目覚めし守護者
もしもし? そこのあなた? まだ本作のことを覚えていますか……(੭ ᐕ))?
八ヶ月ぶりの更新! お待たせしました!!
湖の中心、光が揺らめきながら収束していく。
まるで深い夢から醒めるように、その像は静かにその姿を現した。
水面に浮かぶ小さな祭壇の上に、「それ」は立っていた。人の形を模しながら、どこか人ではない。黒曜石のような質感の肌、無表情でありながら、どこか憂いを含んだ瞳。
アトランティアの心はざわざわ、深く揺れていた。
先ほどよりことさら強く、波紋のように広がる気配。目の前、石でできたその巨体は、まるで湖そのものが意思を持ち、具現化したかのようだった。けれど、アトランティアの目に映ったのは、ただの「守護者の目覚め」ではない。それはもっと深い、何か忘れられていた存在の嘆き、あるいは警告——そんな感情の残滓だった。
「……これが『目覚めし守護者』……?」
そう口に出した瞬間、ぽろっと零れ落ちた自分の言葉にさえ恐れを抱いた。人間は未知に恐怖を抱く。目の前の「あれ」は本当に伝承にあるような、湖の守護者なのか? それとも、時代の流れに伴い、何かが歪んでしまった後の残響か?
アトランティアの脳裏に、この場所に来る前に読んだ古文書の一節が蘇る。
——“彼の像は、静かなるとき眠り、怒りにより目覚める。目覚めし時、それは審判とならん”——
その「審判」は、いったい誰に下されるのか。どこから始まり、どこへ向かうのか。
「……審判、なの?」
誰に問うわけでもなく呟いたその言葉は、波に飲まれて消えた。
アトランティアは膝に手を置き、騒めきの止まらない呼吸を整える。先ほどからまるでナニカ目に見えない、大きな力に頭から押さえつけられているようだった。内なる魔力が脈打つように騒めき、肩越しに感じる湖面の力の奔流に身が強張る。
ふと隣に目をやると、ルーカスがそんな妹を困惑の表情で見つめていた。エマにいたっては構えのまま硬直している。
(なぜ私だけ)
こんな苦痛を味わっているんだ……?
(是せぬ……)
迫りくる未知。怒れる像なんかより妹、そしてお嬢様のほうが大事。
だが、そんな彼らの視線と違い、アトランティアの目だけは目前のもっと別のものを見つめていた。
像から感じ取る湖の底に沈んだ記憶が、自分の中の「何か」と重なる。まるで心臓の柔らかい部分に土足で踏み込まれる感じ。それが不快感として自分の脳を刺激し、押さえつける。深い深い底に沈んだ何かが今にも自分の中で芽吹きそうだった。
(この二人はひとまず置いといて…頭が痛い……)
——“精霊像は、封印の番人にあらず。怒りの体現なり”——
それは長年に渡り見る夢の中、この痛みをアトランティアは知っている。まるで共鳴だ。
目の前の存在は、自分たちの到来により眠りから覚めただけではない。少なくとも自分にとっては、自身の中にある何かをこじ開けられるかのような感覚だった。
まばらな呼吸を整え、アトランティアは立ち上がり、まるで吸い寄せられるよう、静かに足元の水を一歩踏む。
「ティアちゃん……? おい、ティア、待て。やめろ!」
「お嬢様……!」
兄の叫びも、メイドの制止の声も、彼女の耳には届かなかった。
はりつけにされたように動けない二人に対し、一歩、一歩、アトランティアは止まらない。
「聞こえていますか……精霊よ。あなたは、この湖の守護か、あるいは……」
頭がボーとする。
無意識に言いかけて、言葉が詰まる。そんな中、巨大な像の両眼が、言葉に反応し、かすかに光ったように見えた。琥珀色の輝きは、怒りでも憐れみでもない。ただの、覚醒。
——違う、これは意思を持っている。
(このままでは……『これ』は危険だ)
ピリピリと肌を刺す感覚しかり、本能的にそう思う。反射的にアトランティアの中で、敵対者に対する封印魔法の式が膨らみかける。
けれど、直観的にも理解していた。この存在に魔法は通じない。いや、少なくとも今の私の力で封じられるほど単純なものではない。
「……あなたは、何を望んで目覚めたの?」
だから、問いかけた。
水面が騒めく。像がわずかに首を傾げた。それが、アトランティアにだけ向けられた動きであることに気づき、彼女の心臓が跳ね上がった。
「ティア、危ない!!」
「え…??……きゃああ、」
背後から兄が叫んだ。次の瞬間、まるで彼女を選ぶように、足元に淡く光る水の糸が絡みつく。身体の奥へと何かを流し込んでくる。
魔力の感触に似ていた。だが、自分の知る【魔力】と違い、もっと根源的な何か。生きている自然の一部が、直接語りかけてくるような……。
(落ち着け、とにかく落ち着け……ここはエロ同人の世界じゃないのだから……)
だから、これはいわゆるアレな、触手ではない。はず……。
さらに強張る体。そんな中、自分に言い聞かせる。迫りくる水の糸に一瞬頭があられもない方向に飛んだが、軌道修正する。
「……見せて……くれるの?」
本音を言えば、見たいような、見たくないような。
だが、そんな心の動きにかまわず、触れた糸から意思が水に溶けて、直接頭に語り掛けてくる。
(くっ、こいつ! 直接頭に……!!)
「ティア!!」
兄の声が遠のく。またもや世界が反転するような眩暈の中で、アトランティアの視界に広がったのは例の『赤い表紙の本』……ではなく、そこに広がっていたのは遠い昔の湖だった。
水は澄み、空は青い。
水鳥の羽ばたき。
小舟が浮かび、きゃらきゃらと子供たちが笑う。まだ精霊像がそこに存在しなかった頃の、原初の世界。
『殺せ! 敵を殺せ! 大義は我らにあり!! 歯向かうものは皆殺しだああああ!!』
『この湖を我らのものにせよ!』
けれどすぐに、その穏やかだった風景が赤く染まる。
剣が振るわれ、火が放たれ、命が踏みにじられる。
炎。戦火。怒号。剣を掲げた者たちが、湖を渡ってくる。
湖の民は逃げ惑い、子らを抱きしめ、祈りながら倒れていった。
『お願い……誰か、私たちを……守って……』
その最後の祈りが、湖に刻まれた。
アトランティアの心に流れ込んできたのは、恐怖でも怒りでもなく——哀しみ。
自分たちが知る、記録に残る、精霊像は、守るために生まれたのではなかった。
この像は……。
「憎しみによって造られたのね……」
アトランティアは呟いた。
誰もが望むような、ありきたりな繁栄と平和。ここの像は、てっきり兄が言うように初代領主によって築かれたと思っていたが……本来は湖の民が虐げられ、命を奪われたとき、彼らの最後の祈りがこの像を生み出した。守護者ではなく、復讐者として。
それを忘れた人々は、像を「守護」と呼び、眠りについた像を信仰の対象とした。だが、その本質を知る者は誰もいなかった。
(どうして私なの? 像を建てたという初代領主と同じ血を引くから?)
いや、だとしたらエマはともかく、同じ血を引くルーカスに反応がないのは可笑しい。ならば、どうして……。
「あなたの怒りは、過去のもの。でも、まだ癒されていない……」
アトランティアの声が現実を引き戻す。
像は、静かに佇んでいた。
だが、変わっていた。表情が、わずかに——ほんのわずかに柔らかくなっていた。
「くそ、魔法が効かない! ティア!……大丈夫!?」
ルーカスが駆け寄ろうとするのを、彼女は片手を上げて制止した。
なぜかは分からないけれど、
「……私が…私が行かなくちゃ、この像を、もう一度眠らせないと……」
「無理だ! 試してみたが、魔法が通じない! だったらどうするっていうんだ。剣か? 剣を交えればいいのか!? なら、ここは俺に任せて、ティアは下がって……」
「兄さん、兄さんや、それこそ原初のフラグですから。だが、お断りします。どうするって……?」
話すのよ。
「心で、声で。魔法で訴えられないのなら、残るのはそれだけ! この存在が怒りを忘れられるように、決して私が兄さんみたいな脳筋なわけじゃないんだから……!」
言葉尻、アトランティアは凛々しい顔をして叫んだ。
「待って。待って? 当たり前のような顔をして、脳筋……って、俺の可愛い妹、ティアちゃんがひどい……」
だって、カチカチ、カチカチ。背後から、さりげなく聞こえてくる。一度収めた矛先のはずなのに、魔法が通じないと分かってから、先ほどから剣を柄から抜こうとする音がうるさい。
剣や血、赤。先ほどの記憶を見るに、それは地雷であるだろうに。キリッとした顔のまま、アトランティアのこめかみから、汗が一筋流れた。
そして、妹は兄の苦情も制止の声も無視し、湖の中心に進み出る。水の精霊が自分に見せた記憶を思い浮かべ、先手必勝、祈るように目を閉じた。
「あなたの眠りが、どうか穏やかでありますように!」
お休みください! お願いしまぁす!!
……だって、思うに。こういう時、大事なのは勢いだ。正しい祈りの形や儀式、呪文が分からない以上、瞬時に記憶をほじくり返し、見様見真似、勢いに任せるしかない。
しかし、ただそれだけのことでも、意外と効果覿面で……アトランティアが祈りの言葉とともに、両手を広げると、風が止み、湖面が静まる。
「おいおい、まじかよ。俺の妹、すごすぎない……?」
像が再び動く。
彼女はゆっくりと、腕を下ろし、再び目を閉じた。
『どうか、忘れないで……』
頭に響く声、頭の痛みはいつの間にか治まっていた。
像は波紋と共に、何も残さず、何も語らず、まるで何事もなかったかのように湖の底へ沈んでいく…。
…………??
「エ」
「え!?」
「あら……」
——すべてが終わったのだ。
思わず、アトランティア達の口からすっとんきょうな声が上がる。
あれだけこの地のラスボスかのように登場した割に、終わりは存外あっけない。バトルやら、なんやら、もっとこう……どこかやりきれないモヤモヤを抱えながらアトランティアは眉をしかめた。
ルーカスとエマが駆け寄ってくる。いつの間にか自分たちはまた湖のほとりに立っていた。
「……ティアちゃん、今の……一体何をしたの?」
兄の至極当然の問いに、妹は神妙な顔で口を開いた。
乙女の秘密だけど、あなたの妹、元日本産だから…。
「ただ、拝んだの。……そして、聞いたの。『あなたは本当に怒りたいの?』って」
「それだけ……?」
「うん。それだけ」
「え~」
妙な沈黙が広がる。
ルーカスの肩が落ち、エマの強張った顔が緩んだ。
アトランティアの言葉に、ふたりは言葉を失った。
何の因果なのか。過去の記憶、怒りの残響、忘れられた祈り。
それらすべてに触れたアトランティアだけが、湖の本当の声を聞いたのだった。
だから、彼らからすれば事は突如始まり、また訳も分からないまま収束したようなものだった。
(けれど——)
彼女の中には、もう一つの確信が芽生えていた。
湖の底。像が沈んでいった場所。
(これで終わりなら問屋が卸さない。絶対まだなんかある)
はず……。きらりと光る、たとえば「湖底に封じられた宝物」とか。
「守護者」と題するなら、守るべきもの、守っているもの、きっと何かお宝が眠っていても可笑しくない。
精霊像が沈むとき、確かに湖底に光がひと筋だけ残った。
この湖の物語は、まだ終わっていない。
『にんげんだ! 人間!!』
俺らの旅は……(੭ ᐕ))?
ここまで読んで下さりありがとうございました。
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