意喚起しておきたい。
飼育生物を野外放逐してはいけないということくらいは、最近の中学生も分かっているであろう。だが、これがどういう意味なのか、とうことは分かっていないのではないか。
野外放逐してはいけないというのは、完全管理下に置いておかなくてはいけない、という意味であって、ここなら逃げ出さないだろうから大丈夫、とばかりに管理しきれない場所に置くのであれば、それは放逐と変わらない。
建物に囲まれた中庭といえどもどこかに繋がっているし、何かあった時に責任をとれないような状態で知らんぷりでは、それは放逐と変わらないということなのだ。
中庭以外でも同じことだ。例えばベランダに大型容器を置いて自然光下で育てるのもいいが、時ならぬ豪雨であふれ、その辺に逃げ出す可能性のある場所なら、それはやはりNGであろう。
室内の水槽内だからと安心して無秩序に殖やしすぎ、管理責任をとれない相手、もしくはモラルの低い相手に譲渡するのも、間接的な放逐と変わらない。
実際、ミステリークレイフィッシュが日本の自然に与える影響は未知数だが、意図的でない形で帰化が成功したであろうことは推測できる。たった一人の中学生の行為が、それを引き起こしたであろうことも。
まあ、小遣い程度でこういう変わった生き物が手に入る状況にも問題があるので、一概に誰かを責めることも出来ないわけだが、生き物の飼育には、最後まで完全に責任を持つ覚悟だけは持って欲しいものである。
さて。ミステリークレイフィッシュだが、今のところ俺の手元で親子共々生きている。
不本意な形ではあるが、手に入ってしまったものは仕方がない。とりあえず、この変わった生物の生態を把握するまで、じっくりと観察したいと思う。
殖えすぎて手に負えなくなったら、オオウナギやキジハタが食ってくれるしな。でも、殖やした生物って、気分的に餌にしづらいんだけどな。




