CODE107 時空能力覚醒! 片水崎、最終攻防戦!(5)
窓のそばに、力なくよりかかったハーツホーン。
その眼前に、音量を上げたスマホをつきつける。
『…………』
数秒間、特に意味のなさそうなノイズが続いた。
やがてそれが、日常的な生活音のように聞こえ始めた。遠くで車が通り過ぎる音。近づいてきた車のタイヤがきしむ音。何か大きなシャッターのようなものが、ガーッと動いていく音。
そこに、パタパタと軽そうな連続音。小さな呼吸も聞こえた。ドアが開く音。すると大きな歓声が上がった。
『パパー!!』
『ただいまコーディ!』
ハーツホーンの肩が大きく揺れた。
この瞬間、音声の正体を俺も折賀も理解した。
アディラインが所持していた録音なのか、彼女の記憶から取り出した音声なのかはわからない。でも間違いなく、かつてこの家族が存在していた証だ。
『見てー、サンタさんへのお手紙書いたの! これ読んだら、サンタさんわたしのバースデイパーティーに来てくれるかなー?』
『コーディ、きみはなかなか欲張りさんだね。クリスマスと誕生日、両方のプレゼントをいっぺんにサンタさんからもらうつもりかい?』
『ううん、プレゼントの代わりにサンタさんが来てくれればいいの!』
そのあと、可愛らしい天使のような声が歌を歌い始めた。ハッピーバースデイとクリスマスソングが合体したような歌。
これが、催眠能力を解く音声。
折賀が倒した隊員たちが、とまどいの声とともに動き始める。
「これは一体……」「何があった?」
森見先生は隊員のひとりを押さえつけていたパンプスの足をどけて、隊長らしき男性に警察手帳を見せた。
「ここは片水崎総合病院です。原因不明の災害が発生したため、現在屋内からの避難誘導を進めています。隊のみなさんもご協力ください」
肝心なことをぼかしたまま、先生はうまい具合に隊員たちを動かした。県警本部にはジェスさんかアティースさんが根回しを済ませたらしい。
無線で素早く指示が交わされ、現状に納得したとまではいかないまでも、全隊員が目の前の任務を完遂すべく動き出した。みんな折賀にやられたダメージが残ってるだろうに、さすがプロだ。
「ハーツホーン」
すべての力が抜けたように、窓の下で座り込んだ男に、折賀が一歩近づいた。
◇ ◇ ◇
「アディライン・プログラムは終わった。あんたが持つ力はすべて封じられた。俺たちはあんたの身柄を本部へ引き渡す。いいな」
「……俺が憎いと、はっきり言ったらどうだ……」
暗く淀んだ声。うつむいたハーツホーンの『色』には、まだ大きな憎悪のうねりが残っている。
こいつが抱えている闇の感情は、俺たちが思っている以上に深い。あの音声を聞かせても、簡単に消えるものではないらしい。
「自分の感情をごまかすな……お前も諜報員として感情をコントロールするすべを学んできたんだろうが、決して消えない憎悪、怨恨、害意が根強く残っているはずだ。お前の家族を崩壊させたのがこの俺だということを、忘れたわけじゃないだろう? だから、その、俺を憐れむような目で見るのをやめろ!」
「あんたがコーディの父親だからだよ」
思わず声を上げた俺を、ハーツホーンがギッと睨みつける。
この男は、なぜここまで黒い感情で自分のすべてを覆ってしまったのか。
「コーディは俺たちの大事な友人だ。これからもずっと。互いに前を向いて歩いていくために、いつまでも過去の憎しみにとらわれるようなことはしたくない。あんたは、あの声を聞いてそう思わなかったのか? なんで、いちばん大事な家族を見ることをやめてしまったんだ?」
「あんたがちゃんと見なかったのは、家族だけじゃない。もうひとり、見なきゃいけなかった人がいるでしょ?」
美夏さんが、言葉を入れてきた。
「甲斐くんよ」
え、俺?
「あんたが崩壊させたとか言ってる折賀家は、ちゃーんと復活しましたからね。それもこれも、ぜーんぶ甲斐くんのおかげ。折賀家が強いのは甲斐くんがいたからよ。
甲斐くんはずっと、私たちをしっかり見て、強く優しく支えてくれた。それが能力にも反映してるんだよね?
あんたは甲斐くんの能力をいらないとか言ってたけど、もっと甲斐くんをちゃんと見て、能力の意味を理解すべきだった。そうすれば自分の家族のことだって見ることができたはずよ。わかった?」
美夏さん、そんなふうに俺のこと……
嬉しいような、恥ずかしいような。
「……わかった」
え、わかったの。
「貴様らは、家族を失ってはいないからな……」
◇ ◇ ◇
沈み込む空気。思わず、折賀と視線を合わせた。
アディラインが言っていた。確か、父親と兄が組織のために殉職したと。
「家族を見ない。人間が見えない。ああ、そうだ。人を見る気など起こらないさ。
俺の父と兄は、命を懸けて守り抜いた情報員に裏切られ、敵組織に捕らえられて拷問の末に獄中死した。二人ともだ!
二人とも、他国の情報員なんぞと心通わせた気になって、自分の身を捨ててまで守り抜いたのに――情報員、つまり自分の国を裏切った人間にさらに裏切られたんだ。
そしてお前らも知ってのとおり、捕まったスパイなど、確実に救出できる算段がない限り国は何もしない。本部ロビーに名もなき星を飾っておしまいだ。
だから私は組織を利用することにした。今やCIAは、アルサシオンと結託して人身売買を犯す、立派な犯罪組織になったというわけだ!」
家族二人の、壮絶な死……。
ハーツホーンが壊れる理由としては、十分すぎるかもしれない。
「洗脳実験を続けてきたのも同じ理由だ。実験が成功すれば、人間を操って情報を引き出すことが自在にできるようになる。父と兄のように、相手の裏切りを心配する必要もない。
アディラインに催眠能力があると知ったとき――俺の願いが通じたと思ったよ。彼女の能力と組織の情報網があれば、犯罪組織『アルサシオン』を生み出すことは難しくなかった。
お前たちも理想的なモデルだと思わなかったか? CIAとアルサシオン。両組織には情報組織に必要なものがすべてそろっている。金を稼ぐ方法までな。
だが、今一歩のところで、今度は家族に裏切られた――ここまで来たら、もう、俺自身が特殊能力を得るしかないだろう……?」
「続きはあとでゆっくり聞いてやる。時間だ」
折賀は淡々と答えた。
話に出てきた「二人のスパイ」の運命は、国際情報官を目指すこいつにとって、完全に他人事とは思えないだろう。
そこまで、覚悟しているということか。
わかってはいたけど、この世界はあまりにも厳しい。俺は、折賀のような工作員には向かないだろうな。
病室の外には、すでに警察官たちが到着し、森見先生の指示に従って待機している。
「行くぞ」
折賀の『色』に、憎しみは見えない。
ハーツホーンのように、その底にはまだ黒い感情がくすぶっているかもしれないけど。すべて飲み込んだうえで、折賀は自分のやるべきことをなそうとしている。
折賀は身をかがめ、ハーツホーンの腕をつかんで立たせようとした。
「――触るな……」
こいつ、まだ……。
感情が闇に飲まれている。こいつが罪を悔いて家族に心開く日は、いつか来るんだろうか。
……え?
ちょっと待て。
「折賀」
俺の一言で、折賀の動きが止まった。
次の瞬間、流れが完全に反転した!
急速方向転換!
折賀は美夏さんをかばい、俺は森見先生に向かって走る!
「ハム!」
「離れろッ!!」
凄まじい風圧!
突然の風が、俺たち全員を吹き飛ばす!
なんとかすぐに身を起こし、女性二人の安全を確認。ハムの姿は見えない。
病室に、どす黒い渦がうねっている。
ハーツホーンがいた場所に、とてつもなく大きな力が発生している。
その渦が今、ハーツホーン自身を完全に飲み込もうとしていた――