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第4話 氷の部屋

 午後二時──帝国陸軍兵器局本部、二階の奥にある小会議室。

 兵器局内で進捗確認などに使われるその会議室には、今日だけは異なる気配が漂っていた。

 壁には兵器局章旗が掲げられている。だが、空気は明らかに兵器局のそれとは違う。ひんやりとしていたその空気は、気温のせいではない。無言の圧力が、肌の上に薄い霜を張るように感じられた。


 テーブルを挟んで向き合うのは、情報局の女性士官と、リィエン・スィリナティア。

 翡翠の瞳を持つエルフの研究員は、どこか他人事のような穏やかさで、しかし確実に何かを〝流して〟いた。


「──本日は、お時間をいただき感謝します」


 女性士官の声は、情報局の者としては柔らかかった。だが、その瞳の奥には、まるで氷のような冷たさを感じる。


「いえ。私としても、帝国の皆さまにはお世話になっていますから」


 リィエンは優しく微笑んでみせた。その表情に、不自然な緊張の色はない。


「先日、第三試験棟で発生した術式暴走からの制御回復に際して、あなたが発した詠唱について、いくつか確認をさせていただきます。兵器局の記録では、あれは既知の術式にも、言語構造にも該当しないとのことです」


「……そうなのですね。私自身、あまり意識せずに口にしたもので」


 リィエンは、まるで少し恥じらうように視線を伏せた。


「思い出せる範囲で構いません。あれは、どういった言葉なのですか?」


 問いに、リィエンは少しだけ考えた素振りを見せたのち、口を開いた。


「……古い唄です。子どもの頃に、祖母がよく歌ってくれた。眠れない夜のための、子守唄のようなものでした」


「子守唄、ですか」


「ええ。旋律と音の響きだけが残っていて、意味までは──。たぶん、もう失われた言葉だと思います」


 まるで無害な思い出話のように話すその語り口からは、意図的な隠蔽の気配は見えない。

 だが、女性士官はわずかに視線を細めた。


「結果として、宝珠の暴走を鎮静化した。偶然にしては素晴らしい効果ですね?」


「私にも、驚きでした。……まさか、あんなふうに作用するとは。少し、不思議な気分でした」


 リィエンは首をかしげ、小さく笑った。まるで「どうしてこんな大げさに」と言いたげな、無垢な笑み。


「意図的な詠唱でなかった、と理解してよろしいですか?」


「はい。条件反射のようなものです。……正直なところ、記憶も曖昧で」


 そう答える声に、硬さはなかった。

 だが、同時に「それ以上は踏み込ませない」薄い膜のようなものが張られている。


 女性士官は書類を閉じ、穏やかな口調で話を締めた。


「分かりました。本日の聴取は以上です。ありがとうございました。──ところで、滞在期間はどれくらいの予定ですか?」


 リィエンは、その言葉にわずかに目を伏せたあと、静かに答える。


「……私には分かりかねます。自治領府が決めることですので……」


「……承知しました」


 それ以上を問うことはなかった。定められた範囲での、形式的な聴取だった。


 リィエンは丁寧に一礼し、椅子を引いて立ち上がった。

 その所作は一貫して礼儀正しく、しかし──何も差し出さなかった。


 ──そして彼女が部屋を去ると、会議室は再び沈黙に包まれた。

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