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第1話 蘇る詠唱

 午前九時、宝珠制御試験、開始。


 いよいよ、第3世代宝珠の量産化体制が見えてきた。

 成功すると、また一歩、帝国の技術革新の歩みが進むことになる。


 厚いガラス越しに見える実験槽の中には、昨日と同型の宝珠が設置されていた。前日と変わらぬ位置、変わらぬ構成。だが、そこに流れ込むマナの濃度は、確実に調整されていた。


 カイの手元で、起動式の入力が始まる。彼の指は迷いなく、操作盤の上を正確に動く。微かなブザー音が連なり、パネルの照明が緑から橙へと変化する。術式展開を意味する色だった。


 宝珠の表面が、淡い蒼白の光を帯び始める。起動式が作動し、所定の手順に従って展開される。


 だが、異変はその直後、前触れもなく訪れた。


「制御反応、逆流。え……マナ流量、上限超過!」


 オペレーターの声が一段高くなる。警告ランプが橙から赤へと切り替わり、制御卓に設けられた表示パネルが遷移異常を連続で出力し始めた。


「バッファ内で振幅が増大中! 吸収式、起動しません!」


 宝珠の光が急速に明滅を繰り返す。通常は滑らかに推移するはずのマナ流路が、制御不能な渦を描いて乱流化していた。


 装置内部で、マナ圧縮機構が限界に達し、背後の冷却ファンが高周波の異音を発する。制御系統の中枢から発せられる警告音が、区画全体の空気を硬直させる。


「遮断スイッチ、作動不能!」


 レインが叫び、非常停止レバーに手を伸ばす。だが、装置は沈黙したままだ。制御回路のどこかが焼損しかけている兆候。制御卓の『回路接続エラー』のランプが点滅していた。


 次の瞬間、実験槽内部で発生したマナの閃光が天井に届くほどに炸裂し、地下の魔導炉が低く唸りを上げる。その低周波が床面を震わせ、部屋の奥に置かれた観測装置がわずかに傾いた。


 蒼白い光が空間の制御座標から逸れ始め、術式が構造崩壊に向かいかけていた。そのままでは暴走反応──魔導炉の臨界点突破──が予測される。


 警報音が再度高まり、天井スピーカーからの自動音声が繰り返される。


「実験中断、速やかに退避……退避……」


 その中で――


「──Æ shualé…… t’retha venor elthia……」

(──エイ・シュアレ……トレサ・ヴェノール・エルシア……)


 静かに、一人の声が空気を貫いた。


 リィエン・スィリナティア。


 それは、人の言葉というより、音そのものが空間の奥底に触れるような響きだった。


 澄んだ調べが、破綻しかけた術式の構造に干渉し、まるで空間そのものの位相を微細にずらすように、マナの渦に〝揺らぎ〟を与えていく。


 乱れていた流路が一瞬静止し、術線の一部が再結合を始める。実験槽内の光が、ただのエネルギーではなく、まるで何かの意思で制御されているかのように振る舞い始めた。


 空中に漂っていたマナ粒子が、まるで重力の中心を探すように静かに沈降していく。異音が止み、渦巻いていた光がゆっくりと消失していく。制御卓のランプが一つ、また一つと緑に戻り、振動も鳴動も次第に収束していった。


 やがて、完全な沈黙が訪れる。


 あれほどの騒音と発光があったというのに、いまや部屋の空気は異様なほど静かだった。


 リィエンは、姿勢を崩さぬまま一歩退き、何事もなかったかのように静かに一礼する。


「異常状態収束。試験体、鎮静化!」


 それは形式的な報告だったが、その場の誰もが、その意味を十分に理解していた。

 

 カイは呆然と立ち尽くしていた。視線を逸らすことができない。


(これは……〝詠唱〟なのか? それとも……〝言葉〟そのもの?)


 術式は、確かに発動した。構成は単純で、マナ流路も乱れてはいなかった。だが、肝心のトリガー――それが発声のみで成立していたことが、カイの中で強い違和感を残していた。


 制御式は? 座標固定は? 照合は?

 ただ一声の詠唱──それだけで、術式は動いた。魔法陣に触れることもなく、起動式にも関与していない。


 そんなはずがない。


(……音声だけで?)


 カイは思わず制御卓へ視線を移し、遷移記録を再確認する。

 式図は正常に展開されていた。エラー出力もない。だが――マナの挙動だけが、わずかに揺らいでいた。明確な乱れではない。数値上の変動は閾値内に収まっている。

 それでも、そこには確かに〝ノイズ〟とは呼べない異常が記録されていた。


 発声のみで、術式が動作した。

 制御式もなく、起動トリガーの照合も行われていない。


「……再現性がない」


 ぽつりと呟いた自分の声に、隣のレインが怪訝な顔を向けたが、カイはそれに気づかない。


 通常、詠唱は術式起動の〝音声信号〟でしかない。意味はなくてよい。音のパターンとして、識別できればそれでいい。それが大学や技術局で教えられてきた常識だった。


 だが――

 いまのあれには、意味があった。

 ただのトリガーではない。構文らしきものがある。抑揚がある。おそらく、文法すらある。


 それはまるで、古い書籍で読んだ〝祖語〟の詠唱構造に似ていた。


(まさか……)


 彼の指が、無意識に操作盤へ走る。先ほどの音声記録を抽出し、再生する。


 ──Æ shualé… t’retha venor elthia…


 冷却装置の低音の中に、あの音が響く。彼の耳の奥で、それは何度も反響した。


「あれは……」


 言葉にならない。だが確かに、カイの中の技術者としての常識が、軋む音を立てていた。


(あれを〝詠唱〟として扱うなら、理論の根底が揺らぐ)


 彼女が見せたのは、ただの技術ではない。


 それは、意味を持った〝詠唱〟そのものによる発動だった。


 ……現代が失った、古き術の形。


 カイは、小さく息を吐いた。


 手元の記録紙をめくり、脇にあった報告用の書式紙を引き寄せる。だが、そこに筆を走らせることはなかった。しばし、空白の罫線をただ見つめる。


(これは……報告に値するのか?)


 実際、マナの暴走そのものは、おそらく昨夜の微調整が原因だろう。そして、詠唱によって救われたのも事実だ。

 上層部も注目する第3世代宝珠開発、どんな結果であれ、事実を報告すべきだ。


 本日の試験は制御系異常によって中断、異常については、詠唱により収束、被害はほぼ無し。マナ濃度の調整に再考の余地あり。リファレンス作成は一旦保留──そう書くべきなのだろう。


(しかし……)


 迷いのまま、カイは結局一行目すら書き始めることなく、インク壺に筆を戻し、そして紙を伏せた。


 紙の上には、重く沈黙が降りた。

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