CODE38 闇夜に咲く「赤き華」に似て(1)
1月29日
イタリアから帰国して二日後。
俺たち「チーム・オリヅル」は指令室に顔をそろえていた。
「あれからひとつ進展があった。ロークウッドの能力の発動条件をさらに特定した」
チームに緊張が走る。
イタリアで、俺たちはコーディことコーディリア・ロークウッドが使う催眠能力の発動範囲を、半径約十メートルと仮定した
――が、折賀と同じく、特殊能力なんてものは鍛えようでパワーアップする可能性がある。一刻も早く次の手を打たなければ。
壁面の大型モニターに、見覚えのある映像が現れた。
ラグーザの教会前で、コーディを横抱きに抱えるフェデさん。
次の瞬間、画面が大きくぐらっと揺れてブラックアウトした。これは、亀山のおっさんがフォルカーのナイフ攻撃でカメラを落っことしたとき。
問題はここからだ。
ふたたびコーディとフェデさんが映るも、すぐにミアさんが現れたり、映さんでいいのに俺の顔アップまで映したり……って、ミアさんの胸元ばっか何度も見てんじゃねー!
チームの女性陣がジト目で睨む中、おっさんは「ひゃあぁすんません!」と机の下に潜ってしまった。
視点がブレブレでおっさんの好みが反映された情けないトンデモ動画だけど、こんな「念写動画」でもないよりははるかにマシだという。
「ここだ」
アティースさんの声で、モニターに視線が集中する。
ミアさんが歌い、次いでフェデさんが歌い、その歌で意識をとりもどしたコーディが催眠能力を発動――
「フェデの証言と一致した。発動条件は、やつの『左手』だ」
折賀の念動能力により、あのときコーディは左腕を負傷していた。
その左腕がわずかに動き、それまで力なく垂れ下がっていた左手が拳を握る。
「自分の左手を握るのが条件? 地味だねー。そりゃ、今まで気づかないわけだわ」
イギリスで彼女と対峙した世衣さんが、呆れたように口をとがらせる。
「テノール」二人の歌は、コーディの目を覚まさせるだけでなく、自分の左拳を握らせるところまで操作していたわけだ。
これで、あのとき折賀が言った「今のあいつは催眠を使えない」という言葉の説明がつく。負傷により、自力で拳を握ることができなかったんだ。
「それがわかれば、おのずと今後の対処も変わってくる。――わかってるな、甲斐、亀山」
アティースさんの厳しい視線が俺に向けられた。(おっさんはまだ机の下)
アティースさんの言いたいことはわかる。
俺プラスおっさんは、いざというときのコーディ担当だ。
そのときが来たら、きっと俺たちはあいつの左手を優先的に攻撃する必要に迫られる。
でも――
「アティースさん、次にまたコーディに会ったときですけど……」
みんなの視線が、今度は俺に集中。緊張する。
「可能なら、あいつに触れるチャンスをください。あいつのいちばん大事な思念を見させてください。ひょっとしたらそれで、『A』の情報がつかめるかもしれない」
◇ ◇ ◇
休憩室にある自販機が、紙コップに音を立ててホットカフェオレを注ぐ。
動きが止まったところで、俺はそっと紙コップを取り出し、パイプ椅子に腰を下ろしてカフェオレに口をつけた。
休憩室には、安価な自販機が四台並び、飲み物はもちろんパンや軽食まで買えるようになっている。
俺も休憩時間によく利用してる。ここで合わせる顔は百パーセント、チームの誰かだけど。
俺の目の前で、大ダメージを食らったはずの内臓にインスタントの豚汁を流し込むひとりの男。
テーブル上には、たった今二人で完食した、美弥ちゃんお手製弁当の箱が三つ。おかずはどれも、優しさのこもった栄養食ばかりだ。おかげで俺も折賀も健康そのもの。
「お前、本当に休んでなくていいのか?」
何度となく繰り返した問いを、また口にしてしまう。
いくら病院の検査で異常なかったからって……いや、あんなことがあったのに異常ないっておかしいだろ。
豚汁を、次いでペットボトルの水を飲み干したところで、重い口調の返答。
「またすぐにでも危険な能力者を捕まえに行くんだ。体に問題がないのに休んでられるか」
アティースさんの説明によると、ジェスさんのお仲間のハッカーがドイツで発見した「爆破能力者」が、一足先に「A」の連中にさらわれたらしい。
現在、ジェスさんとハッカーたちが本部と連携しながら全力で捜索にあたっている。居所を突き止めたら、またチームの出番だ。
しかし、爆破能力者とは……。また危険な能力者がいたもんだ。
「お前は、覚悟ができてるのか」
手元のペットボトルを見ながら、今度は折賀に問われた。
覚悟。危険な相手を前に、ときには非情な選択をしなくちゃならない覚悟――。
「考えが甘いって言いたいんだろ? コーディのこと」
折賀は無言で肯定の意を示す。
「言いたいことはわかるよ。悠長に手段を選んでる場合じゃないってことくらい。左手は攻撃するべきだし、まず発動条件を奪ってから思念を見るべきだ、ってことも。でも、それじゃ……本当に必要な思念が、見れないかもしんないじゃん……」
追い詰めたら、あいつの思念は大きく乱れるだろう。
たぶんあいつは、俺たちが思っている以上にもろいんだよ。
「あいつ、あんな調子だけど、ずっと俺に何か伝えようとしてんだよ。イギリスで、MI5のやつがあいつの意に反した攻撃をしようとしただろ? あのときだって、イタリアでだって、あいつはひょっとしたら組織の連中に無理やり……」
「お前、ロークウッドの味方なのか」
その言葉に、意識がはっと動いた。
俺は、チームの敵であるあいつを、助けようとしてる……?
「味方じゃねえ! 味方じゃねえよ。だけど、わかんねえんだ! 考えがまとまらなくて……」
「いざというとき、迷いは命取りになるぞ」
お前がそれを言うのかよ。
イタリアで、コーディの腕しか傷つけられなかったのは、お前の迷いなんじゃないのか?
その言葉は、出さずにぐっと飲みこんだ。
生半可な迷いで攻撃が狂うようなやつじゃない。こいつはすでに、あの一瞬の遅れに対する大きすぎる代償を払ったんだ。
だいたい、あのときのことはこいつの中でどう処理されてんだ?
平気な顔しやがって、体だけじゃなくメンタルまで不死身かよ。
あの血まみれのシーンがしょっちゅうフラッシュバックして、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になりそうなのは俺だけか?
俺の気も知らずに、折賀はあくまでも冷静な声で断言する。
「あいつにどんな事情があろうと、俺は美弥の害になるやつなら排除する。それは変わらないからな」
「……わかってる。俺も、次の任務までにもう少し考えまとめとくよ」
今は、そう答えるのが精いっぱいだった。
◇ ◇ ◇
知らない男が、叫んでいる。
初め雑音レベルにしか聞こえなかった声が、ラジオのチャンネルを合わせるように、徐々に鮮明になってくる。
この声を知ってる。何度も聞いた声だ。
なんて叫んでるんだ?
今まで、その言葉の意味はまるでわからなかった。でも、今は違う。
意味が、わかる。
女性の声も聞こえる。男が、何か動きを見せる。手に何かを持って、俺の目の前で持ち上げて――
それが男の手を離れ、俺の脳が衝撃に揺れた!
「――――――――ッ!!」
全身が大きく振動し、あまりの衝撃に俺は飛び起きた。
「…………」
浅い呼吸を何度も繰り返す。全身が汗に濡れたようだ。
周囲は、闇だった。窓の方から、わずかな明かりが漏れている。
ようやく、自分がいつもの布団で寝ていたことを思い出した。
……夢、か……。
あの悪夢だ。この折賀家へ来るまで、毎晩のように繰り返していた悪夢。もうずっと見ていなかったのに。
俺はふたたび体を横たえ、布団の中に潜り込んだ。
耳の奥に、夢で聞いた声がはっきりと残っている。
前に見たときはずっと、何て叫んでいるのかわからなかった。
でも、今日はわかってしまった。
なぜなら、男が叫んでいたのは英語だったから。
(お前が俺の子であってたまるか! こっちへ来るな化け物ーー!!)
「……はは……」
布団の中で、しゃくりあげるような笑いが漏れた。
なんの捻りもなくて、予想どおり過ぎて笑えるだろ。
俺は、親にあそこまではっきりと拒絶された子供だったんだよ。
……チクショー……。
俺が悪いわけじゃねえだろ……。こんな目、持ちたくて持ったんじゃねえよ……!
目の奥が熱い。涙があふれてきたのに驚いて、思わず布団に顔を押し付ける。
涙は、しばらく止まらなかった。
◇ ◇ ◇
少し落ち着いたあとで、俺は布団から顔を出した。
ベッドで寝てる折賀に動きはない。
このままだと、朝ひどい顔になって二人に心配かけるかもしれない。
鼻かんで、目を洗って、少し水を飲んで落ち着こう……。
上半身を静かに起こすと、すぐ横で影が動く気配。やば、折賀起きたのか。
慌てて布団に戻ろうとすると、影がさらに動き、俺の目元が何かに撫でられた。
……え?
目元を撫でた感触が、そのまま頬にまで下りてきた。手の形をしたものが、俺の頬を包んでいる。
その感触は、とてもしっとりとしてて滑らかで……。だけど冷たくて、体温があまり感じられない。
かすかに、花のような香りがする。
おまけに、目の前に赤い花が見える。暗闇の中で、影の動きに合わせて揺らめく赤い花。
今度は鼻先に、さらっとした感触。
徐々に目が慣れてきて、それが人の髪なのだと想像できた。
目の前に、白い顔がある。
まつげの長い、大きな黒い瞳。さらさらとした長い黒髪。小さな赤い唇。
そして、揺らめくたくさんの赤い花。
それは、彼女が 着ている黒い服の模様だった。
「うっ、うわあああ!? 折賀が、女の子になっちゃったぁーー!?」




