CODE91 折賀救出作戦始動!(2)
アティースさんの言う「新人能力者」は、トレーニングルームにいた。
ランニングマシンでゆっくりめに走ってる女の子。
Tシャツに学校ジャージという服装で、細い体の動きに合わせて左右の三つ編みがぴょんぴょんと跳ねている。か、可愛い……
じゃなかった!
「美弥ちゃん!」
声をかけると、彼女は手元のコントローラーを操作してスピードを落としたが、足は止めないまま。トレーニングを中断したくないらしい。
「わたし、みんなほど速く動けないけど、せめて現場で『疲れたー』なんて言わずに済むように、基礎体力上げなきゃ、と思って」
「美弥ちゃん」
「だから、わたしもチームに加えてください。お願いします」
マシン前方を見つめたまま、思いつめたような熱い呼吸が伝わってくる。
俺は横に立って、ハンドル部分を握る彼女の右手に自分の右手を重ねた。
「美弥ちゃん。気持ちはわかるけど、どれだけ時間がかかるかわからないんだ。きみに普通の高校生としての生活を続けてほしい、というのが折賀の願いだった。それはわかってるよね」
「確かに、学校はしばらく休むことになっちゃうかも、だけど」
大きな二つの瞳が、俺の方に向けられる。
ぱっちりとした目元に、普段よりも強い意志の力をにじませて。
「それについては、あとでお兄に謝ります。でもね、甲斐さん。お兄だって、ほんとは普通の高校生みたいに部活もやりたかったし、卒業だってちゃんとしたかったんだよ。わたしばっかりずっと守ってもらって、学校に行かせてもらって、部活もやらせてもらって。お兄が大変なときに、何もせずに待ってるなんてできないよ」
確かにそう、だけど。
現場へ行ったら、今度こそきみの能力が暴走して、きみ自身を傷つけてしまうかもしれない。
きみを絶対に守ると誓った。
でも、その暴走が俺の手に負えなくなったとき、きみは――
俺の心を見透かしたように、彼女はマシンを止めて両手を俺の腕に回した。
「自分の力を過信してるわけじゃないよ。ちょっとしたお手伝いができればいいの。たとえば偵察とか、おとりとか……」
「おとり!?」
「あ、わたしじゃなくて、この子たちが頑張ってくれるから」
視線を追うと、足元に見慣れたふたつのふわふわ物体。黒と茶色の毛玉がちょこんと鎮座してる。こいつらまで行くのか。
「だから、出動が決まるまで、今は少しでもトレーニングさせてください」
美弥ちゃんの決意。
折賀が知ったら、保護者モードで「そんなヒマがあったら受験勉強してろ」って言いそうだ。でも勉強に集中できるわけがない。
「わかったよ。単純な選択問題だ。みんなのために、俺は最強の選択肢を選ぼうと思う」
「最強の選択肢?」
「チームと一緒に折賀を救出する。『アルサシオン』のボスを捕獲する。それからみんなで片水崎に帰る。みんなで勉強する。みんなで第一志望合格。これ最強!」
「だね!」
「えー、ぎゅーとかしないの? だったら俺もそろそろ話に加わりたいんだけどー」
実はずっと同じトレーニングルームにいた、タク。その後ろで矢崎さんが苦笑してる。
タクはマットの上で護身術の基礎を教わってるところだった。
◇ ◇ ◇
「お前も行くんかい。単位とか大丈夫かよ」
体力は美弥ちゃんよりずっとあるけれど、能力的にはほとんど期待できない親友に一応の確認をする。
「まだ講義始まったばかりだからなんとか! 代返とレポート代筆の交渉は済ませてある」
「ダメ学生」
「俺だって勉強手につかねーもん!」
「それ通常だよね?」
タクは受験が終わったあと、それなりに体を鍛えていたらしく、矢崎さんによると現場入りの基準はクリアできるだろうとのこと。
ラノベ知識は消えても、トレーニング経験は体から消えたりしないからな。
矢崎さんが真剣な表情で話し始めた。
「ボスとエルさんはラングレーへ向かいました。タクさんと美弥さんのお二人には、ひとまずここで基礎訓練を積んでもらいますが――美弥さんの能力の訓練は、さすがにここではできません」
だな。
「いっそ我々もヴァージニアへ飛びませんか」
「え?」
「あそこにはザ・ファーム(CIA訓練施設)だけでなく、FBIや軍の訓練施設もあります。つまり、広大な射撃場などが複数ありますので、美弥さんの訓練を極秘で行うにはうってつけなんです。甲斐くんには、いい記憶がない場所だとは思いますが……」
ヴァージニア。ラングレーの近くには、俺と折賀がハレドと死闘を繰り広げた場所がある。
あのときの爪痕はまだ残ってるはずだ。それともごまかしがきくくらいには修復されてるんだろうか。
ヴァージニアには、CIAの本部も超常現象研究施設もある。
アティースさんたちが向かった極秘施設も。
ついでに言うと、俺の実家も。
あの場所は、避けては通れない。
「やります。連れてってください」
俺の代わりに返答したのは、美弥ちゃんだった。
◇ ◇ ◇
俺たちが留守の間、美夏さんには病院で待っててもらうことになった。
もう病院生活に戻りたくはないだろうけど、なんだかんだ言って、あそこの院内は自宅で待っててもらうよりはるかに安全なのだ。
院長はじめ美夏さんの事情をわかってる人間が多く、監視体制もジェスさんと連携してバッチリ行き届いてる。
さらに、世衣さんと森見先生が交代で護衛についてくれるという。
「お母さん、急にこんなことになっちゃってごめんなさい」
美弥ちゃんは小さな声でスマホの画面に話しかけてる。
画面の中で美夏さんが、いつもと変わらぬ元気な笑顔を見せてくれた。
『謝らなくていいよ。大変なのは美弥の方でしょ。私はここで待ってることしかできないし』
「そうだけど……」
『甲斐くん。大変なことを頼んでしまうけど、どうか美弥のこと、よろしくお願いします』
あえて名前を出さないけど、美夏さんにとっては折賀家の全員が心配なはず。
「あの、笠松さんのことですけど……」
『何かあっても、甲斐くんの責任じゃないからね』
「あの人が操られてるのは、間違いないと思います。ただ、背後にいるのが敵のボスなのか長官なのか、それとも樹二さんなのか、現時点ではわからないんです」
だから、もしものときはあなたの弟を敵に回すかもしれません。あなたの息子を人質にとられた状態で。
口から出さずに飲み込んだ言葉も、美夏さんにはちゃんと伝わっているようだった。
『私にも、弟が今どんな状態なのか全然わからないの。もともと、悪い子じゃないんだけど突っ走って行き過ぎちゃうようなところがあったし。
もしものときは――チームのみなさんにお任せします。今までずっと私たちを守ってくれた、チームのみなさんを全面的に信頼します。もちろん、甲斐くんも美弥も、それからタクくんも込みだからね』
だから、チームがどんな決断をしようと責めたりはしません。
言外に、美夏さんの覚悟の意志を感じた。
ジェスさんとハッカーチームによる捜索がずっと続けられているが、まだ笠松さんや樹二叔父さん、折賀の姿の発見には至っていない。
美弥ちゃんもタクも、今日はこのままここに泊まってトレーニングを続けるという。もちろん俺もそうする。
慌ただしいけど、明日にはみんなでヴァージニアへ飛ぶ。
本当は、できれば美弥ちゃんに能力を使ってほしくない。
強大な能力は、肉体的にも精神的にも、本人に大きな負担を与える。
そのために折賀が抱えてきた重荷、課してきた訓練の日々が、どれだけ過酷だったか。
せめて、美弥ちゃんの言うとおり、ぬいぐるみをちょこっと動かす程度にとどめてくれれば。
――と思ったら、その二体がいきなりぽーんと空を飛んだ!
「わぶっ!?」
二体は新たに顔を見せた人物の顔にふにゃふにゃの脚でチョップをかまし、そのまま何ごともなかったように床にころんと転がった。
なに、その「ぼくたちなんにもしてませーん」とでも言いたげな寝ころび姿。
「あれ、店長じゃないですか。お久しぶりですー」
「は、はい、おはよう、じゃなくてお久しですー」
美弥ちゃんにとってもいわくのある人物、やっと起きてきたと思われる「もと店長」のお出ましだった。
あ、そっか。
矢崎さんが飛行機に乗るには、このおっさんも連れてかなきゃいけないんだった。




