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独りぼっちラジオ  作者: 瀬木逢涼
5/12

第四歩目 さようならの足音

いつかは、去らねばならぬ

 校外学習は、全員がびしょ濡れのまま終了を迎えた。学習というより、単純に遊んだだけだが、満足感はどんな勉学にも勝る。

 足音をバラバラに響かせながら、学校へ通じる道を歩く。

 女子はスカートを絞って水を追い出し、男子は上着を脱ぐ。僕は濡れたシャツが肌にぴったりくっつく感触に不快感を抱きながらも、心はとても軽かった。

「せんせー、せんせー、聞いてますか。応答してくださーい」

 女子三人がスマフォのラジオを通して僕を呼ぶ。至近距離だから生の声も聞こえているわけだが、僕はスマフォのアプリを起動させて、ラジオを通した生徒たちの声を聞く。

「はいはーい、聞いています。というか、これ、通話になりませんか? ラジオのリスナーが応答したら駄目でしょう」

 これだと、むしろ、トランシーバーだ。

 僕が突っ込んだら、女の子たちはケラケラと顔を寄せ合って可愛らしく笑う。

 普通の学校だったら、絶対に仲良くならないタイプの三人が純粋な笑顔を浮かべる光景が、美しくて愛おしい。

 箸が転んでもおかしい年頃の子たちの笑い声に唇を緩めつつ、僕はちょっと前のめりの姿勢で大股歩きをする。

「もしもし。帰ったら、また勉強をするのか?」

 木島まで、便乗をしてラジオで聞いてくる。背後から聞こえる生の声と、電子をとおしたちょっとだけ懐かしいようなノイズ混じりが、僕の鼓膜を幸せに震わせる。

「うーん、一応は、しなきゃですかね。でも、その前に、服を着替えなきゃです。あと、シャワーも浴びたいですね」

 海水で濡れた肌は、薄っすらと白い粉で覆われていた。

 試しに舐めると、生臭い塩味だった。

「ラジオだけどさ、放送室から、流しちゃ駄目なの?」

 意外にも長谷川もラジオについては、ノリノリだ。

 新しいおもちゃを見つけたぐらいの感覚で、すぐに飽きるかもしれないが。

「い、嫌だよ、放送室に閉じ込められたこと、あ、あるし」

 いじめられてきた十和田は、至る箇所にトラウマを持っている。一人で頑張って戦ってきたんだな、偉いな、と投げかけたいけれど、その言葉だけで十和田を救えるのかはわからない。

 例えば、僕だって、過去を褒めて貰ったとしても、「頑張りましたよ、誰も助けてくれなかったですけれど」と卑屈に返事をしてしまう。

 十和田は僕と似ている部分もあるから、僕みたいに心のシャッターを下ろしてしまうかもしれない。

「今度、閉じ込められたら、俺が扉をぶち破って助けてやるよ」

 自分の力強さを信じて疑わない、木島の強い声だった。

 少しだけ間が、空いた。

 バラバラとした足音が止まったため、僕は水滴を髪の毛から滴らせながら振り返る。

「やりそー! 馬鹿力だもん」「頼もしいね!」「べ、弁償するときは、僕も、お金を出す、よ」「壊せるんだ、凄い」

 長谷川が腹を抱えてゲラゲラと笑い、中根は手を叩いて喜び、十和田は目線を逸らしながらも頬を染め、諸田は素直に感心している。

 おや、とまた新たな一面を見れてしまった。

 木島はいじめっ子体質で十和田に突っかかっていると思っていたが、極端に不器用なだけで、十和田を気に掛けているようだ。

 十和田本人が木島を怖がっている以上は、優しさを享受できないのだろうが、いつかは噛み合ったら良い。

「さー、皆さん、学校に到着したら、ジャージに着替えましょうね」

「「はーい」」

 それぞれのトーンや笑顔の種類はあるにしても、一人残さず、返事をした。

 この光景を、僕はもっと早くに経験できていれば、今頃どこにいたのだろう。

 今日は、酷く涙もろくなってしまっているようだ。鼻を啜っても、海水みたいにサラサラとした鼻水は止まらず唇を濡らす。

 遠くから、電車が走る音が届く。

 いやに今日は電車の数が多いものだと、涙に濡れた瞳を遠くの海に投げた。




 些細ないざこざはあるが、とても平和な一週間が経過した。

 休み時間を知らせるチャイムが鳴るなり、中根と諸田の机を突き合わせ、他の生徒も椅子を持ち寄って集まる。

「ラジオって、ちゃんと聞いたことがないんだけど」

「さ、最初は、フリートークとか、あったり、する、よ。お手紙紹介、とか」

「へぇ。じゃあ、俺が手紙を出してやろうか?」

「木島君の手紙、気になる! 私も負けないように、出しちゃおうかな」

「じゃあ、最初は……フリートーク、と」

 賑わう生徒たちの円の周りを、ぐるぐると周回して様子を探る。

 ぎこちないながらも十和田も諸田も、口を開くようになった。長谷川や木島も言葉は荒っぽいものの、虐めるわけでも突っかかるわけでもなく、純粋にクラスメイトとして話せるようになっている。

 何より、と僕は中根の後頭部を眺める。

「凄い! 本格的だ。文化祭とか、あるのかな。あったら、うちのクラスの出し物はラジオで決まりだよね。カナコちゃんがラジオパーソナリティでしょ。ゲストになりたい人、手、挙げて! はい、私が一番!」

 両手を思いっきり挙げた中根のおかげで、五人しかいないクラスが賑やかで、明るくなる。

 枯れ木みたいな身体も、青白い顔色も改善しないのに、中根の底なしの明るさは眩い。

 クラスのキーパーソンは、明らかに中根だ。

 中根のクラスでの役割はとてつもなく大きく、僕も申し訳ないほどに助けられている。

「あ、もー、先生! 見ちゃ駄目、恥ずかしいからっ」

 僕は中根の明るさに感心をして覗いていたのだけれど、何か勘違いをされたようだ。

 中根は諸田が書いている途中の紙を両手で隠して、頬を膨らませる。

「恥ずかしい内容をラジオにするんですか? ちゃんと、青少年らしい健全なものにしてくださいよ」

「何を想定してんのよ、エロ教師」

 ほぼ下着が見えそうな短いスカートのくせに、長谷川は脚をガサツに組む。下着が絶妙に晒されないというのは、どんな技術なのだろう。

 僕は降参のポーズで両手を挙げて、苦笑を浮かべる。

「ぐうの音も出ません。じゃあ、先生は、邪魔をしないように退散しましょう」

 教室の扉を閉めても、和気あいあいとした話し声は尽きない。

 次の授業のチャイムが遅れたらいいのに、なんて考えながら廊下を歩く。

 今日も、窓から差し込む太陽は燦燦と輝いている。白い雲は清潔で、優雅に飛ぶ鳥たちは平和の象徴かのようだ。

「うん、今日も良い事がありそうですね」

 ただ、僕の予感は当たった試しがない。

 特に、「今日は良い日」だと自然に口から零れた日ほど、何かが起こる。

 耳の奥で、近くに存在するはずのない電車の音が、ガタンゴトン、と重苦しく響いた。




 職員室の自分の椅子に腰かけるなり、校長先生が当然のように僕の隣の空いた席に座る。

 椅子が校長先生のふくよかな身体の全部を受け止めることができず、肉がはみ出ている。

「素晴らしいですね、纏まっちゃいましたねぇ」

 数少ない他の先生は出払っている。校長先生は、二人しかいない職員室を満たすかのように、殊更に大きな拍手を僕に送る。

 満面の笑みで拍手を送ってもらうなど、人生で初めてかもしれない。

「恐縮です。何が纏まったか、よくわかりませんが」

 後頭部に手を添えて、ペコペコと頭を下げた。

「今まで、中根さんの明るさで纏まりつつはあったクラスなんです。でも、諸田さんのラジオが、最後のピースだったんですねぇ。皆が個人個人で楽しめればよいと思っていましたが、いやいや、教室から賑やかな声が聞こえると嬉しいものです」

 校長先生の称賛は、クラスの雰囲気が改善された件についてだったらしい。

 納得をして、何度も首を縦に振る。

「そうですね。ラジオの話が出てから、毎日、皆で集まって楽しんでいます。あの内気な諸田や十和田も、喋るようになりました。赴任した当初は、問題児の集まりだと身構えましたけれどね。生徒が自発的に纏まってくれて、良かったです」

 個性が強すぎる生徒たちが、綺麗に纏まってくれた。

 諸田のラジオのおかげだと、内心ではいつも拝むように手を合わせている。

 あとは学力が向上すれば――は、望みすぎか。

「最後のピースを嵌めたのは、まぎれもなく、貴方ですよ。右田先生。貴方たちが、この学校に来てくれて、本当に良かった」

 校長先生の優しい眼差しは、社交辞令ではない。

 僕の様子を気にして、クラスを見に来てくれているとは、知っていた。

「僕は、きっかけを与えただけで。いえ、でも、はい、ありがとうございます」

 混ざり気のない賞賛は気恥ずかしくも心地よく、僕は自分の頬が熱くなっていると自覚した。熱くなる頬を冷ますため、両手で軽く仰ぎながらわかりやすく照れる。

 校長先生はうんうん、と僕に同調するかのように頭を縦に振っていた。

 少しだけ間を置いて、校長先生が別の種類の笑みを浮かべる。

 どんな感情が含まれているかわからないのに、僕の背筋は嫌な予感に自然に伸びた。

 校長先生は、想いを堪えることができないのか、眉を大きく垂らし、口角を下げる。

「中根さんの、転校が決まりました。あのクラスから中根さんの元気な声が失われるとなると寂しいですが、致し方ない。この通知を見る度、心が痛みます。でも、どうにもならないんです」

 いつの間に持っていたのか、校長先生は一枚の紙を僕の机に置いた。

 真っ白な紙は、戦争映画に登場する赤紙に見えた。

 いや、ショック過ぎて、僕の目の前が白どころか真っ赤に染まったのかもしれない。

 紙に触れる指が震えて、なかなか掴めない。

 白い紙に書かれた文字は、冷たいほどに簡素だ。

 中根マドカの転校日は、明日だった。

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