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紫苑の花は後宮に秘する  作者: 荻原もも
物言わぬ花

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第4話 罪人は笑う


 ——ふざけるな。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ!!


 床に散らばり咲く黒髪を踏みつけながら天鳴はひどく動揺していた。どうにか心を落ち着かせようと集中するが、どれだけ深呼吸を繰り返しても鼓動はちっとも抑えることができない。


「天鳴や。何をしておる?」


 背後からかけられた声に弾むように振り返る。紅梅色の裙を引きずり現れたのは母である黄皇太后だ。豊かな高髻こうけいに簪やこうがい、生花などをふんだんに飾り、腕環うでわ首環くびわといった装飾具で着飾っている。いつにも増して豪奢なよそおいをした母の姿に、天鳴は胡乱うろんげな目を向けるがすぐさま視線を床へと落とした。


()()()が僕に嫌がらせをしたんです」


 沓の先であざだらけの頬を蹴り付ける。天鳴は軽く蹴ったつもりだったが、顔は反対側へ勢いよく向く。更に髪が散らばり、壁際で縮こまり震える男が悲鳴をあげた。


「司馬冬妃様っ!」


 天鳴の足元で倒れる人物の名前を何度も呼ぶが助けようとはしない。情夫じょうふであっても、天鳴に逆らうことのほうが恐ろしいのだろう。

 情けない男だと、天鳴は冷めた目で一瞥を投げる。


「ほう、こやつらが……」

「そうです。僕を怖がらせるために! ひどいと思いませんか!?」

「可哀想に……。おぬしはなにも悪くはないのに」


 黄皇太后は目尻を下げると両腕を広げた。

 そこに天鳴は飛び込む。背中に手を回し。母の目を合わせて「そうですよね!」と頬を膨らませる。


「悪いのは()()()なのに、僕はなにも悪くはないのに!」


 考えれば考えるほど、怒りが湧いてくる。天鳴は鼻息荒く司馬冬妃に近づくと足を持ち上げた。黄皇太后が静止の声をかけるが無視して、その腹部へと足を思いっきり下ろす。


「——ぐッ!!」

「嫌がらせをして楽しかったか?」


 何度も。


「怖がる僕が楽しかったのか!?」


 何度も。薄い腹部を踏み潰す。

 司馬冬妃は痛みにうめきながらも、どこか楽しそうに目を歪めた。


「たの、しかった」


 天鳴は足を止める。


「自分の、しでかした罪を自覚して、怖がるあなたを見るのは」

「僕の罪だと?」

「あなたは、茉莉花を傷つけた。みんなを、傷つけた。報いる時が来た。……因果応報、って言葉、知っている?」


 くすり、と司馬冬妃は微笑をこぼす。


「私が、無策に飛び込むとでも?」


 その時、外が騒がしいことに気がついた。人々の話し声ではない。複数の足音と緊迫した空気が近付いてくる。

 嫌な予感がする。天鳴は母に縋り付いた。


「母様、なんの騒ぎ?」

「……はて、騒がしいな」


 足音は止まらない。乱れることなく、こちらに向かってくる。


「天鳴、おぬしはなにも喋るな。いいな?」


 黄皇太后はそっと天鳴の頬を撫でると、自らの背中に隠した。

 と、同時に勢いよく扉が開け放たれる。

 腰に剣をいた天凱が宦官を引き連れ、雪崩れ込んでくる。


「——兄様」


 天鳴は母の衣裳を握り締める。記憶の中では優しかった兄がまるで悪鬼のような顔で天鳴を、黄皇太后を睨みつけていた。


「天凱。ここをどこだと思うておる?」

「陽光殿。お前達が過ごす殿舎であり、罪人を裁く場でもある」

「罪人、とな……。妾はおぬしの育ての親。恩を仇で返すとはこのことか」


 黄皇太后は袖で口元を隠すふりをして、天凱の視界から天鳴を隠そうした。

 その意図を察した天鳴は母の背中に隠れながら、逃げ道はないかと兄の様子を伺った。彼が使者を出さずにこの場に来たということは、天鳴がしでかしたことが知られた可能性が高い。

 怖い慶王を演じていても、兄は優しさの塊だ。逃げる隙はきっとある。天鳴が泣きながら縋り、反省した姿をみればきっと、許してくれるに違いない。


「お前達が犯した罪三つ。……いや、今は四つか」


 天凱は床で寝そべり、浅く呼吸を繰り返す司馬冬妃を一瞥し、すぐさま視線を天鳴へと定めた。

 罪状を言うべく、唇を開こうとするのを英峰が口を挟んで止める。


「慶王様、私がお話いたします。このような下賤げせんな者と直接言葉を交わす必要はございません」

「下賤だと? 鬼家の小僧よ。男子禁制の後宮に入り込んだ挙句、誰にそのような口を聞いている?」


 黄皇太后の怒りを、英峰は鼻で笑い、一蹴する。


「この国の膿たるあなた様に、でございます。姫春妃様含む二名の殺害、崔皇后様への暗殺未遂、司馬冬妃様への暴力。言い逃れなどできませんよ」

「紫翠、罪人やつを連れてこい」


 天凱の命令に後ろ手を拘束された男がひどく憔悴した顔で引きづられるように連れてこられた。抵抗する気がないのか、口を力なく開けている。天鳴と黄皇太后の姿を捉えると死んだ目に一瞬だけ生気が宿るが、それもすぐさま胡散する。己が置かれた状況から、助かる道はないと悟ったようだ。


「この男に見覚えあるだろう。我が妻を池に突き落とし、あの子を殺して庭園に埋めたこの男の顔を! 天鳴、お前が命じたらしいな?」

「嘘だ! 僕は崔皇后様を殺せだなんて命じていないし、紅琳姉様を埋めろだなんて命令も出していない!!」


 濡れ衣だ! と天鳴が叫ぶ。

 すると天鳴を睨みつける兄とその腹心二名、捕縛するために連れて来られた宦官達が纏う空気が強張った。異変を肌で感じても、何が原因かわからない天鳴はただ身の潔白を訴える。母の静止も無視して、自分は無実だと、嫌がらせをされたのは自分だと、涙を流した。


「……なあ、天鳴よ。予は紅琳の名はだしていない。なぜ、庭園に埋められているのが紅琳だと分かったんだ?」


 天鳴は唇を引き攣らせる。


「そ、それは姉様が行方不明だから」

「ああ、行方不明だ。生死も不明。もしかしたら、生きているかもしれない」

「みんな、……そう! みんなが言っていたんだ! 紅琳姉様は殺されたって、だから僕もそう思って!」

「違う。お前は予を引きずり下ろすため、紅琳の死を利用した。紅琳と似た声を持つ女を使い、予にあの子が生きているように見せかけた。違うか?」


 はくはくと天鳴は唇を開閉させる。水から揚げられた魚のように、うまく呼吸ができない。酸欠でぼやける視界の中でも兄の怒りに染まった顔はよく見える。視線を外そうとしても、固定されたように眼球が動かない。口からは言葉とならない音が漏れていく。


「ふふっ、よい」


 軽やかな声が房室の空気を和らげる。


「天鳴や。おぬしはほんにいのう。やはり、妾を思うてくれるのは腹を痛めた我が子だけ。どれほど、愛情を注いでも血も繋がらぬ子らは妾を罪人と罵ってくる」


 指甲套しこうとうの先で天鳴の頬を優しく撫でながら、黄皇太后は華やかな笑みを咲かせた。


「妾の味方はおぬしだけ。可愛い吾子あこが王座に座るのを待っていたが、それも叶わぬ。ああ、残念だ」


 ——罪人は自分だと、笑った。


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