『婚約者が事故で運ばれてきた夜、助手席の男は即死だった』
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
交差点の向こう側
深夜二時の搬送
午前二時十七分。
サイレンが夜を切り裂いた。
「多発外傷! 正面衝突、意識レベル低下!」
救急外来の空気が一瞬で張り詰める。
研修医三ヶ月目の私は、反射的に処置室へ走った。
ストレッチャーが滑り込む。
血に濡れた女性。その顔を見た瞬間、時間が止まった。
「……美佳さん?」
兄の婚約者だった。
「知り合いか?」
先輩医師の声が鋭く刺さる。
「……兄の婚約者です」
「外れてもいい」
一瞬だけ迷う。だが首を振った。
「いえ、対応します」
嘘だった。手は震えていた。
それでも、ここから逃げるわけにはいかない。
――ここが、私の戦場だ。
⸻
診断と違和感
CTの結果は重かった。
肋骨骨折、肺挫傷、骨盤骨折、左大腿骨開放骨折。
だが奇跡的に、致命傷はない。
「助かるな。運がいい」
先輩の一言に、安堵と違和感が混じる。
「助手席の人は?」
「即死。三十代男性」
胸がざわつく。
さらに警察の言葉が追い打ちをかけた。
「同僚男性で、交際関係があった可能性が高い」
――不倫。
頭が真っ白になる。
兄の顔が浮かんだ。
あんなに幸せそうだったのに。
⸻
兄への電話
午前四時。
震える手で電話をかける。
「……どうした?」
眠気混じりの兄の声。
「美佳さんが事故に遭った」
沈黙。
「……生きてる?」
「助かる」
短く息を吐く音。
「今行く」
そして、続いた言葉。
「助手席、誰かいたのか?」
心臓が止まりかける。
「……同僚の男性です」
また沈黙。
「……そうか」
それだけだった。
⸻
手術のあと
手術は成功した。
回復室で、美佳さんがうわ言を漏らす。
「……ごめん……俊介……」
兄の名前。
だが次の言葉で、空気が変わった。
「……あの人と……別れるつもりだったのに……」
私は息を呑んだ。
事故は、ただの不倫ではない。
何かが引っかかる。
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崩れる関係
朝、兄が来た。
無言でベッドの横に立つ。
「……大丈夫か」
美佳さんが目を開く。
「……ごめんなさい」
その一言で、すべてが伝わった。
兄の手が一瞬だけ止まる。
「……回復しろ」
それだけ言って、手を握った。
怒りも責めもない。
ただ、静かな痛みだけがあった。
⸻
食い違う証言
数日後、事情聴取。
「なぜ信号を無視した?」
「……覚えていません」
「男性との関係は?」
「仕事関係です」
嘘だとわかる。
だがその目にあるのは、罪悪感だけではない。
――恐怖だ。
私は確信した。
まだ何か隠している。
⸻
本当の理由
夜、二人きりになったとき。
美佳さんが口を開いた。
「……別れようとしたんです」
震える声。
「でも、彼が怒って……追いかけてきて……」
私は言葉を失う。
「逃げようとして……信号を……」
それは不倫の末の事故ではなかった。
――追われた結果の事故だった。
⸻
明らかになる真実
兄に伝える。
彼は長く黙った後、言った。
「……警察には?」
「まだ」
「なら、話せ」
迷いはなかった。
翌日、防犯カメラ映像が見つかる。
執拗に追跡する車。
脅迫メッセージ。
すべてが繋がった。
彼女は加害者であり、被害者でもあった。
⸻
それでも
一週間後。
リハビリ室で二人を見た。
ぎこちない距離。
それでも兄は手を差し出す。
「……歩けるか」
「……はい」
ゆっくりと、一歩。
兄が支える。
「……なんで、手を離したの?」
回復室のことだ。
兄は少しだけ笑った。
「怒ってたからだよ」
間を置いて、続ける。
「……でも、また握りたかった」
美佳さんが泣いた。
⸻
交差点の先
三週間後、退院。
松葉杖をつきながらも、彼女は笑っていた。
兄が車まで支える。
「……これからどうする?」
小さな声。
兄は少し考えてから言った。
「時間をかけよう」
それは許しでも、拒絶でもない。
――再出発だった。
車が去る。
私は救急入口に立つ。
またサイレンが鳴る。
誰かの人生が、ここに運ばれてくる。
交差点のように。
止まる人、進む人、ぶつかる人。
それでも。
その先に、続いていく。
「研修医、来て!」
「はい!」
私は走り出す。
まだ未熟でもいい。
誰かの「その先」に関われるなら。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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