CODE21 黒い鶴の乱舞・少年の危険すぎる告白!(1)(※絵)
しばらく俺の前を走っていた折賀は、あと数十メートルで大学、というところで立ち止まった。
「どした? 行かんの?」
「岩永のこと、だけどな」
空気が、重い。また深刻な顔になってる。
「アティースには、お前に話すかどうかは俺に任せると言われた。お前は絶対顔に出るから、病院では言わなかったんだが……」
……嫌な予感しかしない。なんだよ。
「お前も知っておいた方がいい。岩永の能力は、あいつ本人にとってかなり危険な能力だ。一度でも、自分の限界を超えた暗示を自分にかけてしまえば、身を亡ぼすことになる。いわば使い捨ての能力だ」
「…………」
なんだ、それ……。俺たちの能力より、かなりひどい。
そういえば、コーディがテロ組織の自爆要員にするとか言ってた。まさに使い捨てだ。
「でも、やつらの信号とかを受信しなければ、勝手に発現することはないんだろ? 今後は『オリヅル』がタクのPCやスマホを監視してくれるはずだし……」
「監視」という言葉にいいイメージはないけど、タクに関してはそれが望みの綱だ。
「それとも、美弥ちゃんみたいに本人が自覚するのがマズいのか? だったら俺、絶対しゃべらねえから……」
「今、あいつがまともに戻ってるのは何故だと思う?」
刺すような視線が俺に向けられている。
「暗示にかかっている間の記憶がないからだ。どういうわけか、信号を受信したときの状況も、そのあと自分がどこで何をしたかも、俺に投げられたことさえ覚えてない。もしもあいつが、受信した信号そのものを思い出すようなことがあったら……」
「まさか、また殺人鬼モードに……?」
それじゃ、また、あいつの心にあった「相田殺し」を実行に移そうとするってのか?
「そうならないように、あいつには今後、記憶抑制剤に近いものが投与される」
「なんだよ、それ……」
自分の耳が信じられない。信じたくない。
「俺にはそれ、受験あきらめろって言ってるように聞こえんだけど。お前、それ知ってて、よくあいつに受験頑張れとか言えたな?」
「…………」
「あいつは、そりゃ、かなりの無謀チャレンジだけど。相田と同じ大学行きたいって、あいつなりにすげー頑張ってたんだよ。俺もずっと、応援しててさ……。
信じらんねー、こんなことで……たまたま変な能力があったからって、進路あきらめることになるなんて……」
俺の言葉は、そこで止まった。
大学受験どころか、高校に通うことさえできなくなったやつが、今目の前にいる。
チクショウ! 全部、あいつらのせいだ!
◇ ◇ ◇
折賀が風呂に行ってる間。
昨日と同じように、俺は折り紙が入った箱を取り出して食卓に置いた。
「今日も鶴折るんでしょ? 手伝うよ」
水色の紙を取り出して折ろうとすると、突然、美弥ちゃんの手が俺の手に重ねられた。
「……美弥ちゃん?」
食卓の明かりを映す大きな黒い瞳と、小さなあたたかい手。俺はとまどいながら、その両方を交互に見つめ返す。
「ええと……どうしたの?」
「甲斐さん。今日は千羽鶴じゃなくて、一羽だけ心を込めて折りましょう」
「一羽だけ?」
「はい。甲斐さんのお友達に渡す、お守りみたいなものです」
美弥ちゃんには、親友が体調を崩して検査入院した、とだけ話してある。
美弥ちゃんの前では、いつも通りの笑顔を見せている、つもりだった。
実際、美弥ちゃんの顔を見て、美弥ちゃんの用意してくれた鍋をごちそうになって、俺はやっと少し元気を取り戻した。
それでもいつもより元気がないことに、彼女は気づいてくれたらしい。
「鶴がお守りか。いいね、それ」
タクのために折るなら、やっぱオレンジだ。
明るいオレンジの鶴を、俺はゆっくり、丁寧に折った。
「美弥ちゃん。黒い鶴のお守りは……やっぱり、折賀のために折ったの?」
美弥ちゃんに初めて触れたとき。それから今。彼女から俺に伝わってきた「思念映像」は、たった一羽の黒い折り鶴だった。
美弥ちゃんは、茶褐色の長い髪を揺らして、小さくうなずいた。
「中学のとき、お兄にたくさん守ってもらって……そのとき渡したんです。今でも持ってるかどうか、わからないけど」
――そんなの、絶対持ってるに決まってんじゃん。
急に、折賀が羨ましくなった。
美弥ちゃんを守るのが当然の立場にいて、守れるだけの力もあって。
両方とも、今の俺にはない。
美弥ちゃんからお守りをもらえる資格も、まだないってことだ。
それどころか、俺はずっと嘘をつき続けている。
美弥ちゃんにも、タクにも、いちばん大事なことを話せないままだ。
俺の気持ちをこの子に伝えることもできない。
友達としてそばにいて、この子を守り続けるうえで、その「告白」は弊害でしかない。
言っては、いけないんだ。
「コーヒー、淹れましょうか」
黙りこくった俺を気づかうように、美弥ちゃんが静かな声でそう言って立ち上がった。
俺まで包み込んでくれるような淡いピンクの空気と、ほのかにシャンプーの香りを残す長い髪が、彼女の動きに合わせてふんわりと揺れる。
「……美弥ちゃん」
その姿が台所に消える前に、もう一度顔を見たくて、思わず呼び止める。
「美弥ちゃん……アティースさんのことが、好きなんだよね?」
「えっ……」
空気が、大きく動く。彼女の頬が、真っ赤に染まっていく。
何言ってんだ、俺。いまさらなんの確認だよ。
「あ、あはは……やだもー甲斐さん、そんなんじゃなくてっ……!」
忙しく首や両手を振り回したあとで、「ごめんなさい! 友達に連絡入れなきゃいけないの忘れてた!」と、彼女は慌ててリビングを飛び出してしまった。
その後ろ姿を目で追ったとき、黒い靄が折賀の部屋に鎮座してるのが見えた。
俺は黒さんに背を向け、がっくりと肩を落とす。
はあぁ、と大きくため息が漏れる。
「全然気づいてもらえないのって、つらいよな……」
それは折賀にまったく気づかれる気配のない黒さんか、それとも俺自身に向けた言葉か。
黒さんだったら、聞いてくれるかも。
俺は独り言ともとれるような小さなつぶやきを、ぽつり、ぽつりと投げ始める。
「ほんとは、そばにいられるだけでよかったんだけどな……。やっぱり、いつかは俺の話を聞いてほしいよ。そう思うだろ?」
返事がないのは、わかってる。
「……あの子のこと、こんなに好きなのに……」
食卓に突っ伏して、目を閉じる。
その、瞬間。
突然ピシッ! と、空気を引き裂くような細い音がした。
なんだ?
顔を上げると、目の前の食器棚の窓に、一筋の大きなひびが入っている。
あれ、こんなひびあったっけ?
立ち上がると、背後の空気が大きくうねったような気がした。
振り返ると、そこにいたのは黒さん、ではなく。
鶴が、浮いている。
折賀の部屋の壁にかけられた大量の黒い鶴が、いっせいに動き出してる。
「えええっ??」
糸でつながれてる千羽鶴がその糸すら断ち切って、勝手に室内を飛び始めた。
見慣れたはずのリビングが、黒くうごめくものたちにあっという間に埋め尽くされた。部屋のあちこちで、何かが鋭く裂かれるような音がする。
鶴の何割かがリビングにまで飛んできた。
一羽一羽が、まるで命を得て感情を持ったかのように乱舞する。一気にスピードを上げ、鋭い羽先で空を切る。
紙製の尖った翼が鼻先を何度もかすめ、何度かチリッと鋭い痛みを感じた。
手や頬を切られたかもしれない。下手すりゃ目をやられる!
両腕で顔をガードしながら、視界の端に、半開きになったリビングのドアを見た。
ドアの向こう、床に倒れているのは――
「美弥ちゃん!」
「美弥ッ!」
俺が美弥ちゃんを助け起こすと同時に、洗面所で髪を乾かしていた折賀が駆けよってきた。