CODE86 「役割語」ってなんだっけ?
無人ビルの一角。
ところどころに非常灯などの小さな照明が点灯するだけの、薄暗い倉庫のような部屋。
後ろ手に拘束されている美女と、その口をふさぐ相棒。
俺はいったい何を見せられてんの??
「おおお折賀。この人――」
「やっぱりお前も服を破いた方がいいと思うか」
おにぃさまッ!?
「マニアはストッキングの破き方にもこだわるらしいな。こっちのアングルからタブレットで撮影始めてくれ。ちゃんと見えるようにな」
見えるって何を!?
わかったこれ副音声だ。俺はきっと新能力が開花して、異次元チャンネルを受信できるように――
「ンンッ! ンーッ!」
女性が涙ながらに抗議。俺の幻聴じゃなかったっぽい。
細い腰を揺らし、その分スカートがめくれてストッキングに包まれた細い脚があらわになる。この絵面、どっから見てもヤバい。
「お前は上からと下から、どっち先がいい」
「えーと……すみません何の話?」
「服を裂く順番」
「知るかー!! ってかこの人誰? なんでこんな安っぽい映画かAVみたいな状況になってんの?」
「誰かは知らんが、俺に殺意を見せた」
「あ、じゃあ仕方ないな」
「ンンーッ!」
折賀の「悪い笑顔」を見ているうちに、さすがの俺にもこれがなんかのロープレなんだと察しはついた。相変わらず『色』が黒すぎて本心見えんけど。
普段は表に出さないが、一流のスパイ教育を受けた折賀は演技くらい軽くこなす。
一度に複数役こなせることも、「ケーキ屋強盗ゲーム」で実証済み。
今、やつはなんかの理由で「ゲスい動画を撮影しようとしてるゲスい男」を演じている。
この場合、俺が演じるべきは――
「これじゃ顔半分隠れちゃうじゃん? この布取って声あげさせた方がよくない?」
うわあゲスいこと言っちゃった!
美弥ちゃんお願い誤解しないでーッ!
「それはお勧めしない」
「なんで?」
「声を聞くとがっかりする」
どうがっかりすんだ?
好奇心、もとい親切心で、折賀が彼女の口に巻いてしまったショールを外してあげた。
暗い部屋でもわかるほどのつややかな唇があらわになる。
長くてボリュームあるまつげをふるわせて、きらめく黒い瞳が不安げに俺を見た。
その瞬間、俺、ロープレ劇場からあっけなく陥落。
「すっすすみませんっ! 今のは冗談――」
「あーーなたたちー!! このようなー、暴虐なはずかしめが許されるとー、本気で思ってらっしゃいますのー!? もうおよしになってー!! われらがイルハム様が、許しませんことよー!! ちょっ、何なさるのーっ!? ご無体なっ! ムグッ」
俺は思わず手にしたショールをその大口にツッコんだ。
確かに、盛大にがっかりだ。
◇ ◇ ◇
折賀によると、この人は「変な日本語を覚えちゃった中国人女性」らしい。
「今どっかで聞いた覚えのある単語が出てきたな。いるハム……いらんハム……あ、あのちっさいおっさん!」
名前覚えにくいから「ハム」で覚えたんだった。
「おいっ、この人ハムのおっさんの関係者フガッ!」
今度は俺が口にショールをツッコまれた。
「どう許さないのか、体で教えてもらおうか……それだけ元気なら、俺たち二人を楽しませるぐらい、わけないよなぁ?」
折賀、ゲスい役続行中。
その右手が、こっちをキッと睨む美女さんの胸元にかかる。
まさか、ほんとに破いちゃうの。
お兄さま、お願い、およしになって。
突然、ドンッ! と激しい音が響いた。
折賀が身をかがめ、すばやく回り込みながら窓へ近づいた。
窓の外に、何か小さな黒い影が揺れている。
その影が、だんだん大きくなったかと思うと――窓にドンッ! と激突し、跳ね返って姿を消した。と思えば、また影が近づいてくる。
「アイヤーーッ!」
三度目の正直!
窓が割れ、破片が散り、誰かが絶叫とともに飛び込んできた!
折賀がさっと避けると、そのままゴロゴロと床を転がり、ちょうど拘束中のお姉さんの目の前でローリングストップ。
「いたいアル! やっと割れたアル! いたいアルーッ!」
「翠鈴!」
「朱鈴! 無事アルかッ!?」
どうやら拘束お姉さんを助けにきたらしい、小柄な闖入者。
こっちも中国人らしいってことはわかった。よくわかった。けど。
こんな話し方する中国人、いねーよッ!
◇ ◇ ◇
闖入者はジーパンを履いた女の子だ。
どうやったのか知らんが、朱鈴と呼ばれたエセお嬢様の拘束をあっという間に解いてしまった。
そのまま、手を取って立ち上がらせる。小さな騎士って感じだな。
その騎士が、ものすごい形相で折賀を睨む。
「お前アルかー! 朱鈴をピーしてピーしようとしたゲス男はー!」
「どこで日本語を覚えたか知らんが、ピーって音は実際に話すものでは」
「黙れアルヨー!」
小さな体がしなり、折賀に向かって突進!
そのまま、小回りを利かせて何度も蹴りと拳を叩き込む!
幼い少女に見えて、かなりの使い手だ。折賀の敵ではないけど。
全攻撃を難なくかわす折賀。
俺と折賀の意識がアルアル少女へ向いたすきに、もうひとりがささっと動き、何かを拾い上げて俺の背後に立った。俺の背中に何かが押しつけられる。
「動くんじゃ、ございませんことよ……!」
背中の感触だと、たぶん拳銃か。
よくフィクションで銃口を相手に押しつける図を見るけど、あれは間違い。反撃がすぐに届く至近距離で、わざわざ武器の種類と位置を教えてくれているようなものだ。
ごめんなさい。
心でそうつぶやいてから、俺はすばやく体をひねり肘で拳銃をはたき落とした。
「はぅッ!」
落とした銃を、折賀がタイミングよくつかみ取る。
銃器類は折賀が持っても意味がない。なんせ、手ぶらで威力調整済みの「見えない銃」を撃てるのだから。役に立つとしたら、敵に対する視覚効果だけだ。
折賀に銃を奪われたのを見ると、アルアル少女は悔しさに顔をゆがめ、エセお嬢様の手を取って走り出した。窓の方へ。
「おい!」
折賀の前で、二つの可憐な影が窓から消えた! ここ七階!
折賀が、次いで俺が窓へ走る。
折賀の横から顔を出すと、ちょうど、地上を二つの影がこそこそふらふらと移動し、ビルの隙間に消えていくところだった。
「なんの策もなしに飛び降りたのか。いくらあの身のこなしでも……」
「折賀が能力で受け止めてくれるって、わかってたんじゃない?」
「二人をどうにかするのはギリギリだ。ったく、死ぬ気か」
折賀は腕時計型端末でアティースさんと話し始めた。
やっぱり、ここでの一連の行動はオリヅルと連携してたみたい。
折賀は床から重そうなバッグを拾い上げた。
このバッグ、昼間見たときよりヘナってるんだが。
「これを壁に叩きつけて、朱鈴を脅す道具にした。悪い」
「俺の受験資料ー!」
◇ ◇ ◇
その後、ジェスさんが一応追跡したけど、二人とも海面を滑りながら消えてしまったそうだ。
またハムが来て、ホバーボードで運んだのかな。
「あの二人はイルハムを信奉しているようだが、おとなしく指示に従っているわけではないらしいな」
帰りの電車内。二人で扉のそばに立ち、折賀から事情を聞く。
窓の外を過ぎ去っていく都心の光は、きれいだけどどこか物悲しく見える。
あ、「男二人で夜景を見ている状況」だから物悲しいのか。
「先にひとりで帰ろうとしたとき、海上を走っていくイルハムを見た。姿を追って海沿いをうろついてたら、あの朱鈴に銃を突きつけられた。距離に分がある銃をわざわざ至近距離で向けてくるあたり、素人としか言いようがないが――朱鈴と、さっき飛び込んできた翠鈴。それからもうひとり、紫鈴というのがいるらしい」
「そろそろ、俺の外国人名記憶容量をオーバーしそうなんですけど」
「だったら赤・緑・紫って覚えとけ。赤から聞き出した限りでは、紫が『A』に捕らわれて人質にされている。解放の条件は、俺の抹殺、ってとこだろうな」
「じゃあ、ハムがわざわざアコンカグアに現れたのは?」
「人目につかず、あの男が優位に立てる過酷な環境。その舞台をととのえるため、赤か緑が遭難者情報を拾ってベースキャンプに俺たちのことを吹き込んだ。またあいつらにどこかへ駆り出されるかもしれんし、今日みたいに突然現れるかもしれない。『A』の出方次第で、さらに手段を選ばなくなる可能性もある」
「早く何とかしないと、美弥ちゃんやチームのみんなも危険になっちまうな」
俺たちの行く手はまだまだ厳しい。悠長に受験勉強もさせてもらえない。
でも、今日は収穫があった。
あの、人のよさそうなおっさんに、交渉の余地が生まれたんだ。
要するに、紫を助け出せば、おっさんとエセ日本語姉妹はおとなしく立ち去ってくれるんじゃないかってこと。
がんばれ、俺! 美弥ちゃんとの明るい大学生活のために!
「それと、もうひとつ気になる情報がある。これは美弥には知らせないでくれ」
「なに?」
「彼女たちに日本語を教えたのは、折賀樹二かもしれない」
「え」
「そのような日本人に会っていた、と赤が証言した」
つまり、叔父さんとハム軍団と「A」が、なんらかの形で繋がっている可能性が――と、言いたいんだろうけど。
それ以上の、大きな疑問が。
叔父さん、なんで、よりによって「役割語」ッ!?