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紫苑の花は後宮に秘する  作者: 荻原もも
百花の女王

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第5話 正反対の主従


(嫌だな……。一人で入れるし、着替えれるのに……)


 身を飾る装飾品や襦裙を脱ぎ捨て、肌襦袢はだじゅばん姿になった紫苑はにこやかな笑みを浮かべながらも内心では不満でいっぱいだった。

 妃位を授けられた人間は入浴などする際は侍女の手を借りることになっている。襦裙を脱ぐのも、石鹸で泡立てた浴垢布よくこうふで体を拭くのも、入浴するのも、いちいち手を借りなければならない。

 生家では一人で行えた行為が、他人の手を介するとこんなにも精神的疲労を感じるとは思わなかった。


「さあ、お手を。滑るのでお足元にお気をつけくださいませ」


 伸ばされた手に己が手を重ねながら「ありがとう」とはにかむ。誘導されるままに陶板とうばんで覆われた床を歩き、湯船へと向かうにつれ、華やかな香りが鼻腔をくすぐった。


「これは薔薇かしら?」

「ええ、せっかくのお渡りですから薔薇のお風呂をご用意いたしました。薔薇は心を落ち着かせて、肌にもよいといわれております」


 薔薇の花びらが浮かぶ乳白色の湯に身を沈め、紫苑はそっと息を吐く。温かな湯が肌襦袢越しに体を包み込んでくれるが蓄積された疲労まで取り除いてはくれない。


「……うれしそうね」


 縁に背中を預けて背伸びをしているとはしに控えていた侍女頭が嬉しそうに笑っていることに気がつく。


「私はずっとこの後宮にいますけれど、慶王様がお尋ねになるのは初めてなので嬉しくて」

「今まで、一度たりとも来なかったと聞いたわ」

「ええ、季妃様方が入内なさった時も顔を見せることなく政務に没頭されておりましたわ。慶王様にこのようなことを感じるのは不敬かと思いますが、幼い頃から知っているお方にも愛する方ができたと思うとまるで母親のような気持ちになるのです」


 そう言って心の奥底から笑む侍女頭と違い、紫苑は寒気を覚えた。自分は入浴中なのにまるで雪が降る外に裸で立たされているようだ。


「不敬でもなんでもなくてよ。あなたは天凱様のお母様の侍女だったと聞いているわ。幼い頃から見守ってきた分、そう思うのでしょう。ねえ、天凱様のお母様ってどんな人だったの?」

しょう春妃様の侍女となったのは、ほんの数年ですけれど、とても穏やかな方でいつも天凱様と紅琳様を大切に思っている方でしたわ」

「天凱様とは違うのね。あの人、つんつんしていらっしゃるもの。お会いしてみたかったわ」

「……慶王様は」


 侍女頭は唇を開いては閉じるを繰り返すと、ぎゅっと拳を握りしめる。何かに耐えるような表情に紫苑は「どうしたの」と声をかけようとした時、


「……?」


 湯殿ゆどのの外がにわかに騒がしいことに気がついた。耳を澄ませば困惑した声と共に聴き慣れた怒声が聞こえた。


(まさか、いや、そんなわけはないよな)


 ここは後宮だ。君主たる慶王以外、男子は去勢された宦官しか立ち入ることはできない女人だけの禁域。いくらあの幼馴染が小さな頃、後宮に忍び込んでいたとしても鳳凰殿の湯殿まで突撃してくるわけがない。


(なにか動物でも忍びこんだんだろう。人の気配のような気がするが、気のせいだ。うん、気のせい)


 紫苑が全力で現実逃避を図っていると控えていた侍女達も外の騒ぎに気が付いたようで、慌てはじめる。


「なにやら騒がしいですわね」

「ええ、なにかあったのかしら……」

「崔皇后陛下はこのままで、様子を見てまいります」


 気色ばんで外へ向かう侍女頭を見送ると紫苑は顔を覆った。違っていて欲しいのに時間が経つにつれ、予想が的中している気がする。


「えっ、慶王様?!」


 やはり、予想していたその名前に嘆息する。指の間から重々しい吐息が漏れ出て、湯気と混じり合う。せめてもの抵抗で肩まで湯に浸かった。乳白色でよかったと心底思う。


「おい、紫苑を残してお前達は出ていけ」


 仰々《ぎょうぎょう》しく現れた天凱は眉間に皺を寄せながら端で身を寄せる侍女達に一瞥を投げた。


「予の言葉が聞こえなかったのか?」


 凄んで言えば顔色を悪くさせた侍女達が一斉に小走りで湯殿から出ていく中、代わりに侍女頭が血相を変えて転がり込んできた。眉尻と目尻を跳ね上げ、唇を尖らせ、天凱を睨みつける。


「まあ! 慶王様、崔皇后陛下は入浴中なんですのよ!?」

楽瑛らくえい、あいも変わらずお前はうるさいな。予が妻の元に尋ねるのことのなにがいけない?」

「女人の入浴にずかずかと立ち入るものではありませんわ。崔皇后陛下はあなた様にお会いするために身を清めていらっしゃるのに」

「だからこうして浴室にまで来てやったのではないか」


 言い争いは徐々に大きくなる。紫苑はうんざりだと思いつつ、そっと唇を開いた。


「いいのよ、楽瑛」


 侍女頭——楽瑛は怒りの形相を和らげる。ぽってりした唇が次の言葉を紡ぐ前に紫苑は微笑で防いだ。


「天凱様は私に会いたくてしかたないの。可愛らしいと思わない?」


 くすくすと玉が触れ合う笑声しょうせいが浴室内に響き渡る。


「それを無碍むげにする必要はないわ。あなたも下がりなさい」

「……表でお待ちしておりますので、なにかあればお呼びください」

「大丈夫。長湯になるだろうし、あなたはお休みなさい。他の人達にも伝えておいてね」


 楽瑛が退室すると同時に天凱が動いた。濡れた陶板に膝をつき、手を重ね、深く頭を下げる。

 あまりの勢いに紫苑は、それがいわゆる土下座の体勢であることを忘れかけた。


「すまない! 本当にすまない! わざとでは、いや、わざとではあるんだが」

「あー、はい。分かっていますよ」


 そう、分かっている。天凱がこのような行動をとるわけないことを。愚王を演じても線引きはしっかりしている彼は紫苑の尊厳を踏みにじる行為はしないことを。

 するとしたら、たった一人。


「英峰、でてこい」


 性悪で、自分を幼馴染ではなく駒と思っている男のみだということを。

 ドスが利いた声で名を呼べば、柱の影から小太りの男がでてきた。着用しているのは緑色の長袍、茶色の革帯には竹製の飾りが結ばれている。身なりからして中位の宦官だ。


「……ん?」


 紫苑は片眉を持ち上げた。食い入るように宦官を観察する。

 不健康な土気色な肌に隈の濃い目元、太い眉にわしのくちばしのような鼻、宦官らしく、顔も体もふっくらとしている。

 なのに、なぜか宦官が浮かべている笑みが幼馴染のものと酷似している。容姿はまったく似ていないのに、なぜか英峰と宦官の姿が重なって見えた。


「あなた、もしかして英峰?」


 にやり、と宦官が笑う。


「そうさ。よく分かったな!」


 その声は確かに英峰のもので、紫苑は面食らう。


「なに、そのかっこう」

「変装。知り合いにいい腕の男? 女? あいつの性別ってどっちだ? が、いてやってもらった」

「……分かるもなにも、こんな屑な行動するのってあなたしかいないでしょ」

「そんなに褒めるなよ」

「褒めていないし、けなしているんだけど?」


 照れくさそうに首を掻く姿は紫苑の神経を逆撫でするのにじゅうぶんだ。紫苑はそのつらになにかぶつけてやろうと桶や椅子はないかと周囲を見渡すが、なにもない。

 ならば、せめてお湯をかけてやろうと手を浸すと英峰は慌てて手を突き出す。


「粘土で顔の形変えているんだ! お湯かけられたら溶けてしまう!」

「溶けてしまえ。私には関係ない」

「俺の顔は有名だからバレたら処刑されるぞ」


 腹はたつが英峰の死を望んでいるわけではない。紫苑は舌打ちすると手を下ろした。


「……あの、慶王様。起きてください」


 紫苑と英峰が話し合っている間も天凱はずっと土下座をし続けていた。衣装や髪が水を吸い上げて色を濃くしている。肌にも張り付いて不愉快だろうに、天凱は身じろぎもしなかった。


「し、しかし」

「お湯、色ついているから見えませんし」

「だ、だが」

「悪いのはすべて英峰です。英峰以外いません。あなた様は巻き込まれただけなんです。この下衆げすに」


 紫苑が断言すると英峰が「濡れ衣だ」と不貞腐れた。濡れ衣どころか元凶のくせにと白んだ目を向ければ、英峰はそっと視線を逸らした。


「おい、天凱。お前が這いつくばっていると話しができない。顔をあげろ」

「……無理だ」

「先ほどまでの威勢はどうした」

「それは君が背中を押したから! ああ言わなきゃ不自然だろう!」

「女の身体なんて見慣れているだろう。紫苑のような貧相な身体に欲情なんてできないから顔をあげろ」


 ムカつくことを言われたが紫苑は我慢する。自分でも己の身体は異性から見たら魅力が乏しいことは理解していた。日に焼けた肌に高い身長、胸も尻もほんのわずかな丸みのみ。性格も負けず嫌いで気が強い。

 慶国において挙げられる美人の条件とはほぼ正反対だ。容姿も、性格も。


(確かに慶王様は立場上、色んな女性と会っていてもおかしくはないからな。……だけど、英峰は後で絞める)


 そろそろ、こっぴどく絞めるべきだ。うやむやにされたが英峰が紫苑を巻き込んだ件は一歩間違えれば、家族全員が死罪でもおかしくはないのだから。

 だが、締めるよりもまず先に天凱を起こさないと。


「慶王様」

「顔はあげない」

「着替えますので、いったん英峰と外に出てくれませんか?」

「あ、ああ、なら雨蓉といったか、君が実家から連れてきた侍女を呼んでこよう」


 はて、と紫苑は首を傾げた。


「話しの席に雨蓉も必要なんですか? 彼女は心配性なので、同席させたくないのですが……」


 紫苑が護衛になった経緯も、皇后となった理由も雨蓉には話していない。話せば、きっと白目を剥いて卒倒する。大切な侍女に必要以上の負荷はかけたくはない。


「いや、着替えを手伝ってもらわねばならないだろう」

「紫苑は自分でできるから放っておけばいいぞ」


 英峰の言葉に天凱は「え?」と素っ頓狂な声をあげる。


「でも、君は崔家じゃないか」


 その一言で全てを察した。良家の人間は、着替えや諸々を付き人に手伝わせる。紫苑もその例に漏れず、侍女に手伝ってもらっていると思っていたようだ。


「自分一人で着替えたほうが楽なので。髪を結ったりする場合は手を借りますけど」

「な、なら、私達は外で待ってるから、ゆっくり着替えてきなさい」


 そのどもりように英峰がはっと鼻で笑う。


「なあ、天凱。今度、花街に連れて行ってやるよ。べっぴんな花妓かぎのねーちゃんが多くいるぞ」

「ねえ、慶王様をからかうのはやめて。早く出ていって。余計なことはせず、大人しく、外で待っていて。同じことを二度も言わせないでね」

「……幼馴染が冷たい」


 顔を覆ってしくしくと泣くふりをしながら英峰は浴室から出ていった。その後を天凱も慌てて追いかけていった。

 湯船に一人残された紫苑は肩を落とす。まさかこの禁域にも幼馴染が普通に忍び込むとは思わなかった。清賢長公主を攫った犯人と姫春妃を殺害した犯人の両方を探さなければいけないのに、あいつのせいで困難な道のりになることを悟ったのだった。


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