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紫苑の花は後宮に秘する  作者: 荻原なお
物言わぬ花

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最終話 紫苑の花は後宮に秘する


「えっ、無理だけど」


 さらりと流された。英峰の意思をいとも簡単に。

 紫苑の「無理」と言う単語を英峰の脳は受けいることができないらしい。今までの人生でまあまあ聞き馴染んだ単語なのに、難題のように聞こえる。どうにか咀嚼そしゃくし、理解しようと頑張るが脳は拒絶以外を許さない。


「あー、言い方悪いね」


 紫苑は歩きながら髪を一房、指に絡めて遊ぶ。照れ臭い時に見せる仕草だ。


()()無理ってこと」


 気のせいか、声も若干だが浮ついているようにも聞こえる。

 一縷の希望が見えた英峰は重い足を懸命に動かして、紫苑の横に並んだ。


「天凱からいとまを出されたの」

「はあ?! あいつ、なに」


 ——考えて。と叫ぶ前に英峰は動きを止めた。

 聞き間違いでなければ、紫苑は天凱を名前で呼んだ。それも敬称もつけず、呼び捨てにした。英峰と二人きりの今、皇后として振る舞う必要はない。

 そこから導かれる結論がひとつ。


「あの人が慶王として国を安定させたら迎えに来てくれるって」


 天凱は紫苑を皇后に望み、紫苑もそれを受け入れたということ。


「……あいつ、馬鹿だろう。どれだけ腐敗していると思っているんだよ。下手したら何十年もかかるぞ」

「それは大丈夫じゃない?」

「なにを根拠に」

「あなたと紫翠がいるから。根拠としては十分でしょう」


 はっと英峰は鼻で笑う。


「どいつもこいつも人使いが荒いな」

「あなたには負けるよ」

「これは一刻も早く国を安定させないとだな。じゃないと誰かさんがよぼよぼの婆ちゃんになってしまう」

「それはないでしょ。大袈裟すぎ」


 紫苑は優しく両目を細めた。


「今日、ここに行くように言ってくれたのも天凱だったの。あなたが皇太后様に会いに行くはずだから、話したいことあるならゆっくり話してきなさいって」


 もうしばらくすると紫苑は家に帰される。英峰は国を建て直すため忙しくなるだろう。そうなれば、こうして話す時間もなくなる、と天凱は二人きりで話す時間を用意してくれた。


「ねえ、英峰。あなたは他人を馬鹿にするけれど、人ってさ、あなたが思うほど馬鹿じゃないの。特に大切な親友や幼馴染の考えは分かるものなの」

「気付かないふりしてくれたらよかったのに」

「それだと、あなた一人が必要以上に傷つくじゃない。あなたが天凱を支えたいように、天凱と私もあなたを支えたい。それじゃ、駄目?」


 ——駄目だ。

 他の人間のように自分を嫌って欲しい。利用し続けることを非難して欲しい。そうすれば、罪悪感なんて抱かないはず、なのに。


「……駄目、じゃない。話したいこと、たくさんあるんだ。けど、それをどう言えば良いのかわからない」

「私も話したいことたくさんあるの。時間はたっぷりあるから話そう」


 自分以外の人間は全て駒と思って生きてきた。

 そこに例外があることを英峰は本当の意味で理解できた。




 ***




 ガタリ、と馬車が揺れた。骨の芯から揺すぶるような振動に、英峰はぱっと瞼を持ち上げる。


「……痛い」


 目的地までそう遠くないはずなのに、日頃の書類仕事が祟ったからか全身がだるくて仕方がない。座った体勢のまま、腕を回したり、腰を反らしたりして筋肉を解していると目の前に座る美丈夫がふっと小さく笑う気配がした。


「久しぶりだというのに天凱、お前は随分と落ち着いているな」


 眠気で閉じそうになる目尻を吊り上げて、英峰は睨みつけた。

 すると天凱は更に相好を崩した。


「私だって緊張している。なんせ、会うのは五年ぶりだからね」

「だから俺の帰省に合わせて帰るかって提案しただろう」

「会いたいけれど、会えば心が揺らいでしまう。彼女を迎えに行くのは、私が慶王として恥じぬ人物になってからと決めていたから、我慢していた」


 天凱は垂れ幕をめくると窓の外を見つめる。紅潮した頬と緩む目元から彼の心中を察した英峰は呆れて肩を持ち上げた。


「生真面目同士、お似合いのこって」


 はっと鼻で笑うと英峰も窓の外を見る。高い外壁の向こうには見頃を迎えた花海棠が咲き誇っているのが見えた。


「謝っておけよ。五年も待たせてすまんって」


 馬車が停まり、扉を開けた従者の先導の元、地面に降り立った天凱の背中に話しかけると英峰は背もたれに深く身体を預けた。邪魔な振動もなくなったことで本格的に寝てしまおうと瞼をゆっくり閉ざす。


「まあ、あいつは怒らないさ」


 似た者同士の優しい二人はお互いの苦労を労うことはあれど、ののしり合うことはないだろう。


(願わくば、幼馴染しおん親友てんがいの行く道が幸多からんことを)


 遠くから聞こえる再会を喜ぶ声を子守唄に、英峰は微睡まどろみに意識を手放すのだった。


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