CODE9 黒と白の仮面を持つ女
「彼らは今、矢崎さんが連行中です。世衣さん、私たちも行きましょう」
「おっけー。……あ、やっぱ先に行ってて。すぐ追いかけるから」
金髪の女の子がこの場を離れた。世衣さんはまっすぐ俺たちの方に近づいてくる。
「美仁くん、ちょっと甲斐くんと話させてくれる? 先に美弥ちゃん迎えに行きなよ。心配して待ってるから」
折賀は、何か言いたそうな顔をしつつも、そのまま黙って美弥ちゃんの所へ向かった。
さっきまで俺たちを襲ってた人と、二人っきりになっちゃった……。正直、怖い。
「甲斐くん、何か言いたいことあるんじゃない? ちゃんと話しとこうよ。誤解をずっと引きずるのはやだから」
「……はあ」
「美仁くんの様子見てわかったと思うけど、私たちは美仁くんと美弥ちゃん、それからきみの味方だよ。これから仲良くしてこうよ、ね」
「じゃあ、なんであんなに真っ黒だったんですか?」
なけなしの勇気を総動員させて、俺は彼女に問いただした。
確かに、これからずっと怯え続けるより、今はっきりさせた方がいい。
「俺は、今まで会う人ごとにいろんな『色』を見てきました。あそこまで真っ黒ってのは、そう簡単になれるもんじゃないです。折賀が黒かったのは理由がわかったけど、あなたの方はまだわからない、です」
「まあ、きみがそう思うのは当然だよね」
世衣さんの瞳が、少し寂し気に見えた、気がした。今の彼女が「真っ黒」ではなく、かなり淡いブルーになっているからだろうか。
「言ったよね、きみの能力を測定してたって。だったらきみに本気で敵対してもらわないと意味ないでしょ。だから本気で『殺気をまき散らしてるふり』をした」
「…………」
「これでも諜報工作員のはしくれだから、自分の感情を操作して『甲斐レーダー』をあざむくことくらいできる。その証拠に、今の私の『色』はいたってまともでしょ? なんなら白黒点滅させてあげようか?」
「……いや、いいです……」
この人にも「甲斐レーダー」って言われた。はやってんの?
「本当に殺す気じゃないことは、わかってました。こんな物を投げてきたから」
俺は、拾ってからずっと手に持ったままだった、小さな矢を見せた。世衣さんが俺たちに向かって投げてきたやつ。
めっちゃ刺さるから先端が針状なんだと思ってたけど、丸い吸盤型だった。完全におもちゃ、パーティーグッズの類だ。
「これだったら殺傷力はない、って判断だったんですよね? でも木の幹にまでザクザク刺さってたんで、そうとう危険なことに変わりはないと思うんですけど」
「あれ、刺さってた? 力加減間違えたわ、ごめんごめん」
どうやら、自力で投げてあのスピードだったらしい。
世衣さんも「能力者」なのかと思ったけど、違うという。
あくまで「ごく普通の諜報工作員」だと言い張る。いや、それ、ごく普通の職業じゃないから。
世衣さん、思ってたよりもずっと話しやすい人だ。
今目の前にいる黒髪の凛とした女性と、ついさっきまで対峙してたド派手な七色衣装のピエロのイメージが重なって、思わず笑いが込み上げてきた。
「あの、『万華☆教』にはずっと潜入してたんですか? 大変でしたよね、確か踊りが『カレイドスコープ☆ファンタイリュージョン』って……」
「わー! あれはもう忘れて! 完っっ全に黒歴史だから!」
「その目に痛すぎる衣装も、仕事だと思わないと絶対着れませんよね?」
「きみけっこうイジワル? またこんなキテレツ集団への潜入任務が来たら、絶対美仁くんにやらせるから!」
にぎやかな七色のピエロ衣装を着込んだまま、真っ赤になって両手を振り回す世衣さんは、初めの印象よりだいぶ可愛く見える。
話しやすさがグッとアップしたので、いちばん気になってたことを聞いてみた。
「あの、なんで『組織』ってのは俺のことを知ってたんですか? あと、なんで美弥ちゃんが狙われたんですか?」
「その辺は、明日ボスから説明あるんじゃない?」
世衣さんは、今まで後頭部でひとつにまとめていた髪をほどいた。
肩くらいの長さの黒髪が、さらっと夜風になびく。
「明日、美仁くんと一緒に話聞きにおいで。私たちのチーム、通称『オリヅル』っていうの」
オリヅル……。まるで、美弥ちゃんのためにあるような名前だ。
ふと、世衣さんの視線が中庭の一点で静止した。
ピエロ衣装のポケットから取り出したのは、まだ隠し持っていたらしい例のおもちゃの矢。
それを右手に構えると、いきなり上半身と手首を捻って投げつけた。
すると木陰から何かの金属音が響き、続けてそのまま茂みの上に落下したような音。
「何ですか、今の」
「教団が取り付けた監視カメラ、ってとこかな。たいしたものは映ってないと思うよ」
そう言って俺に背を向け、歩き出した世衣さんの後ろ姿は、わずかに右脚を引きずっていた。
あー、折賀のあの銃か……。
◇ ◇ ◇
「甲斐さん、お疲れさま! あの変な宗教団体にずっとつきまとわれてたんですね。大変でしたねー」
病棟の入り口で折賀と一緒に待ってた美弥ちゃんが、俺の方に駆けよってきた。
「お兄が、逃げた人も含めて全員懲らしめたって聞きました。これでもう安心ですね!」
「あー、うん……なんか、巻き込んじゃってごめんね」
「甲斐さんが謝ることないですよー」
狙われたのは俺だけって認識らしい。美弥ちゃんが無事で、今までどおりピンク色だから、もうなんでもいいや。
「これからうちに帰って夕食なんですけど、よかったら甲斐さんもどうですか?」
「えっ……」
――夕食! その甘美な響きに、思考のすべてを奪われる。
なんせ俺は、昨日の朝からケーキ三個プラスおにぎり一個しか食べてない。
ちなみにおにぎりは、バイト先のおばちゃんから手相占いのお礼に恵んでもらったやつ。
「行ってもいいの? もう遅いし、お邪魔じゃないかな」
「ぜーんぜん! 来てくれると嬉しいです。ただ、メニューはもう決まってるんです。お兄がどうしてもラーメン食べたいって。一応イブなのに、ラーメンってどうなの?」
「チキンとかはアメリカでも食えたからいらん。俺は美弥のラーメンが食いたいんだ」
美弥ちゃんの、ラーメン! なにその最強回復アイテム!
「まったくもー、今日帰るなら帰るって、連絡しといてくれればいろいろ用意したのに。材料ないからスーパー寄ってくよー。それじゃ甲斐さん、行きましょー!」
まるで物騒な騒ぎなど何もなかったかのように、美弥ちゃんが颯爽と歩き出す。
あとに続きながら、折賀が少しだけニッと笑って俺を見た。
「妹自慢するわけじゃないが、美弥が作るラーメンは、我を忘れるくらいうまいぞ」
これ以上俺の胃袋を追い詰めるんじゃねえぇー!
俺の全細胞が! 今、モーレツに美弥ちゃんのラーメンを欲しているぅーー!
――思えばこれが、折賀が俺に対して張りめぐらせた「罠」の第一歩だった。
「胃袋」と「恋心」をガッチリとつかまれ、このときにはもう、俺は虜囚のごとく身動きができない状況にどっぷりと足を突っ込んでいたのだった――。