CODE26 セールスマンのおっさんをストーンヘンジに登らせない方法(4)(※絵)
それは、特に歴史的な意味があるような発掘物ではなく、本当にどこにでもありそうな小さな指輪だった。
ピンク色の小さな宝石を掲げた、シルバーリング。
発見した団体関係者が、念のために丁寧に布でくるんで遺跡から出ようとしたとき。
突然チャックさんがバランスを崩し、座っていた横石から五メートル真下へ落下!
各所から悲鳴が上がる。
幸い、チャックさんのやや恰幅のいい体は軽い尻もちをついただけで済んだ。
人体に作用する折賀の能力は、こんなとき、とっさに役に立つ。
無事を確認した団体関係者が、そのまま指輪を持ち去ろうとしたとき。
立ち上がったチャックさんが、叫びながらそのあとを追いかけた。
待って! 置いていくな! そう叫びながら。
その場の全員が驚愕した。
チャックさんは、もう石の上には戻らない!
指輪を手にした関係者が、チャックさんと指輪とを何度も交互に見定める。
間違いなく、チャックさんの不思議な瞬間移動能力にはこの指輪が関係している。
チャックさん本人に指輪のことを聞くも、何も知らないという。
ただ、この指輪に自分の体が呼ばれているのを感じる、と。
それを聞いた面々は、集まって何やらゴニョゴニョと相談した結果、指輪はこちらで引き取って分析したいと言い出した。
「オリヅル」としては抗議せざるを得ない。
「チャック・ガーランド氏を保護するのが我々の役目。指輪も一緒でなければ保護はかなわなくなる」
世衣さんが毅然とした態度で抗議するも、向こうも向こうで「世界文化遺産」がどうこうと反論してくる。オカルト先進国・イギリスとしての意地があるんだろう。
どうやって取り決めたのか上層部の事情は知らんけど、確かに納得できない部分もあるだろうな。目の前に垂涎物の超常現象が転がってるのに、それをアメリカの組織なんかに渡さなきゃならんとは。
偉そうな団体のおっさんたちと、それに抗議する世衣さん、それぞれの表情でなりゆきを見守っている現地警察や支局の人たち。
その中で、困り顔でぼーっと突っ立っているチャックさん。
俺としては、せっかく遺跡から離れられたんだから、さっさとチャックさんを人目のつかない所で休ませてあげたいのに。
しばらく仏頂面で俺のそばに立ってた折賀は、突然件の団体のおっさんのもとへ近づいた。
と思うと、おっさんの手元から布をひったくり、中から指輪を取り出して――
なんと、両手でつまんで宝石の部分をブチッと引きちぎりやがった!!
唖然とした全員の前で、石とリング、それぞれをまったく別の方向へブン投げる。
投げる瞬間に自身に能力を使ったのか、常人ではありえないほどの距離を鮮やかに弧を描いて飛んでいく。
お前えぇー!! いったいなにしてくれちゃってんのー!?
◇ ◇ ◇
さらに悪いことに、それまで吹いてなかった強風まで吹き始めた。
何が起きたかわからず数秒間硬直した面々が、滑稽なほど大慌てで二手に分かれ、捜索に走り出す。
折賀の手で真っ二つになった魔法の指輪。
二つとも草原の露と同化してしまった。失くしたらエラいことになる!
数人の警官が咎めるような目で折賀に詰め寄った。
普通ならこのままブタ箱に連行されても文句が言えない――が、折賀と世衣さん、二人の眼光に威圧されてすごすごと引き下がる。
折賀と世衣さんには、いくつか共通点がある。
二人とも、黒髪、黒い服。その気になれば、いつでも禍々《まがまが》しい黒い『色』を放つことができる。ともに戦闘能力が高いうえ、その眼光はアナコンダよりも鋭く恐ろしい。
ちょっと姉弟(あるいは師弟)のように見えなくもない。
こうして、おっさんたちの必死の捜索劇が続く中、俺たち三人はチャックさんを連れてさっさとその場から抜け出した。
世衣さんが運転するトヨタのコンパクトカーに乗り込みながら、チャックさんを後部座席に押し込んでいる折賀に確認する。
「お前、さっき何投げたわけ? わざわざ真っ二つにして」
「右のイヤホンマイク」
それけっこう高いんじゃなかったっけ……。またお仕置き確定かー。
折賀はコートのポケットから指輪を取り出し、チャックさんに手渡した。
当のチャックさんがここにいるのに、まだあの辺捜してるとか……。
あのおっさんたち、けっこうあほだよなー。
◇ ◇ ◇
ソールズベリーのセーフハウスへ戻り、チャックさんを休ませたあと、俺たち三人はPCでアティースさんと通信した。
チャックさんを狙ったMI5の男。ロンドン支局の面々に預けてきたが、取り調べた結果、こんなことを口走ったらしい。
「俺が悪いんじゃない! 目の前の標的を捕獲しないあいつが悪いッ!」
残念ながらそれ以上の情報は得られず、無理な尋問は米英問題にも発展しかねないので、今後の交渉次第ということになる。
現時点で推測するに、「あいつ」とは、能力者を前にして捕獲しようとしなかったコーディのことを指していたんじゃないかと。
男が「アルサシオン」のメンバーなのか、一時の雇われなのかはわからないが。
「A」には、番犬以外にも世界中に数多くのメンバーがいるに違いない。当然か。
『それと。つい先刻、ストーンヘンジに妙な男が現れた』
モニターに映るアティースさんが、俺たち三人を順番に見つめている。
『チャック・ガーランド氏の父親だと名乗っているらしい。指輪のことを何か知っているかもしれんから、世衣と甲斐で会いに行ってくれ』
「了解」
ストーンヘンジ周辺はまだざわついている。
その男とは、別の場所で落ち合うことになった。
◇ ◇ ◇
ソールズベリー大聖堂。ゴシック様式で建てられた、長い回廊と英国一の高さを誇る尖塔からなる、由緒正しき聖堂。
古めかしくも複雑で美しい外観をたたえ、当然中に入ってみたくなる、わけだが……時間ないんだよね、わかってます。
その大聖堂を取り囲む、手入れの行き届いた広大な芝生の隅で、支局の人が連れてきたその男と対面した。
「息子はどこに?」
「あなたの身元確認が済むまで会わせることはできません。確かチャックさんに父親はいないはずですが」
やや枯れた感じの小柄な男性に、てきぱきと答える世衣さん。
俺にもだんだん英語がダイレクトに聞き取れるようになってきた、ような気がする。
俺たちは木陰のベンチに腰かけ、彼の話を聞くことにした。
彼の名前はアダム・マクリ―ヴィ。
指輪は、彼がチャックさんの母親にプロポーズの言葉とともに送ったものだった。
婚約を済ませ幸せいっぱいだったチャックさんの両親――その運命は、アダムさんの父親が交通事故を起こし、人を二人死なせてしまったことで一変した。
チャックさんの母親の父親、つまりチャックさんの祖父にあたる人が問答無用で婚約破棄を申し渡したのだ。罪人の息子に娘はやれないと。
アダムさん自身も、チャックさんの母親の幸福のために別れを決意せざるを得なかった。
彼女を納得させるために、他の女性に心変わりした体まで装って、そのまま連絡を絶って姿を消してしまった。
二人とも、そのときすでにチャックさんが彼女のお腹にいたことは知らず――。
「ずっと音信不通だったのに、なぜ彼があなたの息子だと?」
「ネットで見かけて、もしやと思いました。だって、彼、エラにそっくりじゃないですか……。昔の私にもそっくりだ。胸騒ぎがして、エラの実家に電話してみたんです。予感が的中しました」
アダムさんは、大きく息を吐き出した。
昔はこの人も、チャックさんくらい恰幅のいい人だったんだろうか。
「それに、ストーンヘンジは、私がエラにプロポーズした場所なんですよ」
アダムさんの言葉に涙が混じり始めた。
彼女をだまし、自分の心さえ偽って、「愛する人を幸せにすること」から逃げ出してしまった。
失ったものが大きすぎるがゆえに、その事実と正面から向き合うのがあまりに恐ろしく、今の今までずっと逃げ続けてしまった。
なぜあのとき、彼女の父親の言葉や世間の無責任な言葉に流されてしまったのか。
なぜあのとき、何百回でも何千回でも、彼女の父親に許しを請わなかったのか。
なぜあのとき、彼女に本当の気持ちをきちんと伝えなかったのか――
このときアダムさんが見せた後悔の『色』を、俺はたぶんずっと忘れない。
俺は、今、未来の自分が後悔しないような生き方ができているんだろうか。
◇ ◇ ◇
ジェスさんがリアルタイムでちゃっちゃと裏を取ってくれた。
アダムさんの話は、すべて真実だった。
次は、チャックさんの母親。
エラ・ガーランドさん側の話を聞かなければ。