CODE56 最速の刺客・「首斬りヒクイドリ」出現!(5)
「わざわざ時間を作ってくれたのに、変な話を聞かせてしまって申し訳ないです」
病院内を並んで歩きながら、笠松さんが軽く頭を下げた。どこまでも律義で丁寧な人だ。
「あ、いえ、変というより面白い話でした」
「予言のようなものを聞いたから子どもを作っただなんて、まるでおとぎ話みたいですよね。おまけに甲斐くんを、うちの子にしたいとまで言い出すし」
おとぎ話。それを言ったら、美夏さんの能力も叔父さんの存在も、俺たちみんなを取り巻くすべてがおとぎ話みたいなもんだ。
「あの二人に、父親だって名乗らないんですか?」
横目で尋ねると、笠松さんの憂いを含んだ顔が俺の方に向けられた。
「まだ時期ではないと思っています。樹二が気づいていようといなかろうと、私の仕事は引き続き、彼の真意を探ることです。そのためには、まだしばらくは独り身でいなくてはならない。
それに……二人から母親を奪い、今まで何の力にもなれなかった私に、父親を名乗る資格があるとは思えません……」
「美夏さんを眠らせてたのは、ちゃんと理由があるじゃないですか。あの二人が、それで恨んだりなんてするはずが――」
あれ、と言葉が止まる。
こんなことを言ってる俺は、まだ自分の父親を許せてないんじゃなかったか?
やっぱり、俺には親子の問題はよくわからないし、口を挟める立場でもないんだと思う。
「また眠らせるんですか?」
「少し、時間をあけようと思います。樹二が言ってこない限りは。この病院でおとなしくしていれば問題はないでしょう。美弥と美仁に、少しくらい、母親との時間を過ごしてほしいんです」
「わかりました。笠松さんのことは、これまでどおり黙っときます」
「ありがとうございます。二人のそばにいるのがきみみたいな人で、本当によかった」
時期を見てまた来る、と言い残して、笠松さんは病院を後にした。
入り口付近で後ろ姿を見送った俺は、病室に戻るために振り返って、そこで世衣さんと目が合った。
◇ ◇ ◇
「甲斐くん。美弥ちゃんが、寂しがってる」
寂しがって……?
「お母さんが目を覚ましたのに?」
「さすがに、そろそろ気づき始めてるんじゃないかな。甲斐くんが、自分に大事なことを話してくれない、ってことに」
「…………」
マズい。確かに、こんなときに笠松さんと二人で外へ出るとか、病室で三人だけで話すとか、不自然な行動をしすぎた。
あの子には肝心なことを何ひとつ話せない。
そのことを不審がられたら、たぶん俺は上手に嘘をつくなんてできっこない。
折賀と約束した、「あの子の心を守る」という使命が簡単に崩れてしまう。
俺のことを、信じてもらえなくなる。
「……どうしよう……」
無意識にこぼれたつぶやきを、世衣さんは聞き逃さなかった。
「大事なことを、ちゃんと話せばいいんじゃない」
「でも、それは!」
「能力のことやチームのことを話せって言ってるんじゃないの。美弥ちゃんがいちばん聞きたいのは、甲斐くんの素直な気持ち、だと思うけど」
「素直な気持ち、って……」
「もういっそ告白しちゃいなよ!」
「えっ……ええぇーー!?」
告白ってアレだよな!? 俺が美弥ちゃんをどう思ってるか、ってことだよな!?
(ボクは、カイくんが好きなの!)
うわー! なんで今あいつが出てくんのー!
「うーん、今の甲斐くんの生態観察も面白いけど、なんでもいいからさっさと美弥ちゃんのとこ行っといで!」
「で、でもなんて言えば!」
「『大事なこと』を、ちゃんと話せばいいんだよ!」
文字通り背中をドンと押されて、俺は慌てて病室へ戻った。
あの子になんて言うべきか、何ひとつ解を持たないままで。
◇ ◇ ◇
「――甲斐さん」
病室でお母さんのそばに座る美弥ちゃんは、確かに少し不安の色が増しているように見えた。
大事に守っているつもりで、本当は、ずっと不安にさせていたのかもしれない。
突然昏睡を繰り返すようになった母親。小学校の校門前で途切れた記憶。ろくな説明もなく、一年以上も日本から姿を消した兄。
そして、死んだことになっている、顔も知らない父親。
そのうえ、俺まで信じられないなんてことになったら。
みんなで大事に囲んだところで、この子の心に孤独が生まれてしまう。
「あー、お母さん喉乾いちゃった。美弥ちゃん、悪いけど飲み物買ってきてくれない?」
数秒の沈黙を破ったのは、美夏さんの少しわざとらしいセリフ。
「飲み物だったら、そこの冷蔵庫に――」
「アロエの飲むヨーグルトある?」
下の売店じゃないと売ってなさそうな、ニッチな注文が来た。
「あ、俺も行くよ。服の乾燥終わったか見に行きたいし」
まだ少しぽけっとしてるようにも見えるけど、美夏さんは美夏さんなりに何かを察してくれたんだと思う。
「行こう、美弥ちゃん」
笑いかけると、彼女もつられて少し笑ってくれた。
◇ ◇ ◇
「美弥ちゃん。実は、まだ美弥ちゃんに話してない大事なことがあるんだ」
売店へ行く途中。人気の少ない通路の隅で、俺は足を止めてそう告げた。美弥ちゃんが、上目遣いでじっと俺の目をのぞき込む。
答えを求める、すがるような目。不安げな『色』が、俺たち二人にまとわりつく。
何て言えばいいんだろう。
世衣さんの言うように、告白したっていいんだ。俺が抱えてる秘密を知って、少しでもこの子の心が軽くなるのなら。
「俺、ずっと、きみの――」
ふいに、黒い光景が浮かんだ。
目の前を何千羽もの黒い鶴が飛び交う。壁にピシッとひびが入る。気がつくと、美弥ちゃんが床に倒れてて――
ダメだ。また同じことが起きる……!
「きみの……何?」
「きみの、作った黒い鶴に……精霊が宿っているのが、見えるんだ……」
言っちまった。確かにこれも、俺がずっと隠し続けてきた大事な秘密。
「精霊……?」
「きみが、折賀に渡した黒い鶴。折賀がよっぽど大事にしたから、付喪神みたいな霊が憑いたんだろうね。俺、色や思念だけじゃなくて、そういうのも見えるみたい」
「……」
「黙っててごめんね。研究室に、能力のことを極力人に漏らさないように言われてて。どこまで美弥ちゃんに話していいのか、ちょっとわからなかったんだ」
「精霊って、どんな?」
美弥ちゃんの目が、はっきりと輝きだした。声に、いつものようなはりが戻ってきた。
「黒い着物を着た女の子。外見年齢は、たぶん俺と同じくらい」
「えー、女の子! 可愛い?」
「う、うん、まあ……」
きみの方が可愛いけど、という言葉まではさすがに口から出てこない。
「ずっとうちにいるの?」
「いや、今は折賀と一緒にお出かけしてるよ。折賀が鶴を肌身離さず持ってるから」
「へえ……! じゃあ、お兄のこと守ってくれるのかな?」
「守ってくれるはずだよ。ちょっとクールなとこもあるけど、根は優しい子でね――」
それからしばらく、黒鶴さんの話に花が咲いた。
自分ちに霊がいるだなんて、美弥ちゃんは怖がるどころか興味津々みたいだ。
黒鶴さんの話は、まだ折賀にしか話していなかった。
研究室のみんなには内緒にして、とお願いすると、美弥ちゃんは機嫌よくうなずいてくれた。
ほんの一部だけど、ずっと抱えてきた秘密を美弥ちゃんと共有できた。
美弥ちゃんは見るからに喜んでくれたし、俺も嬉しい。
本当は、大切なきみに隠しごとなんてしたくないんだから。
ふと、美夏さんが昔聞いたという「予言」の内容を思い出した。
あの人のもとに、三人の子供が集う。
ひとりは遠き世界を見通し――これはひょっとして、俺のことかな。確かに、その気になればかなり遠くまで見えちゃうんだよね、『色』が。
ひとりは空の高みへ導き――これは折賀だろう。あいつに何度空飛ばされたかわかんねえ。
ひとりは人ならざるものに命を宿す。これはきっと、美弥ちゃんだ。
美弥ちゃんの優しい心が、黒鶴さんを生み出した。その命は、美夏さん自身と子どもたちみんなを救って幸せにしてくれるという。
現に、黒鶴さんはもう何度も折賀をサポートし、命まで救ってくれている。
彼女の存在は、きっと折賀家をいい方向へ導いてくれるんじゃないかな。
◇ ◇ ◇
2月26日
折賀とアティースさんが渡米した翌日。
指令部に、アティースさんからの通信が入った。
『ようやく事件の情報をいくらかもぎ取った。遺体の確認もした。残念だが、フォルカーが殺害されたのは事実だ』
フォルカー……。
『現在、監視映像をもとに人相手配を進めている。同類の事件の洗い出しもしている。甲斐、きみは身体トレーニングと「甲斐レーダー」のトレーニングを強化して、出動に備えておいてくれ』
俺が出動! あんな危険なやつを相手に?
『「首斬り人」は相手に姿を見せないほど速く移動する。映像を何度もスロー再生して、やっととらえられるかどうかだ。美仁にも視認は難しい。
甲斐。ジェスが作成したトレーニング・プログラムを使って、高速移動する対象を追えるようになっておいてくれ。必ず、きみの能力が必要になるときが来る』
『首斬り人』。叔父さんが言ってた通りのコードネームがついた。
叔父さんの言葉が真実なら。首斬り人はいずれ能力の制御ができなくなり、「クラス・カソワリー」に変貌する。
つまり、誰もかれも見境なしに首を斬る、かもしれないのだ。
そんなやつが、しかも高速で移動するって?
俺に、とらえることができるのか……!?




