第7話 全ては慶王のために
そんな英峰の内心を知ってか知らずか、紫苑の足取りは軽やかだ。進むにつれて、伸びた枝と茂った葉が空を覆い隠し、周辺は薄暗く染まっても、臆する様子は微塵もない。
(他にも話したいこと、たくさんあるんだ)
英峰は心の中で自分より小さな背中に語りかける。声に出したいはずなのに、天邪鬼な性格が邪魔をしてか、幼馴染に対する罪悪感からか、言葉は喉奥に貼り付いて出てこない。
しはらく無言で背中を追いかけていると、一瞬、紫苑の雰囲気が和らいだような気がした。足取りや垂れた髪の隙間から覗く横顔は普段通りで、気のせいかと英峰が考え込んでいると紫苑は「そうだ」とわざとらしく声を発した。
「葉夏妃は廃妃されるんだって」
唐突な発言に英峰は両目を丸くさせて、「そうか」と答えた。少し声が揺るいでいた気もする。
「葉家を含む何人かの大臣達が処刑されることになったのも、あなたが仕組んだの?」
紫苑に知られないように英峰は袖の中で拳を握りしめた。自分の行動は間違っていないと信じているが、正義感あふれる幼馴染からの罵声は堪えるものがある。
「あいつらは不必要だ。皇太后に加担したことにして排除した」
薄いけれど皇族の血を汲み、貴族として長年、国の行く末に関わってきた彼らはこの国の《《膿》》である。彼らの存在は天凱の治世では邪魔なだけ。
だから、英峰は排除することにした。
「全てを白紙に戻したんだよ。偉いのは慶王であって、遠い血縁でもただの貴族は偉くはない。あのまま放っておいたら天凱も餌食にしていただろう」
「ふぅん。そっか」
それっきり、紫苑は唇を閉ざした。
いつまで経っても罵声の言葉がやってこないため、英峰は恐る恐る紫苑の顔を伺う。凪いだ瞳で前方を見据えている。怒りの感情は一切ない。英峰は無意識に拳の力を解く。
「……お前なら怒ると思っていた。悪者でも濡れ衣を着せてって」
「前の私はそう言うだろうね。けど、少しの期間だったけど、国の中心にいて、その腐りきった内情を知ったからかな。国を維持するためには必要な犠牲だと、今は思うよ」
ただ、と紫苑は言葉を区切る。
「慶王様のためだからって、あなたが全て犠牲になるのは違うと思っている」
紫の瞳が英峰を射抜く。
英峰は咄嗟に視線をそらした。宝石のように美しい瞳はずっと見ていたいが、こういう時の目は苦手だ。英峰が隠し通そうとする心の奥底まで見透かされているようで、居心地が悪い。
「犠牲にはなってないさ。俺は気に入らないから処刑した。ただそれだけ」
「……そういうことにしておくよ。でも、私もあなたの味方なの忘れないで。あなたは確かに性格が破綻しているけれど、友達思いなのは知っているから」
「……ん」
英峰が頷くと「ねえ」と紫苑は足を止めて振り返った。ふわりと薄紫色の裙がふくらみ、沓音が響く。
「あなたが言いたいことは、それで終わり?」
「ああ、終わった」
「本当に?」
ああ、と英峰は顎を引く。話したいことはたくさんある。後宮での生活はどうだったか、飯は美味かったか、謝秋妃と仲良くできそうか。
——皇太后の想いを汲んで、天凱を共に支えてはくれないだろうか。
一度でも言葉を発すれば、芋づる式に要らない言葉も引き出してしまうかもしれない。自分らしくないと自覚しているが、英峰は唇を噤んで時間が過ぎ去るのを待った。
「私からもいい?」
待とうとしたが、紫苑はそれを許さない。
「あなたに話すかどうか迷っていたけれど」
そう前置きすると英峰の目から視線を外した。腰元に手をやり、なにかを探す仕草をする。すぐに目的のものが見つかったのか、差し出された手のひらの上には金細工の腕環と皺くちゃになった小さな紙が乗っていた。
「これは?」
「司馬冬妃が姫春妃を解体してばら撒いた件についての詳細が書かれている」
腕環には細工が施してあり、二つに分けることができ、小さな紙なら隠すことができる。内密の文通をするには最適な代物といえる。
司馬冬妃が陽光殿を尋ねる前に無人となった鳳凰殿に忍び込み、装飾品の中にそっと紛れ込ませたのだろう、と紫苑は考えた。
「司馬冬妃が内侍監を誑かした末に行った。調書では、そう報告されていたが、それだけじゃないのか?」
司馬冬妃は姫春妃を愛していた。親友として、同性として。どれだけ愛を囁いても、姫春妃は司馬冬妃の気持ちを受け入れようとしなかった。
愛は歪んだ末に憎しみと成る。司馬冬妃は叶わぬならば、彼女の心が他者に移ろうことのないように殺害を企てた。その協力者として選ばれたのが秋海だ。
「誑かされたのか、誑かしたのか本人達じゃないから分からないけど、一つ言えるのはあの二人は姫春妃を殺害していない」
「どういうことだ? なら、誰が姫春妃を殺した」
紫苑は手のひらにあった紙を英峰に押し付ける。英峰が紙を広げて、文章を読むのを見ながら冷静な口調で話しだした。
「姫春妃は懐妊していたそうだよ」
小さな紙に所狭しと書き込められた文章には、司馬冬妃の葛藤と怒りが滲みでていた。大切で大好きな親友が男に裏切られ、日に日に大きくなる腹を抱えて、泣いて縋り付いてきた。けれど、後ろ盾もない、人望も薄い司馬冬妃にはどうすることもできない。それでも、どうにか茉莉花を救おうと道はないかを探っていたが、心を病んだ彼女は首を吊った。
これも全て、あいつのせいだ。あの男は茉莉花の死に微塵も興味を示さない。ただの気まぐれに、茉莉花を弄んだ——……。
「天凱がこんなことするわけない。ということは天鳴、あのクソガキの仕業か」
「おそらくね。姫春妃が亡くなった直後から末皇子は体調を崩していたし、これなら辻褄が合う」
「……盲点だった。まさか、あいつ」
英峰は唇を噛みしめる。怒りで頭は今にも沸騰しそうだ。あれだけのことをしておいて、母親に庇ってもらっておいて、更に悪行を重ねていたなんて、今すぐ天鳴の首を刎ねたい衝動に駆られる。
実行しないのは恵君の意思を尊重しているからだ。彼女が頭を下げて頼み込んでいなければ、心の奥底の怒りを押し留め続けるのは不可能だった。
「私の予想なんだけど、司馬冬妃が姫春妃を細かくしたのは自死の跡を隠すのと、腹の赤ん坊を取り出しても分からないようにするためだったのでは?」
「……それでも親友をバラすか普通」
「なんせ相手は末皇子とはいえ、後ろ盾には皇太后がいる。懐妊が明らかとなっても、それは末皇子の子ではなく、姫春妃が男を何らかの手段で後宮に連れてきた。知られれば、処罰は免れない。だから、姫春妃は自害した、と片付けられるでしょう。私も、大切な人がそんな目にあったなら悩んだ末に同じ行動をとると思う」
「確かにバラバラにすれば事件として取り上げられるな。後で陽光殿及び、その周囲の庭園をさらってみるか。どこかに埋められているかもしれない。もしかしたら、豚の餌にでもされているかもしれないが」
「……それも全て皇太后様のせいにするの?」
自嘲気味に、英峰は笑う。
「これも全て天凱のためだ」
これは全て天凱のために繋がる。恵君が全ての罪を背負ったことで、彼は愚王ではなくなった。天鳴が王位継承権を剥奪され、幽閉されたことでその座を揺るがす者もいなくなった。彼の治世に邪魔になる人間は英峰が排除した。
「なあ、紫苑。お前も天凱を支えてくれ」
そう考えると先程、出てこなかった言葉もするりと口から飛び出した。
「あいつは優しいし、権力もあるし、俺に比べたら劣るが色男だ。夫として、これほど最適な男はいないぞ」
幼馴染の協力があれば、盤石のものとなるはず。




