CODE24 セールスマンのおっさんをストーンヘンジに登らせない方法(2)
「どうせ背負われるんなら、そっちのお姉さんがいいなあ」
と、折賀に背負われたチャックさんは言ったに違いない。たぶん。
英語を完璧に聞きとるのはまだ無理だけど、表情やしぐさ、それに『色』がわかりやすい人なので、どんなことを話してるかはだいたいわかる。
なぜ本人に自分で歩かせないのかというと、まず彼自身の睡眠時間を確保することを優先したからだ。
普通に歩けば、ここからセーフハウスまで二時間はかかる。
到着後、本人にはその場でぐるぐる旋回し続けてもらうことになるので、それまで折賀の背中で寝ててもらおうというわけ。
普通なら絶対眠れる状況じゃないが、疲労がピークに達していたらしい。
背負われて五分もしないうちにお休みになってしまった。
「美仁くん、ロンドン支局の人たちが交代しようかって言ってるけど。それともカートか何か用意しようかって」
「いや、いい。二時間くらいたいしたことはない」
周辺を警戒しながら先導する世衣さんに、そっけなく答える折賀。
チャックさんは折賀より若干背は低いが、体重は八十キロ近くあるらしい。それをノンストップで運ぶわけだ。すげーな。
ソールズベリーへ続くこの道は、警察の手でさきほど封鎖された。
今ここを進むのは、俺たち三人とチャックさん。前後にはCIAロンドン支局の人たち。MI5(イギリス保安局)の人たちもいるらしい。
さらにその前と後ろをパトカーが取り囲み、折賀の歩行速度に合わせてのろのろと動いている。
本当は極力目立たずに行きたいけど、パトカーはマスコミやヤジ馬を牽制するために必要なのだ。
チャックさんの大いびきも気になるが、支局の人がずっと熱心にタブレットで俺たちを撮影してるのも気になる。
俺の不審がる視線に気づいた世衣さんが、俺を安心させるように優しい声で説明してくれた。
「私たちの能力者捕獲任務、通称『コード・ガンドッグ』は、任務中必ずカメラマンが付くんだよ。今回は支局の人に頼んだけど、専属のカメラマンが欲しいってボスがいつも言ってる」
カメラマンか。折賀の爆走についていけるやつじゃないと無理じゃね?
ようやく広大な平原を抜け、普通の街並みの中に入ってきた。
普通といっても、当たり前だけど道路標識や店の看板は全部英語だし、軒先に可愛い花をたくさん飾った、茶色いレンガやわらぶき屋根の建物がずらっと並んでるとこを見ると、海外来たぜ! ってテンションが上がる。
入ってみたくなるようなおしゃれなギフトショップを、後ろ髪を引かれる思いで何軒も通り過ぎていく。
美弥ちゃんは、海外に行ったことがないって言ってた。
いつか、こんなとこに連れてってあげられたらいいのになあ……。
目抜き通りは徐々に道幅を狭め、うっそうとした木々に囲まれた細い道に変化し始めた。
パトカーは停車し、イギリス側の人たちは苛立たしそうに撤退していく。
上層部でどう話をつけたのか知らんが、ここから先は、アメリカ側だけが知るセーフハウス、つまり秘密の隠れ家に通じる道なのだ。
チャックさんに枝がぶつからないように気をつけながら、木々の間を縫い、少し開けた場所に出ると、そこに、いかにも山小屋といった感じの平屋の木造家屋が現れた。
支局員のひとりが、周辺確認をしながらドアを目指す。
ゆっくりと鍵を差し込み、ドアを開け――
そのとき、異変が起きた。
モスグリーンの靄が、いきなり現れた!
「折賀ッ! 逃げ――」
言い終えるより先に、喉に冷たい感触。
背後からナイフを突きつけられた……!
一瞬が勝負を決める。俺はその一瞬を敵に奪われた。
チクショウ!
俺が、誰よりも先に気づかなきゃいけなかったのに!
◇ ◇ ◇
俺たちは、事前にアティースさんに指令を受けていた。
「コーディリア・ロークウッドが再び現れた場合の対処を伝える」
指令室には、俺と折賀を含め「オリヅル」のメンバーがそろっている。
アティースさんの瞳がまっすぐ俺に向けられた。
「やつの相手をするのは、甲斐。きみの役目だ」
「俺っ??」
大役じゃねえか! なんで俺?
「甲斐は全力でやつの所在を事前に察知する。もちろんジェスや各支局員たちも力を尽くすが、やつが身を隠していても発見できる可能性があるのはきみだけだ」
確かに。俺はあいつの『色』だけは絶対に忘れない。
「甲斐は発見次第、一瞬でも早くチームに知らせる。チームメンバーは通信手段を確保しつつ、やつを監視できるポイントに滑り込めればいいが、出くわしてしまった場合、手にしている武器類はすべてその場に捨てる。
美仁、お前は別だ。任務中であろうとやつに出くわす前であろうと、他のすべてを捨てても構わない。即、その場から逃げること。以上」
え、えええ? 説明もう終わり?
助けを求めるように視線をさまよわせると、矢崎さんと目があった。
「美仁くんだけは、絶対に彼女と会ってはいけないんです。相性最悪ですから」
俺を気遣うように、静かな声で説明してくれる。
「万が一、彼が催眠能力で操られてしまったら、どれだけの人間が死ぬことになるかわかりません。その前に彼女を拘束したとしても、拘束下でも発動できるなら同じことです。その点、操られるのが甲斐くんだったら、想定される被害はグッと減ります」
な、なるほど。戦闘能力の低さが俺の武器ですか、そうですか。
「それに、なぜか彼女は甲斐くんにはいろいろと喋ってくれるでしょう。その間、時間稼ぎもできるし、先日のように貴重な情報を仕入れることもできます。この時期に甲斐くんがチームへ加入してくれたのは、まさにこのためだったと思えるんです」
「ですよね! 甲斐さんじゃなかったら、あのとき私と矢崎さんを助けられなかったかもしれないですよ」
エルシィさんも話に加わった。
チームが俺をそんなふうに評価してくれてたとは。
少しだけ、ここのみんなと肩を並べてもいいような気がした。
◇ ◇ ◇
――なのに、俺はしくじった。
「やあ、カイくん。また会ったね」
忘れようがない。涼やかに淀みなく話す、女子の声。
声は前方からだ。背後からは、俺の喉元に回された手から、わずかにグレーを帯びた色が見える。
後ろにいるのは「番犬」じゃない。フォルカー?
セーフハウスの横に、コーディが立っている。
相変わらず敵意を表に出さない、屈託のない笑顔で。モスグリーンのモッズコートを着て。
世衣さんは舌打ちしながら両手を上げる。
支局員たちは全員、両脚をその場に縫いつけられたように動けなくなった。
事前に「即、その場から逃げること」と言われていた折賀は、俺が人質にされたために逃げる機会を失った。
折賀の動きが止まったことで、チャックさんは折賀の背から姿を消した。
折賀は何もせず、ただコーディを睨みつける。
折賀とコーディ。
二人の間に、鋭い氷刃のような空気が走る。
条件付きの念動能力と、条件不明の催眠能力。
目に見えぬ駆け引きが、一瞬のうちに錯綜する。
冗談じゃねえ。足手まといになってたまるか!
「オリガくん、そんなに睨まないでよ。今、念動能力なんて使ったらどうなるか――」
その言葉を最後まで言わせず、俺は不意に体の力を抜いた。
フォルカーの腕との間にできた隙間に自分の腕を入れ、勢いよく引き下ろす。
フォルカーの手から地に落ちたナイフを思いっきり蹴飛ばしたとき、折賀の声が飛んだ。
「甲斐! やめろ!」
俺は動きを止めた。
やめなきゃいけないのはわかってる。今はここにいる全員が人質なんだ。
コーディは少しも慌てず、むしろ楽しそうに自分の顎に指をあてる。
「へえ、少しは動けるようになったんだね。誰に鍛えてもらってんの?」
「俺と話がしたいんだろ」
俺の言葉に、黒ぶち眼鏡の奥の瞳が大きく見開かれる。
「この前、話し足りなそうだったよな。誰も操らないっていう条件なら、俺だけお前らについてってもいい」
折賀と世衣さん、通信を聞いてるアティースさんたちは驚いてるかもしれない。
少しでも動いて、喋って、こいつの注意を俺に引きつける。ここまでは打合せどおり。
でも、「俺がひとりでついていく」展開は計画にない。
無謀だろうか。
でも俺には、ある予感があった。
単純に俺たちに害をなすつもりなら、いつでもどこでも、こいつにチャンスはいくらでもあった。
どういうわけか、俺たちの細かい事情をよく知っているみたいだからな。
わざわざこんな辺鄙な場所で待ち伏せて、相変わらず俺だけにからかうような視線を向けている。
折賀を警戒してはいるが、折賀が今能力を発動するわけがないことも知っている。
何か、理由があるはずだ。
この地で、俺を相手に話をしたくなるような理由が。




