第3話
「旦那様、ルージアお嬢様、マークス殿下が来られました」
私が婚約破棄された二日後の昼間、使用人のレイアが私と父にマークス殿下の来訪を伝えました。
殿下がなぜ我が家に? そういえば、昨日……父が王宮に赴いたと言っていましたが。
「ふむ。ようやく来たか。陛下に脅しをかけて正解だったわい。8000億もの大金を一度に支払うなど無理だからな」
「まさか、陛下に融資したお金を返還請求したのですか!? そんなことをしたら、逆に我が家の立場が危うくなりますよ!?」
驚きました。
父が私のことで陛下に文句を言おうとしていることまでは知っていましたが、まさか王家に貸し付けた8000億ゼルドを一度に返還請求をするとは。
明らかに無茶な要求をしているのですから、これは王家に喧嘩を売るも同然の行為。
そうなると、一つの貴族の家にすぎないバーミリオン家は王家によって危うい立場に晒される危険性があります。
「知ったことか! 娘を侮辱されて大人しく出来るほどワシは人間が出来とらん! それにいつでも爵位など捨てる覚悟はしとる! 陛下もワシと全面戦争になるリスクを考えられんほど、阿呆じゃないわ!」
父は名目上、貿易船の護衛として私兵を集めていますが、確かにその兵力は一貴族の束ねる量を遥かに凌駕しています。
その上……父は世界中から腕自慢たちをスカウトして私兵団もしくは使用人たちとして召抱えているのです。
そのせいで、私も武術やら魔法やらを護身術だからと言われて英才教育されてしまったのですが――。
それは置いておいて、とにかく国王陛下と争うことになるとどちらもタダでは済まない。その上で経済の打撃も計り知れない。
となると、国王陛下もそう簡単には手出ししないとお考えなのでしょう。
しかし――。
「前にも話しましたが、マークス殿下は我が家を潰すと宣言していました。本当に謝罪に訪れたかどうか……」
「はっはっは、陛下にこっぴどく叱られたであろう殿下が、このワシに面と向かって蛮勇を振るうものか」
「そうでしょうか……」
最後に会ったときのマークス殿下の少しだけ異様な感じ。
あれは純粋無垢というか、歪んだ正義に取り憑かれたというか、妙な危うさがありました。
何とかそれをニュアンスとして伝えようとしたのですが、父にはどこ吹く風という感じでマトモに取り合ってくれません。
とりあえず、まずは殿下と話してみますか……。
「遅いぞ。ようやく来たか。まったく、王子たる僕を待たせるとは。バーミリオン家は王家への忠誠心が薄いのではないか?」
「これは、マークス殿下。ようこそ、おいで下さいました。こちらとしても最初にアポイントメントさえ取って頂ければ、すぐに応対したのですが。――予告もなく来られればどうしても時間はかかることくらい、聡明な殿下なら予測がつくでしょう」
「むっ……」
ソファの上でふんぞり返って、父に悪態をつくマークス殿下。
父は少しだけイライラしたみたいで、棘のある言い方をしました。
やはり、殿下は謝罪には――
「バーミリオン公爵! あなたはこのハウルメルク王国の害悪の中心となっている! あまつさえ、王家の予算を不当に取り立てようとする、その反逆心――皇太子として見過ごせん!」
「ほう、そう来ましたか」
「国民たちに贅沢病を蔓延させた罪! 贖ってもらうからな!!」
ギロッと父を睨みつけながらマークス殿下は大きな声で説教を開始します。
父は――静かに怒りを溜めていました――。
◆
「わっはっはっはっは」
「な、何がおかしい!? 笑って誤魔化すなど、この僕には通用しないぞ!」
突然、声を上げて笑い出す父。
その顔は余裕を含んでおり、マークス殿下に苛つきは覚えているけれど怒りをぶつける程ではないと思っている感じです。
殿下には父が笑っている内に謝って帰って欲しいのですが……。
「いや、なに。我が家ほど王家に忠義を尽くしている家はないと自負していたものですから。殿下の口から反逆心なる言葉を聞きますと、ご冗談にしか受け取れなかったのです。バーミリオン家は間違いなく国家の発展に最も尽力しました」
「国家の発展に尽力しただとぉ? 自惚れるな! 金儲けばかりで、私腹を肥やし……あまつさえ、国民たちを贅沢に溺れさせて堕落させた公爵如きがこの国の発展を語るなぁ! この国がここまで強大に発展したのは我らハウルトリア王家が為政者として優れていた結果だ!」
父がハウルトリア王家に忠義を尽くして、国を大きく発展させることに貢献したことを主張すると、マークス殿下は全否定します。
父がしたことは私腹を肥やしたことくらいで、王国の発展は全て王家の努力によるものだと断じました。
皇太子であるマークス殿下はこの国の近年の発展についてどんな勉強をしていたのでしょう……。
「ほう……、為政者が優れていた結果ですか」
「そうだ! 父上と先代国王はエジルタ山でのダム建設やジード半島から伸びるデルプ大橋の建設。さらにアーミントン王立大学や世界中の書物を集めた王立図書館などの教育面の施設まで作った。建設だけじゃない、農地改革、軍事開発、そして何よりも……海を超えた大陸の国々との外交にも力を入れておる」
「…………」
「ハウルトリア王家は国を良くするために知恵を絞って国民の生活レベルを上げることに従事したのだ。その辺の私利私欲のために動く国王とはまるで違う。お前のように自分のことしか考えぬ下衆とは人間としてのレベルが違うんだよ!」
マークス殿下の言われたようにハウルトリア王家が国家の繁栄のために私欲を捨てて従事した――という話は事実です。
先代国王も、今の国王陛下も、民衆が困っているという話を聞けばそれを放ってはおけない人間性に優れた方々でした。
更にそのために尽力しようとする行動力も持ち合わせており、自国だけでなく他国の評価からしても紛れもなく名君だと言われております。
しかしながら、マークス殿下は大切なことを忘れていました。
それは――
「ダムの建設はよーく覚えております。ワシも若かったですから、先代の熱い気持ちに心を打たれて500億ほど寄付しました。しかしながら、先代はそれでは足りないと仰った。なので、ワシもどうにか捻出して、融資という形で更に1000億ほどお貸ししたのです。さすがに一時期、家が傾きましたなぁ」
「はぁ? 急に何を言っている?」
「その5年後に建設されたデルプ大橋とレエルトンネルに合わせて1000億ゼルド。王立大学や図書館は200億ゼルドくらいで済みましたが、その翌年は農地改革に500億ほど融資しました。外交の為の船や新たな港の建設。航路を守るためにお金を融資するだけでなく護衛船を幾つか提供しましたし、納税以外でも毎年国民たちの不満を解消するために予算では賄えない分を補っていたのです」
そうです。父は先代の時代から困りごとがあると、言われるがままに王家に融資し続けていました。
あまりにも国王陛下が行動力がありすぎて寄付ではなく融資と言ったほうが気軽にお金を引き出せるので、無心を続けていたのです。
ですから、この国の発展はバーミリオン家の財力に直結してると言っても過言ではありません。
「あはははは、なんだ、なんだ。何を言い出すかと思えばドヤ顔で金を出したことを言っておるのか? 金だけ出して高みの見物しかして来なかったくせに偉そうな口を利くな! この身の程知らずが!」
「はぁ……、仕方ありませんなぁ」
話せば分かる……。
父もそう思っていたのでしょう。
しかし、その顔はどうやら諦めたみたいですね……。
父の目つきが鋭くなったのを見て、私はそれを感じ取りました――。
◆
「殿下、金を出すだけと仰せになりましたが、金というのは魔法でポンと出るものではありません。バーミリオン家が財を成して、王家に融資したことを“金を出しただけ”と嘲るのでしたら、8000億ゼルド……返して頂けるのでしょうな?」
父は声を低くして、改めて8000億ゼルドの返還請求をしました。
マークス殿下があまりにもお金の価値を軽んじたからでしょう。
おそらく、父も最初は殿下が泣きを入れれば許すつもりだったのだと思います。自らの行いを悔いて詫びれば、若い殿下のしたことだと水に流した可能性は高いです。
しかし、今の父は違います。明らかにマークス殿下に敵意を持っていますから。
「はっ! 恩着せがましく、無理やり貸し付けた金をいきなり返せだと? 大体、本当に8000億ゼルド貸したのかどうかすら怪しいのに」
「借用書ならここにありますぞ。今年だけで、800億ゼルドの融資をしております」
「こ、これは父上しか持っていない我が王家の実印……。ええい! たかが、800億程度返すことなど容易い!」
いや、今年だけで800億ゼルドですからね。勝手に返済額を減らして言わないでください。
まぁ、800億ゼルド返すのですら大変でしょうけど。
「それでは、最初は取り敢えず800億ゼルドだけで良いですよ。殿下も精々倹約とやらに力を入れて、お金の大切さを噛み締めてみてください。自分の犯した行動に対する責任というものが如何に重いのかも、ね」
父は8000億ゼルドの内の一割……つまり800億ゼルドをまずは返還してみるようにと煽るような口調で言いました。
去年の戦争のせいで納税額が減少しての融資だったはずなので、無くなるとかなりの打撃だと思うのですが、マークス殿下はイエスと答えるのでしょうか。
「はっはっは! 倹約家として名を馳せる国王になる予定の僕だ。たったの800億程度の倹約なんて楽勝さ。取り敢えず、明日にでも耳を揃えて800億ゼルド返してやる。そして、バーミリオン家の融資など無くともやっていけるという所を見せてやろう。父上もそれを証明すればお前らを潰すことに同意してくれるだろうからな!」
上機嫌そうに笑いながらマークス殿下は得意の倹約で父の融資などそもそも無くても、やっていけるという事を陛下に証明してみせると意気込みました。
そして、それを口実に我が家を潰してやるとも。
父が、一気に8000億ゼルド請求しなかった狙いはまさか――。
「殿下、お忘れのようですが、残りの7200億ゼルドも順繰りと請求していきますからな。悪しからず……。まぁ、殿下の倹約への心意気に免じて3ヶ月ずつ猶予を与えて差し上げましょう。返済金は800億ずつで結構!」
「倹約の美徳も知らずに金、金、金、の価値観しか持たない愚か者よ。3ヶ月もあれば十分だ。好きにするがいい。僕はその程度では屈しない……!」
自信満々で帰って行ったマークス殿下。
間もなくして、新たな法律が皇太子の名のもとに制定されます。
かなり無茶な倹約と納税を義務付ける法律は国民たちを震撼させました。
“贅沢税”という項目の税金が増えて、マークス殿下が贅沢だと認識している行為に税金がかかるようになったのです。
その他にも、倹約の努力義務や罰則規定など今まででは考えられないことが法律として施行されました。
――しかし、その法律はどうやら、国民以上にマークス殿下自身を相当締め付ける結果になったみたいです。
そう、マークス殿下は今までに“本当の倹約”など一度もしたことがなかったのでした……。
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