CODE33 シチリアーナ・ラプソディア(2)
俺はボート上で身構えた。
あまりに美しい海にすっかり心奪われてたけど、俺たちは今『能力者捕獲任務』の真っただ中にいる。
対象は、矢崎さんを睨んでいる、細面に薄茶の巻き毛の若い男。
フェデリコ・クレーティさん、二十八歳。
コードネーム『テノール』。危険な「催眠能力」の持ち主。
「オリヅル」では、対象能力者を能力種別・危険度ごとにクラス分類している。
俺のように「人体に即危険を及ぼすことはない・自分の意志で制御できない」能力者はクラス『シーガル(カモメ)』。
折賀のように「人体に即危険を及ぼすことがある・自分の意志で制御できる」能力者はクラス『アウル(フクロウ)』。
フェデリコさんも『アウル』に分類される。
いまだ対象範囲のつかめないコーディと違って、この人の能力発動条件はここ数日の調査でわかっている。
発動条件は、彼が意志をもって「歌を歌う」こと。
発動範囲は彼の周囲、半径約二十メートルから三十メートル。
歌の影響をダイレクトに受けると、三半規管が揺さぶられて乗り物酔いに近い状態になり、ひどいめまいを起こすという。
四日前、彼が路上で歌を歌ったとたん周囲が次々と倒れたため、能力発現が発覚した。
彼を「捕獲」――もとい「説得」するため、俺たち三人はCIA科学技術研究室が開発した怪しげな新薬を服用している。
一言でいうと「酔い止め薬の強化版」らしい。あとでどんな副作用があるかはわからない。
でも、治験も含めて海外出張任務は稼ぎがいいのだ。この任務完了で、車の教習所に通えるだけの金ができる。
がんばれ、俺! いつか美弥ちゃんとドライブするために!
(ちなみに、アティースさんに「自動車運転免許証なら、CIA本部に申請すれば数日で届くが……」と言われた件は、丁重に辞退しておいた)
◇ ◇ ◇
「スィニョーレ・クレーティ」
フェデリコさんと女性の乗るボートに俺たちのボートを近づけて、矢崎さんが話しかける。
「我々に同行願えますか」
「何度も言っているように、僕は彼女と一緒でないとどこへも行きませんよ」
英語だ。助かる、英語ならだいたいの意味はわかる。
フェデリコさんの言う「彼女」は、彼の背中にしがみついている長い金髪の女性。
名前は確か、ミア・セルヴァさん。
「それがどういうことなのか、わかっているんですか」
エメラルドグリーンの海面で、まるで子守唄のように優しく揺れる二艘のボート。
その中で、普段温厚なはずの矢崎さんの声はひときわ鋭く響いた。
「我々の施設に家族と共に入所する能力者は、確かにいます。でもセルヴァさんは家族ではない。確実にあなたの人生に巻き込むことになりますよ」
言いながら、矢崎さんは視線をぐるっと背後の崖に巡らせる。
「テノール」の能力の影響を受けない高い崖の上には、緊張の色をまとった小さな黒点がいくつも展開している。
この数日の間にアティースさんが手配した、CIAシチリア支局や民間軍事企業あがりの傭兵からなる、特殊部隊の面々。
崖上のすべての銃口が、今間違いなくフェデリコさんに向けられている。
観光地なのにビーチに誰もいないのは、冬だからではなく、極秘に話を通した地元警察が封鎖しているからだ。
「あなたの能力は危険なんです。あなたが『催眠』をかけられるのは、対象がめまいを覚えるほんの一瞬――ですが、一瞬でも相手を制御できれば、危害を加えることも、命を奪うことも十分に可能です。あなたを今すぐもとの生活に戻してさしあげることはできませんし、あなたを狙う犯罪組織がある以上、身を隠して我々の保護下に入っていただくしかないんです。本当に、その方を巻き込むおつもりですか」
ミア・セルヴァさんは震えている。まだ自分が置かれている状況を理解できていない。
でも、フェデリコさんから離れる意思はまったくないようだ。
『色』を見る限り、二人を引き離すのは不可能。
無理に離そうとすれば、おそらくフェデリコさんは能力を発動し、銃弾を浴びてこの海に散ることになる。それだけは絶対に避けなければ。
「――おふたりを、空港までお連れしましょう」
矢崎さんはため息のあとで静かに言い、フェデリコさんたちのボートを先導するためにエンジンを始動した――、が。
「あ」
動きが止まった。
「エンジン、壊れましたね……」
顔を見合わせた俺とカメラマンのおっさんに向かって、矢崎さんは爽やかな笑顔でオールを二本差し出した。
え、この七メートルのエンジンボート、手で漕ぐの……?
◇ ◇ ◇
「美弥ちゃんマッサージ」なくして回復は見込めないであろう重度の筋肉痛を伴って、俺たちはシチリア島のカターニャ・フォンタナロッサ空港へ降り立った。
ランペドゥーザ島空港からカターニャまでのフライトは、正直生きた心地がしなかった。
目の前に、ちょっと歌えば飛行機を墜落させかねない超危険能力者がいるし、貧乏神はいるし、筋肉痛ひどいし、何より常に『A』の出現に備え続けなきゃいけない。
何か新しい音がするたびに、機外にモスグリーン色をまとった戦闘機が現れるという嫌な想像が何度も繰り返された。想像だけで酔いそう……。
カターニャの空港からは、CIA専用機が米国・ヴァージニアまで直行でフェデリコさんとミアさんを運ぶ。
矢崎さんと亀山のおっさんはそっちについてくけど、俺は学校があるから、みんなを見送ったあとエルさんと一緒に日本へ帰る予定。
そのエルさんは、空港の広々としたレストランの隅でナイフを使って何かを切り分けている――ピザ!
「矢崎さん、亀山さん、甲斐さんお疲れ様です!」
と、エルさんは立ち上がって日本語で挨拶したあと、英語でフェデリコさんたちにも挨拶し、着席を勧めた。
「ちょうどピッツァが運ばれてきたところです。お二人もご一緒にいかがですか?」
え、お二人?
矢崎さんを見ると、彼は相変わらずの柔らかい笑顔でにっこりと答えた。
「私たちは新薬治験中ですから、食事の時間と内容が厳しく定められてまして。あと二時間経てば機内食を食べられますから。ここでは水だけいただきましょう」
そんなぁ……。目の前にアツアツの、トマトとチーズとアンチョビの香りがふわっとわき上がる、本場イタリアのピザがあるのに! また観光も食事もせずに帰国かよ!
ちびちびと悲しく水をなめる俺の横で、しばらくいつもの明るい調子で当たり障りのない会話を進めていたエルさんは、ふと声のトーンを落とし、フェデリコさんたちを交互に見た。
「説明はしたと思います。私たちは、『能力者』保護のための人員は手配しておりますが、お連れの方までは……」
「わかっています。でもお願いです、私も連れて行ってください」
答えたのはミアさんの方だった。
今まで口数少なくフェデリコさんにくっついている印象だったので、その言葉はひときわ力強く感じられた。
「どうか、彼から歌をとりあげないでください。私たちに、歌を続けさせてください。私たちは、ともに歌わないと生きていけないんです」
俺たちは、二人の顔と、メンバーの互いの顔に視線をさまよわせた。
どう答えたらいいのか。
フェデリコさんの歌は周囲を危険にさらす。
一緒に歌を歌ったりしたら、たとえ催眠にかからなかったとしても、ミアさんの神経系に確実に悪影響を及ぼす。
それは二人ともわかっているはずで。二人の『色』に迷いはない。
手を取り合って、二人そろって歌に我が身を捧げるとでもいうのだろうか。
「――施設で過ごしながら、ゆっくり、考えていきましょう」
エルさんが、静かに目を伏せたとき。
チーム全員の腕時計型端末に、いっせいに着信が入った。
◇ ◇ ◇
『一瞬だけど、コーディリアちゃんに似てる子を見つけた! 甲斐ちゃん、すぐ確認して!』
発信主はジェスさん。
エルさんが素早くタブレットを取り出し、送られてきた映像を俺に向ける。
どこかの町中で、小柄な人物が一瞬だけ映ったかと思うと、さっと物陰に隠れた。
見間違いようがない、このモスグリーンの『色』。コーディだ!
「どこですか、これ!」
『ドンピシャかヨ! これちょっとマズイ!』
通信機越しのジェスさんの狼狽が尋常じゃない。
周辺の雑踏に紛れて警戒を続けている支局の人たちにも、さっと緊張が走る。
『ヨッシーは、甲斐ちゃんが空港映像で見つけた「番犬」どもを捕まえに行っただろ? もう五人ほど捕まえてんだけど、今ラグーザまで追っかけてるとこなんだ! モロ観光地! コーディリアちゃんは、どうやらそっちに向かってるみたいなんだヨ!』
「甲斐くん、亀山さん、行きましょう! エルシィさんは支局メンバーと連携してお二人の保護を!」
間髪入れずに立ち上がったのは矢崎さんだった。
俺と亀山のおっさんは、わけもわからず矢崎さんのあとを追って空港内を走り出した。
俺たちは、コーディが現れるとしたら必ず「テノール」を奪いに来るはずだと予測した。だから折賀を別行動にした。
俺は事前に、シチリア支局の監視網がこの空港で感知した「挙動不審者たちの映像」を山ほど見させられ、その中から、無色に近い「番犬」の姿を特定した。
驚くべき速さで人相手配と身元確認が行われ、折賀はそれをもとにやつらを全員捕らえると言い出した。
すぐにひとりでとっとと走り出す折賀には、まさに「猟犬」といえるその任務は適任のように思われた。
予測は間違いで、今度こそコーディが折賀捕獲のために動き出したのだとしたら。
大変なことになる。
あの二人は、絶対に会わせちゃいけない!