CODE16 「オリヅル」という組織(3)(※絵)
指令室へ戻って、ことの顛末をアティースさんに報告。
俺にはちゃんと雇用契約書なるものが用意されていた。形式上、俺はこの大学の売店バイト扱いになるらしい。
現役高校生としては、特に怪しまれることもない妥当な職種といえる。女子大で男子高校生が働いていいのかどうかは別として。
もちろん実際の業務は大きく違う。
平時は他のチームメンバーと交代で美弥ちゃんの警護を担当し、他の能力者が見つかれば折賀と一緒に捕獲現場へ出すとか言ってる。
そのためにまず俺がしなきゃならないのは、言うまでもなく、体を鍛えることだ。
大学への往復はランニング。メニューを決めて筋トレ。大学では手のあいてるメンバー(ジェスさん以外)を捜して、近接戦闘術を基礎から学ぶ予定。
ここ地下二階のフロアにはトレーニングルームや休憩室、シャワー室まであるらしい。トレーニングはし放題というわけだ。
「体力トレーニングと並行して、『甲斐レーダー』の方も鍛えてもらう。必要なのは距離感覚だ。こちらが指定した座標に照準を合わせ、そこにいる人間の色を見る、という訓練をしばらく続けるぞ」
アティースさんの無慈悲な宣告。
うげ……。それって、遠くの方も見なきゃいけないってことだよな。
なるべく遠くの色を見ないように、それどころかなるべく人間を見なくてすむように考えながら生きてきたのに。
下手すりゃ人混みの中に放り込まれて、無数の色の中から遠くにいる能力者を捜し出す、なんてことをさせられる。大丈夫か、俺のドライアイ。
トレーニングルームへ見学に行くと、折賀、もといロリ賀が黙々とサンドバッグを叩いていた。
パンチだけでなく、ときおりキックが入るところを見ると、キックボクシングだろうか。歯切れのいい音が絶え間なく室内に響いている。
迫力ある音を聞けば、そこにかなりの威力が乗せられていることが素人の俺でもわかる。
やつは俺の姿を確認すると、右手のグローブを外して手招きした。
「……なんだよ」
今はさすがに笑顔を返す気になれない。
ムスッとした顔で近づくと、やつは急に話し始めた。
「彼女の名前はリーリャ・アルフェロヴァ。ヴァージニアの研究施設で会った」
「……は?」
「お前が説明しろって言ったんだろ」
そりゃ言ったけど。急に言うなよ。
「じゃあ、その子も能力者ってこと?」
「予知能力者、だった」
……だった? 俺は次の言葉を待った。
「俺に残した予知を最後に、死んでしまった。まだ八歳だった」
「…………」
やっとわかった。
その子の記憶が折賀の中から消えない理由と、すぐに話したがらなかった理由。
「……その予知って、どんな内容だったか聞いていい?」
折賀はゆっくりと息を吸い、ひとつひとつの言葉を確かめるように答えた。
「いつか、俺の前に、俺が絶対に勝てない男が現れる。そいつとは絶対に戦ってはいけない。そんな内容だった」
「……その子、お前の心配してくれたんだな」
「そうだな」
折賀は左拳をもう一発サンドバッグに叩きつけた。気持ちのいい音が鼓膜を刺激する。
「ついでにもうひとつ言っておく」
「ん?」
「リーリャには双子の妹がいた。パーシャという名で、今年九歳」
左ジャブの三連撃。まるで自分の気持ちを整理するかのように叩きつけたあとで、やつは言葉を継いだ。
「そのパーシャが、『アルサシオン』に奪われた『探知能力者』だ。俺たちは、なんとしても彼女を奪い返さなくちゃならない」
右手にグローブをはめ、再び左右のコンビネーションを繰り出す。
――美弥ちゃんを守る以外に、折賀には大きな覚悟があったようだ。
◇ ◇ ◇
「お前の動きカッコいいなー」
しばらくサンドバッグトレーニングを眺めたあとで素直にほめると、俺にも基礎から少しずつ教えてくれることになった。
アメリカで指導役だった人がたまたまキックボクシングをやってたから、ちょっと習っただけだ、という。それでも素人目には十分に完成された動きに見える。
俺にいきなりサンドバッグが叩けるわけもなく。しばらくは鏡の前でフォームを確認しながらのシャドウ反復。
それでもなんとなくカッコだけはついた気がする。ちょっとテンション上がる。
ランニングと筋トレを毎日続けて、この動きをしっかりマスターすれば、今日の不良どもレベルなら戦えるようになるかもしれない。
「ボクサーといえば縄跳びだよな。縄跳びも毎日やろうかな」
「確かその辺にロープ転がってたぞ」
部屋の壁沿いにずらりと並んでいるトレーニングマシーンの足元に、確かに白いロープらしき物が無造作に置かれている。
軽い気持ちで持ち上げようとした俺は、危うく手首にダメージを負うところだった。予想外に重い!
「あー、悪い。それはエルの武器だ」
見るとロープの両端に、俺のてのひらよりやや小さめの分銅のようなものが装着されている。小さくてもずっしりと重く、スピードに乗せて当てれば武器として十分通用しそうだ。
「ひょっとしてあの人、こんな物振り回して戦うの?」
「今度使ってるところ見せてもらえよ。お前なんか秒殺だぞ」
「もちろん遠慮しときます」
チームのメンバー、特に女性陣は絶対に敵に回さないようにしよう。
◇ ◇ ◇
「甲斐さん? その顔どうしたの?」
心配そうに美弥ちゃんがのぞき込んでくる。
美弥ちゃんに、やっと会えた!
美弥ちゃんのバイトが終わる午後五時。今朝別れたばかりなのに、ずいぶん長い間顔を見てなかったような気がする。
さすがに顔の腫れを完全消去するのは無理だったので、転んだとかなんとか適当な理由をつけてごまかした。
大学でバイトすることになったと伝えると、
「じゃあ新学期から一緒に登校できるかも!」と、嬉しそうに手を叩いてくれた。
もちろんそのつもり。三学期はたまの登校日を除いてほとんど自分の学校へ行く必要がないから、できるだけ毎日、美弥ちゃんの登下校に付き添うつもりだ。
これは折賀と相談して決めたことだけど、学校やバイト、病院への往復などは、なるべく俺たち二人だけに警護を任せてもらおうと思っている。
四六時中組織の監視・監視じゃ、いくら知らなくても美弥ちゃんの息が詰まりそうな気がするから。
「じゃあ、甲斐さんのバイトが新しく決まったお祝いしなきゃ! 甲斐さん、何か食べたいものありますか?」
「えっ、悪いけど今日はいいよ。一晩お世話になったばっかだし」
当然の日課として、二人はお母さんのお見舞いに向かう。
俺も一緒に歩く。俺んち、ちょうどこっち方面だし。
「ハンバーグはどうだ。ハンバーグが嫌いなやついないだろ」
折賀、また俺の胃袋をコントロールしようとする……。
「妹自慢するわけじゃないが、美弥が作るハンバーグは」
「それ昨日も聞いた。お前、美弥ちゃんの手料理ちらつかせれば俺を意のままに操れるとか思ってない?」
「違うのか」
「うぅ……違わないです」
こいつの魂胆はわかってる。
有事の際、俺ひとり増えたところでなんの戦力にもならんけど、盾とか時間稼ぎくらいにはするつもりなんだろう。
そりゃ、いざというときは盾にくらいなりますよ。美弥ちゃんを守るためなら。
結局、なんだかんだで病院まで一緒に行き、そのあと折賀んちまで引っ張られてハンバーグをごちそうになり、そのまま再度泊まることになってしまった……。いいのかなあ。
昨日と違う点は、美弥ちゃんのお風呂時間中、自分から進んで筋トレを始めたこと。また実験台にされちゃたまらんからな。
「今から『折り鶴部』の活動を再開しまーす! 甲斐さん、よかったら少しだけお願いできますか?」
「俺でよければ、もちろん」
折賀が風呂へ行ってる間、お風呂上がりでふわっと髪を下ろした美弥ちゃんと一緒に、食卓で鶴を折った。もちろん、お母さんの所へ持っていくための新しい千羽鶴。
たわいのない話をしながら、ペールピンクの空気に包まれながら鶴を折るその時間は、俺にとってかけがえのない大切な時間になった――。
――と、思ったんだけど。
「お兄、なに、このシャツ……」
夜のうちに洗濯機を回そうとした美弥ちゃんが、絶望の声をあげた。
折賀のやつ、縦裂きTシャツをうっかりそのまま洗濯に出したらしい。
「アティースにやられた」
お前正直に言いすぎ。
「え。アティース先輩……?」
その名前を聞いた瞬間――俺は、見てしまった。
彼女の色が、ほんのりピンクなその色が、より鮮やかに浮かれまくっているのを。
「先輩……やっぱりやることがカッコいい……!」
いっそ自分の服も裂いて! とか言い出しかねない表情。
今までにも何度か見たことがある、それは俺が「恋愛感情」だと判断している色の見え方だった。
――え、美弥ちゃん。ひょっとして、アティースさんのこと、好きなの……?
茫然と突っ立ってると、俺の心中を察したらしい折賀が弁解めいた口調で言った。
「あいつは宝塚が好きなんだ。わかるだろ、男役のトップスターなんかに女性陣が群がる心理。あんな感じの、まあ、憧れみたいなもんだ」
わかんねえよ。俺、ヅカファンの女子の知り合いなんていねーもん。
推しなのか、本気の恋なのか、なんて見分けつかねーよ。恋愛偏差値ほぼゼロだもん。
ひとつ確かなのは。
あの人を前にしたら、俺なんか、男らしさでも女らしさでも、未来永劫絶対にかなわないだろうということだ。
いや、相手がアティースさんじゃないとしても。
もしも美弥ちゃんに好きな人がいるとわかったら、そのときも俺は「絶対にこの子を守る!」というモチベーションを保ち続けられるんだろうか。ほかのメンバーのように、仕事として割り切れるんだろうか。
そういう根本的なこと、全然考えてなかったな。いや、考えたところで今すぐ答えなんて出るわけないけど。
◇ ◇ ◇
一晩グダグダ寝ながら考えて出した結論は、「とにかく今よりも強くなるしかない!」だった。
あんな不良どもも倒せない今の俺じゃ、恋だの愛だの考えてる余裕があるわけない。
美弥ちゃんへの気持ちは大事にしたいけど、だからこそ今は全力で鍛えて強くなる。悩むのはそれからだ。
――が、この世界は、俺が強くなるまでゆっくり待ってくれたりはしない。
翌朝、早くも俺たちはここ片水崎で新たな能力者を発見し、対峙することになるからだ。
ちょっと片水崎市、能力者人口多すぎない??