CODE67 千の丘の先へ、草の色と空が溶け合う場所まで(2)
飛行機を二回乗り継いで、遠い遠い空の旅。
今回は「捕獲」じゃなくて「調査」なので、俺と折賀の二人だけ。
初めてのアフリカ。かなり不安だけど、折賀と現地の案内がいればなんとかなるだろう。
現地案内は、CIAナイロビ駐在員が色々と手配してくれるらしい。
急いで出発したので、美弥ちゃんへの謝罪も、アティースさんからの追加情報受信も、ほぼ空港での待ち時間や飛行中の機内で行われた。
美弥ちゃん、ごめん……!
帰ったらもう一度やろうね、寿司パーティー。
首斬り人・ハレドの故郷はアフリカ中部に位置する小さな国、ルワンダ。
日本の四国の一・四倍ほどの面積に千二百万人以上が暮らす、人口密度の高い国。
近年急速に発展を続け、街並みはきれいに整備されていて、「アフリカのシンガポール」とも呼ばれているそうだ。
それよりも、「千の丘の国」という呼称の方が、俺は気に入った。
一面に広がる丘陵地帯。
そこではコーヒーや茶葉やナッツなどが栽培されていて、鮮やかな緑が視界いっぱいを埋め尽くしている。
ちょっと調べれば、青い空と緑の丘のコントラストがタブレット画面に次々に現れる。
――それ以上に画面に現れるのが、「大量虐殺」の文字。
ルワンダ。
かつてこの国を襲った、想像を絶するような悲劇。
一日一万人を超える殺人が、百日間に渡って行われた。
当時の大統領暗殺を皮切りに、二つの民族間の対立感情が爆発し、一方が一方を無惨に殺し続けた。
それまで隣人だった相手が。
農家に普通にあるような山刀や鍬を振るって。
女性・子供も例外なく。
民族が違う、ただそれだけの理由で。
子供は「子孫を残さない」ために殺された。
女性は殺害されるだけでなく、HIV感染者によるレイプの犠牲になった。
HIVさえも兵器扱い。いまだに、生まれてくる子供たちの体を蝕んでいるという。
まだ三十年も経っていない。
ネットでは、当時の凄惨な現場の写真も、現在も展示されているという本物のミイラ化した遺体の写真も、調べれば普通に見れてしまう。
その血に濡れた光景が、アティースさんから送られてきたブレーメンや北京の現場写真のイメージと重なっていく。
被害者は全員、ハレドという名の「首斬り人」によって首を横一文字に斬られ、喉を大量の血で赤く染めた状態で絶命。
切創の角度・長さ・深さは全員ほぼ同じ。
切断まではいかないものの、頚椎や総頸動脈は一撃で粉砕され、まず助からない。そういう「能力」だからだ。
研究施設で斬殺された、フォルカーを始めとする被害者たちの検死結果も届いた。
全員喉元をナイフのような物で横に裂かれたわけではなく、大型の刃物で叩きつけられたようだ、と。
この国の悲劇。殺害方法。
ハレド自身がすでに両腕を失っているという事実。
――なんとなく、ハレドの能力のルーツが見えたような気がする。
タブレットで色々と調べている俺の横で、今回ばかりは、折賀も爆睡はせずに一緒に画面を見ながら黙り込んでいた。
◇ ◇ ◇
「ジェノサイドについて知りたければ、『ムランビ虐殺記念館』へ行くといいよ。被害者数千人分の白骨やミイラが、ケースにも入れられずにそのまま置かれている。無惨な写真を何十枚見たって、あそこの空気、臭いにはかなわないだろうな」
キガリ国際空港で待っていたCIA駐在員が、そう教えてくれた。
この人はケニアのナイロビに住んでるけど、俺たちのために国境を二つまたいで駆けつけてくれたんだそうだ。
ちなみに「ムランビ虐殺記念館」ってのは、実際に虐殺が行われた場所で、四万五千人もの人が殺されたんだという……。頭が数字に追いつかない。
駐在員さんの運転で、キガリから車で四十分ほどの距離にある町へと向かう。
そこに、ハレドの故郷がある。
年齢的に、ハレドは虐殺を何らかの形で経験している。まだ子供だったはずだ。
あの時代、「両腕を斬り落とされた子供」は珍しくなかったかもしれないけど、「生き延びて義手をつけた人物」となると、そんなにいるわけじゃない。
出入国記録に医療記録、加えて人相手配などを掛け合わせて、ハレドの出身国から故郷の町、家まで特定できてしまった。
今さらながら、CIAの情報網、凄すぎる。
「千の丘」の異名に違わず、起伏にとんだ道を何度もアップダウンしながら進む。
延々と続く緑の地。遠くの丘の頂上に雲がかかり、稜線がぼやけているところまで見通すことができる。
赤道のほぼ真下にありながら、標高が高いので暑さはきつくない。少し寒いくらいだ。
だから俺と折賀は、相変わらずのジャージ姿。世界ジャージ紀行だな。
アフリカと言ったら、砂漠とかサバンナの風景、野生動物くらいしか想像したことなかった。あとは民族紛争に人種差別、銃を構えた少年兵。子供たちの貧困問題。
この国にも、首都を離れればまだまだ貧困にあえぐ地方があるらしい。
ハレドの故郷は、首都と貧困地帯の中間といったところ。
電化製品や車など、先進国に比べれば足りない物はまだまだある。でも、ちゃんと食べることはできているし、特に不便は感じない。
そう語ってくれたのは、実際に会ってみたハレドの親戚のひとり。
古ぼけた農家の庭先で、仕事に出ようとしているところを運よく捕まえられた。
妙な気分だった。
フォルカーを始め数多くの人間を殺害している危険な能力者の、故郷の親戚に会うなんて。
しかもこのおっちゃん、駐在員さんがルワンダ語で話しかけると、にこにこしながら変な色と臭いの飲み物を差し出してきた。
アルコールだから飲まないように、と駐在員さんに忠告されて、俺たちは笑顔でごまかしながら濁ったコップを庭のテーブルに置いた。
今まで黒人に会った回数なんて、数えるほどしかない。
首都では外国人もけっこう見かけたけど、こうして首都から離れてみると、周りはすべて黒人ばかり。当然か。
道路は舗装されてなくて、赤茶色の土そのまま。
鮮やかな布を体に巻いた女性たちが、頭の上と両手に大きな荷物を抱えて、器用に坂を歩いていく。普通のシャツなどの洋服を着た子供たちが、元気に歓声を上げながら走り去っていく。時折ガタガタと、不格好な音を立てながら車が通り過ぎていく。
ここにはアフリカの落ち着いた暮らしがある。
目の前にいる親戚だって、白い歯を見せながら、かつては殺戮の武器にもなった鍬をかついで農作業中だった。
広大な風景と、人のいい笑顔と。ほどよく暖かな太陽と、農作に適した芳醇な大地。
なんだろう、この平和感。
ついさっきまで画面を通して触れていた血の光景が、嘘みたいだ。
ハレド。本当に「ヒクイドリ」になったのか?
ここへ帰ってくれば、人間の温かさを思い出して能力が沈静化する、なんてことはないだろうか?
話しているうちに、親戚のおっちゃんの奥さんとか、小さな女の子とかがそばに寄ってきた。
親戚のおっちゃんことニコルさんによると、やっぱりハレドは子供の頃、他の町民にマチェーテで両腕をやられたが、奇跡的に虐殺の期間を生き延びた。
義手を得たのは虐殺・内戦が終息してからだ。
彼の家族は全員斬殺されたので、詳しい経緯はわからない、とのこと。
不思議だった。
彼らにとって、何よりも忌むべき記憶を、淡々と、ときには小さく笑顔さえ浮かべて話す。
怒り、悲しみ、憎しみ。そういった負の感情を、別のものに置き換えなきゃ生きてこられなかった。
彼らの『色』が、そう言っているような気がした。
ハレドが生き延びた理由、義手を得た経緯。そこまで調べる必要があるかもしれない。他の関係者を探して聞くべきだろうか。
折賀や駐在員さんと、相談を始めて間もなく。
突然、手首の端末が振動した。
『甲斐さん! 例の波形! 誰かがテレポートしてきまス!』
MAYAちゃん声のアラート!
とっさに折賀が「首のガードを下ろせ」と言う。
言われたとおり、首輪のロックを外して下に引き下ろす。
その手を首から離すより先に。
二十メートルほど離れた岩場の影に、覚えのある風が突如発生した。
その瞬間、折賀が大地を強く蹴って空高くジャンプ!
岩の向こうにいる敵を、その目で捕捉するために……!




