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独りぼっちラジオ  作者: 瀬木逢涼
7/12

第六歩目 悼むための痛み

今はただ、あの子がいない寂しさだけが圧し掛かる。

黄泉坂中学校にやってくるとき、誰もが一通りの説明を受ける。

一、この中学校には、現実世界で死の間際にいる中学生と教師がやってくる。

二、時間経過は、現実世界とは異なる。現実では一日の出来事でも、この中学校では一か月の時間であることは、よくある。時間の間隔には個人差がある。

三、転校通知をもって、この中学校からは退学となる。転校通知は、現世で生か死がはっきりと決まった時に配られるもので、逆らうことはできない。

四、海近くにある駅に、迎えの電車が来る。乗車することで、転校手続きが完了となる。

「彼らの中に、無念もあるでしょう。現実世界での無念を晴らすことは無理ですので、せめて、この中学校で、ちょっとでも救われながら旅立っていただきたい」

 校長先生は、赴任当日にした説明と一言一句違わない台詞を吐く。

 中根マドカは、現実世界においては、意識を失って一日が経過しないまま、亡くなったらしい。

 世見坂中学校での在籍日数は、ちょうど一か月間だった。

「一か月間、中学校生活を楽しんでくれたのでしょうか」

「笑顔で旅立っていったんでしょう? きっと、そうですよ」

 校長先生の横顔に、哀愁が漂う。

「先生、他の子も、よろしくお願いしますね。次こそは、生き返って欲しいものです」

 クラスの子たちも、僕たち教師も、現世では死の淵を彷徨っている。

「どのぐらいの確率で、死ぬのでしょう」

 聞きたくない情報なのに、不安のほうが勝って聞いてしまう。

「私の体感ではありますが、七割ですかね。三割は、命をつなぎ留めます」

 次の子は、三割に入ってくれたら良い。次の子だけではない。今、在籍している子たちも、生き返って欲しい。たとえ、現実が辛くて厳しいものだとしても、生きていれば、なんとかなるのだから。

「皆、生きていて、欲しいです」

「右田先生、貴方もね」

 口を開きかけて、しっかりと噤み、喉を絞る。

 校長先生だって、そうじゃないですか、と告げられなかった言葉を舌の上で転がす。

 近所トラブルで隣人に刺されたらしいですね。いっぽうてきな難癖で、犯人は自殺、奥さんは死んだとか。

「校長先生。子供は、生き返ったら、どんなに辛くとも、もしかしたら、万に一の確率で明るい未来が待っているかも、と思うんです。でも、大人は、どうなんでしょう」

 うつ病になった末に、酒を飲みすぎて気が動転して自殺をしてしまった僕は、生き返ったところで明るい未来が待っているとは思えない。

「この学校は、心を救うための、最後の砦です。在籍している間に、答が見つかるとよいですね」

 うーん、と校長先生は可愛らしい動作で首を傾ける。

「贅沢をいうならば、カウンセラーの先生は欲しいですねぇ。でも、なかなか、カウンセラーの先生が死にかけにならない、どうしたものか。あ、これ、現世で発言したら、不謹慎だと、怒られちゃいますかね」

 努めて明るく発言する校長先生を視界に入れた途端、僕は悲しくて、切なくて、やるせなくて、胃液を机にぶちまけた。




 放課後の廊下には、僕の足音しか響かない。

 多くの足音が後ろから付いてきた校外学習が、遠い昔のように感じる。一人分の足音に虚しさだけが、ふつふつと込み上げる。

 黄泉坂では、現世みたいな時間の間隔はない。

 気が付いたら朝だし、気が付いたら放課後になっている。

 家に帰って夕飯を食べるという概念もないのに、何となく食事をして風呂に入ったような嘘の記憶が頭に残っていたりする。

 次に意識が醒めた時は、きっと、朝になっているだろう。

「朝になったら、皆、ちゃんと登校するかな」

 中根の明るい挨拶は、もう聞けない朝がやってくる。

 いつかはと身構えていたはずなのに、いざ転校となるとひどく動揺する。

 吐いたばかりの胃液が、まだ舌の上に残っている。酸っぱさは現世とまったく変わらないから、死にかけている実感が湧かない。

「こういう繊細な問題は、生徒たちのほうが敏感なんだろな」

 薬とアルコール漬けで生きていた僕は、感覚が鈍ってしまっている。

 ぼんやりと歩いていたのに、足は教室へと向いた。

 中根を中心とした笑い声はなく、虚しく静まり返る。

 項垂れる僕の背中を、太陽の日差しが空気を読まずにじりじりと焦がした。

 クラスの扉が、薄らと開いていた。ただ、照明は漏れていない。

 閉め忘れかもしれないと、念のために教室を覗く。

「諸田さん……ここに、いたんですね」

 机にうつぶせになった諸田は、緩慢な動作で頭だけを上げる。手にはスマフォが握られていたが、特に使用している様子はない。

 諸田の瞼は真っ赤に腫れ、僕の姿を視界に入れるなり、顔をくしゃくしゃに歪めた。

「酷いよ先生、マドカちゃんを何で転校させたの」

「それは……いえ、すみません」

 言い訳が咄嗟に口から出かかったけれど、今の諸田には八つ当たりをする相手が必要だ。

 近寄って、頭を小さく下げる。

「先生、臭い。吐いた?」

 諸田は可愛らしい声で、僕が嘔吐した事実を言い当てた。右腕を鼻の高さに掲げてシャツを嗅いでみたけれど、僕の鼻は衣類の臭いしか感じ取れなかった。

「そうですね。そんなこと、わかるんですか?」

 諸田は顔を腕の中に埋め、机に縋りつくように伏せる。

「事故に遭ってから、臭いに敏感になった。今でも、事故に遭った時の自分の血の臭いは覚えているよ。ねえ、先生。現実の私は、顔が潰れてるのかな」

 諸田の顔半分には、事故の跡を記すような痣がある。

「どうでしょう。先生たちには、各個人の経歴しか届かないもので、今の状況はわからないんです」

 下手な情報を与えてしまった、と僕は自分の不甲斐なさに腹だった。眉を寄せ、内心で自分自身に馬鹿野郎、と毒づく。

 諸田は真っ赤に膨れた瞼を、こちらに向けていた。

 僕を非難する視線ではなく、ただ、目標物を視界に入れるだけの動作だ。

「私の不登校の理由も知ってるんだね。馬鹿みたいでしょ。ちょっと、『声が小さいでーす』と言われただけで尻込みしちゃった。怖かったの。初めての環境で緊張していたのに、怒られた感じがした。十和田君とか、ガチガチのいじめに遭ってたんだよね。なんか、あのぐらいで不登校になった自分が、情けないの」

 現実世界だったらセクハラになっているかもしれないけれど、僕は諸田の後頭部を遠慮がちに撫でた。諸田は嫌がる様子もなく、僕を漫然と見つめる。

「人それぞれの、感じ方があります。精神が強いほうがお得ではありますけれど、だからといって、諸田さんが情けないわけでは、ありません」

「マドカちゃんは、強かったね。ずっと、気丈に振る舞ってた」

 諸田は大人しい色を宿した瞳にまた涙の膜を張り、顔をうつ伏せて泣いた。声にならない嗚咽を繰り返す諸田を眺めていると、また、胃液が競り上がってくるようだ。

 これから僕は、何人の生徒をあの世に見送ることになるのだろう。校長先生の話だと、十人の生徒がいたら、七人はあの世へ送られる。中根のために泣いている諸田だって、いつ、転校通知が発行されるか、わからない。

「諸田さんも、ここに来て、随分と強くなりました。前の学校では、木島君や長谷川さんみたいなタイプは、無理だったでしょう」

 励まそうとしても、ポイントが随分とずれているように感じる。とはいえ、口を突いて出てしまったものは、しょうがない。

 諸田の傍に、しゃがみこむ。

 腕の中に顔を埋めてしまっているため、表情は覗き込めないけれど、声は近くなっているはずだ。

「皆、良い子だよ。不器用なだけ。どこかで覚悟はしていたけれど、マドカちゃんがいなくなって、寂しい。もう、皆で賑わう日は、来ないよね。マドカちゃんが、ずっと空気を保ってくれていたんだもの」

 中根は、無意識だろうが、皆のパイプ役を果たしてくれていた。僕たち大人が察知しているぐらいだから、当の本人たちはとっくに気づいていただろう。

「中根さんは、中根さんの幸せを追求した結果、パイプ役を担ってくれました。でも、諸田さんが背負う必要はありません。君たちは、この学校では、好きに生きてください」

「好きにって、どうやって?」

 甘えた風ではなく、諸田は純粋な質問として言葉を走らせる。

 僕はもう一度だけ、諸田の髪を撫でる。諸田は怒りもしないし、振り払いもしない。

 ただ、答だけを求めて、僕を真っ直ぐに射抜く。

「こればっかりは、答がないので、先生は口を噤みます。とはいえ、他の生徒たちも心配なので、迎えに行こうかな。居場所、わかりますか?」

 努めて明るく、問いかけた。

「アコちゃんと十和田君はわかんない。木島君は、柔剣道場だよ。教室にいなかったら、だいたい、そこにいる」

 諸田に感謝を述べて、僕は教室を後にする。

 扉を閉めるなり、微かに諸田ではない声が教室から漏れた。

 校外学習で録音した、ラジオだ。

 しきりに僕を呼ぶ生徒たちと、適当に相槌をする僕の会話が、諸田しかいないはずの教室を満たしている。

 唇を、強めに噛んだ。ぐっと堪えていると、鼻から抜ける空気に胃液の酸っぱい臭いが混じる。

 二日酔いみたいな気怠くて気持ち悪くてどうしようもない身体を叱咤しながら、柔剣道場へとふらつく足を向けた。

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