アリ
二〇一七年七月。今現在、巷を賑わせているのが『史上もっとも凶悪な外来生物』とされる『ヒアリ』である。
卵と幼虫が確認されたというから、もうすでに日本に定着しつつあることは間違いない。
『どうして、今年になっていきなり入ってきたんだ!?』
『こんなことになる前に、ヒアリに対して手を打つべきだった!!』
多くの人はそのように感じるだろうが、それは違う。
べつに、ヒアリが日本に来たのは今年が初めてではない。いや、見ていたわけではないから断言するのはおかしいかも知れないが、ほぼ間違いなくヒアリは過去、何度も何度も生きたまま日本に持ち込まれ、定着できずに姿を消してきたはずだ。
これはヒアリに限らない。外来生物が一度で定着する可能性は極めて低いのだ。
持ち込まれた個体数、生体の状態、持ち込まれた場所の環境などによるが、大抵は侵入個体は状況変化に耐えきれずに死滅することが多い。
それはそうだろう。もともと住んでいた場所より条件が良い場所に持ち込まれる可能性など低いに決まっている。その上、輸送もどのくらいの日数掛かるか分からない上に、食料も水も無いのだ。ヒアリのような女王制を持つ連中の場合だと、働きアリや未交尾アリだけやって来ても殖えられない。
交尾済みのアリであっても、すぐに餌が見つからなければ飢え死にしてしまう。せっかく到着したとしても、季節が真冬だったりすれば、温暖な気候を好むヒアリはやはり死滅してしまう。
これらの条件をクリアして、働きアリ付きの女王が定着し、活動を開始出来たとしても、そこから個体数を殖やして羽アリを飛ばすには数ヶ月かかるわけだ。
つまり、逆に言えばこのような展開になった時点で、いくつものハードルをクリアしてきているわけで、まず侵入に関しては手遅れ。ヒアリは遠からず、日本国内に版図を拡大し始めるであろうと思われる。
ここからの流れはおおよそ読める。
まずマスコミの大騒ぎは、今より数ヶ月で下火になる。
季節が巡って寒くなってくれば、アリの活動は見られなくなるから、尚更マスコミの興味は薄れる。
来年のシーズンにも一騒ぎするかも知れないが、今年ほどではない。
べつにヒアリの個体数が少なくなったとかではないはずなのだが、もうニュースバリューが低いから、一生懸命には報道しないわけだ。
ヒアリの方も、まだ爆発的には殖えない。
これは侵入初期の外来生物にはよくあることで、その期間が数年の場合もあれば、数十年も息を潜める場合もある。
定着はしたものの、環境に完全に慣れたわけではないから、温度や湿度への対応、巣の場所、餌の対象などが安定せず、一気に殖えられない状況が続く。
個体数もそう簡単には増やせないし、地面ばっかり見ている人も少ないから気づかないってのもある。
そして、何世代か経過した頃、爆発的に殖え出す。
もしくは、逆にこの間に適応しきれずに消えてしまう可能性もある。
殖え出すきっかけは様々だが、その地で自分たちに適した生活スタイルを築いた時だといえる。
ヒアリは日当たりの良い草原などを好むとされる。
つまり公園や庭は営巣には最適だが、都会はそういう露出した土壌が少ない。さらに人間という敵も多いし、餌となる生物も少ないのが難点だ。
だが、アスファルトや建造物の隙間に営巣すれば人間の目からすり抜けられるし、生ゴミやゴキブリを餌とするようになれば、都会は彼らの天国となるだろう。
そして、数年か数十年、分布域を拡大して爆発的に殖え続けた後、今度はその勢いは急速に収まっていくだろう。理由は、ヒアリという一種の生物が殖えすぎれば、それを利用しない手はない、という連中が出てくることや、ヒアリの利用できる空間や資源が使い尽くされ始めること、他には……原因不明の場合もある。
ヒアリを利用するって、あんな毒持ちの凶悪生物を食うのがいるとでも?
と思われるかも知れないが、何も食うばかりが利用ではない。カビ、細菌、寄生虫など、多すぎる生物資源を利用したがっている輩はいくらでもいるものだ。
外来種だろうが地球の生き物。地球の生物は、生態系というモノがあって初めて生存・繁栄が可能である。
何か一種が突出して、永遠に殖え続けるなんてことは、簡単には起こりえない。もちろん、コレは人間にも言えることで、今のように人間が殖え続けていけば、いつかどこかで頭打ちとなり、減り始めるのも自然の理であろう。
そうやって数が減る過程で、その地の生態系に組み込まれていく外来種もいれば、そのまま衰退して消えていく生物もいる。
じゃあ、日本でヒアリがどちらになるか? と聞かれても、これは正直分からない。結果が出るのはいつになるか、これも分からない。
ただ、現状から言えることは、ヒアリは日本に定着するだろう、ということ。
もちろん、今回繁殖していたヒアリたちが駆除し尽くされる可能性はあるが、また来年のシーズンには再チャレンジしてくることは間違いない。
そして、いつか必ず侵入は成功する。
完全駆除しておいて侵入経路を完全に断つならば、あるいは侵入は阻止されるかも知れないが、それはヒアリ生息国との貿易の断絶を意味するので、まあ、無理だろう。
そして、いったんヒアリの数がピークを迎えないと、安定もしないだろうということもいえる。
広がろうとして活発になっているところへ、薬剤やなんかで殺しまくるのは、ピークを迎えるのを遅らせることになりかねない側面もあるということである。
そのうち薬剤耐性を獲得したり、従来と違う生活形態をとるようになったりすることも考えられ、そうなると駆除なんかしなかった方がマシだった、という結果となる可能性も充分にある。
だからといって、『ほっとけ』というわけにもいかないのがまた辛いところで、だから外来種問題はややこしい。
とはいえ、今のマスコミの煽り方は異常である。
『殺人アリ』だの『学名は無敵の意味』だの、アレを見聞きしていれば、ヒアリだけでなくその辺のアリも恐がり出すのも仕方ないレベルだ。
だが、毒性が強いといっても一説には死亡率は数パーセント。アメリカで毎年死者百人というのは、どうもハチだのなんだのをすべて合算した数字らしい。
これなら、人間に殺される人間の数の方が遙かに多いわけであって、べつに怖がるほどの数字ではないわけだ。
まして、刺される人間の何割かは、ヒアリを駆除しようと近づいた結果刺されているに違いなく、だから本音を言えば、対処法はたぶん『ほっとく』のが一番となる。
それどころか、ヒアリと間違えて、あるいは気分が悪いから、という理由で他の種のアリを駆除したりしようもんなら、これは間違いなく逆効果。
在来アリが占めていた生態的地位を、勢いづいたヒアリが奪う可能性は高い。
そういえば、ネット上に『ヒアリの天敵は在来アリ』という説が飛び交っているが、これも間違い。天敵というのは、ある種を専門的に、かつ積極的に利用しようとする種のことで、ヒアリに会ったこともない在来アリが、専門的かつ積極的にヒアリを利用したりはしないであろう。
ただ、在来アリが多い場所には、ヒアリが侵入しにくいという研究論文は出ていたはずだし、多くの在来アリとヒアリは住処や餌で『競合』するので、まったくの役立たずなどということでもない。
もちろん、ヒアリと競合したり捕食したりするのは在来アリばかりではない。
様々な生物がいた方が、それをやる生物種が現れる可能性が高いわけで、単調で生物種の少ない都会よりも、出来る限り自然豊かな環境の方がヒアリも侵入しにくいであろう。
それにしたって、絶滅しない限りはいつか必ずあなたのそばへヒアリは現れる。
そのことは諦めるしか無いのが現実ではあるが、こうした生物が次々にやって来るようなことがないよう、もう少し水際を固めるべきだとは思う。
さて、前置きが長くなった。
本題は昨年から今年にかけて、トビイロケアリというアリを飼おうとしてみた話である。
『してみた』というのは結局失敗したからで、情けない限り。だが、ここからは外来種でもなく毒も持たない、なんでもないアリの話なので、肩の力を抜いて読み飛ばしていただきたい。
昨年の七月。俺は、市役所の依頼でライトトラップ観察会をやった。ライトトラップとは、その名の通り、光の罠で昆虫を集める採集法である。
『灯火採集』ともいうが、持ち運び式の洗濯物干しにシーツを広げ、今では製造中止となった水銀灯と、紫外線を出す蛍光灯・ブラックライトを使って光を当て、昆虫を呼ぶわけだ。
やって来る虫の大半は蛾、羽アリ、ゴミムシ類などであるが、この季節だとクワガタやカブトムシも期待できる。そのせいもあって毎年、この観察会には二十人ほどが集まる。
他の季節に同じ場所でやる水生生物観察会には、多くても十人前後、時には二、三人しか集まらないのに比べるとえらい違いだ。だがこの観察会、実はクワガタ・カブトはそう多くは飛んでこない。そこは風の強い河川敷で、周囲に迫る山々もほとんどが杉林だからだ。もう少し奥の谷筋で、雑木の多い地域でやれば、クワガタもカブトもたくさん来るのだがそうはいかない。実はこの観察会、河川敷にある某ビオトープの生物調査の一貫なのだ。
そこで俺は毎年、やってきた小学生達が退屈しないように、大型の蛾やヘビトンボ、カマキリモドキ、羽アリについてなど、様々なうんちくを仕入れて観察会に臨む。
大半の子供達はそういう話にも興味を持ってくれるものだが、夜が更けてポツポツとクワガタが飛来し始めると、そうはいかない。
やはり大本命であるから、子供達は皆そちらに行ってしまうわけだ。
俺もそれを放置しておくわけにはいかない。奪い合いが始まらないようにジャッジしてやらなくてはいけないし、種類の同定や飼い方の説明もこの時にする。興奮して物干し台を押し倒しそうになる子供や、水銀灯のコードにつまずきそうになる子供に注意も必要だ。
また、市販の虫かごに何匹も入れておくと噛み合ってしまうので、プラケに小分けしたり、噛み合わないように草や土を入れておくテクニックも教えなくてはならない。
更に、クワガタやカブトはシーツではなく周囲の草むらに落ちることが多いので、それも見つけ出してやる。
そんなことをしているうちに予定時間が過ぎ、撤収となるのが例年のパターンなのだ。
それにしても昨年は、クワガタが少なかった。
気温、湿度、風、その他は悪くないコンディションだったのだが、煌々と月が昇っていたのが一番悪かった。ノコギリとコクワの雌が合計三匹ほどしか来ず、仕方なく前もって採集してあったカブトムシを配ってお茶を濁すしかなかった。
何故、月が明るいと昆虫が来ないかというと、そもそもカブトやクワガタは月や星の明かりを上、と認識して夜間飛行するからだそうだ。
しかし強い人工光があると、そっちが上だと勘違いして背中を向けて飛ぶ。
すると結果的に光源を中心に同心円を描くように飛ぶことになり、次第に近づいて行ってしまい、落下する。というのが光に集まる原理。だから、クワガタやカブトは、光源近くではなくその辺の草むらに落下することも多くなるわけだ。
つまり、月が明るい夜はそういう光に惑わされにくくなるわけで、ほんの至近距離に偶然来たクワガタだけが寄ってくるということになる。
また、蛾を始めとしてた他の昆虫には走光性といって、単に明るい方向へ飛ぶ、という性質を持つものもあるわけだが、それにしたって明るい月があると惑わされにくくなるようで、やはり寄って来にくくなる。
そういうわけで、子供達はもちろん、俺自身も相当不完全燃焼のまま観察会を終えたわけだ。
ライトトラップ観察会の寂しさは、片付けにある。
ライトのスイッチを切ると、途端に暗闇が辺りを席巻する。それまでの狂乱がウソのように、虫たちも人間達もおとなしくなるわけだ。
そして割らないように丁寧に水銀灯やブラックライトを片付け、虫だらけのシーツを払って畳み、物干し台を分解して車に積み込む。
文で書けば簡単だが、熱くなった電球を冷ましたり、長いコードを巻き取ったりと、けっこう労力も掛かる。しかも、こんな大荷物でも俺はセダンで持ち運ぶから、積み込みも大変だ。
それでも、獲物が多かったり珍しいモノが採れた時はウキウキしていて苦にならないものだが、不漁の時にはめんどくささ倍増である。
この日も、何の収穫もないまま帰らねばならないとあって、少しイラッときていた。
で、そんな気持ちでたたんである白いシーツを見ると、羽を落とした羽アリが一匹、うろうろしていた。
(コイツ……飼ってやろうか)
そのように思ったわけである。
一見してトビイロケアリであろう、とは思ったが、違うとイヤだなと思って、その時来ていたアリに詳しい学生さんにも聞いてみた。
「トビイロケアリですね。メラミン樹脂で飼うといいですよ」
「ほう。なるほど……面白そうですな」
メラミン樹脂とは、水だけで汚れが落ちる魔法のスポンジとして、ホムセンなどで販売されている使い捨ての掃除用具である。
アリを飼う場合、土や砂を入れると崩れやすくなるので敢えて入れず、透明な容器に湿らせたメラミン樹脂を置いて湿度を確保し、清潔に飼う、というものであった。
いわゆる『アントクアリウム』というやつである。
これまでアリは飼ったことが無いが、それは働きアリをかき集めて飼育しても、そのうち死滅してしまうからであった。
交尾済みの女王から飼育を開始すれば、長く飼えるし数も増える。うまくいけばトビトカゲやツノトカゲといった、アリ専食の爬虫類を飼育する足がかりにもなるだろう。
そうでなくとも、社会性昆虫を飼うのは楽しそうだ。
俺はその女王アリを小プラケに拉致し、その日唯一の戦利品として持ち帰ったのであった。
しかし、それから二週間。トビイロケアリの女王は、宮殿となるアントクアリウムを与えられることなく、小プラケに入れられたまま、昆虫ゼリーのみを与えられることとなった。
アントクアリウムを買うのも作るのも億劫だったのが、一番の理由だ。
アントクアリウムは、いくつか商品化されている。樹脂製で小さな部屋にいくつも別れた造りをしていて、横からも観察できる優れものや、高分子樹脂のゼリーを勝手にアリが掘り進むように作られたものまである。このどちらにしても、割と高価なくせに小さくて、大きなアリの群を飼育できるようには見えなかった。
(あんなの使わなくてもなんとかなる)
そう思った俺は、小プラケに薄くカブトムシ用の昆虫マットを敷いただけの状態で飼育を始めてしまったのであった。
さて、女王は確かに交尾をしていたようで、なかなか死ななかった。そして、一人でせっせと穴を掘り、巣を作り始めたのであった。
だが、俺にも大きな誤算があった。巣が崩れやすいのである。
昆虫マットは砂や土より軽いが、乾き気味になるともろくなる。ちょっと様子を見ようとプラケに触るだけで、せっかくの巣は崩れ、卵がダメになる、の繰り返し。
中が見えないのも痛かった。
せっかく薄く入れたマットだったが、下からのぞこうとしてもよく見えないし、よく見ようとするとやはり崩れてしまう。
結局、冬を越したあたりまで、繁殖は見られず、春を待たずして女王は死んでしまったのであった。
それなりに餌を食い、巣を作っていたので非常に残念であった。
この敗北感のまま捨て置くことなど、出来ようはずもない。そして、今年も灯火採集の季節がやって来たのである。今週土曜がそのビオトープでのライトトラップ観察会の日なのだ。
今年こそはもう一度、羽を落とした交尾済み羽アリを捕獲する。
そして、今度こそきちんとアントクアリウムを作って、女王アリの住みやすい環境を作り、増殖を図ろうと思う。
ヒアリのせいでアリの評判はガタ落ちだが、もともとアリは究極の進化を遂げた昆虫だ。しかも、分解者として、捕食者として、餌生物として、またアブラムシなどをケアする補助者としても、あらゆる面で生態系を下支えするすごい生き物なのだ。
なんとしても飼いこなして、アリのいる生活を実現したい。
アリがペットとしてメジャーな世の中になれば、もしかするとヒアリも都市部で繁栄しづらくなるかも知れないしな。




