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独りぼっちラジオ  作者: 瀬木逢涼
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プロローグ 赤い思い出

 祖父の家は、人間よりも動物のほうが多く住んでいるような集落にあった。小学校の頃は、夏休みを利用してよく帰省をしていた。蝉取りやスイカ割り、庭に設置した小型の組み立て式プールは瑞々しい思い出として、私の記憶に残っている。

 縁側で両足をぶらぶらとさせ、スイカを齧りながら庭の風景を見ていた。塩を一つまみだけかけたしょっぱさが、スイカの甘味でまろやかに変わる。じゅく、と舌に広がる甘味を感じながら、私の目線は常に祖父へと注がれていた。

 腰を丸めてトマトを収穫する祖父の腰ぐらいから、キーン、と爽快な音が響いた。

 次に、ワッと歓声が轟く。

 ハンディラジオは、山ぐらいしかない田舎にも、甲子園の熱狂を届けてくれる。

 テレビよりも不鮮明なノイズが、じりじりと私の耳を擽るのだけれど、このノイズがたまらなく好きだ。シャク、と音を立ててスイカを頬張る。

『強烈なヒット! 外野、走る、走る! 球は大きく伸びていくぞ、取れるか、入るか、入ったー! 念願の甲子園、1点目が刻まれました。大きくガッツポーズ、こちらにまで歓喜の咆哮が聞こえるようです』

 実況の興奮した声に、私の胸もワクワクと高鳴った。

「おい、カナコ。トマト、食うか?」

 祖父は収穫したばかりのトマトを作業着に擦り付けながら、私を呼ぶ。

「スイカ、まだ食べ終わってないから、いい」

「ずっと、こっちを見ていたから、てっきり食いたいのかと思った」

 いつ買ったかわからないボロボロな帽子を脱ぎ、祖父は頭皮に滲んだ汗を町内会の活動で貰ったタオルで拭う。

 祖父が腰にぶら下げているハンディラジオからは、吹奏楽の軽快な音楽と、ピッチャーやバッターの様子を知らせる実況が流れる。

「違うし。ラジオを聞いてたの」

「なんだ、野球が好きなのか。プロ野球のほうが、面白いだろ」

「そうじゃなくて、ラジオが好き。私、中学生になったら、放送部に入ろうかなぁ」

 スイカに塩を振りかけて、口に含む。種の周りがガザガザして舌触りが悪い。

「カナコは声が可愛いからな、ええと思うぞ」

「本気で言ってる?」

「おう。あとは、新しい環境に馴染めたらええな」

 祖父は、社交辞令とか知らない人間だ。素直な反応が嬉しいのに恥ずかしくて、つい、疑うような質問をしてしまった。

「あーあ、何で、引っ越しをしなきゃ、ならないんだろう」

 縁側でぶら下げていた脚を、バタ足のように大きく上下に揺らす。

 父親の仕事の都合で、中学校は都会へ行くことが決まっていた。父親は念願の本社勤めで、やりたい仕事に抜擢されたから嬉しいばかりだ。

 けれど、私は環境が思いっきり変わるから不安で仕方ない。

 これ以上の不満を祖父にぶつけないように、スイカを大きく一口頬張った。

「仕事なんだ、しょうがねぇ。で、トマトは食わんのか?」

「昼ご飯に食べる。というか、その右手のほうは、腐ってるじゃん」

 祖父の左手には立派な光沢を放つトマトが握られていたが、右手のトマトは蕩けているように皮に皺が寄っている。

「熟れすぎているだけだって。舌触りが悪いから、カナコには食わせられねぇな」

 腐っていると指摘すると、祖父は笑いながら庭に投げ捨てた。

「カラスにプレゼントだ。お、追加点は無しか。よしよし」

 ハンディラジオから、攻守交替の実況が流れる。

『ここで、攻守が入れ替わりました。地方大会では完封勝利を収めましたが、やはり甲子園の壁は高いといったところでしょうか。しかし、目は諦めていません。去年、先輩たちが涙を吞んで敗退した甲子園。この場に、先輩の思いを抱いて、戻ってきました。立ち止まるわけにはいかない。さあ、次は攻撃の番です。一番バッター、ここで甲子園の夢を繋げられるか、どうか』

 歯切れよく語る実況が心地よくて、膝に肘を着き、掌に顎を乗せて聞き入る。

「喋りが、素敵すぎ。ラジオっていいなぁ。よし、確定! 放送部に入ろう。ラジオじゃないけれど、喋ることは共通してるし。よーし、早く、中学生になりたいなぁ」

 不安はあるけれど、来年の中学校生活への期待があるのも確かだった。




 今思えば、胸を膨らませた小学六年生の夏までは、楽しかった。

 蕩けて庭に無残に捨てられた真っ赤なトマトが、私の記憶に鮮明に残っている。




 一年後、私は中学校生活に失敗していた。

 仰向けに倒れた視界の先の空は、泣きたくなるぐらいに真っ青で爽快だ。

 私の周囲はいやに騒がしく、自分だけが呆然と道路に寝転がっている。

 祖父が放り捨てた熟れたトマトの光景が、ふと脳裏に蘇る。

 これが、世に言う走馬灯という奴か、と謎の感動すら覚えた。

 トラックにぶつかった私の顔も、きっとあの時のトマトのように潰れているのだろう。

「ああ、ラジオ、したかったな」

 私の呟きは誰の耳にも入らなかったに違いないし、そもそも、トラックにぶつかった顔面が機能するかも怪しい。

 もはや、人の騒がしさや救急者のサイレンにも、興味を持てなくなった。

 失せ行く意識の底で、考える。

 どこで、間違ったのだろう。

ただ、誰かに、私の声を、聴いて欲しかっただけなのに。

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