CODE68 千の丘の先へ、草の色と空が溶け合う場所まで(3)
すべてのシーンが、まるで早送り映像のようにあっという間に過ぎていった。
折賀が、高く跳躍しながら岩の向こうへ手を伸ばす。
その手の先で、何者かが奥の岩に叩きつけられた。
岩を透過して見えるのは、どこまでも黒い『色』、そして――
同時に折賀が、何か衝撃を受けたらしく空中でバランスを崩す。
やつが受け身をとって地面を転がるより先に、俺は叫びながら駆け出した!
「みんな隠れろッ!」
駐在員さんが、ニコルさんたちを家の壁向こうへ走らせる。
その瞬間、喉に強い衝撃を感じて俺の体も宙を飛んだ。
ゴロゴロ転がってすぐに身を起こすが、クソ、キツい。息ができない!
折賀と同じく、喉に強烈な攻撃を受けた。
CIA製ネックガードで斬られずにすんだけど、衝撃がなくなるわけじゃなかった。折賀、シドニーでこんなの何回も受けたのかよ。
不完全呼吸のまま顔を上げると、折賀が立ち上がってある方向を睨んだ瞬間だった。
視線の先に、茶色のコートを着た黒人がいる。
視認さえできれば、折賀はハレドにも負けない――はずだった。
なのにその視線がハレドから外され、俺に向けられる。
「ガッ!!」
脇腹に衝撃を受けて、また吹っ飛んだ。
ゴロゴロと回転したあとで半身を起こすも、脇腹がズキズキ痛んで起き上がれない。まさか、内臓やられた!?
土埃が舞う空気を、乾いた連続音が一定のリズムで叩き始めた。銃声だ!
駐在員さんが、車からライフルを持ち出したらしい。
銃弾を避けるように家の隙間に走り込む、小さなモスグリーンの影。
折賀に俺を攻撃させたのはコーディだ!
折賀は喉を押さえながら、地に膝をつけた。
コーディに操られ、ハレドに首を攻撃されて。これはさすがにヤバい!
ハレドのコートが翻る。
その身が遮蔽物の隙間を移動して――
その先に、ひとりの人間がいる!
「――――!!」
◇ ◇ ◇
誰のものかわからない、言葉にならない叫び。
自分の見たものが信じられない。
初めて、目の前で、人間がハレドに首を斬られる瞬間を見た。
悲鳴をあげたのはニコルさんだ。
彼は鮮血に沈んだ奥さんのもとへ走り寄る。
折賀が飛び込んで、女の子を抱え上げた。
家の中へ押し込んだところで、またも首に衝撃を受けて倒れ込む。
ハレドは立っていた。黙って、ニコルさんの前に立っている。
ニコルさんは奥さんの体をかき抱いて、泣きながら何かを叫んでいる。
今度はニコルさんが斬られる!
クソッ、動け体!
するとハレドの顔が、不自然な動きで俺の方を見た。
生気のない目。何もかもを諦めたような顔。
その目は、まだニコルさんの方を追っているのに、無理やり意識を俺の方へ捻じ曲げられたように見える。
瞬時に理解した。
ハレド自身は、ニコルさんを標的ととらえている。
が、ニコルさんではなく、俺を標的にすることを強制されている。
誰に? そんな真似ができるのは、この場にはひとりしかいない。
背後に気配を感じる。何も話さない、小さなモスグリーンの影。
コーディ……!
「!」
突然、コーディからハレドへ放たれていた、催眠という名の糸が断ち切られた。
ハレドが再びニコルさんを見る。
コーディを見ると、今まで上がっていた左腕がだらりと垂れ下がっている。
折賀がコーディの左腕を攻撃したんだ! 催眠能力を封じるために。
ハレドが何か呟きながら、ニコルさんに手を伸ばす。
その光景を見ながら、俺は――感情の『色』とは違う、見たこともない『色』を、ハレドの首に見た。
首が光っている。冷たく、強い閃光を放っている。
俺は痛みも忘れ、ハレドのもとへ駆け寄った。
右拳を振り上げ、渾身のフックを叩き込む――やつの首に!
拳がヒットした瞬間。
コンマ一秒にも満たない刹那に、膨大な量の記憶が。感情が。波が、押し寄せてくる!
俺は思わず悲鳴をあげて、頭を押さえてうずくまった。
ハレドが大きく叫ぶ。
風が起こった。俺が叩いた、やつの喉元を中心に。
光の渦が、風を巻き起こして荒れ狂う!
コーディの体が宙に浮いた。簡単に吹き飛ばされそうになる体に、俺は無我夢中で手を伸ばした。
彼女の右腕が、俺の方へ伸ばされた――気がした。その腕をつかむ。
体を引き寄せ、飛ばされないように腕の中に抱え込む。
また、何かが見えた。二人の、人間の姿。コーディの思念……?
吹きすさぶ豪風をまといながら、ハレドがニコルさんへ近づく。風がハレドの能力そのもののように、ニコルさんへ届きそうになる。
間一髪、ハレドの体が二十メートルほど勢いよく吹き飛んだ。
折賀がまた倒れ込む。二人の能力が同時にぶつかり合った瞬間だった。
その隙に、コーディは俺の腕をすり抜けた。
吹き飛んだハレドのもとへ駆け寄り、砂煙が舞う。壁を曲がって、その姿が消える。
駐在員さんがライフルの銃口を向けるのを止めて、俺はふらつく足でコーディのあとを追った。
二人の色は、もうそこにはなかった。
そこに残されたのは、ひとつの死と、絶望の涙。
俺たちは、捕獲することも、倒すことも。
守ることすら、できなかった……。
◇ ◇ ◇
俺たちは駐在員さんに、一番近くの病院へと運ばれた。
正直、あの場を離れられことに少しほっとした。
自分が情けないけど、ニコルさんと女の子の顔を、あれ以上見ていられなかったんだ。
折賀は喉を傷め、俺は脇腹が大きく変色していた。幸い内臓は無事だった。
たぶん、黒鶴さんがサポートしてくれたんだろうけど……彼女はこの国へ来てからずっと、姿を見せていない。
俺たちが病院の世話になっている間。
駐在員さんの説明とジェスさんたちの調査、そしてフックの瞬間に俺が見た「思念映像」をもとに、あの二人――ニコルさんとハレドとの間に何があったのか、少しずつ浮かび上がってきた。
ニコルさんは、こう言って泣いていたそうだ。
悪かった。許してくれ。仕方がなかったんだ。
まだ子供だったハレドの腕を斬り落としたのは、他ならぬニコルさんだった。
彼は「他の町民にやられた」と語っていた。
嘘をついたわけではなく、本当にそう思い込んでいたんだ。
でないと精神を保てなかった。
急速に平和を取り戻していく国の姿に、精神がついていかなかったのかもしれない。
ハレドは虐殺の最中、自分の家族を斬殺した男に連れまわされ、延々と「首斬り」を見せつけられた。
「切断せずに首を斬る」のが、その男のこだわりだった。
その光景は幼かったハレドの中に浸透した。何度も、何度も。とどまることなく。
繰り返し流れ込む光景が、信号となって彼の脳に作用したのかもしれない。
彼自身の首に、能力の光が生まれた。
ニコルさんは、「指示に従わなければ自分や家族が殺される」という状況の中、ハレドの両腕に山刀を振り下ろした。
あまりに残酷な場面は、あの時期、国中に当たり前のように蔓延していた「ありふれたワンシーン」だった。
ハレドが生き永らえたのは、そのとき生まれた能力の光のおかげ、なんだろうか。
幸運にも赤十字社の職員に拾われた彼は、義手を得て、自身も赤十字社の救護活動に加わるようになった。
そのまま何もなければ、今もまだどこかの国で、誰かの命を救っていたのかもしれない。
でも、そうはならなかった。
彼は「アルサシオン」に捕獲され、殺人能力者として世界各地へ派遣されることになった。
――パーシャが、彼の存在を探知したからだ。