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Succubus Honeymoon~魔界旅行記~  作者: 晦
砂漠の花
7/36

ラショウ一味

 トントの町の、とある宿の一室。

 丸テーブルを囲んだ男たちが、酒を酌み交わしている。

 それ自体はどこにでもある風景だが、まったく楽し気な声はなく、彼等の顔はむしろ暗澹あんたんとしていた。

 ラショウ一味である。

 あれから砂漠の四方八方を探したが、逃した獲物は遂に見つからず、タイガたちが砂漠を西に進もうとしていたことを思い出し、トントに入った。

 そこからまた町中を捜索そうさくしたが、虱潰しらみつぶしに聞いて回ってもそれらしい旅人は知らない、としか返って来ず、ほとほと疲れ果てて宿を取ったのだった。

「奴等、一体どこへ消えたのやら……。まさか、転移の魔法を心得ているとは思えないが……」

 ジャミが多毛な顎を骨ばった手で撫でながら言った。

 離れた場所へ人や物を移動させる魔術は非常に高度なのだ。

 かつて、バビロニア中を震撼しんかんさせた恐怖の魔王ガリウスですら、せいぜい自分の魔力の支配が及ぶ居城の、その周辺の物を引き寄せる程度しかできなかったという。

「だが、あれは本当に消えたとしか思えないしな……悪精あくせいたぶらかされた気分だぜ」

 そう言ったのは、ラショウの真向かいに座ったアジールという男だ。

 サンドオーガらしい浅黒い肌に、酒と油で光る黒々とした髭。耳たぶには小さな金のピアスが光り、甘くてほろ苦いような香りの香水をつけている。

 他の者たちは皆、暗い影を感じさせる顔つきをしていたが、彼だけは何処にでもいそうな――――同年代の仲間と陽気に飲み、笑い、音楽に興じていそうな風体の男であった。

「一つ思い当たる節がある」

 ラショウは杯を置いて言った。

 他のメンバーより年上らしい壮年の男で、頭巾を取った顔は常日頃隠している割には意外にも整った顔立ちだったが、その右頬に眼の端まで届く無残な傷痕があった。

 彼もマハールと同じく、肌の色からしてサンドオーガではないようだ。

「俺の故郷の近くにはハイドデーモンという種族がいた。眼はあの女のように赤く光り、全身に体毛が無く、体は青白くて寒天のように透けて見える不気味な奴等だった」

 ラショウは盃を傾けた。中身はこの地方に昔からある牛乳の発酵酒だ。

「そのハイドデーモンは、姿だけではなく気配までも他人に知覚させない滅形めっけいの術を生来せいらい身につけていた」

「なるほど。だがあの女、たしかに眼は白兎みたいに赤かったが、他は至って普通だったぞ」

 手癖なのか、アジールは木製のカップを回した。中で半分ほど残った酒がゆっくりと波打つ。

「確かに、そんなおぞましい醜女しこめではなかった。それどころか、稀に見るいい女だったな」

 ケケ、とこちらのほうがよほど悍ましく、醜悪に笑ったジャミだったが、それぞれに多かれ少なかれ侮蔑ぶべつの眼を向けられ、笑い声はしぼむように小さくなっていった。

 ラショウは話を続けた。

「まあ、たしかに美形であったが……それで思い至ったのだがな。あの女、淫魔だったのかもしれぬ」

「淫魔か。俺は淫魔というのをほとんど知らないが、あんな能力もあるのか」

 アジールはカップの中身を飲み干すと、また八分目まで注いだ。

 彼は誰よりも酒を飲んでいたが、呂律はしっかりしており、見た感じでは素面しらふと変わりがなかった。

「ない。少なくとも淫魔本来の力ではない」

 ラショウは学者然とした様子で話す。

「淫魔は女だけの種族だ。淫魔が生む子供は男なら父と同じ種が、女なら淫魔が生まれる」

 一見すると、ラショウ以外はそのような小難しい話は好みそうにない風体だったが、誰もが彼が喋るのを黙って聞いていた。

 このような集団の頭を務めるだけあって、一目置かれているのだ。

「淫魔の子供は父親の特性を強く受け継いで生まれる傾向があるらしい。おそらくは、あの娘の父親がハイドデーモンなのだろう」

 ラショウが盃を傾けると、正面に座った男が干し肉を噛み千切って言った。

「女の方はわかった。俺はあの男の方について聞きたい」

 テーブルについていた最後の男、ギルだ。

 彼も一見サンドオーガだがアジールよりも体色が濃く、髪は銀のように光る白髪だ。やけに犬歯が鋭く、仲間の誰よりも大柄な体は異常なほどに筋肉質で、ギョロリとした眼は子供が見たら泣き出しそうだ。

 総じて非常に近寄りがたい、粗野な印象の男だった。

「剣は北部の直刀だったな」

「だが技は見たことのない型だった……少なくとも名の通った流派ではないな」

「女はタイガと呼んでいたな。名前を聞くと大和の国の者らしいが……そんな剣豪は聞いたことがない」

 陰々と思ったことを話す部下たちを前に、ラショウは盃を置き、背もたれに体を預けて天井を眺めた。

 酔いが回ったのではあるまい。彼もまた考えているのだろう。

 やがて、ギルが言った。

「ダチュラの術はなぜ効かなかった」

「あの女の影響やもしれぬ。淫魔はこれと決めた男の心を放さないというからな」

 ラショウの声には僅かな揺らぎがあった。

 有能な部下を一人失ったことから来る苛立ちと、性格的には付き合い易いとは言えなかったダチュラと縁が切れたことに対する解放感がない交ぜになっていたせいだ。

「では、マハールの術が破られたのは?」

 席にもつかず、酒も飲まずに、床に座って一人で悄然しょうぜんとしていた男が初めて顔を上げた。

 自身の信頼する術をああも容易たやすく破られたショックからなのか、宿に着いてからずっとそんな調子だったのだ。

 その体を一周していた刺青は、ある一点から先が消失しており、元が蛇だったことがわからない状態だった。

「見当もつかない。あの男の技なのか、あるいはあの剣が特別なのかもしれぬが……」

「技と言えば、あの甲羅の盾を切って捨てたのは敵ながら見事だったな」

 ギルがなぜか愉快そうに言うと、ラショウは椅子に座り直した。

「俺があの女を淫魔だと言うのはそれよ。淫魔というのは愛した男の隠れた才能を引き出すという。あの男が見せた剣技も、そう考えれば一応の納得ができる」

 ククク、とジャミがひそやかに笑った。

「……何が可笑しい」

「いや、あんたの口から愛だのなんだのと出たものだからな」

 そのかんに障る言い方に、ラショウの眼が細くなったが、見ると他の仲間も声も上げずににやけていた。

「まるで童女が見る夢のようだな」

 白い歯を見せて、アジールは笑う。

「いや、すまない。馬鹿にしているわけじゃあないんだ」

 ギルも取り繕ってはいるが、その顔に説得力は無かった。

 笑っていないのは依然消沈しているマハールだけだ。

 そのマハールは何を思ったか、静かに立ち上がった。

「おい、何処へ行く」

「……刺青を入れ直さなければならん」

 マハールはラショウの言葉に手短に応えた。

 部屋の隅には、砂避けの外套を屍衣しいにしたダチュラが横たわっていた。

 その屍を抱き上げて、ドアに向かう。

「そんな性悪女、捨て置けばよかろう」

 ジャミの言葉にマハールは振り向くこともしない。

「それともお前、そのような女に恋慕れんぼしていたか、これは悪食極まれり……」

「黙っていろ。貴様はさっさと自分の役目を果たせ」

 マハールはドアの前に立ち、半身でテーブルの四人を返り見て言った。

「これから儀式を行う。俺が自分から出て来るまで邪魔をするな」

「ああ、誰も邪魔なんてしねえよ。ゆっくりやってくれ」

 アジールの声を背に、マハールは部屋を出た。

「さて、俺も寝るぜ。流石に疲れた」

 盃を一気に空けて、アジールも部屋を出る。

 頭目に挨拶もせず、他の二人もそれに続いた。

 ここはラショウが取った部屋なのだ。

 空には安らぎの光を放つ月が煌々(こうこう)と世界を照らす。

 オーガ系等、蒼活性そうかっせいの魔族はこれからが一日の始まりだが、デーモン系を始めとする赤活性せきかっせいの魔族にとっては休眠の時間だ。

 表に出ていた顔もガラリと変わる。

 バザーで果物や、効果があるかもわからない怪しげな魔道具を売っていたデーモンたちが消えて、その代わりをラミアが引き継いだ。

 家々からは筋骨隆々のサンドオーガがちらほらと仕事に出ていく。

 町を見回る官憲も、蜘蛛亜人アラクネ蠍亜人ギルタブリルから砂金猫スフィンクス黒砂狼アヌビスといった砂漠地帯にルーツを持つ獣人に入れ替わった。

 だが、ラショウたちにはそういった時間感覚は無く、仕事が一区切りした時に休むという生活を長年続けていた。

 廊下に出た部下たちは三つ並んで取ったそれぞれの部屋に分かれた。

 後はリーダーが出立すると言うまで、大眠を貪るのである。

 しかし―――――暫くして、彼らが取った宿の窓から、人目を忍ぶように飛び出した影があった。


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