ネコ2
この話は、書くつもりのなかった話だ。
悪い方にとられればドン引きされるし、良い方にとられても格好つけている、と思われるからだ。
だが、あんな事件が起きてしまった。
高校教諭が、実習の邪魔だからと目の開いていない子猫を、生き埋めにして殺した。
生徒に穴を掘らせ、その目の前で生きたまま埋めた。
生徒はショックを受け、教師は処分を受けた。
俺も、殺したことがある。
今回はその話だ。不快に感じる方もおられるかも知れないから、そう思われる方はここで読み進めるのを止めていただきたい。
今回の事件について詳しいことは知らない。
ニュース内容は知っているが、すべて伝聞情報であって、その時関わった人々が何を感じ、何を思ってそう行動したかは分からない。
だが、ハッキリ言えることもある。殺された子猫は特別ではない。人間の都合で奪われる命は珍しくもなんともないのだ。だからといって、命が軽いわけではない。
では、子猫を殺した教諭は、どうすればよかったのだろうか?
市役所に引き取らせれば良かったのだろうか?
自分ではなく、生徒の目の前でもなく、どこかの誰かが泥を被れば、それでよかったのか?
実習の邪魔になろうとも、親猫ごと黙認してやれば良かったのだろうか?
それで授業が滞ったら、生徒の将来に誰が責任を取るのか?
無事育ったとしても、野良猫が増え、周囲に迷惑を掛け、また悲しい事件を増やすだけではないのか?
あるいは、授業遅滞の責任を自分一人で抱え込み、生徒たちが必要以上に意識しないように統率して、親猫が子猫を育て上げるまで待つ。さらに巣立つ前に手元に引き取り、親共々、避妊と去勢手術を済ませ、予防注射をして、引き取り手を探す。もし、見つからなければ、自分が責任を持って残った子猫を生涯飼う。その懸命な姿を生徒たちに見せて、命の大切さと責任の重さを知ってもらうべきだったのか?
もしかすると、このへんが、誰もが納得する落としどころかも知れない。
だがしかし、そこまでのコストとリスクを背負うことを、その教諭に強要できるものか?
家庭や家族、住宅事情もあろう。ネコ嫌いかも知れない。飼う、などと軽く言うが、ネコの寿命は十数年。毎年入れ替わりネコが子を産みに来たとして、そんな理由でいちいち保護していたら、数年経たずに猫屋敷だ。
なんで、ただ偶然そこにネコが子を産んだ、というだけでそれほどのことを抱え込まねばならないのか?
ペコに会う数ヶ月前のことだ。
日曜の朝、いきなり先輩が自分の彼女を連れて訪ねてきた。
困ったような嬉しいような、そんな微笑みを浮かべながら、俺の目の前に差し出したのは、タオルの敷かれたボール箱だった。
その中には、目の開いていない六匹の子猫がいた。
「なあ、はくたく、これ、なんとかできないかな?」
なんとかって…………そう言われても、俺は凝固するしかなかった。
先輩の彼女のアパート近くに、その状態で捨ててあったのだという。まだへその緒も付いている。生後二日と経っていないだろう、茶虎の子猫六匹。
その頃、ムツゴロウこと畑正憲のエッセイをよく読んでいた俺は、哺乳類の乳児を育てるのがどれほど難しいか、知識としてはよく知っていた。
高校時代に、ネズミの乳児を死なせたこともあって、その難しさは実感してもいた。
だが、このまま放っておけば死なせるだけ。とにかく対応するしかない。
俺は先輩の車に乗せて貰って、ペコを連れて行くことになる、あの動物病院へと向かったのだった。
道中、先輩と話しながら様々な覚悟を決める。
生まれたばかりの子猫だ。ミルクやりは一時間おきになる。だが、サークルのメンバーを総動員すれば、一人あたりの負荷は減らせるはずだ。
育ってきたらもらい手探し。これも学生だらけだから、ネコを飼っているヤツは多い。なんとか飼い主も見つかるだろう。
問題は六匹という数だが、それだってなんとかできるつもりでいた。
だが、俺達の意気込みを前に、獣医師は険しい表情で言った。
「結論から言えば、親猫のいない状態で、この子達を育てるのは、無理だ。ミルクやりだけじゃない。お尻を刺激してやらないと便をしなかったり、常に清潔にしてやったり、親猫は想像以上のことを子猫にしてやっている。君達にそれが出来るか?」
出来るつもりだ、だから、やり方を教えてくれ、という俺達に、獣医師は更に言った。
「たしかに、猫用ミルクもほ乳瓶も存在する。君達が四六時中付き添えば、不可能ではないかも知れない。だが、君達は学生だろう? 勉強するためにここに来ている、そのために親御さんも決して楽な生活ではない中、送り出してくれた。違うか?」
この一言は痛かった。
たしかに俺達は、子猫の世話をするために大学まで来たわけじゃない。獣医師の言うことはもっともだ、とその場の誰もが思ってしまった。
「こういう子を持ち込んできた人は、これまでにも何人かいる。私が無理だと言うと、怒り、育て上げてみせると息巻いて帰っていった人もいる。だが、結局死なせてしまったようだよ。いたずらに苦しみを長引かせただけだ」
ドブネズミの乳児を育てようとして全滅させた俺は、そのことは強く実感してもいた。
その頃……まだ子猫用ミルクも、ほ乳瓶も未発達だったのだ。
未完成、といった方がいいか。それだけで健康に育て上げられるほどの製品ではなかった、ということも、獣医師が難色を示した理由の一つだった。
「ここに置いて行きなさい。処分しておいてあげよう」
獣医は悲しげに目を逸らしながら言う。
俺は助けを求めるように、先輩の方を振り向いたが、先輩は俺の目をしっかり見て頭を振った。たぶん、俺が「それでも」と、言い出しそうなことを分かっていたのだろう。
「…………おいていこう」
小さな小さな声だったが、先輩の言葉は胸に刺さった。
だが、俺の気持ちは治まらなかった。たしかにどうしようもない。どうしようもないことだけど、ここに連れてきた俺達の責任はどうなる。この獣医師につらい部分だけすべて背負わせて、はい、さようならか。
この子ネコたちは生きてるんだ。ゴミじゃない。そう思った。
獣医師は落ち着いた表情で俺達を見ている。たぶん、理不尽な死は日常なのだろう。もっと理不尽なものをも見、呑み込んできたに違いない。たぶん、すべて背負う覚悟を固めていなければ、こんな商売続けていられないのだろうが、決して平気でないことくらい、その潤んだ目を見れば、分かる。
長いこと、そのまま固まっていた覚えがある。それでも十数秒くらいだったのかも知れないが。
「わかりました…………でも、せめて自分の手でやらせてください」
口をついて出た言葉に、自分自身も少なからず驚いていた。
「わかった」
獣医師は、意外にもあっさりと俺の申し出を受け入れた。
「苦しまないよう、麻酔薬を規定量以上、注射するんだ。今、準備をする」
手慣れた様子でてきぱきと薬の用意を始める獣医に、もっとゆっくりやってくれ、と思わずにはいられなかった。
「ここに赤い物が透けて見えるだろう? これが心臓だ。ここに針を刺して薬を入れるんだ」
子猫の腹側を指し示して説明する獣医師。
冷静なつもりだったが、注射器を持った途端、どうしようもなく手が震え出した。
震えるなんてレベルではない。意思とは無関係に、全身が震え、上下に激しく手が揺れる。
左手の中にある、子猫の体温が痛い。
自分が今から奪おうとする命の重さを、否応なしに感じさせられ、手の平が重くて痛いのだ。
獣医師は、そっと俺の後ろに来ると、手に手を添えてくれた。
「ぷつっ」
と差し込んだ針。できるだけ苦しまないように、ゆっくりとシリンダーを押して薬を注入しようとする俺に、獣医師は少し強めに言った。
「もっと早く」
そうか。生かすためではない。殺すための処置。一瞬でショック死させた方が、苦しむ時間は短くて済む。
だが、どうしても手は思うように動いてはくれなかった。
二匹目。
なんとか自分で針を刺した。できるだけ早くシリンダーを押すが、小さな猫が、薬の圧力で破裂してしまいそうな気がして、やはり一気にはやれなかった。
その時。手の甲の上に何か熱いものが落ちてくるのを感じて、ようやく自分が泣いていることに気付いた。
三匹目を手に取った時、獣医師は俺の手から注射器を奪い取った。
これ以上、見ていられなかったのかも知れない。
機械的に、残りの四匹に処置を施す獣医師。
最初の二匹はもう動きを止めていたが、まだ手足を動かしている子猫もいる。俺は、そいつらを手の平で包んでやった。せめて、少しでも温めてやりたかったからだ。
俺に注射をさせたことも、その後子ネコたちの遺体を俺達に引き渡してくれたことも、たぶん、獣医師的にはルール違反、ヘタすると違法行為なのかも知れない。
しかし、それを押して俺の気の済むようにさせてくれた、麻酔薬の代金も受け取らなかった獣医師に、俺は感謝した。
六匹の子ネコたちを、俺は近くの公園にあった、築山の上に埋めた。
できるだけ人に踏まれない場所、できるだけ眺めの良い場所を探したつもりだ。
子ネコを殺す、ということ自体、褒められた行為ではないのは分かっている。彼等には何の罪もなかったのだから。だが、ではどうすれば良かったのだろうか?
「それでも」そう言って、子ネコたちを育てようとしてみるべきだったのだろうか?
その時の俺には、何の答えも出せないまま、ただ泣くことしかできなかった。
実は、更にその数年後、目の開いていない子犬を拾う羽目になった。そして、その時、俺は別の哀しみを得ることになる。
自転車で農道を走っていた俺は、キューキューという不思議な声を耳にして立ち止まった。
背の高さほどもある土手の下に流れる用水路。そこには投げ捨てられ、鳴いている子犬がいたのだ。アスカのこともある。一匹ぐらいならなんとかなるさと拾い上げ、反対側に土手を登ると、そこに更に三匹。
四匹もの、目の開いていない子犬を拾ってしまったのだ。
オス二匹、メス二匹のそいつらを、俺は敢えてあの獣医師には持ち込まなかった。
子猫と同じことになるのを恐れたのだ。殺したことを、後悔しなかったわけがない。もし、あの時、無理やりにでも連れ帰っていたら、生かすことが出来ていたら、俺達がどんなリスクを被ろうと彼等は幸せになれたかも知れなかったのだから。
それを償う機会が与えられたのかも知れない。その時はそう思ったのだ。
そして犬用ミルク、ほ乳瓶、その他色々買い込み、それから一週間、ほとんど外出せず自室にこもった。
最初に念入りに世話をしたせいかも知れないし、ネコよりイヌの方がタフだったからかも知れないが、彼等はすくすく育った。
最初の頃は可愛いだけだった犬たちも、三ヶ月も経つと、キュンキュン鳴くわ畳や壁を掘るわで、アパートはどんどん荒み始めた。
このままでは部屋ごと崩壊してしまう。
俺はもらい手探しを始めたが、アスカの時とは違い、全身焦げ茶色の子犬たちは、見るからに可愛くない面相だったから、そう簡単に引き取り手は現れない。
やっとオスが一匹、知り合いに貰われていった。
もう一匹のオスを引き取ってくれたのは、キリスト教系の新興宗教を布教に来たご夫婦だった。大変ありがたかったので、それ以来、宗教の勧誘に俺は寛大だ。
入信はしなかったし、今後もする気はないが。
残ったメス二匹を、憔悴しきった俺は、ようやくあの獣医師のところへ連れて行った。
これまでの経緯をぼそぼそと説明した俺を、獣医師は優しい目で見ていた。半ば呆れていたのかも知れないが。
「予防注射と避妊手術をしましょう」
即決だった。
メスの場合、そうしないともらい手が現れにくい、ということだった。
「これだけ育つと厳しいかも知れないが、出来る限り頑張ってください。この子たちの未来は君に掛かっているんだから」
手術代、予防注射代は……二匹合わせて五千円。
いくら昔のことでも、そんなわけがないくらい、俺にも分かる。俺は獣医師に心から感謝した。
しかし、その後約二ヶ月間。管理センター主催のもらい手探しイベントに参加させて貰ったり、タウン誌に載せたりスーパーに張り紙もしたが、結局、もらい手は現れず。
だが、もう時間はなかった。
そう。俺は就職が決まって、その地を離れなくてはならなくなっていたのだ。
もはや「キュンキュン」ではなく「ワンワン」鳴くようになった彼女たち。荒れ果てたアパートを少しでも修繕する必要もある。
結局…………焦った俺は、もっとも無責任な方法をとった。
学生寮の真ん中へ、捨ててきてしまったのだ。
その時、彼等はもう六ヶ月の若犬だったし、餌をやる学生もいて住み着いているイヌも数匹いたから、餓死することは無かったかも知れない。
しかし、俺はそこをもう二度と訪れる勇気はなく、その後どうなったか、まったく分からない。本当は、誰にも言いたくない、恥ずかしく、愚かな過去だ。
あの、目の開いていない子猫たちを育てきっていたら、同じような結果になっていたのであろう、と思う。イヌとネコの違いはあれど、六匹という数をすべてもらい手探しできたとは到底思えない。
どちらの道を選んでも、後悔と哀しみだけが残るのだ。どの時点でどうすればよかったのか、俺にはもう分からなくなっていた。
だが、その後も俺の心情や事情とは無関係に、報われない命は次々と目の前に現れ、そして消えていった。これは犬猫のことだけではなく、鳥、両生爬虫類、魚や虫や、植物まで含めての話だが。
いくら手を伸ばしても消えていく命もあれば、俺のことなどどうでもいいかのように、逞しく旅立っていく命もあった。
関わりたくなければ、たぶん、耳を塞ぎ、目を閉じていればよかったのだろうが、子猫を殺し、子犬を捨てた俺は、そうしてはいけない気がしたから、ずっとそうしてやってきた。むろん、彼等だけではなく、手を尽くせなかった命は他にも色々とあったのは言うまでもないが。
ようやく。
少しだけ、自分の責任の範疇で、出来る限りのことをしてやれる自信が付いたのは、皮肉にも、基本生き物嫌いの妻と結婚した後だった。
いや、少し違うな。
もしかすると、妻がブレーキを掛けてくれるから、そして守るべき子供たちがいるから、自分で責任をとれる範囲ってものがやっと分かった、の方が正解なのかも知れない。
何故なら、動物管理センターへ子犬をもらいに行った時、メスの子犬を二匹差し出されて迷う俺に、「両方連れて行けばいいじゃん」と最初に言ってくれたのは、その妻だったのだから。
置いていけば、もらい手が付かず殺されていたかも知れない子犬。今、手元にいるサクラとモモは、そうやって、うちにやって来たのだ。
そんなことで子犬を捨てた罪滅ぼしになるなどと思ってはいない。彼女らが報われたわけでもないのだから。
でもたぶん、そうやって、自分の出来る範囲で出来ることをやり、命の重みを噛み締めながら生きていくしかないのだろう。
だけど一人一人が、自分の出来るだけをやれば、理不尽に奪われる命も、少しくらいは減らせるのかも知れない。
罪を背負った俺に、偉そうなことを言う資格もないのだが。




