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不倫への序章

―連載小説―(不定期更新)


評価、感想等頂けると嬉しいです。

私の男には妻子がある


 藤森七海(ふじもりななみ)は、会社へ向かう車のハンドルを握りながら、昨晩の恋人との会話を思い出し、頭の中でその一文を再生していた。思い出す、というよりも、ずっとそれが脳に張り付いて離れない。

「実は、俺」

 という男の声を脳内で再生すると

「私の男は妻子持ちだ」

 という忌々しい言葉が先行して流れる。男の言葉の続きを待たずにだ。進むあてのない感情を抑えれば抑える程、心拍数が急上昇した。

 ダメだ、と七海は車を止めた。車を車道の脇に寄せ、ハザードランプのスイッチを押した。

 

どうして、男というものは、重要な話を事の後に持ってくるのか。

「俺、色々な恋愛をしてきたけれど、七海に言ってないことがある」

「え? 何?」

 どうせまたいつもの恋愛武勇伝についてだろう、と大して気にも留めずに下着を身に着けながら、話が続けられるのを待った。

「俺、七海のことが本当に好きなんだ。好きで、大好きで、愛おしくてたまらない。可愛いよ、七海。だから――」

 妙に甘い言葉を連続させている健一(けんいち)のその口調に、女の勘が走った。おそらく、かなり重大な話だ。冗談話でも、面白話でもない。

「俺さ…… 実は、俺。結婚してるんだ。子供もいる。十歳の息子が」

 東健一(あずまけんいち)は四十歳を一年ばかり過ぎている。七海は、ちょうどその一回り下だった。

「引く? だろ。言わなくてゴメン」

 正直なところ、七海はこの程度の予測はしていた。晩婚化社会とはいえ、四十歳を過ぎた男だ。それも、そこそこモテる。結婚の一度や二度くらいはあるかも知れない。現在進行形の家庭があるかも知れないし、子供という重大な産物だってあるかも知れない。

「やっぱり。私も怖くて触れなかったけど、気付いてた。なんとなく。だけど、それでも好きっていう気持ちは止められなくて。だから、私も聞かないでいたわ」

 仮に家庭があったとしても、せめて過去形であって欲しいというのが、七海の願いだった。米粒ほどの小さな願いを、どうして神様は叶えてくれなかったのだろう。的中しても、褒美の貰えない事実をどう持って帰ろうか。分かっていた結果だけに、健一にそう返すのが精一杯だった。女の意地やプライドというものは、男のそれよりも遥かに大きいのだ。

「勘のいい女だな、七海は。そういうところも好きなんだけど。慰謝料やら、養育費やら、家のローンやら……この先の現実問題を考えたら、離婚はしない方が賢明だ。離婚して七海と第二の人生をスタートさせることも考えたが、金のことで君に苦労はかけたくない。勿論、俺の心は七海にあるし、子供は可愛いが妻に愛情はない。セックスだって、子供が生まれてからはしていないんだ。勝手かも知れないが、七海、君のことは手放したくない」

「手放したくない? 随分と、『もの』みたいに言うのね。本当、勝手すぎる。私は不倫だとは知らなかったけれど、いえ、正確には気付いていないフリをしていたのだけれど、あなたは、百パーセント不倫だと分かって、私と付き合っていたのよ。でも、残念ながら、悔しいけれど、私もあなたと同じ気持ち。あなたからは離れられない。だって、こんなにも好きだもの……」

 それから、健一は七海をきつく抱き寄せ、深く深く口づける。そうして、さっき済ませた筈の「事」が再開する。中止していたわけではないのに、再開するのだ。

 寧ろ、良かったではないか。

 七海はそう開き直った。

 三十という大舞台に登るまで、あと三年あるのだ。三年。その三年の間に婚活でもしながら考えればいい。健一と繋がっていたいのか、それとも、婚活の末に見つけた男に納まってしまうべきなのかを。

きっと、良識のある女友達ならこう言うだろう。

「今すぐ別れるべきよ。不倫をするような男だよ。誠実なんて有り得ない。『愛しているのは君だけだ』なんて常套句じゃないのよ。まあ、本当に愛してしまっている場合もあるだろうけどね。失楽園みたいに、二人で心中でもしたら、それはもう、本物よね。別に、それだけが本物の愛の証明っていうワケじゃないし、七海に死なれちゃっても困るけどさ。分かって欲しいのよ、七海。男っていうのは単純なもので、若い女をそのゴツゴツとした手の中に収めておく為なら、どんな歯が浮くような台詞も言うし、少ない小遣いの中から彼女を喜ばせる為のプレゼントだってする。本気でも本気じゃなくても、それくらいのことはする。あっちはね、若い女の滑らかな肌を舐めまわしたいという動物的な欲望を満たしたいだけなの。不倫する四十過ぎの男は、みんなそうなんだから。七海、まだ二十代なのよ。どうして四十過ぎの男の為に、人生で一番いい時を無駄にするの? 出会いはいくらでもあるじゃないの」

「じゃあ、本気かどうか、どうやったら見分けられる?」

「もし、本当に本気と分かったら、どうするの? 更に泥沼よ。本気かどうかなんて、知る必要がないのよ。だって、あちらは妻子持ちなんでしょう。早く、別れなさいよ、七海」

 そんな問答は無限に繰り返される。

そんな回答(こたえ)をくれるのは、「良識のある」という形容付きの女達だ。ごく普通の男と、ごく普通の恋愛をして、ごく普通の結婚という門をくぐってきた。

そんな女達は、口を揃えて言う。

「独身の、もっと普通の男がいるでしょう」

「普通の男」とはなんだろうか。考えてみる。独身男イコール普通だとでも言うのだろうか。職業は公務員? ドクター? 会社経営の実業家? 商社マン? 例え、歳が一回りも二回りも離れていようと、独身でそんな職を持つ男達の中から一人や二人を選んでいれば、社会は「普通」の恋愛とみなしてくれるのだろう。

彼女達はみな、そういう地位のある男と、ごく普通のごく幸せな生活をしている。外に彼女を作っているかも知れないと疑うこともなく。そうして、そういう女に限って、

「うちは大丈夫よ。だって、休日はちゃんと家族サービスしてくれるんですもの」

 と自信たっぷりに言うのだ。

 そんな台詞を聞くと、「分かっていないな」と七海は思う。不倫の極意というものをだ。

どこに、土日に例えば急な出張だと言って京都や軽井沢に出かける男がいるだろうか。どこに、土日の朝から晩まで家庭を不在にする男がいるだろうか。別居やW不倫でもなければ、そんな間抜けなことをする男はいない。するとしても、幸運な条件がそろった時くらいだ。男がカノジョと会うのは、大体、平日と決まっている。仕事が終わった後、それも、金曜日のアフターファイブは人気だ。不倫中の恋人達にはゴールデンタイムなのだから。

妻達は気付いていない。会社の同僚と飲み会。取引先と飲み会。接待。男には週に一度、タイミングの良い言い訳が出来る日があるということに。

不倫だと知った今、健一とはほとんど平日にしか会ったことがなかったな、と七海はこの一年間を振り返ってみる。何度か土曜や日曜に会ったこともあったし、普通の恋人達のように昼間の映画デートをしたこともあった。勿論、その時は、「普通の」恋人だと思っていた。だが、それは指折り数えられるほどで、何月何日のことだったか、正確に答えられるほどだ。そんな自分に、七海自身も驚いた。自分は根に持つタイプではないと思っていたが、健一との時間の不十分さに不満を感じていたのかも知れない。

妻子ある男のカノジョを務めるには、忍耐強くなければいけない。そんな可笑しな意地が、七海の中に込み上げてきた。

土日は、「夫」と「父」の顔をしていたのだ。それも、傍から見れば、仲の良い夫婦、子煩悩な父という完璧な家族像の中で。

それを想像すると、行き場のない感情が轟々と唸り声をあげながら溢れ出る。

だけれども、そんな妻達が気付いていない「外のカノジョ」が自分であると思うと、七海は勝ち誇ったような気分にさえなった。


お読み頂きありがとうございました。


これからも作品作りに、日々精進して参ります。

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