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独りぼっちラジオ  作者: 瀬木逢涼
6/12

第五歩目 別れは寂しく、真実は残酷

そこに救いはあるのだろうか。

 明日なんて来なければ良いと、ずっと願っていた。

 うつ病になる前からも、布団で目を覚ますたびに絶望に浸っていた。

 午前の授業を受ける余裕も与えられず、中根は転校先へと向かうための電車に乗ることになった。

 見送りのために、駅のホームに集合する。視界の端には校外学習で賑わった海が、ゆらゆらと能天気に穏やかな波を揺らしている。

 あんなに綺麗な思い出として残っている海が、今日だけは憎い。

「あと五分で電車が来るみたい。皆に何を言おうかな、てずっと考えていたんだけれど、いざ、話すとなると難しいよね」

 中根はいつもよりは静かな口調で、微笑みを浮かべる。

 青白い顔はどこかスッキリとしていて、本人だけが、この処遇に納得をしているようだった。

「行くなよ! 話したいことがあるんだったら、まだ、後悔があるんだよ。ここに、いろよ! まだここにいたい、て言えば、どうにかなるかもしれねぇだろ!」

 木島が、でかい図体で腹の底から声を絞り出す。鍛え上げられた腕を伸ばし、中根の肩を掴んだ木島は、中根を真正面から見据えてぐっと唇を食いしばる。

 目にはいっぱいの涙が溜まり、「頼むよ」と呟いた声は、涙で掠れる。

「そうだよ、行っちゃ駄目だよ! まだ、頑張ろう。皆で、まだまだ、いたいでしょ、あんただって。こんなの、理不尽だよっ」

 長谷川が中根の細い身体を横抱きにして、肩に顔を埋めた。髪をばっちりセットする時間も気力も無かったのか、だらりと下がった髪の毛が悲しそうに潮風に揺られる。

「中根さんがいないと、寂しいよ。行かないでよ、中根さん!」

 十和田が木島の後ろから、鼻水を流して叫ぶ。

「マドカちゃん。お願いだから、抵抗をして。ずっと、一緒にいようよ。ラジオだって、まだ、ちゃんと始まってないんだよ。マドカちゃんがいないと、成り立たないよ」

 諸田が長谷川とは反対方向の肩に、縋りつく。

「もー、皆、赤ちゃんみたいだよ! 泣かない! 笑顔! ほら、元気を出して!」

 見送られる側の中根が、明るく振る舞って皆を慰めている。

 視界の端から、海の上を走るように電車が徐々に近づいて来る。ガタンゴトン、と旧式の音を鳴らした電車に、中根を引き留める皆の肩が怯えたように固まる。

 僕も、目の当たりにしたのは、初めてだった。

 この電車を、校外学習で使うなんて阿呆なことを、よく言えたものだ。長谷川は大きく拒絶したのも、頷ける。

 海を見渡せる爽快な景色が、電車の到着と共に赤と橙色に変化していく。

 ジリジリジリジリ、と急かすようなベルがホームに轟いた。

「皆、引き留めてくれて、ありがとう。でも、私は、行くよ」

 中根は木島たちの手を振り切り、口を開けた電車へと軽やかに飛び乗った。中根のセーラー服のスカートが、ふわりと舞う。

「中根さん」

 僕は伸ばしかけた手を、そっと、引っ込める。

 引っ込めた指先が微細に震え、拳の中で強めに握り込んだ。

「ずっと、病院生活だったの。だから、いつか、学校に行きたいと思ってた。学校で素敵な友達を作る。男女とか、不良とか優等生とか関係なく、皆で机を囲んでわいわい騒ぐ。たまに様子見に来た先生に、ちょっと反抗したりして。そんな、日常を夢見てた」

「中根、行くなよ」「行かないでよ、ちょっと、何、語ってんのよ」「中根さん!」「マドカちゃん、お願いだから、行かないで!」

 皆が手を伸ばそうとするけれど、中根は首を左右に振った。

 それだけでは伝わらないと思ったのか、両手でバツを作る。

「このクラスで過ごせて、幸せだったよ。もうちょっとだけ、時間があるかな」

 中根は息をゆっくりと吸って、吐く。

 これが、涙を堪える仕草なんだと、僕は遅れて気づく。

「まず、木島君! 頼れるお兄さんみたいな人だと思う。だからね、もうちょっとだけ、言葉を優しくしたら良いよ。私ね、木島君の不器用なところ、好き」

「ああ、気を付ける。手遅れかもしれねぇけど」

 木島は、肩をぐっと強張らせた。

「次にアコちゃん! いつも心配してくれて、ありがとう。アコちゃんも、すごく不器用だよね。自分から傷つきに行っているみたいで、心配。もっと、自分の幸せを探して」

「言われなくても、やるわよ」

 長谷川はそっけなく答えながらも、真剣に何度も首を縦に振る。

「それから、十和田君! 大変な思いをしたよね、すごく、傷ついたよね。いつも怯えていたよね。他の人を傷つけなかったのは、本当に偉いよ。明るい人生であるように、祈ってる」

「うん、うん、ありがとう」

 十和田はわかりやすく、泣きじゃくった。

「カナコちゃん! 可愛い声の子と友達になるのも、夢だったの。ありがとう。絶対にラジオパーソナリティになって! そのためには、前の学校の奴ら、見返してやろう。頑張れ!」

「うん、約束する。絶対に、ラジオパーソナリティになって、マドカちゃんにも届ける!」

 諸田が可愛い声を張り上げてから、喉を引き攣らせ、両手で顔を覆う。

 ホームのベルが、けたたましく鳴った。

 もうすぐ、中根はこの地を去る。

「右田先生」

 これが最後のメッセージになると思ったのか、中根の声は震えていた。笑顔で、涙を見せないように気丈に立つ中根に、僕のほうが、涙がこみ上げてしまう。

 中根が頑張って泣かないようにしているのに、僕が泣いては駄目だ。

 喉をぐっと絞って「なんでしょうか」と笑顔を向ける。

「私、先生が、大好き!」

 扉が容赦なく、閉じられた。

 ガラス越しに立つ中根は、笑顔を浮かべたまま、両手を可愛らしく胸の前で小さく振る。

 無情にも発進をした電車の中に佇んだ中根は、最後まで笑顔だった。




 中根を見送ってからは授業になる雰囲気を作れず、解散が最善の選択肢だった。

 校長先生からも、義務教育の義務は果たす必要はないと言質を取っている。今更、生徒が各々の時間を取ったとしても、文句は言われないだろう。

 重い脚を引きずるように、職員室に戻った。

 薬が効いていない日のように、頭が酷く重い。

 喉から吐き気が競り上がり、自分の机に戻るなり、嗚咽を繰り返す。

 胃液が混じった唾液が机に広がり、酸っぱい臭いがした。この臭いがさらに具合を悪化させ、さらに粘性の液を吐く。

 ティッシュで乱暴に拭き取り、丸めてゴミ箱へと捨てた。

「行ってしまいましたね」

 校長先生が、当たり前のように僕の隣の席に座っている。

 大福みたいな顔は、悲しみの色に曇っていた。

「どれだけ、こんな別れを繰り返さないといけないのでしょう」

 僕の質問は、ある意味、愚問だ。

 何故なら、ここは世見坂中学校。

 これは、子供たちに配慮をして、漢字を変えているだけだ。

 本当の名前は、黄泉坂中学校。

 現実世界で死の淵をさまよっている学生や先生たちが、在籍する中学校だ。

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