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Succubus Honeymoon~魔界旅行記~  作者: 晦
砂漠の花
9/36

邂逅

 西の空に赤と青の境界線が僅かに残るカーティスの町。

 仕事を終えたオーガたちが行きつけの酒場にしけこんだり、家族の下へ帰ろうとする中、逆にこれから仕事に向かうデーモンたちも家の中から出て来ていた。

 この黄昏時を少し過ぎたあたりが、どの町でも一番通りに人が溢れる時間だ。

 そんな人波でごった返す中を、迷惑も考えずに馬を飛ばす集団があった。

 跳ね飛ばされそうになった町人が罵声を浴びせようとするが、乗り手の姿を見ると喉を詰まらせたような顔で黙り込んだ。

 馬はとある宿の前でようやく足を緩めた。

 先頭の男は馬が止まりきる前に飛び降りると、後ろの者に何やら指示をして、それほど大きくもない扉を潜って行く。

「おい!支配人を呼べ!」

 怒気を孕んだ声が響く。

 カウンターの他には古びたソファーが置いてあるだけのロビーに、三人の男が詰めかけていた。

 廊下の奥から遠目でそれを見た女将が、慌てて体を揺らしながら走って来た。

 相手が黒い噂の絶えない官憲たちだと気づいたらしい。

「ここに赤い眼をした女が泊っているだろう。男と二人連れの客だ」

 そう息巻くのは言うまでもなくラショウだ。

 顔は頭巾で隠れていても、荒々しい口調から不機嫌なのは明白だった。

 女将はあたふたと宿帳を確認し、たるんだ太い腕を伸ばして鍵束を取った。

 その間、空になった洗濯籠を運んでいた使用人の少女が、僅かに壁に身を寄せたことに気付いた者はいなかった。

 ましてや、彼女の影が光の加減が変わったわけでもないのにすうっと伸びて、廊下の一点から直角に曲がって壁を上り、三階の客室まで走ったことなど、誰も知る由もない。

 ラショウはよほどイラついているのか、肥満した体でのしのしと階段を上る女将の鈍足にも我慢ならないようだった。


 かいつまんだ事情はこうである。

 トントの町で暫し休息したラショウ一行が出掛けようとしたところ、ジャミの姿が見えない。

 どこかで酒でも飲んでいるのかと思い、馴染みの店を回っていたところ、角を片方失くしたポー少年と、行方知れずだったジャミが共だって帰って来るのに鉢合わせし、細かく話を聞いて、ラショウは激怒のあまり部下の鼻面を殴り飛ばした。

 相手は警戒を強めただろう。

 あるいは、早々と宿をっているかもしれない。

 急ぎ、カーティスの町に直行したラショウたちは、幸いにもまだ標的が動いていないと知るや、必殺の心得で宿を取り囲んだのだった。


「あのお客ですねぇ。ずいぶん羽振りが良くて、飯は鴨にしてくれなんて言うんですよ」

 聞かれてもいないことをペラペラと喋る女将にも、ラショウは愛想笑いの一つも返さない。

 それどころか、頭巾から覗く目には軽蔑すら浮かんでいた。

 案内された部屋の前で女将から鍵をひったくったラショウは、マハールと共にドアの前で剣を抜いた。

 よく手入れされた刃が冷たく光るや、ひっ、と情けない声を上げた女将は騒がしいガニ股で廊下の奥に逃げていくが、もはや男たちの頭から彼女の存在は消えていた。

 鍵を開けようと思ったが、不用心なことにそもそも錠は掛かっていないようだ。

 ――――開けろ。

 ラショウはジャミに向かって、手振りで命令する。

 おとなしく従う蝙蝠男の顔は酷く腫れており、口の端は切れて血が滲んでいた。

 開いたドアから飛び込んだラショウは、部屋を見渡して歯ぎしりした。

 当人たちはもちろん、荷物らしい物も見当たらない。

 開け放たれた窓の両端で、結ばれたカーテンが揺れているだけだ。

 風呂場を覗いたマハールが首を振ったのを見ると、ラショウは窓から身を乗り出し、表の通りで待機させていた部下に言った。

「ギル!アジール!貴様ら、しっかり見張っていたのだろうな!」

「当然だ!宿からは誰も出ていない!」

 腕を組んだギルが応えた。

 裏を見張っていたアジールも声を聞きつけて戻って来たが、同様に何事もなかったようだ。

「くっ……!」

 出し抜かれたと悟ったラショウは窓枠に拳を振り下ろすと、大股で一階へ降りていく。

 そして、何処へ向かうのか――――彼らは馬に跨ると、砂煙を巻きながら走り去って行った。




 騒々しいひづめの音が遠ざかった後、ほっと息を吐いた者がいた。

 彼らがいなくなるまで、わざと時間を掛けて洗濯場で作業をしていたミーシャだった。

 ラショウの話から、前日の金貨をくれた旅人を探していると気づき、彼女が使える唯一の魔術『影送り』を使って、危険を知らせたのだ。

 しかし、これに気付けないからといって、ラショウたちを無能と責めるのは酷であろう。

 子供でも使えるようなごく単純なものや、学校や軍で学べる物を除き、魔法・魔術というのは使い手たちの間で秘匿ひとくされるものなのだ。

 その詳細を知られれば弱点を研究されるばかりか、広く普及してしまえば術を使える優位性まで失ってしまうため、親兄弟や師弟関係であってもみだりに授けたりはしない。

 これは、それぞれの時代の支配者たちが、魔法を独り占めするために焚書ふんしょを繰り返してきた歴史を見てもわかるであろう。

 童話作家であり、冒険家としても有名なアルフォンソ・アトリーが記した本には、淫魔の生態について書かれたものがある。

 そこに、彼女らの特徴や習慣、歴史の中での事件や役割を取り上げてはいても、身を守るための技については一切触れられていない。

 あるいは、獣人総目録じゅうじんそうもくろく、魔人伝承図解――――デーモン系の種族について解説した本――――等と言った学術書にも、既に広く知られる事実は書かれていても、種族に伝わる秘術等の記載は見当たらない。

 ミーシャは影を操るすべを祖母から学んだが、教えて貰えたのは五人の兄弟の中で彼女一人だけだった。

 それどころか、どこか頼りないからという理由でミーシャの母親すら伝授されていないのだ。

 そんな調子なので、存在を知られていても失われてしまった魔法は数多く、例えば瞬時に怪我を回復させるような魔法や、死者の魂を完全に副作用なく蘇生させる術は、魔界中の学者が研究しているにもかかわらず、未だ復元の目途も立っていない。

 たいして実用性のない魔法であっても、それを示した古い魔導書に屋敷が建つほどの値がついたりするのだ。




 ――――大それたことをしてしまった。

 胃の中に鉛を呑んだような気分で、ミーシャは溜息を吐いた。

 たった一日世話をしただけの客を助けるために、こんな大胆な行動に出た自分自身が信じられなかった。

 だが、どう考えてもあの二人が罪人とは思えなかったし、それに……。

 少女は頬を染め、ほう、と熱っぽい息を吐いた。

 あのアイリスという女性、大して年が違うと思えないのに、眩暈めまいを覚えるほどの色気に満ちていた。

 彼女の眼を思い出すと、体が妙な熱を持ち、多幸感で頭がフワフワしてくる。

 もう一度会えるだろうか。

 いや、こんなことになってしまっては、もうこの町に近づいたりもしないだろう。

 一抹の寂しさを覚えつつ、洗濯物の途中だったことを思い出して洗い場に入った時だった。

 服の中で硬貨が擦れあう独特の音がした。

 少女は扉を閉め、念のため窓の外にも誰もいないことを確認して、そっとポケットを覗いた。

 中には金貨が二つ。

 眼が霞んでいるのかと疑ったが、触ってみてもやっぱり二枚ある。

 どこかに置いておくのは怖くて、悩んだ末に結局持ち歩いていたのだが、今朝までは確かに一つしかなかったはずだ。

 ――――まさか、あの女性ひとが?

 そうとしか考えられないが、先の騒動の最中に彼女が横を通って行ったわけがないし、そうだとしても自分にすら気づかせずにどうやって?

 ドアを開けると、重たい足音が二階から下りてくるところだった。

 憤然とした様子の女将は、ミーシャの顔を見るなり怒鳴りつけた。

「なにやってんの!早く終わらせて、その後は部屋の掃除をするんだよ!」

「はい……承知しました」

 ミーシャは疑念を振り払うように作業に集中しようとしたが、考えてもしょうがないと思いつつも、宝石のような赤い双眸が頭から離れなかった。




 一方、カーティスの町から西の砂漠。

 青黒いたてがみをなびかせたバイコーンが、吹きつける風の中を進んでいる。

 背中に跨っているのはもちろんタイガとアイリスの二人だ。

 追手がまだ諦めていないことは承知のはずだったが、特段に馬を急がせる様子もなく、それどころか、アイリスはまたも遠見鏡を手に、希少な鉱石を探しているらしい。

 何もない場所で、馬の歩みが止まった。

「どうしたの?」

 遠見鏡から目を離したアイリスに、タイガは前方を示した。

 大きな山になった砂の上を、一つの影が動いている。その人物は足がもつれたのか、横倒しになって斜面を転がり落ちた。

 そして、それに続いて砂山の向こう側から姿を見せた者たちがいた。

 全員が馬に騎乗しており、最初一人だったのが、後から二人三人と現れて一集団となった。

「おい、見ろ!今日は大漁だぞ!」

 先頭の男の痰が絡んだような声が、タイガたちにも聞こえた。

 例に漏れず盗賊らしい。

 追われていた者は這うようにしてハヤテの足元までやって来て膝を突いた。

 驚くことに、それは金色の髪をした女――――それも、幼い少女だった。

 二人は言葉も交わさずに、同時に馬から下りた。

 アイリスがポーチから水筒を出し、少女の口に水を含ませている間、タイガは馬の前にゆっくりと歩み出た。

「手ぇかけさせるんじゃねえぞ!お前らぐらい顔が良ければ、手足が一本くらい無くても売れるんだからよ!」

 口の端に泡を付けて、粗暴が形を取ったような男が怒鳴った。

 馬から下りた盗賊たちは、半分ほどが茶色の細い紐を持っている。

 この地に生息する赤砂蛇の皮を加工したものだ。

 見た目よりはるかに頑丈な上に、これで人を縛ると少しずつ縮んで肉に食い込み、相手を苦しめるという拷問も兼ねた拘束具だ。

 しかし、やはりそれを見たところでタイガの表情にはさざ波ほどの変化すらなく、十数人の無法者を前に、まったく普段の調子で言った。

「お前ら、役人か?」

 盗賊たちの顔から興奮が嘘のように消えた。

 そして、全員が汚れた歯を見せて笑った。

「俺たちが役人に見えるのか間抜け!」

「……だよな」

 豪快に笑っていた男の額に、本人も気がつかぬうちに黒の刃が刺し込まれていた。

 笑顔のまま血を噴いて倒れた仲間を見て怒号と共に殺到した賊は、迎え撃った一刀で剣を折られ、二刀目で命まで失った。

 南部の剣は重量と頑強さを重視して、刀身が幅広くなっているのだが、タイガと斬空剣にかかればガラスか何かのようにあっさりと折り砕かれてしまった。

 後方で一人、何かの術を使おうとしている者がいたが、突如飛来した槍に胸を貫かれて、その能力を披露ひろうすることなく逝った。

「焦るな!取り囲め!」

 盗賊たちは闇雲に突っ込むのをやめて、タイガを中心に円を描くように動いた。

 その包囲網の隙間から、何かが中に飛び込んだ。

 誰かがひるんで声をあげた。

 タイガの手には、黒柄の武器が収まっていたのだ。

 先ほど投擲した槍が、ひとりでに戻って来たのである。

 次の瞬間、八方に陣取った賊たちは、円を描いた一閃にまとめて薙ぎ倒されていた。

 見れば、槍の刃先が長く幅広く変形している。

 グレイブ、あるいは大和の国で薙刀なぎなたと呼ばれる武器に、瞬時に姿を転じたのだ。

 戦局に応じて形態を変える、命ある魔道具。

 タイガの育った故郷の一文字を貰い、柳星りゅうせいと名付けられたこの武器もまた、ドワーフの名匠が作った業物だった。

 一分と掛けず屍の山を築いたタイガは、アイリスに介抱されている少女の傍に片膝を突いた。

 改めて見て気づいたが、ボロボロになった靴や服は、高価な物のようだ。

 肌もこの南部の者とは違う、無機質を思わせるほどの白で、異国の貴族の娘が攫われてきた、と言われるとしっくりと来る。

 そして、瞳はいままで見たことがないほどの真紅――――アイリスの瞳の透き通った赤よりさらに濃い、鮮血を思わせるあかだった。

「大丈夫?盗賊は追い払ったから、もう安心よ」

 アイリスは笑った。

 本当は盗賊たちは皆殺しになったのだが、言葉を選んだのだろう。

 彼女は……というより、淫魔は基本的に子供好きなのだ。

「あなた、何処から来たの?お家まで送るわよ」

 顔や首に砂を付けたままの少女は、弱々しく首を振った。

「まだ帰れないの……」

 小さな声で、少女はさらに何か言おうとして咳き込んだ。

 のどに砂が入ったのだろうか。

 それにしても随分長く咳き込む少女の背中をアイリスはさすった。

「リーバを……」

「リーバ?」

「私の恋人……いなくなったの」

 そう言ってさめざめと泣きだした少女に、困り顔でアイリスは聞いた。

「泣かないで、ちゃんと話してちょうだい。あなた名前は?」

「リーバは姫って……」

「ひ、姫か……」

 アイリスは困惑した。

 どこかの国の本物の王女様だとしたら、家臣も連れずに砂漠を一人旅なんてしないだろう。

 おそらく、その恋人とやらが自分だけのお姫様、という意味で呼んでいたのだろうと当たりを付けた。

「他の人はなんて呼んでたの?パパとかママとかは……」

「パパもママもいない……」

「そっか……ごめんね……」

 アイリスはハンカチを出して少女の涙を拭ったが、次の言葉でその手が止まった。

「でも他の人はセキレイキって呼んでた」

「セキレイキ?……って、もしかして赤麗姫せきれいき!?」

 普段から冷静な彼女が浮かべた生々しい驚愕に、タイガの方が驚いたくらいだった。




 半日の後。

 タイガたちを捕え損ねたラショウ一味は、カーティスの町で一泊していた。

 周辺の砂漠を三週は見回っただろうか。

 またしても空手で捜索を終え、今度こそ疲れ果てた部下にラショウは丸一日の休暇を与えて自分もさっさと部屋に閉じ籠ってしまった。

 もはや、完全に獲物を逃がしたと、一同は諦めている。

 いや、実は仲間には隠しながら、未だに執念を燃やす者がいた。

 マハールは蝋燭の明かり一つの部屋の中で、鏡を前に座り込んでいる。

 彼の前には小皿に乗った染料が――――手には細い針が握られていた。

 自身の術に必要な刺青を彫っているのだ。

 タイガに斬り落とされた蛇の頭は、もはや九割方復元されていた。最後に残ったのは眼だけである。

 マハールは染料に針を浸すと、慎重に角度を決めて自分の腹に刺した。

 顔が歪むのは物理的な痛みだけでなく、この儀式が一種の呪術的な苦痛をもたらすものだからだ。

 マハールはたっぷりと汗を吸った布で額を拭い、氷が解けて温くなった水を飲み干した。

 頭の脇の血管がドクドクと脈打ち、金属質の鋭く冷たい頭痛が絶えず襲ってくる。

 最初に蛇の刺青を彫った時でもこれほどの難儀はしなかった。

 原因は染料に混ぜた呪物じゅぶつのせいだ。

 テーブルの上の小瓶には、底の方で黒っぽく変色して固まり、粉のようになった血が僅かに残っている。

 それは、ダチュラの心臓に残っていた血だった。

 それを絞って染料に混ぜ、自分の体の蛇に新たな首を作ったのだ。

 詳細は彼以外に知る由もないが、そうすることで更なる力が得られるのだろうか。

「この……」

 何か言いかけて、マハールは慌てた様子で口をつぐんだ。

 ――――性悪女め……。

 そう言いかけたのだ。

 だが、誰にも聞かれておらず、ましてや心中密かに罵倒した相手は既にこの世の者ですらないというのに、孤独な暗闇の中で彼の態度ははなはだ不審であった。

 やがて、蛇の眼に瞳を入れ終わると、マハールは立ち上がって血と余分な染料を丁寧に拭いた。

 そして、暫しベッドに寄りかかって苦痛の喘ぎを続け、それも落ち着いたと見える頃、憔悴した声で言った。

「ダチュラ、貴様を殺した男はどこにいる」

 呼びかけに応える者はいないはずだった。

 ダチュラの死体は血を絞った後に処分して、既に無い。

 だが、言葉ではなく空気が細く抜けるような音で返事があった。

 マハールの、腹の辺りから――――。

 刺青の蛇は眼と口だけの簡素な絵だったが、立体化してそこに浮かび上がった顔は、まさにあの蛇女ダチュラだった。

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