CODE37 シチリアーナ・ラプソディア(6)(※絵)
おっさんを起こしている間に、俺たちは周りをぐるっと囲まれた。
コーディが番犬化したという、ラグーザの一般人たち。
――が、少し様子が変だ。
それぞれが何かをつぶやいている。
体はふらついてるけど、正気を失っているわけじゃなさそうだ。
英語で「あれ、なんで……?」「どこだ、ここ」などの言葉も聞こえた。
おっさんと同じだ。意識までは乗っ取られてない。不完全催眠と言うべきか?
「ここはお前たちでなんとかしろ。俺はロークウッドを追いかける」
コーディが人の群れにまぎれて姿を消した方向を見据えながら、折賀が迷いのない言葉を投げる。
「ちょ、ちょっと待てよ! それいちばん合わせちゃいけないカードだろ!」
だいたいなんで、さっきコーディではなくミアさんを拘束したんだ。
あんなに、チーム全体でこいつとコーディとの対峙を警戒してたのに。
その問いに対する折賀の返答は簡潔だった。
「今のあいつは催眠を使えない」
「え? なんでわかんの?」
「理由はわからんが、俺を見る目が今までと違う。俺との対決を恐れているように見えた」
そうか、だからあんなに気弱そうな言葉を……
『色』にあまり変化がなかったから気づかなかった。
と思ってる間に、折賀はとっとと駆け出してしまった。
ついさっき血を吐いてぶっ倒れてたのどこの誰!
「……フェデ……」
小さなかすれ声の方に振り向くと、喉元を押さえたミアさんがふらつきながら立ち上がっているところだった。折賀に拘束されて、ダメージを負ったはずなのに。
「フェデ、もう一度歌うよ。もっとたくさん操って、あの男を、止めないと……」
「今のきみに、歌は歌えないよ」
フェデリコさんの言葉には、ランペドゥーザ島で「彼女と一緒でないとどこへも行かない」と答えたときと同じくらいの強さが宿っていた。
「それに、僕はもうついていけない。歌を人殺しの道具にするだなんて、どうかしてる」
「フェデ……! それじゃこいつらに従うの? こいつらは、私たちを引き離そうとしたんだよ!」
「ミアには、感謝してるけど……そばにいて一緒に道を間違えるくらいなら、いったん離れることも必要かもしれない」
たぶん、この二人は今までずっと一緒だったんだろう。ずっと一緒に、歌を歌ってきたんだろう。
彼の言葉の重さが、それを物語っているようだ。
◇ ◇ ◇
ミアさんは、あれほど「ともに歌いたい」と切望した男をキッと睨みつけると、そのまま不安定な足取りで歩き出した。
あとを追う間もなく、不完全な番犬たちが俺とおっさんの行く手に立ちふさがる。
「どーしよこれ。なんとかしろったって、女の人もいるのに……」
「み、みなさん意識はあるようですし、誠意を込めて謝れば、思いとどまってくれるんじゃないでしょうか?」
「何言ってんのこのおっさん」という思いは隠して、俺は「それだ!」と手を叩いた。
「さすが! 『もと店長』の称号は伊達じゃないっすね! 亀山さんの真心こもった平謝りっぷりを見れば、どんな番犬もたちどころに機嫌を直してしまうはず! 今こそ卓越したクレーム処理能力を見せるとき! さあっ、華麗なる土下座で俺たちの窮地を救ってくださいぃ!」
俺の言葉に乗せられたおっさんが「必殺の土下座」を炸裂させる中、店長のお詫びが通じない逆切れ大男なども登場したが、折よく登場した矢崎さんが軽く投げ飛ばして至急処理してくれた。
俺はフェデリコさんを番犬どもから離れた場所へ連れて行った。
今、この人は俺たちの敵じゃない。だとしたら、「保護」する必要がある。
それに、俺にはこの人に伝えたいことがあった。
「日本に、ミアさんとよく似た名前の女の子がいます」
つたない英語で、精いっぱい話しかける。
「彼女は、本当に幸せそうに歌を歌います。聴いてる人たちが、みんな幸せになるんです。歌って、本当はそういうものだと思うんです」
フェデリコさんは、真剣な目で俺を見つめ返してくる。
「二人の歌も、組織の指示通りに人を操るんじゃなくて、もっとたくさんの人の役に立てる方法があると思います。今ミアさんにそれが伝わらないのは、とても残念です。二人の歌、本当にきれいでした」
「――ありがとう」
フェデリコさんは、両手で俺の肩を軽く叩いた。
「今は僕ひとりだけど、歌で人の役に立てるかもしれない。歌わせてくれませんか」
『色』に、嘘はない。
通信でアティースさんに了解を得て、俺はフェデリコさんにうなずいた。
◇ ◇ ◇
歌:「You Raise Me Up」
アイルランド/ノルウェーのミュージシャン、シークレット・ガーデンの楽曲。
2003年にアイルランドの歌手ダニエル・オドネルがカバーして大ヒット。
◇ ◇ ◇
彼の豊かな声量はあたたかく、すべての空気を包み込むように深い。
なめらかに伸びる美しい旋律は、その場にいたすべての人の動きを止めた。
彼の声だけでなく、口の動きが、表情が、英語詩に命を吹き込んでいく。
たったひとりの人間が、こんなにも広がりのある音楽を作り出せるなんて。
まさに、神が人間に与えた奇跡。
すっかり催眠を解かれて聞き惚れてしまった番犬――もとい、ラグーザの人々が拍手までし始めたとき、俺は折賀を追って複雑な路地を走っていた。
耳の奥で、聴いたばかりの歌詞の一部がリフレインする。
――お前がいれば、俺は強くなれる。
だから、頼むから無茶すんな!
◇ ◇ ◇
数多の色を駆け抜けて、よく知っている色を捜す。
観光客の波をかき分け、坂道を飛ぶように駆け下りて、毎日見続けてきた色を捜す。
やっと建物の壁越しにダークブルーの色を見つけたとき、その壁の向こうから数人の男たちが次々に吹っ飛ばされ、空を飛んだかと思うと別の壁に激しく衝突した。まだ番犬がいたのか!
角を曲がり、足を止めると、そこに立つは血に汚れた黒コートの後ろ姿。
折賀は俺を見つけると、すぐさま俺に向かって手を伸ばし――
髪を引っ張りやがった!
「いてええぇッ!」
俺がつんのめってる間に、折賀は能力銃を発射!
何発か撃ったあとで(見えんけど)、折賀は俺から手を放して全速で駆け出した。
路地の角を曲がったところで、やつの半長靴「折賀スペシャル」がラグーザの町中に激しい音を立て、その動きを止めた。
「消えた。確かにここにいたはずだ」
折賀によると、この場所にコーディとミアさん、それにフォルカーまでいたらしい。
『やつらの中に、瞬間移動能力者がいるのは間違いないだろうな』
アティースさんの声が聞こえてくる。
『そう考えれば、今三人が消えたのも、「テノール」の二人がカターニャからここまで移動できたのも、今までロークウッドが神出鬼没だったのもすべて説明がつく。やっかいな相手がいたものだ』
このやっかいな「瞬間移動能力」に、このあとも俺たちは先手を取られ続けることになる。
◇ ◇ ◇
イタリアでのミッションはここで終了となった。
今回は、フェデリコさんひとりを施設へ連れていくことになる。
ミアさんは、ひとりでは能力を発動できない。でもきっと、また俺たちの前に立ちふさがるだろう。
そのときフェデリコさんをどうすべきか――「オリヅル」の今後の課題となった。
フェデリコさんをヴァージニアの施設へ連れて行くのは、矢崎さんとエルさんの担当になった。
俺と折賀とおっさんは日本帰国組。
空港の案内に従って出国審査を済ませたところで、先に案内のあったアメリカ組と合流すると――エルさんと矢崎さんが、ピザを食べていた。またピザかよ!
「あ、もう何を食べても大丈夫ですよ」と矢崎さん。
「矢崎さんが買ったところでピッツァ、ちょうど売り切れちゃったんですよー。おまけにこれで閉店だからってトッピング大盛りサービスしてくれました! やっぱり矢崎さんがいるといいことあるなー」と、エルさん。
「え、どゆこと? 世衣さんは、矢崎さんのこと『ミスター貧乏神』だって言ってましたけど」
「矢崎さんはー、何度か貧乏くじが続くと逆にラッキーを引き当ててくれるんです! 世衣さんなんて、それで宝くじ当てたこともあるんですよー!」
つまり、俺がさんざん貧乏くじを引かされたあとで、エルさんがラッキーを引き当てたと。
「あ、そろそろ搭乗口へ移動しなきゃ。それじゃ甲斐さん、よいフライトを!」
満足げにピザを食べ終えた二人は、コーヒーを飲んでいたフェデリコさんを連れて立ち去った。ああ、本場イタリアのピザが行っちゃった……。
折賀は、その辺のイスに座ってずっと爆睡中。
救急隊員による簡単な診察は済ませたものの、ご覧のとおりピンピンしてるので、帰国してからおなじみの片水崎総合病院できちんと検査してもらうことになった。
あれほどのダメージから復活した件については、「自分で無意識のうちに能力操作して内臓を修復した」とでも思っているらしい。
確かに最近小難しい医学書なんかを読んでることはあったけど、外科医じゃあるまいし、そう簡単に自分の体内がわかってたまるか。
といっても、黒さんのやったことの方がよっぽど荒唐無稽なのだから説明に困る。そのうち、ちゃんと説明しなくちゃな。
俺はおっさんと一緒に、広い窓の外のたくさんの飛行機をぼーっと眺めていた。
突然、俺のスマホがメッセージの着信を告げてきた。
見ると、すでに一件入ってる。タクからだ。
「誕生日おめっとー」と、一言だけ。
あいつ、今すげー大変なのに。
年末のあの事件以来、俺からはあえて連絡をとっていなかった。でも、返信くらいはしとこうかな。
「サンキュ!」と一言だけ送って、次に今来たばかりのメッセージを開くと――画面いっぱいに、華やかな紙吹雪と花とケーキが現れた。
「うわー! 美弥ちゃんから! おめでとーメッセージが来たー!」
思わず横の折賀を揺すって叫ぶと、超不機嫌な重低音が返ってきた。
「それは、俺の安眠を妨害するほどのことなのか……?」
「だってだって、すげー嬉しいんだもん! ピザ食えなかったし、これくらい嬉しいことあったっていいじゃん!」
「ピザ? 俺は食ったぞ、カターニャで」
あくびをして頭をかきながら、目を丸くしている俺とおっさんに向かって、無慈悲な言葉が続く。
「シチリア風のピザは四角いんだ。生地は厚めでふわっとしてて、トマトとチーズとアンチョビの絶妙な――」
「うわああぁやめろおぉ! チクショー、ピザ食わせろーー!」
帰国後、美弥ちゃんが「ハニー・メヌエット」のケーキとお手製ケーキのダブルケーキでお祝いしてくれた。
ちょっと切ないけれど、すっごく嬉しい、俺の十八の誕生日はこうして過ぎていったのでした。




