CODE54 最速の刺客・「首斬りヒクイドリ」出現!(3)
この病院には、樹二叔父さんの息がかかっている。
自分がここにいることなど、とっくに知られているだろう。
そう前置きしたうえで、笠松さんは俺を、病院敷地内にある中庭へと促した。
◇ ◇ ◇
「樹二が外務省北米局に所属していたころ、自分は民間の調査会社に勤務していました。社で北米局からの調査依頼を受けることが多かった縁で、樹二と親しく話すようになりました。
しばらく経ってからです。彼のことを、『どこかおかしい』と感じるようになったのは――」
そりゃおかしいだろ、どっから見ても変人だし――って、軽く返せる話ではなさそうだ。俺は黙って続きを待った。
「甲斐くん。彼に『表の顔』と『裏の顔』がある、と言われたらイメージできますか?」
「え? えーと……表ではいい叔父さんっぽい顔をして、裏ではオリヅルを牛耳ってる、みたいな……?」
「それは両方『表の顔』です。彼の表の言動はすべて、美夏と子供たちを守るためのものです。昔、私が気づいたのは、それとはまったく異質な顔です。まるで、別人格と言ってもいいくらいに豹変した――慈悲のかけらもない冷酷な顔、なんです」
冷酷な顔? 別人格?
「叔父さんが実は二重人格とかだった、ってことですか?」
「いや……人格そのものは、あくまで折賀樹二ひとりのものです。いわゆる解離性同一性障害(多重人格)のように、名前や外見、性別や嗜好までがらっと変わるわけじゃない。どちらかというと、性格を変えるように『洗脳』を施されたような状態でした。
どうして気づいたのかというと、彼の上司から内密に調査依頼を受けたんです。彼がアメリカにいる間は現地の調査員が任務にあたる。日本にいる間は、私が友人として彼に接触し、彼の内情を調査しろと」
笠松さんは、ここでいったん大きく息を吐き出した。
二月の冷えた空気が、白い息となって彼の眼前に溶けていく。
「どんな顔なのかというとね。表では日本を守るために懸命に働く理想的な外交官、だったんです。でも裏で、多数の外国人を切り捨て、不利な証拠を人間もろとも消すといった、自分の目的のためなら手段を選ばぬようなことを平然とやってのけていた。向こうで彼を調査した人間も、依頼した外務省の上司もそのうち相次いで事故に遭い、帰らぬ人となった。
私だけなんです。彼を探ろうとして、今も生きているのは――」
どういうこと、なんだ?
そこまで邪悪な人間には、見えなかった。確かにずっと、「得体の知れなさ」はつきまとってたけど。
「さっき、『洗脳』と言いましたね。一九五〇年代からずっと、洗脳実験を繰り返してきた組織があります。
他でもない、CIAです。彼はCIAに何らかの洗脳処置を施され、彼らに通じるスパイに仕立て上げられた可能性があったんです」
◇ ◇ ◇
どう考えれば、いいんだろう。
俺は、表向きには日本の大学で働くアルバイターだけど、実際はCIAの下部組織で働いている。
あいつらに実験体にされないために。
組織力を頼みにして「アルサシオン」に対抗し、美弥ちゃんを守るために。
「調査依頼が来る前に、私は樹二の紹介で美夏と出会い、結婚の約束もしていました――が、そういった経緯でできなくなったんです。美夏との交際を、樹二に知られるわけにはいかなかった。彼女まで樹二を巡る謀略に巻き込むわけにはいかなかったんです。
私だけが、今も生きている理由ですが――おそらく樹二は、私が彼に近づいた理由にとうに気づいている。それでも気づかないふりをする。よき友人の顔を保ったまま。
まるで、『お前などいつでも好きなようにできる』と言われているようなものです。無言のまま、美夏と子供たちを人質に取られているとしか思えないんです。
美仁と美弥、二人が生まれた経緯ですが。
樹二がトルコに赴任している間だけは、私も調査の任を解かれ、彼と顔を合わせることもなかった。
本当は、美夏とは別れるべきだったのかもしれない。あるいは、彼女を連れて遠くへ逃げるべきだったのかもしれない。
しかし彼女は、結婚ができない状態でありながら、なぜか子供を欲しがりました。
私も、若かったんです……。樹二に会わなくなったとたんに気が緩み、彼女の『私を愛しているから』という言葉をうのみにして、子供を二人も儲けてしまった。
私が二人の『父親』でいられたのは、樹二が帰国するまでの三年間だけです。
私が美夏と子供たちを大切に思っていたこと、本当の家族になりたいと望んだことは本当です。もちろん、今でも思っています。
でも樹二のことをなんとか解決するまで、それは叶いそうにありません」
俺がラーメン屋で樹二叔父さんから聞いたのは、この後の話だ。
帰国した叔父さんが、笠松さんと一緒に、美夏さんと子供たちに会いに行く。
おそらく、「父親の名前を聞きに行く」とかいう理由で。
でも実際にはとうに気づいてて。笠松さんは、それに美夏さんはいったいどんな心境でその場に……。
想像以上にヘビーな話だった。
こんな話、俺ひとりが聞いていいわけがない。
折賀は今いないけど、すぐとなりの病院内に美弥ちゃんと美夏さんがいる。二人に聞かせられない事情が?
「今日、ここまで来たのは」
笠松さんの両目が、俺に淀みなくまっすぐ向けられる。
「美夏に聞きたかったんです。彼女が子供を欲した、本当の理由を。
私に何かが起きて、彼女の口から聞けなくなる前に」
◇ ◇ ◇
もし本当に「洗脳」されていたとしたら。叔父さんも、被害者ってことになる。
洗脳――。言い換えれば、「催眠」ともいえる、かもしれない。
まさか、な。「コーディ」はたぶん、美弥ちゃんと同じくらいの年だ。まだ、あいつが生まれる前の話のはず。
でも、どうしても不安がぬぐえない。あいつの存在が頭にちらついている。
俺は叔父さんを、これからどうすべきなんだろう――
「か~さ~ま~つ~」
「!!!!」
「うわああああッ!?」
俺は座っていたベンチからごろごろと転がってすぐに身を起こし、笠松さんは瞬時に数メートルも飛び退いた。
突如中庭の茂みから顔を出したのは、見間違えようのない金髪ロン毛を揺らす、怪しいおっさん。
折賀樹二、その人だ!
「だめじゃないかー、勝手に甲斐くんにいろいろ話したりしちゃー。彼、困ってるでしょー?」
「何故、ここに」
「きみがさっき言ってたでしょ。きみが考えてることなんて、だーいたいわかっちゃうんだよ。それですぐ次の便を探して追いかけたら、なんときみより早く着いちゃった。CIA専用機飛ばしたから当然か。で、なーんとなくここで待ち伏せてたんだよね。ビックリした?」
「……何が望みなんだ」
笠松さんは、もう敬語を使わない。青紫だった『色』がダークブルーに変わったのは、叔父さんへの追従から抜ける決意をしたからか。
叔父さんの色は……ダメだ、見えない。透明なのか?
「別に―。今まで通り、僕の秘書やっててくれればいいよ。甲斐くんは、組織にも美仁たちにも黙っててくれればいい。それで全部元通り、だよね?」
それは、無理だ。
美夏さんを昏睡させる現場を目撃したときにも、口止めされた。兄妹がどうなるかわからない、と脅された。でも折賀はもう、そんな脅しなんかものともしない。
「『無理』って顔してるね。じゃ、僕の『能力』が何なのか教えるから、それと引き換えでどう?」
え、どう、って。
おもわず一瞬、笠松さんと顔を見合わせた。
確かに俺は、笠松さんの能力は聞いたけど、叔父さんの能力については一言も聞いてない。笠松さんも知らないらしい。
「これから二人の前で出血大サービスしちゃう! お代はいらないから、よーく見てってね!」
叔父さんは、コートの内ポケットから何かを取り出した。
――ナイフ!
「えーと、動脈ってこの辺だよね?」
ナイフが動く。笠松さんが動く。
ナイフが、叔父さん自身の首筋にあてられる。
笠松さんの伸ばした手が届くより先に、ナイフの刃先がその首筋にめり込んだ――




