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独りぼっちラジオ  作者: 瀬木逢涼
2/12

第一歩目 新任と二年生

たった5人のクラス。されど個性豊かなクラス。そして、自由な校風。

転入生の紹介は、担任の僕としても緊張をする。クラスに馴染めなかったら僕の責任だと、感じてしまうからだ。多感な時期の子たちは、受け入れる側も心に大きな壁がある。どうやって前向きに溶け込めさせるのか、僕の手腕に掛かっているといっても過言ではない。

 いや、過言かもしれない。

 思春期の子たちの繊細な心の変化は、腐れ教師の僕が頑張ったところで、どうなる問題でもない。

「あー、緊張をします。校長先生、僕、心臓が張り裂けそうです」

 廊下を歩きながら、弱音が滔々と漏れる。

「恋でもしているかのような、トキメキを抱いているんですねぇ」

 僕の前を歩く校長先生は、手を後ろで組みながら能天気な反応をする。

 恋だったら、どんなにいい事か。

 だいたい、中学校教師なんてブラック企業も裸足で逃げ出すスケジュールで生活をしないといけない。恋に胸が高鳴る気力なんて、とうに失せてしまっている。

「校長先生、僕も、転入生も、初日なんですよ! せめて、アドバイスをください!」

 能天気な校長先生に、管理職としてちょっと危機意識を持ってもらいたかった。

 勢いを付けすぎたかもしれないけれど、大袈裟な手振りで助言を求める。

「そういえば、そうでしたね。いやいや、助かりましたよ。前の先生が急に故郷に戻ってしまったものだから。今のご時世、教師は不人気な職業ですからねぇ。後任が、見つからないんです。右田(みぎた)先生が赴任してくれて、助かりました。感謝です」

 校長先生が振り返り、小柄だけれどふくよかな身体を折って礼をした。

「あ、どうもどうも、ご丁寧に。いやいやいや、そうではなくて!」

 後頭部を掻きながら礼は受けたものの、論点はそこではない、と首を左右に振る。

「まあまあ、あまり、力を入れずにリラックスしてください。この中学校は、長閑ですよ。ただ、地元の中学校でうまくいかなかった子たちが来る中学校でもあるので、苦労はあるかもしれません。まあ、根は良い子たちです。戦うことではなく、身を引くことを選んだ子たちですからね。教師の胸倉を掴むタイプはたぶん、いません」

 校長先生は胸倉を掴むジェスチャーなのか、人の好い笑みを浮かべながら拳を作る。

 ふくふくとした握り拳を見るだけで、僕の胸は動悸する。背中に寒いものが駆け上がり、眼鏡越しの校長先生が霞んで見えた。

「は、はは。それだったら、良かったです。僕みたいな、うつ病患者も、勤まるかもですね」

 教師のうつ病率なんて記事が、たまに出る。

 それだけ教師の仕事は激務だし、酷くて、惨い。

 なんとか心を壊さずに教師生活を全うする人もいるけれど、僕は見事にうつ病を患って一年間の休職を余儀なくされた。

 いや、今は全うする前に辞めてしまう人がとても多い。だから、学校は義務教育のはずなのに、常に人手不足だ。

 先生のやる気が足りないとか、教職は聖域で常識がないとか、わけのわからない感情論に振り回され、一人また一人と病んでいく。

 頭がパニック直前まで白く霞み始めたため、僕は胸を微かに起伏させて意識を整える。

 校長先生は、握りこぶしが僕の動揺を呼んでいると気づいたのか、すぐに手を下ろす。

「人の痛みがわかる先生に来ていただけて、嬉しいですよ。この学校のことは、説明しましたよね? 子供たちも、あなたのように傷を負って、来ている。寄り添ってあげてください。転入生にしても、今いる子たちにしても。それだけで、十分ですし、貴方しかできません」

 ()見坂(みさか)中学校校長は、慈愛の籠った笑顔で僕に笑いかける。

 不思議なのだが、校長先生の笑顔は包み込むようで、僕のパニックに陥りかけた感情を平常へと導いてくれる。

「できますかね」

 絞り出した言葉には、笑顔だけで反応はなかった。

 太陽が廊下へと降り注ぎ、埃に反射でもしているのか、キラキラと瞬いている。僕なんかより、埃のほうが輝きを帯びているなんて、滑稽だ。

 こんなに悲観的で、一度は教師として失敗した僕が、どこまで教師ができるだろう。

 眼鏡の底に眠る目がじんわりと涙の膜で覆われる前に、僕は小さく「頑張りますけど」と付け足した。




 僕が配属されたのは、二年生だった。

 三年生は受験が待っているし、一年生は小学生ムードが抜け切れていない。学校的にはデリケートではない年齢だから、うつ病患者に任せても良いのだろう――なんてマイナス思考を働かせながら教室の扉をスライドさせる。

 僕が入室をすると、生徒が立ち上がった。訓練された軍隊みたいにシャキッと立った子もいれば、面倒そうに緩慢な動作で立つ子もいる。一番最後に立ったのは、枯れ木のように細い身体をした女の子で、立つだけの動作も大変そうだ。なのに、女の子の眼は、誰よりも爛々に輝いている。

「はい、おはようございます。今日から、このクラスを担任することになりました、右田ユウトです。よろしくお願いします」

「「よろしくお願いします」」

 四人しかいないクラスは、それぞれのペースで頭を下げた。僕も頭をぺこぺこと下げ、クラスの子たちも追って下げるから、なんだかお見合いにでも招かれたようだ。

 一通りの礼が終わり、やっぱりちぐはぐなタイミングで着席をする。

「ははは、皆、礼儀正しいですね。先生は嬉しいです。人数も少ないので、既に名前は憶えています。あとは、皆さんがどんな人なのか、教えてくれたら嬉しいです。本当だったら先生のことも知ってもらいたいのですが、その前に、転入生を先に紹介します」

 僕が喋る間にも、クラスの子たちは静かに聞いていた。目線こそ合わしたりしないものの、確かに校長先生が言ったとおり、机を蹴り上げたり、ペンを飛ばしてきたり、暴言を吐いてきたり、拳を振り上げたりするタイプはいないようだ。

 教室の外に、人影を確認する。校長先生が転入生を連れて来てくれたらしい。

 扉のほうへと視線を投げ、「諸田(もろた)さん、入ってください」と投げかける。

 控え目に開いた扉から、セーラー服の女の子が現れる。紅色のリボンが特徴的な黒いセーラー服を纏った諸田カナコは、遠慮するような歩幅で僕の傍に立つ。

「では、諸田さん。自己紹介を、しましょうか」

「あ、えっと、はい―――です」

「うん、もう一回、自己紹介しましょうか」

 声が小さすぎて、隣にいるはずの僕ですら聞き取れなかった。

「もろたかなこ、です」

 ようやく僕が聞き取れる声だったから、クラスの子たちには届いていないかもしれない。

「はい、諸田カナコさんです!」

 声を張り上げて明るくフォローを入れるものの、皆の反応が気になり、恐る恐る、クラスの子を見渡した。

 不貞腐れたように頬杖を着く男子が一人、背中を丸めて挙動不審に左右を見渡す男子が一人、興味なさそうに装飾がゴテゴテの爪を弄るギャルみたいな女子が一人。

「カナコちゃん、よろしくね。私は、中根(なかね)マドカ。カナコちゃん、可愛い声だね」

 意外にも、明るく話しかけたのは枯れ木のように細い、中根マドカだった。

 青白い顔に満面の笑顔を浮かべて、控えめに両手を振る。

「あ、ありがとう」

 諸田は気恥ずかしそうに、頭を簡単に下げる。

「ちゃんと喋ったら、良いのに。ま、良いけど」

 出た、問題児だ、と僕のセンサーがびびびと警鐘を鳴らす。

 爪に派手なデコレーションを携え、中学生なのに化粧がばっちりで、髪も綺麗に巻いている。それでよく前の学校で授業を受けられたな、と突っ込んでやりたいところだけれど、窘めて身なりを整えさせるような勇気は僕にはない。

 諸田はすぐに身を縮こまらせて、もごもごと何かを喋っていた。たぶん、謝罪でもしたのだろう。

 校長先生からもらった諸田のプロフィールを脳裏で捲り、超がつく引っ込み思案の性格なのだと思い出した。

 人数は少ないし、確かに教師の胸倉を掴むタイプの子たちではないだろうが、かなり前途多難なようだ。眉間に皺が寄りそうだったため、なんとか堪えて笑顔を保つ。

「はいはいはい! じゃあ、諸田さんも加わったことだから、自己紹介をしますよ! 諸田さんの席は、中根さんの横です」

 仕切り直しとばかりに、両手を叩く。

「確認の意味で、僕から紹介をいたしましょう。それじゃあ、前列からです」

 前列の、僕から見て右手側に座る男子を指さす。

 小柄で、ダサい眼鏡を掛けていて、挙動不審が特徴だ。

十和田(とわだ)シュウ」「は、はい」

 元の学校ではいじめに遭って、不登校気味になっていた子だ。僕が受け持っていたクラスでも、スクールカーストはあった。十和田は見ただけで、スクールカーストが底辺だと、納得がいく。

 隣の席には、柔道少年にふさわしく、大柄な男子が相撲の親方のようにふてぶてしく座っている。

木島(きじま)リュウタロウ」「ういっす」

 元の学校でいじめをしたと言われている子だが、校長先生の話では「大柄で、言葉も荒いから、いじめたと勘違いをされたのでは」という話だった。真実はわからないが、ふてぶてしいことだけは間違いがなさそうだ。

 前列の最後は先ほど、諸田に文句をぶつけたギャルだ。

長谷川(はせがわ)アコ」「あ~い」

 僕を教師とは微塵も認識していない、舐め腐った返事が飛ぶ。

 家庭環境に問題があり、本人の気質も加わり、常に問題の渦中にいたらしい。特に男性関係が派手で、犯罪だろ、という人たちと関係を持っていたとか持っていなかったとか。木島以上に、要注意かもしれない。

 次に、二列目に入る。

 十和田と木島の間に机を置いており、枯れ木のような少女が座っている。

「中根マドカ」「はい!」

 生まれつき身体が弱く、前の学校では、あまり学校に行けていないらしい。この学校で医療的なサポートは難しいにしても、少しでも学校を楽しんでくれたら良いと思う。

 中根は病気というハンデを持っている点では要注意ではあるのだが、性格面では心配がなさそうだ。むしろ、このクラスの唯一の安心な人物でもある。

 最後に、中根の隣の転入生に視線を移す。十和田と二人を組み合わせたら地震でも起きるのではないか、と疑うレベルで挙動不審だ。

 十和田が小動物的に震えているいっぽうで、この少女は他人の顔色を伺いながら小刻みに身体を震わせている。

「諸田カナコ」「……」

 元の中学校では、上手くいかなくて、ほぼ不登校だったらしい。加えて、事故の後遺症なのか、頭の皮膚がちょっとだけ変色している。中根のように医療的なサポートが必要というよりは、不登校や事故のトラウマをケアしてあげる必要があるかもしれない。

 校長先生の人の良い笑顔を脳裏に浮かべて、歯軋りをしたくなった。

 良い子たちだからといって手が掛からない子たち、というわけではない。

 プロフィールを改めて確認をしたら、困難な子たちばかりが寄せ集められている。おまけに、困難のベクトルが違うものだから、アプローチ方法は個別にせねばならず、かなり厄介だ。

 一人で勤まるのか不安すぎて、心臓がまた寒くなる。

「はい、では、僕の自己紹介をしましょうか。といっても、好きな食べ物ぐらいしか言うことはないんですよねぇ」

 おちゃらけて発言をしても、中根だけがニコニコするぐらいで、無反応だ。

 さっそく心が折れそうになったため、職員室に戻ったら薬を服用しようと、決めた。




 中学校と言ったら普通は教科ごとに先生がいるはずだが、この学校では万年、教師が足りない。

 一人の先生が小学校の先生みたいに、色んな教科を教えなければならない。苦痛な国語の時間を切り抜け、ようやく他の先生が入ってくれたから、気怠い身体をひきずって職員室に戻った。

 戻ってすぐに抽斗を壊すぐらいの強さで引いて、錠剤を口に放り込む。一錠だけというのは不安だけれど、二錠飲んだら眠たくなるか、余計なハイテンションになる可能性もあるため、控えるしかない。

「初出勤はどうでしょうか」

 薬を服用できただけでも、安心感がある。

 水で流し込んでホッと息を吐いていると、校長先生が人の好い笑顔で近づいて来た。

「気になる子しか、いない感じです。諸田と十和田は大人しすぎるし、長谷川と木島は粗暴、中根は性格とかは問題ないですが体調が悪い。どう纏めたらいいやら」

 通常はクラスの中間点を探して纏めたらいいものだが、あらゆる方面で極端すぎる。どうもできない、と諦め気味に苦笑を漏らしてもう一口、水を含む。

「纏める必要はありませんよ。この学校は、個人を輝かせたら、それで良いんです」

 校長先生が僕の隣の椅子に腰を掛け、笑顔を向けた。

 人の好い笑顔は変わらないが、どこか、寂しそうな色を含んでいる。

「といいますと?」

「この学校は、前の学校で、上手くいかなかった子たちがほとんどです。なので、無理に一括りにしようとしても、逃げ出してしまいます。この学校が、あの子たちにとって最後の砦ですからね。とにかく、中学校生活を楽しんでもらう。先生がすべきことは、それだけです」

 それはつまり、纏めることにはならないのだろうか。

 校長先生が伝えたい内容がわからない自分の矮小な脳みそが情けないと思いながら、頭を悩ませる。薬がじんわりと効いて来たため、眉間を指で揉みながら「あー、つまり」と鈍い声を発した。

「個人の好きなことをさせれば、良いのでしょうか。といっても、長谷川と木島の好きにさせたら、とんでもないことになりますけど」

「あ、そうだ。言い忘れていましたが、一応、時間割は組んでいますが、無視しても構いませんよ。どうせ、みんな、学力に天と地ぐらいの差があるので、勉強を必死でさせても意味ないですからね。校外学習とか、お好きにしてください」

「校長先生、それは、義務教育として成り立つんですか」

 数学は何時間、国語は何時間、と一応、政府によって決められた時数があるはずだ。校長先生が知らないはずがなく、目をひん剥いて問いかける。

「成り立たないですねぇ」

 校長先生はクリームパンみたいな手を軽快に鳴らし、椅子に仰け反りながら豪快に笑った。

 駄目だこの学校、と呆れるいっぽうで、ここまで自由だったら、生徒は問題ありにしてもやっていけるかもしれない、と安心をした自分を恥じた。

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