キノコ
考えてみれば、クワガタについて書いてない。
けっこうポピュラーな飼育生物であるのに、である。そういうのやってないわけじゃなくって、むしろいっぱいやったし、今も実際飼ってはいるし、実を言うとインドネシアまで採集に行ったこともある。
だけどクワガタってのは、えらく深くやってる人がたくさんいて、『クワガタ飼育界』っていう暗く深い闇のような世界が広がっているのだと思ってもらっていい。その中で俺のやってたことなんて、それこそ魔界の入り口くらいのレベル。
それをえらそうに、アレがどうのコレがどうのと書くほど恥知らずではないし、そう面白いネタも無いように思うのでこれまで書いてこなかったわけだ。
だが、最近になってクワガタそのものよりも、その幼虫の餌である『菌糸ビン』てやつに興味を持ち始め、いろいろと試しているうちに自分で作ることまで出来るようになってきたので、それと絡めてちょっと書こうと思う。
さて、まずその『菌糸ビン』てのは何か、ってことから話さなくてはいけないだろう。
クワガタ飼育魔界では常識以前の単語だが、知らない人にとっては何のことやらさっぱりであろうから。
『菌糸ビン』てのは、要するにキノコの菌糸をおがくずに蔓延させたものをびっしり詰めたビンのことで、クワガタの幼虫はこの中に入れて育てるのが一般的なのだ。
子供の頃、テキトーにクワガタやカブトを飼っていて、カブトは産卵してけっこう殖えるのに、何故クワガタは殖えないのか、不思議に思った方もおられるだろう。
よく、クワガタは朽ち木に産卵するから、そういうのを入れないと殖えない、と言われているが、実は原因はそれだけではない。
クワガタが飼育下で産卵し、成虫になるまでにはいくつものハードルがあって、コイツを越えない限りは、繁殖は出来ないのである。
まず産卵条件だが、第一は温度だ。
たとえばミヤマクワガタは温度二十五度以下でないと調子を崩してすぐ死ぬ。
といっても、あんまり寒いとまずいわけだが、まあ二十度から二十五度くらいが適温というところ。三十度以下ならしばらくは生きているが、もちろん暑くて気息奄々の状態なわけで、むろん産卵どころではない。
すぐ死んでしまって飼いにくい、という印象の強いミヤマクワガタだが、温度を二十五度程度に抑え、マットに細かく砕いた腐葉土を混ぜ込むだけで、簡単に殖やせるのである。
他のポピュラーな種類、ノコギリクワガタ、ヒラタクワガタ、オオクワガタ、コクワガタなんかはミヤマほど温度要求は厳しくないものの、やはり三十度以下に抑えるに越したことはない。
もう一つのハードルは、これはマットや朽ち木の材質や状態。
要するに、水分が適度で木やマットの腐れ具合がちょうど良いと、よく産むってことだ。
問題は、どういうのが良いかってことだが、これは種類によっても違うし、木の状態によっても違う。
まあ、これについては専門の飼育書も出ているので割愛しておく。
だが、最近は程度の良い朽ち木が、ホムセンなどでも『産卵木』という名称で販売されているから、これを購入してくるのが手っ取り早い。俺はシイタケ農家からもらってきたり、強風の後に山中を徘徊して拾ったり、自分で作ったりしている。
最後のハードルは、共食い。
そうなのだ。クワガタは、結構共食いするのである。だから、他のすべての条件が整って首尾良くケース内に産卵したとしても、そのまま放っておくと、ほとんどいなくなってしまうことがよくある。
クワガタの雌は卵を産むために動物性タンパク質を欲しがるようで、他の個体が産んだ卵はもちろん、自分の産んだ卵や幼虫も放っておくと食べてしまう。
これを防止するために、タンパク質を強化した専用の餌をやったり、カブトの幼虫を餌として与えたりするって人もいるくらいだ。
そうすると、卵食いの防止になるだけでなく産卵数も増えるのだという。俺はちょっと可哀想だし、イヤなのでやらないが。
まあ、そこまでやらなくても食い始める前に回収してしまえばいいのである。
共食い傾向は成虫だけでなく幼虫にもあって、幼虫同士で食い合ったりもするから、回収して一個体ずつに分けて飼うのが合理的かつ効率的だ。
つまり産卵用に置いておいた朽ち木を割ったり、ケースの底をさらったりして、卵や幼虫を回収し、一個体ずつ育てるわけで、ここでようやく冒頭に書いた『菌糸ビン』の登場、となる。
クワガタの幼虫は、使い終わったシイタケのホダ木のように、ある程度腐れた木材を食べる。
これは、キノコの菌糸が蔓延して、木の成分であるセルロースやなんかが分解されている上に、キノコ菌糸そのものもタンパク質であるから、これらを栄養として育つ。
だから、こうした木材に幼虫を食い込ませて育てるって方法もあるし、現にそうやった方がでかいクワガタも出るらしいが、なにぶんにも扱いづらい。木材をそのまま放置すると乾いてしまうし、どの程度食い進んでいるのか、いつ羽化するのか、あるいはアクシデントで途中で死んでしまっているのかも分からないというデメリットがある。
その点、ビンにおがくずを詰めてこの中に一匹ずつ分けておけば、管理しやすいし乾きにくいし、どのくらいで交換すれば良いか、蛹化や羽化したかどうかなども分かるわけだ。
もちろん、ホダ木なんかの腐朽材のおがくずを詰めておいただけでも幼虫は育つが、やはり生きたキノコ菌糸が蔓延したおがくずの方が生残率、サイズなどで成績が良いということなのだ。
だがこの菌糸ビン、専門店でもホムセンでも置いてはあるが、けっこう高価。
生きたキノコ菌糸を一つ一つのビンに植え付けて育てるには、おそらく大変な手間がかかっているわけだから、それは仕方ないと言えば仕方ない。とはいえ、元気な幼虫は菌糸を二ヶ月ほどで食い荒らしてしまうので、すぐに交換しなくてはならず、一年ほどの幼虫期間の間に四~六回も替えると、幼虫一匹あたりで数千円も飛んでいってしまう。
まともに産ませると、雌一匹から四十~五十匹の幼虫がとれるから、全部に菌糸ビンを与えたら、その時点で破産決定である。
かといって、節約しまくって一回か二回しか替えないと、小さくて貧相な個体しか出てこない。
こういう悩ましい思いをする飼育者は多いようで、次第に菌糸ビン以外の方法を模索したり、菌糸ビン自体を自作したりするようになっていく。
俺もご多分に漏れず、苦労して幼虫の飼料を自作したものだ。
まず取りかかったのは、菌糸を使わない発酵飼料。菌糸を扱うには、無菌作業が必要になるから、大ざっぱな俺にはまず無理だと考えたのだ。
発酵飼料とは、広葉樹のおがくずに小麦粉やフスマなんかの栄養剤を加えた後、発酵させたものである。
水分と栄養分を与えられたおがくずは、微生物が繁殖して高熱を発する。
これを毎日毎日かき混ぜて発酵を促すわけだが、温度は六十度近くにも達するから結構熱い。十数日も経つと発酵熱が引いてくるので、温度が落ち着いたものをビンに詰めて、やっと幼虫を入れることができるようになるわけだ。
この作業自体は簡単だし、幼虫もそこそこ育つのだが、やはり菌糸ビンに比べると大きくなりにくいし、死にやすい。毎日かき混ぜるというのも意外に大変で、失敗すると全体が酸っぱい臭いになって全部廃棄になってしまうのも問題だった。
そういうわけで菌糸ビンにも挑戦したいと思っていたのだが、そのうち俺はビオトープ管理士になってしまった。
ビオトープ管理士は日本の生態系を守るのが仕事みたいなもんだから、外国産クワガタを飼い続けるってことに疑問を感じてフェードアウト。
そして数年間、それきりになっていたのであった。
だが、最近になってふと思いついた。
菌糸ビンの中だけ殺菌すりゃいいってんなら、べつに作業段階で無菌である必要はないんじゃないか、ってことだ。
とにかく、どうでもいいから広葉樹のおがくずを耐熱ビンに詰め込み、これを蒸したらいいんではないか。
そんでもってキノコの菌糸を植え込めば、菌糸ビンなど簡単に作れるのではないか。
それなら無菌作業台も、殺菌用アルコールも、マスクすらいらない。
必要なのは、出来上がったビンの殺菌方法だけである。
そう思ったら、やってみたくてたまらなくなった。
その時クワガタは飼っていなかったが、庭には普通にヒラタクワガタがいる環境。
ならコイツから幼虫をとれば検証も出来る。
問題なし。
ってんで、やってみることにした。
俺の思いついた殺菌方法には、大型機械用のオイル缶を使用する。
機械用のオイルというのは、ペール缶と呼ばれる大きな缶に入っていて、これの空き缶は、廃棄物として捨てられているのだ。この缶、取っ手もついていて金属製のバケツのような形状なので、何かと便利。
しかも、いくつも重ねてとっておけるのもいいので、倉庫には常時数十個置いてある。
実は、この重ねられるというのが今回のミソである。バケツ状だから重ねても全体の高さの四分の一くらいは重なりきらないのだが、このことを利用するのだ。
缶を二個用意し、一方の底にドリルでいくつも穴を開ける。
そして、もう一方に重ね、底の穴から見える程度に水を入れれば、簡単蒸し器の完成だ。
これをだるまストーブの上に置くのだ。
ストーブにした理由はいくつかある。
まず、付けっぱなしで数時間放置しても問題ないこと。
倒れたりした場合には安全装置が働くこと。
燃料が切れれば勝手に消火してしまうこと。
冬季には暖房と兼ねて作業が出来るので、無駄がないこと。などだ。
もちろん、ストーブの上にそんなでかい物を置けばバランスが悪くなるが、そこはペール缶がバケツ状なのが役に立つ。
天井からひもを垂らし、取っ手に結んでおけば良い。これで地震の時も安心である。
フタは耐熱性なら何でもいい。ペール缶には元々ふたもあるが、俺は厚めのベニヤ板を使った。
この殺菌法の最大のポイントは、二回蒸すということ。
これは、キノコ栽培本に出ていた方法である。百度近くになると大抵のカビや微生物は死ぬわけだが、カビの胞子ってやつだけは耐熱性があって、百度でも死なない。
だから、一回だけの殺菌だと冷えた頃に胞子が発芽してしまう。しかも、今度は競争相手になる他のカビが減っているからガンガン殖えるってことになってしまうわけだ。
クソ寒いのに、正月も過ぎる頃には鏡餅が青カビだらけになってしまう理由がここにある。
だが、いったん冷えて発芽した頃、胞子を作り始める前にもう一回百度近くにしてやれば、今度は何も残らない。よって、完全殺菌の完成となる。
種菌は販売されている菌糸ビンや、食用ヒラタケの種菌を使用。滅菌した俺のおがくずビンはカビることもなく、白い菌糸が蔓延していった。
さて、これまでこのエッセイで、俺のこうした発明とか取り組みは、大抵悲惨な結末を迎えてきた。
そいつを期待して、あんまし興味のない虫話を読み進めてこられた読者もおられるかも知れない。だが、残念。
今回はこの取り組み、大成功であったのだ。
この思いつきを初めて試してみたのは昨年の冬。
そして、昨年の春から夏にかけてビンには見事に完成し、今年の秋から冬にかけて、立派なヒラタケが収穫できたのであった。
おい。
クワガタはどうした。
と、なるわな普通。
でも、最初に書いてるよねえ。『キノコ』って。
いやヒラタクワガタも飼育してるのは事実。でも、なにかとサボり気味だったせいで、あんまし幼虫がとれなかったのである。
前述の通り、共食いで数を減らしてしまったわけだ。
ほんの数匹の幼虫に対して、成功した菌糸ビンは数十個。まあ、そんなわけでせっかく作った菌糸ビンには幼虫が入れられず、食用キノコ栽培の役を果たしてもらうこととなった。
生えてきたヒラタケは、なかなかの大きさで味も良い。食っちゃうわけだから、『きゃっち☆あんど☆いーと』に載せようかとも思ったが、食うより育てる方がメインなのでこっちにした次第だ。
またこの蒸し器は、菌糸ビン以外にももちろん『木』そのものも殺菌できる。
太さと長さがバケツに入るサイズでないとダメなのだが、いったん蒸したホダ木は野生の食えないキノコが生えてくる確率が減るし、組織が柔らかくなって菌糸が蔓延しやすいらしい。
仕事柄、造園屋さんの知り合いが多いので、街路樹や庭木の切ったヤツをもらえるのだが、伐採されるくらいだから、すでにカワラタケとかが生えていて、ホダ木には不適なことが多い。
でも、殺菌してしまえば問題ないはず。
この取り組みは今年からなので、秋頃にどうなるか楽しみだ。
うまくいったら、管理しているビオトープに置いて、子供らにキノコ収穫も楽しんでもらおうって寸法だ。キノコビオトープってのは、あんまし例がないと思うし。
あと、今年の冬は更に一歩実験を進めて、色んな物を菌糸ビンにしてみてもいる。
まず、キノコ農家からいただいてきた廃菌床。これにいろんな栄養物を混ぜて、菌糸がちゃんと伸張するか見ているところ。やはり米ぬかが一番菌糸の伸びが良いが、油が多くてクワガタ幼虫には良くないらしいと聞く。
キノコ食べる分には関係ないが。
それ以外には、おがくずすら混ぜずに『鳩の餌オンリー』『落ち葉オンリー』というようなビンも作ってみたが、なんとこれにも順調に菌糸が伸びつつある。
もしかして、ヒラタケってヤツは何でもいいんじゃないか??
そう考えて、ナメコ、クリタケなんかも入手してみた。
ブラウンマッシュルーム用の堆肥も、これでいったん蒸すといいらしい。
ストーブを使ったキノコ栽培。これでしばらくは遊べそうである。
ちなみに、もしこのストーブを利用しての殺菌を試してみようって方がいても、あくまで自己責任で。割と安全な方法だと自負してはいるが、火を使うことに変わりはないのだ。
ペール缶そのものも高熱になるし、蒸す時に熱い蒸気が出るから、やけどの可能性はもちろんあるが、使用条件ややり方によっては、空だきになったり延焼したりして、火事を誘発する可能性ももちろんある。そもそも、ストーブの使い方としては用途外なのだ。
細心の注意を払って、安全対策をして、万が一にも事故のないようにお願いしたい。