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紫苑の花は後宮に秘する  作者: 荻原もも
物言わぬ花

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第1話 皇太后との謁見


 金暘きんよう殿の正庁おおひろまの中央で、紫苑は揖礼ゆうれいを捧げる体勢で床に片膝をついていた。

 かれこれ四半時、この体制のままである。膝の感覚が危ういのでそろそろ立ち上がりたいが不屈の精神で耐え忍んだ。


(いつまでこの体勢をし続ければいいのだろうか)


 緊張から吹き出した汗が頬を伝う。不愉快だ。すぐに拭いたいが()()()がくるまで我慢するしかない。


(黄皇太后様と対面するのは二度目だな。まあ、一回目は会話もしなかったけど)


 金暘殿は後宮に住む妃が親族と面会する際に使われている。皇太后が住む陽光殿は皇后が住む鳳凰殿から少し離れた場所にある。

 皇太后が自分に会うのにこの殿舎を指名するとは思わなかった。本来なら皇后が皇太后に挨拶をする際は陽光殿に赴くのが決まりだ。


(一体、なぜ今頃……。あれだけ挨拶は嫌がっていたのに)


 何度か紫苑が黄皇太后に挨拶に伺うむねを伝えたが、全て所用があると断られていた。天凱から伝えてもらっても返答はすべて同じ。

 それなのに本日、早朝。急遽、挨拶に伺うように言われた時は正直、戸惑った。黄皇太后が自分を招いた理由を考えても紫苑の頭では分からず、かといって英峰と天凱に相談しようにも彼らはしばらく後宮に訪れないから無理だ。


(とりあえず、黄皇太后様の機嫌を損ねないようにしなければ。これはいい機会だから)


 英峰は清賢長公主がいるとしたら恐らく陽光殿だと言っていた。今すぐには無理でも、これは絶好の機会。ゆっくりと、じっくりと黄皇太后からの信頼を勝ち取るか、彼女に仕える者を懐柔する。

 紫苑が意気込んでいたその時、しゃらしゃらと金属が擦れる音と共に絹布が織りなす音色が耳に届く。やがて音は止み、宦官が黄皇太后の訪れを告げた。


「そなたが崔紫苑か?」


 まるで鈴の音を思わせる声色が紫苑の名を呼んだ。顔をあげよ、という命令に紫苑はゆっくりと面をあげる。

 椅子に腰掛けた女は老齢に差し掛かっているのに背中はまっすぐ伸びて、力強い瞳で紫苑を睥睨へいげいしていた。


「……なるほど、確かに杏珠あんじゅ様の血を引くだけあって美しい」


 杏珠とは紫苑の祖母の名前である。異国の出自である祖母は人攫いによって慶国へ連れ去られ、豪族の家妓かぎとして生計を立てていた。その異国情緒を感じさせる美貌を気にいった先王の命令で後宮に入り、しばらくしてから戦での武勲をたてた褒美として崔蒼月へと下賜された経歴をもつ。

 後宮に滞在した日数は少ないがその容姿と下賜された経緯から黄皇太后は覚えていたのだろう。


「天凱が自ら後宮にといったのは、そなたがはじめてだ。杏珠様譲りの美貌、さらに蒼月殿譲りの武の才にも恵まれているときく」

「黄皇太后様にお褒めにいただき、光栄にございます」

「ふふ、そんなに緊張するな。わらわは廃れた皇太后ゆえ、そなたが気負う必要はない」


 妙に自虐的に黄皇太后は呟いた。


「長男は戦死し、娘は遠い異国へ。不惑を超え、やっと授かった末の息子は王としては未熟……。義理の息子が王位に君臨したことで、宮中で妾の居場所はない」


 周囲をはばかるように黄皇太后は声を落とす。宦官も去り、正庁には紫苑と二人きりなのにまるで密談をしているかのような緊張感で空気が張り詰める。


「そなたとは一度、話してみたいと思っていた」


 何故? という疑問が顔にも出てしまっていたようで皇太后はおかしそうに唇の端を持ち上げる。


「あれは確かに義理ではあるが、幼い頃から大切に育てた養子むすこ。その妻を、知りたいと思うのは母として当たり前の感情だ」

「恐れながら、私も黄皇太后様とお話しをしてみたいと思っておりました」

「ほう、なぜだ?」


 皇太后は真っ赤な唇を持ち上げる。


「慶王様から皇太后様はとてもお優しいお母様だと聞いています。幼い頃に清賢長公主様と皇太后様が作った料理を食べたら美味しかったとか、子犬が欲しいとねだったら翌日連れてきてくれたとか。色々おはなししてくれたんです」

「おや、あの子がそんなことを。料理は不得手だが、あの子が望んでな。犬も飼うつもりはなかったのだが久しぶりの幼児ゆえ、少々甘やかしすぎたのは認めよう」


 昔を懐かしむように目を細めた。目元に刻まれた皺が深くなる。あまり笑わない印象だったが、それは紫苑の思い違いだったようだ。

 天凱の幼い頃の失敗談や好物、紅琳の行方を心配し、彼女との思い出を語るその顔は嘘偽りもなく母親のもの。気付いた時には最初に感じていた緊張はどこかに消えていき、紫苑は黄皇太后との会話を楽しんでいた。


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