第18話 街に溢れる影
王都──朝の陽光が石畳の路地に差し込み、白灰色の城壁に囲まれた街がゆっくりと目覚めていく。高く伸びる尖塔の先端では青銅の飾りが陽にきらめき、微かな鐘の音が空に溶けていった。
リィエンはゆるやかな坂を下り、市場通りへと足を進めていた。昨日、書店の主──セルヴェルから古老の居所を教わり、南の地区へ向かう途中だった。
朝の市場はすでに活気を帯び、多くの露天が色とりどりの布を掲げていた。果物、穀物、干し肉、香辛料、陶器、衣料品、古道具──王国各地の品が並ぶ中、客たちの談笑や売り子の呼び声が交錯している。かすかに風に混じる、焼いた肉やパン、焼き菓子の香りがリィエンの食欲をそそった。
「最近は何でも高くなってねえ……」
「まったくさ。パンも卵も二月前の倍だ。これじゃ暮らせないよ」
横を通り過ぎる婦人たちの会話が耳に入る。年配の女は荷車を引きながら肩をすくめ、隣の若い娘が小さく頷いていた。リィエンは小さくため息をつく。帝国でも似た光景はあったが、この街では違う重さが漂っているように思えた。
しばらく進むと、雑貨を扱う店先の一角に、見慣れた光沢の金属球が並んでいるのが目に入った。宝珠──演算宝珠。小型のものから手のひら大のものまで、整然と棚に並べられている。
(帝国製の宝珠──?)
リィエンは興味を惹かれて足を止め、露天の老店主に声をかけた。
「これらの宝珠……帝国製でしょうか?」
老店主はにやりと笑い、顎をしゃくった。
「エルフのお嬢さん、目が利くな。そうだよ、帝国からの輸入品さ。もっとも、正規のルートじゃなくてな、回り回ってここに流れてきた代物だがな」
まさか、こんな場所で堂々と?
リィエンは軽い驚きを覚えた。出所の怪しさを思えば、路地裏での取引でもおかしくない品だ。しかしここでは、人目も憚らず並んでいる。
リィエンは驚きを抑えつつ、問いを続けた。
「随分と数がありますね」
「今や帝国製が主流さ。王国製のは、どうにも安定性が悪い。術式の起動も乱れやすいし、発熱も多い。そりゃもう、客が選ぶのは自然ってもんさ」
「お嬢さんには、特別だよ」老店主は奥の木箱から一つ取り出して見せた。透明な水晶球の内部に、複雑な魔法陣刻印が微かに輝いている。店先に並んでいる民生品とは違う、第三試験棟で何度も目にした軍用型式だった。当然、王国製のものとは洗練さが段違いである。
「これは……?」
老店主が周りを伺うように見渡し、口元に手を当て、こっそりと話した。
「正真正銘の軍用品さ。民生品とはモノが違う。もっとも、取り扱いには気を使うがね」
「へえ……」
リィエンは僅かに唇の端を引き上げ、形だけの微笑みを浮かべた。
「もっともね……」
老店主は周囲を少し気にするように声を落とした。
「こうやって良い品が流通するのはありがたいが、王国の職人連中は青くなってるさ。今の調子が続きゃ、いずれ王国の宝珠工房なんて消えちまうんじゃねえかってな。はは、冗談だけどよ」
冗談と言いながら、その目はどこか冴えない色を帯びていた。
リィエンは小さく礼を述べ、再び歩き出す。すれ違う通行人の中には軍服姿も多く混じっている。帝国のとは異なる、王国独自の制帽と階級章──だが、彼らの表情にもどこか張り詰めた気配がある。
やがて市場通りを抜け、静かな路地が広がる南地区の入口へと足を踏み入れた。
──街に溢れる帝国の影は、静かに王国の奥深くへと浸透していた。