婚約者は病弱な幼馴染を優先していますが、そんなことより今は忙しいし眠いです!
「お嬢様、ウェンデル様からお手紙です」
わたくしの従者であるフーベルトが、婚約者からの手紙を持ってきてくれた。
「ありがとう。そのへんに置いておいて」
わたくしは執務机に向かい、申請書を書きながら言った。
「書類に紛れてしまいますよ。読み上げましょうか?」
「そうね、お願い」
「開封します」
フーベルトは律儀に宣言した。この王立学園時代からの同級生は、ブロイ子爵家の三男。成績優秀で人柄も良かったから、我がドローム侯爵家で働いてくれるよう頼んだの。
金髪に緑の瞳で、容姿が良くて、背が高いところも、選んだポイントね。本人には言っていないけれど。
「では、読みます。――イングリッド、すまない。またマリアンの具合が悪いのだ。君と違ってマリアンは気が弱く、私が傍にいないと泣いてしまう。君と行く予定だったバレエ、演目は『革命の炎』だったか? 今日はそんなものを見ている場合ではないのだ。許してくれ。埋め合わせはする。都合の良い日を教えてほしい。ウェンデル・ダストニス」
王立バレエ団は、まだ『革命の炎』の上演を続けているのかしら? しているなら、すごいロングラン公演ね。
マリアン嬢はスキム男爵家の三女で、ウェンデル様の病弱な幼馴染。お姿を見たことはないけれど、わたくしのような地味で平凡な茶色の髪と瞳ではないのでしょうね。ウェンデル様は、わたくしのカラーが非常にお気に召さない様子だったもの。
「次回……、もう半年後を指定しても良いわよね?」
「ダメに決まっています」
「そこをなんとか……。どうせまた、マリアン嬢が体調不良だ、という手紙が来るだけよ」
また一週間後や十日後を指定するなんて、意味ないと思うわ。
「ウェンデル様は、そのような返事が来るのを待っているのかもしれません。お嬢様側の有責で破談になりますよ」
「残念だけど、破談なんてありえないわ。ウェンデル様は入り婿にならなかったら、平民になるのよ」
ウェンデル様はダストニス伯爵家の五男だもの。五人目ともなると、もう分け与える従属爵位なんて残っていないはず。
「そうですかね」
フーベルトは声の感じからして、納得していないようだわ。
「……次は半月後にしてみるわ」
わたくしは申請書を書きかけのまま横に退けて、引き出しから封筒と便箋を出した。
『ウェンデル様、わたくしのことは気にせず、マリアン嬢を見舞ってくださいませ。次は半月後、ウェンデル様のご都合の良い日でお願いいたします。イングリッド・ドローム』
とにかく丁寧に書いて、封筒に入れた。
フーベルトは黙って封筒を渡すだけで、封蝋をして、他の者に命じてダストニス伯爵家に届けさせてくれる。助かるわ。
「ウェンデル様は入り婿になるのに、仕事の手伝いにも、まったく来ませんね」
「またその話? 良いではないの。今はウェンデル様に仕事を教えている余裕なんてないもの」
我がドローム侯爵領の収入源は、金山や銀山で採掘した金銀を、職人がアクセサリーや食器に加工して売ることなのだけど……。
半年ほど前、メインの収入を担う金山で落盤事故が起き、今も採掘が不能になっている。
お父様は領地で復旧の指揮を取りつつ、領民たちの暮らしが成り立つように、侯爵家の穀物庫などを開けて、領民に食料を配るよう指示を出したりしている。
お母様は王都で社交をしつつ親しい家に借金の申し込みをしたり、不安がる寄子を宥めたりと忙しい。
わたくしは次期領主として、金銭の出納の管理などをしている。
金山はいつ復旧できるかわからない。ドローム侯爵家では希望退職者を募り、人件費を削減して乗り切ることにした。
その結果、残った人員が、仕事で忙殺されている。
「そろそろ王家に提出する決算書も用意しないといけませんしね……」
「納税申告書が終わって、落盤事故にあった怪我人と遺族への見舞い金を出して……。今年も少しは穀物の買い入れもしないといけないのに……」
考えていると、気分が悪くなってくる……。
普通の時でも決算書は時間がかかるのに……。
今年は事故災害時特別申請になるから、より複雑になるのよね。困っている時の書類作りが、普段より時間がかかるなんて、絶対におかしいわ……。
「……様、お嬢様」
フーベルトに呼ばれて、意識を取り戻した。
「眠っていたわ」
「寝室でお休みください。私は書き終えた申請書の二次チェックをしておきますので」
「ここでいいわ」
わたくしは机に突っ伏すと眠りに落ちた。
寝台で眠ったら、起きられる気がしないもの。
◇
こんな状況でも、王家主催の舞踏会には出ないといけない。
お父様も領地から馬車ではなく馬に乗って戻ってきたわ。
わたくしにはウェンデル様からエスコートできないという手紙が来た。
「今からエスコートしてくれる相手を探す……? 無理なんですけど!?」
王家主催の舞踏会なのに……!
いくらマリアン嬢に頼まれたからって、婚約者のエスコートを断ってくるとか……!
「もうウェンデル様の色のドレスとアクセサリーを着けているし……。ウェンデル様……、今夜だけ、なんとかならないかしら……? ああ、眠いわ……。これで一人で入場は、さすがに無理……。起きていられない……」
ウェンデル様は、金髪に緑の瞳。貴族には、けっこういるカラー……。代役……。できたらエスコートをすっぽかされたのが目立たないカラーの方がいいけど……。探す時間なんてない……。
「私で良ければエスコートしましょうか……? エスコートする婚約者もいませんので……」
フーベルトが眠そうに力なく笑った。
フーベルトには、どうも好きな相手がいるようなのよね……。女性からのお誘いや婚約の申し込みを、次々と断っているの。こんなに忙しくなる前からだから、絶対に仕事のせいではないと思うわ……。
「わあ、助かる……。頼むわ……。一人だと……、きっと立ったまま眠るわ……。これは無理……」
決算書ぉ……。もっと簡単になってぇ……。無理ぃ……。眠い……。
「お互い……、起こし合って乗り切りましょう……」
「そうよね……。眠ったら死ぬぞ……、くらいの勢いでね……」
「ええ……、その意気です……」
いや、これで良いのかは、わからないけども……。うん、方向性としては……、あってる……。
フーベルトは、どこから探し出してきたのか、良い感じの夜会用の服に着替えてきてくれた。
金髪に寝ぐせが付いているけれど、もう直す時間もないわよね。
わたくしの頭だって、爆発ぎみだし……。うん、わたくしたち、きっと釣り合いが取れているわ……。
侍女も必死で髪をセットしてくれたのだし、もうこれで……。あの子も、ずっと決算書の清書を手伝ってくれているのだもの。不満なんて言ったら、退職されてしまうわ……。困る……。
わたくしは両親とフーベルトと共に我が家の馬車に乗り、舞踏会の行われる王家の離宮に行った。
馬車の中では、四人とも無言だった。フーベルトが夜会服を着て一緒に乗っているなんて、絶対におかしいのに……。両親はわたくしたちに説明を求めなかったし、わたくしたちも説明しなかった。
まあ……、疲れた状態で馬車に揺られたら、一瞬で眠るわよね……。会話などする間もなく、爆睡よね……。
離宮に到着する少し前に、御者が馬車を止めて、わたくしたちを必死で起こしてくれた。我が家が持ち直したら、御者には謝礼金を出したいと思った。
こんな状態でなんとか会場入りして、王族の皆様の入場を待つ。
「イングリッド様……、起きていますよね……?」
フーベルトが腕を揺り動かした。
わたくしは、はっとして横を向く。
「眠ったら……、不敬罪で死ぬ……。そう思って耐えているわ……」
「いや……、眠っていましたよね……」
そう言うフーベルトの緑色の目が、静かに閉じられていく。
スヤァ……!
わたくしはフーベルトの腕に抱きつき、その身体を揺らした。
起きて……!
フーベルトが起きていてくれないと、起こしてくれる人がいないのよぉ……! 頼む……!
王家の従者の方が、王国を統べる荒鷲がどうとか言い始めた。やっと国王陛下と王妃殿下が入場されるようだわ……!
国王陛下と王妃殿下にご挨拶したら、即、帰宅予定! 帰る!
起きていられないでスヤァ……!
「イングリッド様……! 挨拶……、そろそろですよ……」
「ありがとう……!」
起こしてくれるフーベルト、大好きだわ! 愛しそう!
フーベルトがいれば生きられる気がしてくる! 好き!
わたくしはフーベルトと共に国王陛下と王妃殿下にご挨拶をした。
「大丈夫なのか!? 本当に大丈夫なのか!? 支援が足りぬか!?」
「わたくしの実家から人を送っても良いのよ!?」
「遠慮する必要はないのだぞ!?」
国王陛下と王妃殿下は、気遣ってくださった。
一応、お礼は言えたと思う。
わたくしが言えていなくても、フーベルトは気が利いているから、きっと言っておいてくれたはず……。
わたくしは両親と合流すると、会場を出ようとした。
もう帰りたかった。
それなのに……。
「イングリッド、貴様に話がある!」
ウェンデル様が怒鳴ってきた。マリアン嬢を腕に抱きつかせているわ。
マリアン嬢……、ピンクブロンドに青い瞳で、すごく愛らしい……。初めて見た……。
「眠いので……、手短に……」
ねえ、知っているかしら……? 眠いと言うと、余計に眠くなるの……。
わたくしは半分夢を見ながら、ウェンデル様がわたくしの髪型や化粧を貶しているのを聞いていた。
逆にマリアン嬢が、すごく褒められているのもわかった。
かなり……、どうでもいい……。眠すぎる……。
「イングリッド、貴様との婚約を破棄する! すべてにおいて、貴様はマリアンに負けている!」
ウェンデル様が宣言すると、マリアン嬢が「きゃあ!」などと言っていた。
「承知しましたわ……。平民生活……、がんばってくださいね……」
「私は平民になどならない! 父上が従属爵位の一つを譲ってくれるだろう!」
「そうなのですか……? 明日にでもドローム侯爵家よりダストニス伯爵家に宛てて……、ウェンデル様からの手紙を添えた書類をお送りしますね……。わたくしとのデートを断った数……、手紙の数だけ……、慰謝料をいただきますわ……」
わたくしはそれっぽいことを回答しておいた。
「なんだと……慰謝料……!?」
ウェンデル様の顔が引きつる。
マリアン嬢が心配そうにウェンデル様を見ていた。
「ダストニス伯爵令息……、入り婿としての勉強にも、一度として来ていなかったらしいな……。このような時に……。すべてフーベルトに聞いている……」
お父様が眠そうに付け加えてくれた。
「皆様、ご安心ください……。私が書類を整えて、必要な慰謝料を算出し、ダストニス伯爵家に送りますので……。それから……、お嬢様は愛らしいです……。誰よりも……」
フーベルトが言うと、お母様が「あら……、いろいろ助かるわ……」と力なくほほ笑んだ。
「そういうことだ……」
お父様が話をまとめてくれた。
わたくしたちは四人で励まし合いながら、なんとか帰宅した。
◇
その後、フーベルトは本当にダストニス伯爵家に書類を送ってくれた。
ダストニス伯爵家とは少し揉めた。なんとかウェンデル様を入り婿にしたかったみたい。だけど、こちらには、マリアン嬢を優先した証拠の手紙がたくさんあった。最終的には婚約は破棄され、ダストニス伯爵家は慰謝料を払ってくれた。良かった。
そんなわけで……。
翌年、いろいろ落ち着いてみたら……。
「わたくし、気付いたら、婚約者がいなくなっていたの!」
我が家の庭園の東屋で、両親に言った。
「そういえばそうだな……」
「あの頃は大変だったから、適当に片付けてしまったわね……」
お父様とお母様も、戸惑っているようだった。
「ウェンデル様はいらなかったのだけど……」
「そうねえ、イングリッドに婿がいないのは困るわね……」
わたくしとお母様は、苦笑しあった。
ウェンデル様とマリアン嬢は、平民になるも仕事が続かず、今は貧民窟で物乞いのような暮らしをしているらしい。最近、フーベルトが教えてくれた。
「イングリッドは、どんな方が良いのかしら?」
「正直なところ、しばらくのんびりしたいので……。領地経営などを教えたり、二人の仲を深めるといったことは、やりたくなくて……」
わたくしは片手を頬に当てて、悩んでみせた。
お父様とお母様は、わたくしの背後に目を向けた。どうやらフーベルトを見ているようだわ。
わたくしは、さらに言葉を重ねる。
「もう面倒なことは嫌なのよ……。病弱な幼馴染を優先されたりするのも、もううんざり……。強いて言うなら、寝落ちしそうな時に起こしてくれるような、頼れる方が良いわね……」
ため息を吐いてみせれば、お父様とお母様は、楽しそうに笑いあった。
「フーベルト、我が家の入り婿になってくれるか?」
お父様が声をかけると、わたくしの背後から「はい!」という元気な声が返る。
きっとフーベルトは、すぐに自分の実家に立派な婚約申込書を送ってくれるはずよ。
両家の顔合わせから、正式な婚約、デート、結婚式まで、すべての日程を調整してくれる。
入り婿への支度金も妥当な金額を送ってくれるだろうし、我が家の格にあった聖堂も予約してくれるだろう。
ウェンデル様から婚約を申し込まれた時は、年齢や家格が釣り合うし、王立学園での成績も良い方だったから承諾したのだけれど……。婚約してみたら、なにもかもがダメな方だったわね……。
マリアン嬢には感謝している。仮病を使ってまで、ウェンデル様と結ばれてくれたのですもの。
フーベルトなら平民に落とされても、きっと物乞いになんてならないわ。雇ってくれる場所もなく、売る品物もないなら、道端の小石かなにかを集めて、付加価値を付けて売る商売でも始めそうよ。ずっと一緒に働いてきたからわかるわ。
結婚するなら、やっぱり仕事ができて、いざという時に頼れる男性が安心よね。
理想の男性が身近にいてくれて良かったわ。




