食堂
赤い絨毯に、長いテーブルに、白いテーブルクロス。整列する椅子と燭台。
揺らめく火が、テーブルと花を照らす。
大きなシャンデリアは部屋を明るく、温かく照らし、壁に掲げられた印象派の絵画の芸術を高めている。
テーブルの上の湯気を上げる料理はそれに反して質素。
だが、その安らかさすら与える香りは、存在感において引けを取らず、客人を待っている。
アロンダイトは、その光景に言葉を失った。
今までの光景と余りに掛け離れ、思わず安堵してしまう空気に飲まれかけた。
軽く頭を振り、ここが魔王城だと言う事を改めて頭に刻む。
「魔王様。アロンダイト様方をご案内致しました」
コボルトが胸に手を当て、恭しく一礼した。
アロンダイトは柄に手を添え、コボルトが一礼した相手を睨む。
「あらあら、早いですね」
ゆったりとした穏やかな口調。肩で切り揃えた桃色の髪に、女性らしい曲線を描く細身の体。
「もう少しお待ち頂けますか?」
ニッコリと笑みを浮かべた顔の右頬に浮かぶ蝶の紋章。
「テメェが魔王だってか!?」
驚きにダイアが叫んだ。
女性は手に持っていた皿をテーブルに並べてから、また笑みを浮かべて答えた。
「はい、そうです。ですが、魔王ではなく、イリアと呼んで頂けますか? 魔王では、恐ろしい印象しかありませんしね」
クスクスと魔王……イリアは笑い、ダイアは怒りに顔を赤く染めた。
「ふざけんじゃねぇよ!」
アロンダイトの制止を振り切り、ダイアはイリアの胸倉を掴んだ。
「テメェが魔王だってんなら、なんのつもりでこんな料理なんか用意してんだ!」
イリアは胸倉を掴まれたまま、嬉しそうな笑みを浮かべて答えた。
「みなさんとお話がしたいんです」
「はあ!? 話だぁ!?」
「ダイア、落ち着きなさい」
ハスターが静かに制止する。不快感を露わにするダイアだが、アロンダイトが無言で頷いたため、舌打ちをしてイリアを離した。
ハスターはイリアに片膝を着き、頭を垂れた。
「仲間の無礼、お許し下さい」
「あらあら、そんな事しないで下さいよ」
イリアはしゃがみ、ハスターの肩に触れた。
「私はハスターさんもダイアさんとも対等になりたいんです。今は、わざわざ来て頂いた私が歓迎してるんです。そんなにかしこまらないで下さい。ね?」
柔らかい口調と笑みは、相手の心を掴むのに十分な力を持っていた。
イリアはハスターを立たせ、席を進める。
「さあ、みなさんも座って下さい。私はパンを持って来るので少し席を外しますけど、遠慮なく食べていて下さい。たくさん用意してますので、たくさん食べて行って下さい」
ニコリと微笑み、頭を下げてイリアは調理場へ向かった。
テレスがアロンダイトの顔を見ると、まるで絶望するかの様な暗い顔をしていた。
「アロン?」
恐る恐る声をかけると、アロンダイトはゆっくりテレスを見た。
「少し、混乱してるんだ……」
右手で顔を覆い、頭を振る。
「あの人が、魔王だって……?」
料理を最初に口にしたのはハスターだった。
全員が席に着いたのを見て、躊躇う事なく、クリームシチューを口にした。
「ハスター! 毒でも入ってたらどうすんだよ!」
テーブルを叩き、ダイアが怒鳴る。ハスターは味わう様にゆっくりとシチューを口に運び、飲み込んだ。
「とても美味しい……。人の気持ちを非常に温かな物にさせてくれる。そんな味だ」
思わず笑みを浮かべ、ハスターは言った。
アロンダイトとダイアが躊躇う中、テレスが続いて口にした。
「わぁ……本当に美味しいです。こんなに美味しいクリームシチュー、初めてです」
頬を赤く染め、テレスは夢中でシチューを口に運んだ。
「何日も丹念に煮込まないと、こんな味は出ません。ね、テレス?」
「はい、丁寧にじっくり、気持ちを込めたのがよく解ります」
「アロンもダイアも……冷めてしまっては勿体ない。早く食べなさい」
二人に進められ、アロンダイトが恐る恐るシチューを口にする。
「……本当だ……」
驚愕の表情でシチューを見て、確かめる様にもう一口シチューを口に運ぶ。
「ほら、ダイアも」
「あたしはゴメンだね!」
腕を組み、ダイアは不快感をあらわにそっぽを向いた。
香ばしい香りに、テレスが鼻をひくつかせた。
「お待たせしました」
イリアがバスケットにクロワッサンを乗せて運んで来た。
テーブルの中心に置き、フフッと少し恥ずかしそうな笑みを浮かべ、空いていたアロンダイトの隣に座った。
「すみませんね。私もお腹が空いてしまって……パンは各自取って頂けますか? 焼きたてですので、気をつけて下さいね」
言ってイリアはパンを一つ取り、シチューを口にした。
「では、遠慮なく頂きます」
ひょいとハスターもクロワッサンを一つ手に取り、熱さに苦戦しつつ半分に割ると、ふわりと湯気と香ばしい香りが立ち上った。
「これは、イリアさんがお作りに?」
ハスターが言うと、恥ずかしそうな顔をしながらイリアは頷いた。
「お料理本を見ながらですけどね。お口に合いましたか?」
「もちろんです。こんなに美味しいシチューは初めてですよ」
「本当ですか? ありがとうございます。色々悩んだんですけど、結局自分の好きな物にしてしまって」
嬉しそうにイリアは顔を綻ばせ、ハスターも笑みを浮かべてクロワッサンを口にした。
「これも素晴らしいです。イリアさんは料理がお上手ですね」
「ありがとうございます。今まで私一人しか食べた事がなかったので、自信が無かったんですよ」
和やかな空気を醸し出す二人にイラついたダイアがテーブルを蹴り上げた。
燭台と花瓶が倒れ、テーブルに火の手が上がった。
「ダイア! なんて事を!」
批難するハスター。イリアは驚き、涙を目に溜めて火を消した。
アロンダイトとテレスもダイアに批難の眼差しを向け、ダイアの怒りを煽った。
「何和んでんだ! コイツは魔王なんだぞ!?」
イリアを指差し、ダイアは叫ぶ。
「コイツのせいで何人の罪無き人が殺されたと思ってんだ!」
「ダイア」
アロンダイトが口を開いた。
「今は話し合いの場だ」
「何が話し合いだ! 何の為にあたし達は戦って来たんだ!」
「だから落ち着けと言ってるんだ! 今までの事を無駄にしない為に!」
凜とした態度に、ダイアはグッと言葉を失った。
「忘れた訳じゃない」
アロンダイトはダイアに歩み寄り、近くに来てから耳打ちした。
「ダイアの家族が魔物に殺された事。何よりも魔物が憎い事。忘れてはいない……でも、今は耐えて欲しい」
アロンダイトの言葉にギリッと奥歯を噛み締め、吐き捨てる様に言った。
「ああ、解ったよ」
ドカッと音すら立て、ダイアは椅子に座った。
「すみません、イリアさん」
ハスターが、泣きそうになりながらテーブルを片付けているイリアに話かける。
「覚悟は、してましたから。私達は貴方達に酷い事をしていましたから……」
燃えたテーブルクロスを片付けていると、先程のコボルトが新しいテーブルクロスを持って来た。
「私も、取り乱してしまって……すみません」
ハスターがイリアを手伝ったのを見て、テレスも手伝いを始めた。
「いえ、貴女が謝るべきところではありませんから、謝らないで下さい」
テーブルクロスを広げ、ハスターは言った。
燭台や花瓶や食器を元の位置に戻し終え、再び全員が席についた。
「シチュー、美味しいですよ?」
ハスターが食べながらダイアにすすめる。
アロンダイトとテレスもシチューとクロワッサンを口にしていた。
「クロワッサンも美味しい」
アロンダイトが言い、チラリと見たダイアに、食べる様に視線を送った。
「このあたしが、まさか魔王の手料理を食べる羽目になるとはね!」
言って、ダイアは半ば自棄くそになりながらシチューを口にした。が、想像以上の美味しさに目を丸くした。
戸惑いつつも、ダイアはシチューとクロワッサンを食べていた。
魔王は憎い。だが、この料理はそんな気持ちすら和らげてしまう程に、柔らかな味だった。
「……イリアさん」
「はい?」
ハスターの呼びかけに、イリアはニコリと笑って答える。料理と同じく、柔らかな笑みだ。
「お話、とはなんでしょうか?」
気になっていたハスターは、場の空気が暗転しない事を祈りながら言った。
イリアは嬉しそうに微笑んだ。
「私は、人々がどの様に生きているのか知りたいんです」
意外な言葉に、一番反応したのはダイアだった。
不快感をあらわにし、イリアを睨んだ。アロンダイトは視線でそれを咎め、口を開く。
「どういう意味だ? 散々街を破壊し、人々の生活を奪って来た者の言葉とは思えないが?」
刺のある言葉に、イリアは全く動じる事もなく、柔らかい笑みをアロンダイトに向ける。
「そう思って当然です。私達、魔族・魔物は貴方達にたくさん危害を与えて来ましたから。私はその事に何の疑いも持たず、むしろどうすればもっと人を狩れるか考えていた位です」
イリアの告白に、ダイアは不愉快そうに、ハンッ、と鼻で笑いテーブルに足を乗せた。
「んで、その頭たる魔王様が、人間の何を聞きたいんだい?」
皮肉と刺を含んだ口調も、イリアは柔らかい笑みで受け止める。
「十五年前、一人の男性がこの城を訪れました……ええ、アロンダイト。貴方のお父様です」
アロンダイトは、堪え切れない憎しみと殺意をイリアに向けた。それでもイリアは柔らかい笑みを浮かべていた。
「貴方のお父様は偉大な方です。一緒にいた仲間も」
思い出す様に目を細め、イリアは語る。拳を握ったアロンダイトの手が震えているのは、気付いていた。
「貴方のお父様は、私に最初に言いました。『ここは寂しい所だ。貴女は寂しいと思わないのか?』と」
今にも爆発しそうなアロンダイトを、テレスが激情に震える手を握って宥めた。
「それから、沢山お話をして下さいました。アロンダイト、貴方の事もして下さいましたよ? 『一番下のやんちゃ坊主だ』と言って笑っておられました」
イリアの口調はあくまで穏やかで柔らかい。が、それはアロンダイトの感情を逆なでしていた。
「私にとって、貴方のお父様と話をしている時間は、夢の様でした。聞いた事のない話ばかりでした。人々の生活に根付く、風習や音楽。地を耕して植物を育て、冬に備える技術。食べられない物を食べれる様にし、更に火と道具を使い、いかに美味しく出来るか。その探究心と向上心に、私は心惹かれました」
ダンッ!
アロンダイトが激情に耐え切れず、拳を叩き付けた。
「貴様の口から父の話など聞きたくはない! 貴様は父を殺したのだろう!?」
憎しみと殺意を纏った鋭い目は、悲しみを潜ませる柔らかい笑みに受け止められる。
ダイアはテーブルから足を下ろし、足元に置いた斧を掴んだ。
テレスはアロンダイトを落ち着かせ様と手を掴むが、乱暴に振り払われた。
「アロン。落ち着きなさい。イリアさんの話はまだ終わっていない」
ハスターは静かな口調でアロンダイトを制した。
「違います。違うんです」
イリアは目を閉じ、ゆっくりと首を横に振った。
「貴方のお父様に瀕死の重傷を負わせたのは、私達ではないんです」
「何を今更! ならば何故、父は帰って来ないんだ!」
イリアは躊躇い、目を伏せて口ごもった。
「父を殺した奴から、父の話など聞きたくない!」
アロンダイトは再び叫んだ。
イリアは覚悟する様に唇を噛み締め、アロンダイトを見た。
「貴方には、真実を受け止める覚悟はありますか?」
その表情は真剣で、イリアの紫色の瞳がアロンダイトの黒い瞳を真っ向から見ていた。
「真実? どう言う意味だ?」
アロンダイトは少しだけ嫌な予感を感じ、怒りの中に疑いを混ぜた。
「貴方のお父様とお祖父様……それから、貴方達が行って来た事の真実です」
イリアの瞳には、アロンダイトしか映っていない。
今にも襲い掛かりそうなダイアも、戸惑いキョロキョロしているテレスも、冷静に成り行きを見ているハスターも映っていない。
「だからどういう意味だと聞いている」
思った返答が返って来ず、アロンダイトは苛立ちを募らせた。嫌な予感をごまかす為でもあった。
「私達、魔族・魔物は十五年前、貴方のお父様がこの城に来て、そして、言葉を交わしてから、私の命では人々を襲っていません」
イリアはきっぱりと言った。
「何を言ってる。レスター国はあの時から幾度と無く魔物の襲撃を受け、罪の無い人の命が大勢奪われた! 貴様の命で無ければ、何故魔物はレスターを襲った!? 何故ダイアの両親は死ななきゃいけなかった!?」
バンッ! と乱暴に机を叩き、アロンダイトは叫んだ。イリアは悲しそうに目を伏せて言った。
「私は、確かに貴方の国であるレスター国に魔物を派遣しました。でも、目的は襲撃ではありません。貴方のお父様のご存命と、対話を求めて派遣したのです。でも――」
アロンダイトを見つめる紫の瞳から涙が零れ、蝶の刻印を伝い、細い顎から雫となって落ちた。
「貴方のお祖父様――ランスロットは一切話を聞いてはくれませんでした。それどころか、派遣した私の部下を惨殺しました。国を襲ったと言う汚名を着せて……」
アロンダイトの握った拳から、血が滲んだ。綺麗に切られた爪が、剣を使い込んで厚くなった皮膚に食い込み、血を滲ませていた。
「でたらめをぬかすな! レスター国王を侮辱するのか!?」
「でたらめではありません!」
イリアは悲鳴の様な声を上げた。睨み合う二人の間にハスターが入った。
「アロン落ち着きなさい。イリアさんの話を聞くんだ」
ハスターは低い声でアロンダイトをいさめる。
「こんなでたらめを黙って聞けと言うのか!?」
「アロン二度目だ。落ち着きなさい」
正面から見据えられ、激情に任せた姿をその目に反射させ、ハスターはアロンダイトをいさめた。
「……ハスターの旅の目的は、魔王に会う為……だったな」
思い出した様にアロンダイトは言う。
「ああ、そうだ」
ハスターは頷く。
「まさか、魔王の味方に着こうと……そのつもりだったのか?」
アロンはハスターにも敵意を向ける。
「この世の理に、世界の常識に、全てに理由はあるのだよ」
ハスターは旅の中、何度も口にした言葉を再び口にした。
「アロン、私は魔王と言う存在にある疑問を抱いていた。その疑問を抱く様になったのは、君のお父上が魔王城を訪れ、殺されたと言う噂を聞く様になってからだ」
ハスターの後ろで、イリアは啜り泣いている。
「私は、貴方のお父上に一度お会いした事がある。貴方の様に正義感が強く、真っすぐな男だった。お父上と貴方の違いは、お父上は非常に慈悲深かった。魔の者であっても、慈悲の心を持ち、戦意を失った相手に止めを刺す事はしなかった」
ハスターは敵意すら向けるアロンダイトに飲まれる事なく、言葉を紡ぐ。
「そのお父上が魔王と対峙し、お亡くなりになった。だが、その後から魔物達は弱体化した。オーガが著しいな。体格など昔の半分以下まで小さくなってしまった」
「それは魔王が父上との戦闘で重傷を負ったからだ」
アロンダイトの言葉に、ハスターは首を横に振った。
「イリアさんをご覧なさい。怪我などしてない」
ダイアはハスターの言葉に拒否反応すら起こし、席を立って食堂を見て回っている。
「私は貴方のお父上の魔の者に対する態度と、魔物の弱体化に対し、一つの仮説を立てた。『魔王は、人々との敵対を望んでいない』とね」
ハッとして顔を上げるイリアを見て、ハスターは微笑む。
「貴女にお会いして、この仮説に確信が持てました。私はアロンのお父上の意志を継ぎ、人々との懸け橋になりましょう」
ハスターは片膝をつき、恭しく頭を下げた。
「そんな……裏切るのか?」
アロンダイトは言葉を失った。状況を理解出来ず、恭しく頭を垂れるハスターと嬉しそうなイリアを驚愕と絶望を混ぜた表情で見ていた。
「裏切りではない。さっきからイリアさんも言ってるだろう。魔の者は人間との交流を望んでいる。貴方のお父上もそれを望んでいた」
ハスターの声は、静かで温かな食堂に響いた。ダイアは怒りに身を震わせていた。
「魔物が人間との交流を望んでる? ならなんで魔物は人間を襲うんだ? そこを教えなよ。あたしの納得出来るようにな!」
石壁を殴り、憎しみを吐き出す様に言った。
イリアはしばし沈黙した。
「私達が、何故人々を襲うのか。そもそもの理由を、貴女は知っていますか?」
「ハン! どーせ食うためだろ!?」
「そうです。人は沢山の食べ物を食べているため、他の生き物に比べてとても美味しいんです」
変わらない柔らかい口調で、さらりと言った言葉にテレスはギクリと体を硬直させた。
「それに、人を食べるととても力がつくんですよ。ですから私達は好んで人を食べていました」
柔らかいイリアの口調と、その残酷な内容はちぐはぐで、ダイアの怒りを扇いだ。
「人間食って力つけてたテメェらが、なんで人間食うのを止めんだよ! それじゃテメェらは弱るだけじゃねぇのか!?」
「はい。その通りです」
ダイアの怒りすら包み込む様に、イリアは微笑む。
「でも、アロンのお父様は言われました。『人を食べて力がつくなら、人と同じ物を食べていれば、力が弱まるのを防げるんじゃないか?』と。なかなかオーガ達は料理と言う物を理解出来ず、みるみる弱くなってしまいましたが……」
イリアは言葉を切り、手を叩いて先程のコボルトを呼ぶ。
「はい、ここに」
コボルトは食堂の隅で一礼し、返事をした。
「コボルト達は人と同じ食べ物を食べ、人の子と同じく教育を施しました。この子、言葉がとても上手でしょ? 最初にアロンのお父様がお気づきになられ、言葉を教えたのですよ。本当に驚きました。だって、城の掃除をするしか役目の無かったコボルトが、私の執事を熟したり、素晴らしい絵を描いたり、他の魔物の子の世話をしたり……。今では、私達の社会には必要な存在になっています」
それに、と付け足してイリアは柔和な笑みを浮かべる。
「そもそも、私達が強くなくてはいけない理由ってなんだったかお解りですか?」
イリアの言葉の意味が解らず、ダイアは戸惑いに怪訝な顔をし、アロンダイトも眉をひそめた。テレスは考える様に首を傾げ、ハスターが答えた。
「敵対する私達人間の数が多かった……そうでしたね」
「はい、その通りです」
イリアは答えた後、思い出す様に目を閉じ、沈黙した。
「昔……遥か昔の話です。あんまりにも古くて、記録も途切れ途切れな位です。私達は人々と戦争をしました。長い長い戦争でした。人間は圧倒的な数で私達を襲い、私達は人間を凌駕する魔力で応戦しました。百年……位でしょうね。長い戦争の末、私達はこの島に逃げ込み、一旦収縮しました」
大陸から離れた位置にある島は、行き来するにはかなりの労力を必要とし、結果的に魔族と人間を遮断した。
「長い戦争で負った傷は双方共に深く、そんな戦争があった事すら忘れてしまう程の長い間――いえ、今もですね。ずっと対立しています」
意外な話にダイアは振り向いて話を聞いていた。テレスは戸惑い、何かを言おうと口を開くが、言葉にならない。アロンダイトは混乱のあまり、間抜けな表情をしていた。
ハスターだけはイリアの話を頷きながら聞いていた。
「貴方達を傷付けた罪を帳消しに、とは言いません。ですが、私はもう戦う事に意味を見いだせないんです。止めましょう? 戦い続けても、無意味です」
それぞれの色を見せる八つの瞳を見ながら、イリアは紫色の目を優しげに細めた。
イリアはハスターから離れ、混乱に言葉を失っているアロンダイトに近付いた。
おそらく、この城に到着した時ならばイリアに切り掛かっただろうが、今のアロンダイトにはそんな気力はなく、近付いて来るイリアをただ呆と見ていた。
「私は、生まれながら高い魔力を持っています。属性は炎」
イリアは優雅に歩きながら言った。
「近付く者も高い魔力が無ければ、私の魔力によって燃えてしまいます。魔力の炎ですから、消えません。つまり……」
幼さの残るアロンダイトの顔に、イリアの細い指が触れる。
「貴方達以外の人間では、私に近付く事も、こうして触れる事も出来ません……これでも、封印を施してはいるんですよ?」
イリアの触れた部分が、少しだけ熱を持ち、アロンダイトの片頬が赤くなった。
「テメッ!」
「ダイア!」
その様子を見たダイアが怒鳴りかけ、ハスターが制した。
アロンダイトは赤くなった、熱い頬に触れ、辛そうな表情のイリアを見る。
「……信じて良いのか?」
「アロン!? テメェ何言ってんのか解ってんのか!?」
アロンダイトの言葉に、ダイアは叫んだ。
ダイアは肉親を奪われた憎しみを魔物達にぶつけて来た。停戦や調和となれば、その殺して来た魔物達とも手を繋がなくてはいけない。
自分の肉親を奪った魔物と、自分が肉親を奪った魔物と、共生する事に激しい嫌悪感を感じていた。
「俺は……世界平和の為に戦って来た。世界平和の為に魔王を倒すと神に誓った」
アロンダイトの言葉を聞き、テレスは旅の途中、彼は幾度と無く教会で祈りを捧げていた事を思い出した。
何を祈っているのかと尋ねると、アロンダイトは『人々が安心して過ごせる世界を作ると神に誓っていた』と稟とした表情で言っていた。
「……アロン」
テレスは同じ表情でイリアと対峙しているアロンダイトを見る。
「俺は、知りたい」
テレスは稟としたアロンダイトの表情が好きだった。
正義も悪も、真っ直ぐに見つめ、立ち向かう姿が好きだった。
イリアは微笑む。
「着いて来て下さい」
とても、嬉しそうな微笑みだった。
アロンダイトは迷う事なく、身を翻すイリアに着いて行く。
「アロン!」
ダイアは怒りに顔を赤くして、アロンダイトの肩を掴んだ。
「今まであたしらが何を目標にして来たのか忘れたっつーんじゃないだろうね! 魔王をぶっ倒す為だろ!?」
怒りの中に不安が見え隠れし、アロンダイトは静かにダイアの手を離させる。
「俺の目標は、人々が安心して過ごせる世界を作る事。魔王を倒す事じゃなかった」
「なっ……!」
「ダイア。君の魔物を憎む気持ちは、よく解っているつもりだ。でも、貴女の目標も同じだったはずだ」
アロンダイトの目は、愕然とするダイアに真っ直ぐ向けられている。
「思い出して欲しい。最初、何と言った? あの風の強い日に、レスター八世に何と誓いを立てた?」
ダイアの脳裏に、剣を捧げて誓いを立てた時の光景が蘇った。
そして、記憶の中のダイアは言った。
『私、ダイア=ドレンサーは世界平和の為にこの身を投じます。この身、朽ち果てようとも、世界の為に、神に捧げます』と――