〈モノ・クロームの朝食〉
翌朝。
モノ・クロームが眼を覚ました時、焚き火はまだ微かに燃えていた。
炎が護ってくれたのか、獣や魔獣が襲って来た様子はない。
十分な睡眠を摂った男は、立ち上がると身体を伸ばした。
自分の姿を確かめたことはないが、感触としては二十代の後半から三十代の前半といったところだろうか。
十代のような溌剌とした体力はないが、円熟味のある肉体をしていると思う。
剣の腕だけではなく、体捌きも常人離れしているようだ。
昨日の魔獣は、本来、数人掛かりで一頭を仕留めるものである。モノ・クロームは、一人で十頭を倒した。ギルド所属の冒険者だとしたら、かなり高位の持ち主になるに違いない。少なくとも、五ツ星…下手をすれば六ツ星だろう。
今の独り言を聞く者があれば、彼の思い上がりを指摘し、盛大に憤慨するところだ。
冒険者には、働き振りによってランクがつけられる。ランクは星の数によって表せられ、下から一ツ星、二ツ星と数え、最高は七ツ星だ。
ただし、七ツ星は、大陸どころか世界全体でも五人しか存在しない。一般的な高位冒険者といえば、五ツ星を指し示す。
モノ・クロームは、自分をその最高位の冒険者ではないかと判断したのだ。
記憶がないとはいえ、大それた自己評価としか言いようがない。
しかし、モノ・クロームが自分の腕前を五ツ星相当ではないかと推し量るのには明確な理由があった。
二ツ星や三ツ星の剣士では、到底あの魔獣を単独で相手に出来ない。
四ツ星ならば、一頭か二頭くらいまでは倒せるだろう。
だが、彼が倒したのは、十頭である。それも、こちらにはひとつの怪我も負わず、相手を一撃で仕留めたのだ。
ギルドに於ける星ランクの詳細な設定方法は不明だが、ひとりで十頭もの魔獣を撃退出来る人間がそうそう居るとは思えなかった。
考え事をしながらも身体を解すことに努め、モノ・クロームは腰に吊った剣帯から片手剣を抜く。
昨日十頭もの魔獣を屠ったとは思えぬほど、刃身は見事な輝きを放っていた。
もちろん、昨晩のうちにきちんと手入れはしてある。背嚢の中には、研磨石等の整備道具も用意されていたからだ。
片手剣の拵えは、ずいぶん簡素だ。形式ばったところや、装飾めいた部分は一切ない。武器には加護を願った聖句を刻むことが多いが、この剣にはひとつも見受けられなかった。
しかし、刃は鋭く、握りは頑丈で、モノ・クロームの手にしっくりと馴染む。
おそらく、この剣は自分のために専用で誂えたものだろう。
防具のほうも、かなり素朴なものだ。革製の胸当てや籠手は、重騎士の一撃を喰らえば着用者もろとも木っ端微塵になりそうな代物である。しかし、見た目に反して防御力はかなり高い。なにしろ、素材として使われているのは、魔獣の中でも皮膚が硬いことで有名な熊亀だ。僻地に棲息する魔獣であり、遭遇率が低いうえに、倒しても皮を剥ぐことが困難なために、素材は一般には流通していない。だが、モノ・クロームの防具は、いずれもこの熊亀革から作られていた。
剣にしても防具にしても、華やかさはないが、どれも一級品ばかりである。
モノ・クロームは、記憶を喪う前の自分が一体なにものなのか、ますますわからなくなってきた。
だが、考えてもわからないことに時間を割くのは、無駄の一言に尽きる。
あっさりと探求を諦め、モノ・クロームは朝食の用意に取り掛かった。
昨晩は時間がなかったために携帯食糧だけで済ませたが、可能な限り温かいものを口にしたい。
背嚢には、小さな鍋も入っていた。
鍋を携えて、モノ・クロームは森の中を歩く。
小川の場所は、昨日薪を拾い集めた際に確認してあった。
川の差し渡しは、大人の男の歩幅で五歩程度。水は澄んでいて、川底まで見通せるくらいだ。
手のひらで清水を掬ってひとくち飲む。
見た目通り、冷たくて旨い水だった。
鍋に水を汲んでから、なるべく下流側で顔を洗う。拭くものを忘れたが、じきに乾くだろう。
時間は明け方と言っていい早朝だ。
太陽はまだ顔を覗かせたばかりだが、周囲を探るのに不便なほどではない。
かなり深い森だが、まったく人が出入りしない場所というわけでもなさそうだ。僅かにではあるが、小川の畔には狩人や冒険者が残した焚き火の跡がある。魚の骨が落ちているので、川に棲む魚は食べられるのだろう。今のところ食べるものに不自由していないが、食糧が不足したら魚を獲ることも視野に入れる必要がありそうだ。
ほかには、水辺特有の薬草がいくつか発見出来た。これらの薬草は効能も高いが、なにより美味い。
モノ・クロームは、片手で持てるだけの量を摘んだ。乱獲すると、次が生えて来なくなる。
野営場所に戻ると、焚き火の形を整えて鍋を置いた。
鍋には、小川で汲んできた水が入っている。
水を煮たてている間に、食糧が入った袋から目当ての品物を探す。
取り出したのは、干した米である。
米は僅かな量でも水を含ませれば嵩が増えるために、冒険者には好まれる食材だ。ただし、火と豊富な水を必要とするため、食べる場所を選ぶのが難点だ。慣れた冒険者ならば、手っ取り早く食べられる硬焼きのパンと、時間があるときにじっくり味わえる干した米の両方を用意するものだ。
モノ・クロームは、干した米と干し肉、さらに採ってきたばかりの薬草を鍋に投入した。調味料は必要ないだろう。
しばらく待つと、米が煮えた香りが立ち上ってくる。
焚き火から鍋を外し、そのまま木の匙を差し入れた。
思った通り、米はほどよくふやけ、干し肉も水分を含んで食べやすくなっていた。
火傷に気をつけながらも、豪快に匙を口に運ぶ。
米と肉、そして薬草の味が染みた粥は、実に旨かった。なにより、温かいというだけで野外ではご馳走なのだ。
小ぶりな鍋いっぱいに入っていた粥を、モノ・クロームは完食する。
どういう経緯でこの森にひとりで居たのかはわからないが、背嚢に入っていた食糧と道具、そして自然の恵みがあれば当座は凌げそうだ。
もっとも、モノ・クロームは朝食の片付けを終えたら、魔獣の毛皮を持って森を抜けようと思っている。
とにかく自分のことがわからない限り、この先なにをして良いのか判断がつかないからだ。
ただの旅人なのか、お尋ね者なのか、雇われの傭兵なのか、凄腕の冒険者なのか。
自分では最後の可能性が高いと踏んでいるのだが、希望的観測なことは否めない。
厄介なのは、二番目だ。
どんな罪を犯したかにもよるが、最悪の場合は再びこの森に戻って来なければならないかもしれない。携帯食糧には限度があるが、この森の中に居れば少なくとも飢えることはなさそうだ。
「誰か、俺のことを知っていてくれれば良いんだがな……」
ひとりごちる声を聞く者は、この場には誰もいなかった。




