その王は退位後に自殺した。
その王は退位後にすぐ自殺した。
それもただ死んだのではない。
自らの体に油を塗り火を放ったのだ。
遺書に残されたのは彼の偉業の羅列。
まるで罪の告白のように続く詳細。
そして、結びの言葉はただ一言。
『私は自分が許せない』
*
彼が『未来を守った王』と称されるようになったのは彼が即位して二年後のことだ。
その年。
未曽有の大凶作が起こった。
備蓄はどう数えても足りず均等に配ったならば全員が死ぬ。
そんな折、彼は冷静に次のように告げた。
「労働可能年齢を優先し配給せよ。子供と老人は減配せよ」
新王の言葉は直ちに実施された。
それでも働けぬ者を彼は見つけると修道院へと送った。
これは修道院は救貧施設であったからだ。
教会に居れば働けずとも見捨てられることはない。
少なくとも表向きは。
いずれにせよ、彼の選択により国は苦難は乗り切れた。
新王は誰一人として見捨てなかったからだ。
生き残った人々は困難な選択を成した新王を称えた。
生き残った人々が出来る特権として。
未来を守った王は晩年に至るまであの冬に死んだ老人の名を全て唱えることが出来たという。
実に、偉大なる者である証左であろう。
*
未来を守った王と呼ばれるようになってから数年後。
飢餓は去り、国は一時の安定を得た。
だが、南方の商業都市が問題を起こした。
自治権が強く、富も集中している上に商人ギルドが武装をしている。
都市の権力者たちは王権に従うが従属をしないという態度を少しずつ強固にしていった。
やがて権力者たちは税の増徴に抗議し、都市は議会を開いて遂には王の使者を追い返すようになった。
それを受けて王はやはり冷静に国内経済の安定化を名目に街道検問の強化や都市への穀物輸送の制限、さらには王領港の使用禁止等を行った。
都市は富んでいたが海を持たなかった。
穀倉は王領にあり街道もまた王の関所を通らねばならない。
都市は抗議をしているだけであって反乱はしていない。
そして、王もまた国内経済の安定化を図っているだけであり鎮圧などしていない。
王は理解していたのだ。
剣を振るえば尊き殉教者が生まれる。
しかし、飢えで崩れたならばそれは失策となることを。
司教は王を支持し説教壇から幾度も繰り返した。
『秩序は神の意志なり』と。
半年が経つ頃には商業都市の物価は三倍近くとなり、傭兵たちへの支払いも滞りだした。
傭兵は給金が止まると夜の内に城門を去った。
壁は残ったが守る者は消えた。
内部では穏健派と強硬派が対立し市民暴動も起こるようになり、さらに一年もする頃には有力者たちの多くは破産し人口も流失。
遂には議会は王への服従を可決した。
王は軍を動かさず、血も一滴さえ流させなかった。
しかし、都市は死んだ。
飢餓の時代は過ぎ去っていたというのに様々な飢えに苦しんだ果てに。
いずれにせよ、都市の従属により王権はより強固となった。
商人は王の庇護下に入り、国はますます栄えた。
人々は言う『血を流さずに知恵により国と人を救った賢王』と。
王はいつでも飢えを止めることが出来たという事実はいつの間にか誰も気に留めなくなっていた。
*
そして。
国と人を救った賢王が世を去る三年前。
疫病が蔓延った。
王は即座に病人を古城に集めた。
城門を封鎖し、城に近づくことを禁じた。
出ようとした者は弓で射殺することを命じた。
決断は迅速で的確だった。
古城は街道から外れた岩山の上にあり出入口はただ一つ。
城壁は高く井戸も備え内部だけでしばらくは持ちこたえられる構造だった。
病人は運び込まれ門は閉ざされた。
城門前には王直属の弓兵が配され命は単純だった。
「誰であれ、外へ出るな」
数日後、城壁の上に人影が立った。
痩せ細った女が赤子を抱えて叫んだという。
門は開かなかった。
矢が放たれた。
王はその報告を受け取ったが命令を変えなかった。
街では噂が広がった。
王は病を閉じ込めたと。
恐怖はやがて安堵に変わる。
古城の門が閉ざされてから二十日。
新たな発症は王都で確認されなかった。
三十日。
市場は再び開き始めた。
四十日。
人々は確信した。
疫病はあの城に封じられたのだと。
やがて冬が来た。
寒気は鋭く街道は凍り移動は絶えた。
春。
疫病は消えていた。
古城の門が開かれたのは雪解けの頃である。
中に残っていたのは静かな遺体と積み上げられた灰。
王は城に火を放った。
物言わぬ遺体は静かに。
実に静かに王の前で最期の悲鳴とばかりに音を立てて燃えた。
誰かが成さねばならないこと。
王は最小の犠牲にて達成した。
それを疑う余地はない。
王は自らに降り注ぐ非難を受け入れた。
「責任を取ろう」
そう言って彼は遂に自らの冠を次代へと託した。
*
王は火により自殺をした。
最も苦しめる方法を探しつくしていたのだと人々は後になり知った。
王は生涯で一度も笑わなかったと伝えられている。
きっと、笑う余裕などなかったのだろう。
王は生涯で一度も泣かなかったと伝えられている。
きっと、泣いてしまえばおしまいだと理解していたのだろう。
史書は最後に王について次のように記し、結んでいる。
王は。
我が王は。
偉大なる我が王は。
凡人として生まれ、凡人として死ぬべきだったのだ。
そうすればきっと、ここまで苦しみながら生きることもなかっただろう。




