フェニックスワーム
表題のフェニックスワーム。
つまり、人呼んで『不死鳥の蟲』である。
さすがに不死鳥てあんた。そりゃあ背負いすぎだろうという話だ。
フェニックスのようによほど美しいのか? といえば、さにあらず。
では、鳥のごとく空でも飛ぶのかといえば、まあ、成虫になれば飛ばなくはないが、これは幼虫に与えられた二つ名なので、そういうわけでもない。
では、いったいそいつのどこがフェニックスなのか? それは、その身を燃やし尽くして灰の中から蘇る不死鳥のごとく、生ゴミや堆肥の中にいつの間にか生じて、そこから飛び立つ虫、ということらしい。
といっても、ネットで調べても名前の由来は見つからないのだが、まあ、そんなところだろうと推測する。
正式和名は「アメリカミズアブ」。だが、同様の生態を持つ「コウカアブ」もいる。
似たような外見のこの二種は、混同されることも多く、うちの庭にわいているワームがどっちの種類なのかは、今のところ定かではない。
その名の通り外来種ながら、彼らは他の生き物を食い荒らすでなく、人畜に直接的な害を与えるでもなく、食品や農作物を食害したり、病原菌を媒介したりするでもない。
唯一嫌われるのが、上記の生ゴミ堆肥に産卵し、幼虫がうじゃうじゃ殖える、という生態のみだ。
だが、ここで一応、警告しておく。
今回もグロ注意である。生物系グロ耐性の低い方は、ここ以降を読まない方がいい。
さて、このフェニックスワーム。殖え方がもう尋常ではなく、コンポストの堆積のほとんどをこの幼虫が占めるほどまで殖えるのだから、嫌う気持ちも分からなくはない。
しかも、それまで割と乾き気味だったはずの堆肥が、この幼虫たちが住み着くと妙に湿っぽく、ぐちゃぐちゃした感じになる。
そしてまた、とにかく食欲旺盛である。
まだ形のある生ゴミを堆肥上に置いてやると、数分後には中に食い入っているし、半日後には塊になって、うねうねと食いついている。
嫌いな人は卒倒し、毎夜夢でうなされかねない光景だと言っておこう。
しかし、それで丸一日もすれば、大概の生ゴミはきれいに姿を消しているのだから、これはもう見事と言うほかはない。
我が家の堆肥置き場にこいつらが住み着いたことに気づいたのは、夏真っ盛りの七月であった。
別の項でも書いているが、我が家には二匹の雑種犬がいる。
彼女たちは、とにかくよく食うので、出すものもよく出す。
出たものは燃えるゴミに出す飼い主も多いと聞くが、俺は肥料分がもったいない気がして、基本、庭に埋めるようにしていた。
しかし、さすがに二匹分を毎日となると、狭い庭は埋める場所がなくなってくる。
雨の多い暖かい時期ならば、一週間もすると分解されてほぼ土になってしまうのでいいが、寒い時期や乾燥する夏なんかは、かなり前に埋めたものが発掘されたりして、さすがにあまりいい気持ちはしない。
また、これとは別に生ゴミ処理機からも処理物が定期的に排出され、これも熟成期間が必要でいきなり庭にばらまくわけにいかない状況であった。
そこで俺は、一石二鳥の処理方法を思いついた。
『生ゴミ処理機』の項にも書いたが、堆肥置き場を作り、生ゴミ処理物と犬たちのソレを混ぜて投入することにしたのだ。生ゴミ処理物は、野菜くずや種子や骨などの形は残っているものの、サラサラしていて臭わない。
散歩に行く時点で、バケツにコレをスコップ二すくいほど入れておく。彼女らがシたら、すぐにバケツ内に放り込んで撹拌すれば、ブツは完全にコーティングされるわけである。
これならば散歩中に臭ったり、バケツにこびりついたりしない。しかも、ブツのおかげで処理物が分解しやすくなり、堆肥の窒素バランスも改善される。さらに、一定量が処理機から出されることで、機械の調子も常に良いという、一石二鳥どころか一石三鳥にもなるアイデアであった。
だが、この方式には欠点もある。
毎日、二匹分のブツと生ゴミ処理物二すくい分の処理物、つまり、一~二リットル分の有機性廃棄物が堆肥置き場にたまっていくのだ。ただでさえ狭い庭であるから、堆肥置き場はそう広くない。一メートル 四方の置き場は、すぐにいっぱいになってしまう。
しかも、ブツは時間が経つほど臭くなることをご存じだろうか?
唾液や小便も、排出直後よりも乾いたり時間が経った方が臭うようになるわけだが、ブツも同じで数時間から数日後までが臭いのピークとなる。
いくら生ゴミ処理物でコーティングしていても、それを突き破るほどの悪臭となって周囲に自己主張を始めるのである。
自分が臭いのはまあ自業自得なのであるが、数日分のブツがどんどん溜まって臭い始めると、さすがにご近所にも迷惑。
いちいち土をかけたいところだが、そうするともっと量が増えて堆肥置き場の寿命が短くなってしまう。
堆肥置き場は、二カ所を交互に使用していたのだが、ほぼ一ヶ月おきに交替させ、出来た堆肥を俺の管理しているビオトープに持って行かなくてはならなかった。
しかも、コレがまた重い。
量としては大型の肥料袋三つ分くらいだが、水を吸って重くなったりすると、なかなか持ち上がらない。重量を量ったことはないが、明らかに、三十キロの米袋よりは重い。
一ヶ月寝かしているから臭いは消えているし、肥料効果は抜群で樹木の活性化には素晴らしい効果を発揮するのだが、一ヶ月おきの重労働は、俺の心を折るには充分であった。
どうしようかと思っていた夏のある日、妙に堆肥置き場の表面がフラットなことに気づいた。
普通、ブツと生ゴミ処理物の混合物は、上に置けば山盛りになっていくわけで、それをたまにスコップで均したり、かき混ぜたりするのが日課だったのに、昨日放り込んだはずのブツが影も形もなくなっているのだ。
どうしてそうなったのか、すぐには分からなかったが、まあ、夕方散歩する妻か息子がやってくれたものかと、その時は放置しておいたのである。
ところが、表面のフラットさはそれから毎日続いた。
毎日毎日、二~三週間も続き、しかも増えていくはずの堆肥がぐんぐん少なくなりはじめて、ようやく俺は異変に気づいた。
「これ……何かが食ってるな」
これまでにも、ハナムグリの幼虫やミミズが発生し、できた堆肥を食っていたことはある。
だが、それはあくまで発酵後の堆肥であって、生のブツを一日以内に消滅させるほどのことはなかった。ハエの蛆が湧いてブツを食っていたことも無くは無いが、一時的なものですぐに消えた。
それにあの時は、周囲をキンバエが飛び交っていたはずである。
この謎を解き明かすため、恐る恐るスコップで堆肥表面をめくった俺は息を呑んだ。
そこには、すでに堆肥は存在しなかった。堆肥と同じ量、同じ色の何か奇怪な生き物たちが、グニグニと無数に蠢いていたのだ。
そいつには、羽はもちろん、脚も、目も、触覚も無い。
大きさは一~二センチ。形で言えば、両端のとがった枕といえば分かりやすいだろうか。
横にいくつか筋が入っていて、体節が十個ほどに分かれて見える。
初めて見る人は、コレが昆虫だとは思わないだろう。
だが、コイツの正体を俺は知っていた。
「うわ。フェニックスワームや」
つまり、上記の「ミズアブ」の仲間の幼虫のことである。
すでに何千、何万、いや下手をすると何十万もの幼虫が住み着いていて、それまで見られたミミズやハナムグリ幼虫、ダンゴムシたちは影も形も無い。
普通なら、ここで「殺蛆剤」を投入したり、完全リセットして彼らを殲滅しようとしたりするらしい。 なにしろ見た目がアレだからその気持ちも分からなくはない。
だが、俺は思ったのだ。「ラッキー」と。
前述したように、彼らは人体に被害を与えない。衛生上も大した問題はなく、幼虫は群れるが成虫はべつに群れたりしない。ブツや生ゴミにたからないという点で、ハエなどよりも迷惑でないわけだ。
素晴らしいのは、ブツが一日でほぼ消滅することで、臭いが全くなくなったことだ。しかも気づけばもう二ヶ月も堆肥場を交換していない。
もし妻に見つかったら、殲滅命令が出そうな状況ではあるが、幸いなことに妻は、堆肥置き場にこんな連中が発生しているとは、まったく気づいてもいない。
ならば、コイツらにはこのままここに居着いてもらい、ブツを消滅させ続けてもらった方が楽に決まっている、というわけだ。
そして、俺の思惑は図に当たった。
あれから四ヶ月。堆肥置き場をリセットしなくなってからはすでに半年。
フェニックスワームたちは、毎日毎日投入されるブツと生ゴミの処理物をせっせと消滅させてくれている。
それ以外にも、梅酒で使った梅や米ぬか、スイカの皮、鶏ガラなど生ゴミ処理機では分解しにくく悪臭の出やすいものも、堆肥置き場に置いておくだけで消滅する。さすがに量が多いと一日とはいかないが、数日もあれば種だけ、骨だけ、表皮だけに姿を変えて、臭いも出ることもない。これを衛生的と言わずして何であろうか。
衛生害虫などというひどい言葉があるらしい。
べつだん、何をするわけでもない昆虫を、そいつの生活場所が不衛生だからとか、食べ物が不衛生だからという理由でそう名付けられるようだ。では、俺はこのフェニックスワームを「衛生益虫」とでも名付けてやろうかと思う。
見た目キモいからという理由で「不快害虫」などという言葉もあるようだが、ならばハナムグリやチョウ、カブトムシは「快適益虫」でいいだろう。
とはいえまあ、何というか集団でブツに食らいついている姿を見て、かっこいいだの可愛いだの美しいだのと言うつもりはさすがにない。
うん。たしかにキモいよ。認めよう。
でも、だ。それでも、コイツらはそう嫌うほどの虫ではないよ。たぶん。
最近では、この虫の粉末を練り込んだは虫類飼育用の人工飼料が売り出されていて、大変な売れ行きと聞く。なるほど、栄養価はバッチリだし、ハエ目の幼虫にありがちな消化の悪さも、粉末にしてしまえば問題にならないわけだ。
しかも「フェニックスワーム」の名前から、このブツを食う姿を想像するのも困難。
いいやり方を見つけたモノである。
そういえば俺は、この虫について「幼虫が幼虫を産む」という記述をどっかで見かけたことがある。
幼虫が幼虫を産むわけだからいくらでも増える。成虫がいないのに、生ゴミの中から無限に湧き出してくる姿がまさに不死鳥、ということなのかも知れない。と、その時は思った。
しかし、この蟲をネットで検索してみても、そのような生態はまったく紹介されていなかった。
だが、こういう生態を持つ昆虫がいない、というわけではなく、タマバエの一種などハエの仲間にそういうのがいるらしい。
このハエの幼虫の体内にある卵細胞が単為発生して幼虫となり、親ウジの体を食い破って現れるのだという。親ウジは死ぬが、子ウジはその数を増す。
そうすれば、いちいちサナギになって親バエに羽化してから交尾して卵を産むというプロセスを経なくてもガンガン殖えることが出来るわけで、大動物の死体のような大量の餌資源を無駄にしなくて済むということのようだ。
だがまあ、もう何というかここまで来ると、地球上の生物とは思えない増殖方法であり、「キモい生き物など存在しない」と常々言い放っている俺も、さすがにちょっとクるものがある。
それでも、こうした幼虫にも十パーセントくらいは可愛さを感じてしまうわけだが。
で、とりあえず自分の記憶が本当に間違いなのか確かめてみたいこともあって、今、十匹ほど隔離して飼育を始めたところだ。
プラケに加熱滅菌した生ゴミ処理物を入れ、小分けにしたフェニックスワームを入れて、個体数の増減を見る。
個体数が増えずに、さっさと羽化してしまえばそれまで。
もし、個体数があり得ないほど増え始めたら……その時はまた、この作品で紹介しなくてはならないなあ……。