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コード・オリヅル~超常現象スパイ組織で楽しいバイト生活!  作者: 黒須友香
Ⅲ 「クラス・カソワリー」殲滅指令
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CODE80 きみの幸せの色を、もう一度


4月6日


 俺の前で土下座した父親に向かって、今度は俺が頭を下げた。

 それから一週間。


 毎日、慣れないアメリカの家での手伝いと、馬の世話に明け暮れている。

 母さんは何の疑問も持たずに、俺が知りたいと思うことをたくさん教えてくれた。


 家では、ところどころで母さんの祖国の証である日本の品を見ることができる。

 日本語の本とか、千代紙で折られた馬とか日本茶とか。

 かつてはよくやってきた、牧場手伝いの外国人たちに渡して喜ばれていたらしい。


 和食もわりとよく食卓に登場した。俺も一緒に肉じゃがや味噌汁を作ったり。

 折賀おりが家で美弥みやちゃんの手伝いをしていたのが役に立った。


 馬――ハレドの世話も、根気よく一から教えてもらった。

 牧草や塩の用意。厩舎きゅうしゃの掃除。全身のブラッシングや細かいお手入れの方法。それから、馬具を乗せて固定する方法。騎乗して、ゆっくりと常歩で運動する方法。


 毎日毎日、同じルーティンが繰り返される。

 一週間もすると、基本的なことはなんとかひとりでこなせるようになってきた。


 この一週間。

 母さんの俺への態度が、だんだんと、二歳児から上の年齢にシフトしてきたような気がする。

 そりゃ、さすがに二歳児にひとりで馬の世話なんてさせないよな。


「あんなこと」がなければ過ごせたはずの、家族との時間。

 毎日が忙しくて、やりがいがあって、あったかくて。

 この一週間に、何年分もの時間が凝縮されたように感じる。


 一週間。俺は何度、ハレドの名前を呼んだろう。


 何度もフラッシュバックしていた血の記憶は、ひづめが地を蹴る躍動に、長いまつげに縁どられた優しい黒い目に、少しずつ変わっていった。

 毎日クタクタだから、悪夢を見る暇もない。

 俺たちがあんなにも恐れ、苦悩し、憐れんだ名前が、今では口にするたびに澄んだ空気を俺の体内に送り込む。

 もう、この名は俺にとって忌まわしくも悲しくもない、誇るべき名前だ。


 一方、父親は。


 初めはめっちゃ渋い顔された。「こんなとこ何度も来ちゃいかん」とかなんとか。俺が病気のことを知っているのを、なんとなく察したのかもしれない。


 でも開き直って母さんの手伝いをするうちに、何も言わなくなった。

 そのうち、食事のときなんかに、日本での暮らしの話とか、昔の牧場の話なんかがぽつぽつ出てくるようになった。


 今日は父親が運転する車に乗って、三人で買い物に出かけた。

 スーパーの広大さも日本に比べると規格外だけど、それ以上に感動したのが、視界いっぱい、空と草と山しか見えない牧草地の風景。


 距離感おかしくなりそうな風景は遠くをぐるっと山に囲まれ、切れ間のない牧草地では茶色の牛たちが点々と散らばってのんびり草をんでいる。

 遠くの牛なんて、うずくまってると虫か何かに見える。

 この世界では、人の気配を探す方が難しい。


 もっと乗馬に慣れてきたら、ハレドでこの辺を走ってもいいと言われた。景色よくて最高に気持ちいいだろうな。


 山のいただきにまで雲が続く空は、彼が生まれたあの丘の国まで、途切れることなく繋がっている。


 ハレド。

 せめて魂の行き着く場所が、緑の美しい丘の先にありますように。



  ◇ ◇ ◇



 牧草地に沿って走る俺たちの車が、急に道の途中で停止した。なんで?


 フロントガラスの向こうに、二台の車が前方を向いて縦並びに停車している。

 一台目の中から現れた、すらりとした若い女性の姿を認めて、俺は思わず叫んだ。


「アティースさん!?」


 なんでここに。何かあった?

 あ、そういえばスマホ全然見てなかった。


 アティースさんに手招きされて、俺は車から降りて近づいた。


「アティースさん。早速任務ですか?」


「いや……ああ、任務だな。甲斐かい健亮けんすけにしか任せられない、難易度の高い任務だ」


 彼女の視線が自分たちの車へと向けられる。

 二台目の後部座席には、振り返ってこっちを見てる世衣せいさんがいる。


 それよりも前方に――俺は、信じられない『色』を見た。

 一台目の車から、その『色』がふわっと降りてきて、俺の疑念は一瞬で吹き飛んだ。


 なんで。どうしてここに。


 誰よりも懐かしく、誰よりも愛しい色。


 見間違えるはずがない。

 薄手のコートの裾を揺らして、こっちを振り返った潤んだ瞳。

 柔らかになびく髪を包み込む、淡いペールピンクの風。


 その風が、まっすぐに俺のところまで飛んできて。

 伸ばした手の先にまで、じんわりとした温もりを届けてくる。


「甲斐、さん……」


「美弥ちゃん……!」



  ◇ ◇ ◇



 今すぐにでも飛んでいきたいのに。

 その瞬間、何もかもが終わってしまいそうで、消えてしまいそうで動けない。


 美弥ちゃんの可愛い顔がくしゃっとゆがむ。

 わあ、どうしよう泣いちゃう!


 アティースさんが、美弥ちゃんの頭を撫でてから手を差し出した。

 美弥ちゃんの手がその手の上に乗る。そのまま、エスコートされてこっちに来る。


「甲斐健亮。我々『オリヅル』にとってもっとも重要な人物を、しばらく君に託す。二人でゆっくり話すといい」


「え、あっ、あのっ」


 アティースさんの手を離れて、俺の前に立つ彼女。


 そのまま、ふわりと身を躍らせて。甘い香りと温もりが、俺の体を包み込んだ。


 柔らかな髪が、鼻先をくすぐる。

 彼女は、俺の胸に顔をうずめ、背中に手を回して――小さく泣いていた。


「美弥ちゃん、美弥ちゃん……!」


 思わず強く抱きしめる。もう何も考えられない。


 小さく震える鼓動。もうほかに何もいらない。


 だからずっと会わなかった。連絡も取らなかった。

 声を聞けば、すべてを投げ出して飛んでってしまうことくらいわかってた。


「ごめん、なさい……ごめんなさい……!」


「なんで、謝るの」


 足元が揺らいだ。地震?

 よろけた美弥ちゃんの体を、再度しっかりと包み込む。


「美弥、落ち着け」


 懐かしい声が飛んだ。

 いつもの黒ジャージ姿の折賀が立っている。

 声、出るようになったんだ。


 いつの間にか、世衣さんも、エルさんも。

 森見もりみ先生に矢崎やさきさんに亀山かめやまのおっさん、さらにジェスさんまでいる。あとでおっさんが回してるカメラ取り上げないと。


けんちゃん、お友達がたくさんできてよかったね」


 母さんが爽やかな笑顔で微笑みかける。

 俺はゆっくり顔を上げて、「うん」と素直に答えることができたんだ。



  ◇ ◇ ◇



 母さんはアティースさんとにこやかに話をしたあと、


「先に帰ってるね。健ちゃん、あとでお友達みんな連れてきていいからね」


と言い残して、父親とともに帰っていった。


 俺は美弥ちゃんと、どこまでも続く牧草地を手をつないで歩いた。彼女が転ばないよう、ゆっくりと気づかいながら。


 何十メートルか離れて、チームメンバーが各所に散開している。

 ここでなら、仮に美弥ちゃんの能力が暴走しても、大きな被害を出さずになんとか対処できる。


「お兄とアティースさんに、たくさん話を聞いたの」


 彼女の真剣な口調で、俺たちが今まで隠し通してきた秘密をついに打ち明けたんだと知った。


「わたし、ずっと知らなかった。甲斐さんもお兄も、先輩にエルさんに先生まで……みんながわたしを守るためにいてくれたんだってこと、ずっと知らなかった」


「美弥ちゃんは悪くないよ。みんな、美弥ちゃんが大事だから喜んで守ってたんだ。ずっと本当のことを話せなくてごめんね。長い間、不安だったよね」


 やっと話せた。

「オリヅル」に加入してからずっと、いちばん大切なきみに隠し続けてきた、いちばん大きな秘密。


「わたし、二人がなかなか帰ってこないから、どうしても不安になっちゃって……片水崎かたみさきのアパート、少し壊しちゃったの」


「え」


「運よくみんな無事だったけど……片水崎小学校を壊したのもわたしだったんでしょ? わたし、とんでもないクラッシャーだよね」


「美弥ちゃんは悪くないよ!」


「ありがとう。甲斐さんならきっとそう言ってくれるって、お兄が」


 折賀。

 あいつ、たぶん日本から駆けつけた美弥ちゃんの顔を見て、一気に声を取り戻したんだろうな。


 美弥ちゃんに少しでも安心してもらえるように。

 そっと手をつないだまま、できるだけ落ち着いた声で話す。


「能力はね。訓練すれば、少しずつ制御できるようになると思うよ。俺も、最近になってやっと、視界をある程度セーブできるようになったし。折賀も、ずっと頑張ってたんだ」


「うん。お兄のアメリカ留学がそのためだったって、やっとわかった」


 人を死なせたことは……さすがに話してないだろうな。

 美弥ちゃんにそんな話、まだ聞かせたくない。


「甲斐さん」


 立ち止まって、草の上を渡る風をまとい、大きな瞳が問いかける。

 その瞳に映る俺は、少しは男らしい顔ができているだろうか。


「甲斐さんがいてくれれば、できる気がする。わたし、こんなに長く離れるまで、今までそばにいられてどんなに嬉しかったか、どんなに甲斐さんが必要か、やっとわかった。

 今、甲斐さんが自分の過去と向き合うために、大事な時間を過ごしてるってことも知ってる。でも、もしも甲斐さんの気持ちが一区切りついて、もしも、日本に帰ってきてくれるというのなら……」


 美弥ちゃん……


「また、そばにいさせてください。わたし、甲斐さんと一緒にいたいです。離れたく、ない……」


 うつむいて涙声になる美弥ちゃんを、もう一度優しく抱きしめた。


「俺だって離れたくない。もう、離れるなんてムリだよ」


「日本に、帰ってきてくれるの……? もう帰らないつもりなんじゃないかって、先輩とお兄が」


 あの二人ー!


「もう少しだけ待ってて。まだ柵の修理とか乗馬の練習とか、やりたいことが残ってるんだ。でも、必ずきみのところへ帰るから。美弥ちゃんは、もう学校でしょ? だから先に帰ってて。お父さんとお母さんのそばへ」


「本当に、帰ってきてくれる?」


「約束する」


 俺の胸元から顔を上げて、潤んだ瞳がまっすぐに見つめてくる。

 吸い込まれそうなその瞳は、俺にとって何よりも守りたい、大切なもの。


 今なら伝えられる。

 俺がずっとしまい込んでいた、伝えちゃいけないと思い続けていた、この気持ちを。


「あのとき、ケーキ屋の前で初めて出逢ったときから。ずっと、きみのそばにいるために生きてきた。俺がチームのみんなと頑張ってこれたのも、きみがいちばんの理由なんだ」


「わたし、あのとき甲斐さんに出逢えて、本当によかった」


「俺も……この能力できみを見つけられて、本当によかった。


 世界でいちばん、きみのことが大切です。

 心の底から、大好きです」


「わ、わたしも、大好きです……これからも、よろしく、お願い、しま……す……ぐすん」


「わ、美弥ちゃん」


 きっと今、俺はひどい顔をしているに違いない。

 こんなにも幸せな時間なんて、今まで知らなかった。


 美弥ちゃんがまた心つらくなったら。暴走しそうになったら。


 俺が止める。どこにいても駆けつけて、俺がきみのストッパーになる。


 その役目、これからは俺が引き受けてもいいよな? 折賀。


 だから、もう泣かないで。

 俺の大好きな、花が咲いたような全開の笑顔を見せてほしい。


 ハンカチを取り出して、目元をそっと拭いてあげてると、離れた場所からこそこそと世衣さんの声が聞こえてきた。


「甲斐くん、そこはちゅーくらいしないとっ!」


 みんなが見てるとわかってて、しかも撮影までされてんのにできるかぁーっ!!






 風に乗って、みんなの思いがここまで届くのを感じる。


 もう少しだけ、自分の時間を取り戻したら。

 また、日本での生活と「オリヅル」での任務が始まる。


 世界のどこにいても、俺の居場所はずっとそこにある。


 過去に失ったものと、新しく手に入れたもの、両方を抱きしめて。


 甲斐健亮。

 この大地で、新しい人生のスタートです。






Ⅲ 「クラス・カソワリー」殲滅指令


 <了>


→NEXT

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