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紫苑の花は後宮に秘する  作者: 荻原もも
物言わぬ花

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第5話 地下牢


 大罪人は地下牢に幽閉される。地中深くに作られた牢は空気穴はあれど、酸素は薄く、呼吸はままならない。周囲を覆う石壁のせいで外の音は遮断され、聴こえるのは自身の音だけ。逃げようにも入口を潰されれば生き埋めになってしまう。

 沙汰を待つ間、その恐怖に大罪人は震えるという。

 英峰は入口に待機していた衛兵にいくらかの金を握らせると体を縮こませて地下牢へと続く階段を降りていく。


(あー金が減る。必要なこととはいえ、屑に金やるの嫌だ)


 石壁に反響する足音を聞きながら内心で恨み言を呟く。あの衛兵の弱みはいくつか握ってるため、賄賂わいろを渡す必要はないのかもしれないが、機密性を高めるためには致し方ない。


「〝ったくよ、なんでこんなかび臭いところにこの俺がこなきゃいけないんだよ〟——と、思っているのだろう?」


 くすくすと含みを持った笑い声が聞こえて英峰は足を止めた。


「心読まないでくださいよー。だから女狐だの呼ばれるんですよ」


 現在、この牢獄に収容されているのはたった一人。英峰はその人物の前まで足を運ぶとわざと笑顔で話しかけた。

 以前なら艷やかな黒髪は色褪せ、珠の肌もカサついている。やつれた頬に濃くなった目のくま、病人のようだが双眸そうぼうは鷹のように爛々《らんらんと》と光り輝いていた。

 その目には己の境遇を悲観する色も後悔も怒りもなにも映っていない。


「そう呼ぶのはおぬしだけだ」

「本当にあんたってクソババアだよな」


 失礼すぎる英峰の言葉にも恵君は笑みを深めるだけ。


わらわをクソババア呼びするのもおぬしだけよの」

「ババアにババアって言ってなにが悪いんだよ。あんた、自分の歳を考えろよ。俺のばあちゃんと同じぐらいのくせに」

「ほう、妾の歳を覚えているとはな。それにしてもほんに失礼だな。思えば、おぬしは出会った当初より不躾でおかしな子どもであった。家柄はいい、頭もいい、常識も理解しているくせに自分の心に素直で、折れるぐらいなら死んだほうがマシだと言いたげな行動ばかりとる。まさか、大人になっても変わらぬとは思わなんだ」

「俺は、俺が正しいと思ったことしてるだけだし」

「それが命を落とす行為であっても、おぬしは突き進むのは傍から見ているとはらはらする」


 くすくすと笑うと恵君は英峰を見据え、「して、結論を」と硬い声音で命じる。


「天鳴のガキは辺境で幽閉になった。あいつが老いても監視を続けるし、死ぬまで自由にはさせない」

「そうか」

「……ねえ、あのクソガキ、本当にあんたの息子? 取り違えた説ない? 泣きながら命乞いしてたぞ。罪は全て母親のせいだって。全てはあんたがやらかしたことで、自分は無関係だ、母を止めていたってさ」

「そう言うな。妾にとって天鳴《あの子》は可愛い吾子に過ぎぬ。あの子は無実であり、事の全ては妾が仕組んだこと。それでいい」

「あんたって、本当に()()()()だよな」

「妾は良き母ではない。誰も選べなんだ。妾の優柔不断がなければ、今回の件は防げたはずなのに」


 恵君はまつ毛を伏せた。


「崔家の娘も、司馬冬妃も巻き込んでしまった」

「紫苑はまあ置いといて。あいつ、頑丈だし。その巻き込まれた司馬冬妃はつい昨日、亡くなったよ」


 ぐっと恵君は唇を噛み締める。最後に見た姿は天鳴からの暴行により、襤褸布のような姿だった。袖や裙から覗く素肌は赤く腫れ上がり、指に至っては関節がありえない方向に折れ曲がっていた。

 調書をとられ、牢獄に連行されてもあの時の痛ましい光景が何度も脳裏に蘇える。あの瞬間、天鳴を宥めるより先にもっと何かできたのではないかと、自責の念が心を蝕んだ。


「まあ、姫春妃を殺害してばら撒いたらしいからどのみち死罪だったはずさ。情夫である宦官も姫春妃の解体を手伝い、更に司馬冬妃に手を出したことから同じく死罪」


 やけに明るく、軽快に英峰は喋る。


「姫春妃の件も天鳴がやっていたら、さすがの俺でもこれ以上は匿えないからよかったよ。ただでさえ、幽閉は生ぬるいって声が多くて潰すの大変だったんだからな」

「ああ、感謝する。おぬしのお陰だ」

「いいよ。その分の金はしっかり貰うから」

「もちろん。約束の報酬は薔薇園の下に埋めてある。おぬしが昔、天凱や紅琳とよく隠れて遊んでいた場所だ。多めに入れてあるから崔姉弟と分けるのだぞ」

「……」

「仲良く、三人で、しっかりと分けるのだぞ」

「はーい」

「嫌そうだな」

「紫苑はわかるけど、ちんちくりんに分ける道理はない!」

「お主のわがままの犠牲者だろう」

「ちっ!」

「舌打ちするな」


 嗜めると英峰が伺うような目で恵君を見る。

 傍若無人であっても可愛い子供には違いない。まなじりを下げた恵君が「どうした?」と問いかけると英峰は肩を小さく丸め込んだ。


「……ねえ、()()入れてくれた?」

「ああ、約束通り。それにしても、なぜあれを欲しがる? 耳飾など、おぬしは好まぬだろうに」

「あんたの墓は作れないし、作っても表立って参ることできないじゃん」


 まさか、あの英峰が自分の墓を作りたいと言うとは思わなくて恵君は目をみはった。

 全ての罪を被った恵君は鴆酒をたまわった後にその首を晒すことになっている。一週間ほど経ってから首もろとも肉体は燃やされ、灰は川に流す予定だ。

 そうすることで天に還るはずの魂を地上に縛り付け、永遠の苦しみを与えることができるとされている。

 皇太后であっても罪人には変わりない。規則にのっとり、墓は作られないことになっていた。


「俺、確かにあんたのこと、うるさくて真面目で融通が聞かないクソババアだと思っているけど」


 酷い言い分だな、と呆れる。不思議と怒りは湧いてこない。


「……嫌いなわけじゃないんだよ」


 静かな哀哭に、恵君は困ったように眉を下げる。


「あんたが生きたいと願うんなら、俺だって真剣に考えるのに。なんで、生きたいって言ってくれないんだよ」

「腹を痛めなくても痛めても、あの子等は妾の可愛い吾子あこに変わりない。あの子達が生きてくれるだけでいい。それが叶うのなら、この命は軽いものよ」

「だからって、あんた一人が犠牲になっていいわけないじゃん。悪いのは馬鹿やった天鳴と、耐え忍ぼうとした天凱なんだし」

「止められなかった妾が悪い。耐え忍ばせた妾が悪い。全ての責は妾一人にある」


 英峰が泣くのを見るのは久しぶりだ。涙で濡れた頬を撫でてやろうと腕を持ち上げようとするが、後ろ手に拘束されているため叶わない。代わりに体を引きずって、格子こうしの側へと向かう。


「鬼英峰よ。そなたに頼みたいことがある」

「……内容にもよる」

「妾亡き後、天凱《あの子》を守ってやって欲しい。あれは優しすぎる」


 英峰は涙を乱雑に拭うと、格子にもたれかかる恵君へ近づいた。


「あんたに言われなくても分かってる。天凱は俺が——俺達が支えてやるよ」


 その言葉を聞いた恵君は、安堵とも悲しみともつかない微笑を浮かべ、「ありがとう」と小さく呟く。

 英峰は返答もせず、泣き腫らした目でじっと恵君を見つめ、唇を噛んでいた。

 しばらくして、英峰は拳を固く握り締め、静かに後ろへと下がった。


「天凱は、あんたを恨んでいないよ。あいつにとって、ずっと自慢の優しい母親だから」


 そう言い残し、英峰は振り返らずにその場を去っていった。恵君はその背中を見送りながら、嗚咽を殺して静かに涙を流した。


「天凱、妾は自慢の母となれたのか……」


 格子越しに、小さくつぶやいたその声は、誰にも届かないまま静寂の中に消えた。


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