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Succubus Honeymoon~魔界旅行記~  作者: 晦
黄金の国
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鋼鉄の虫

 魔界――――コキュートス海に浮かぶエルドラ島。

 赤い空の下で、舗装もされていない野道を一台の幌馬車が駆けていた。

 御者は軽装の鎧を纏った男――――おそらくどこかの国の兵士だろう。

 四頭のバイコーンが牽引する馬車の車輪は、火を噴きそうな勢いで回っている。

 その後ろを、付かず離れずで追いかける者達があった。

 それらは巨大な蟷螂かまきりの姿をしているが、薄鈍色うすにびいろの体は金属のように周囲の景色を曇らせて映している。

 体の前に垂らしている鎌は、死神の得物を連想させるような鋭さだ。

 それらが六体、扇状に広がった薄羽を羽ばたかせて馬車に迫っていた。

「ダメだ!振り切れない!積み荷を降ろせ!」

 馬車の後部にいた兵士が叫んだ。

 その時、石かなにかを踏んだらしい馬車が大きく跳ねると、束の間の片輪走行の後に横倒しになった。

 土煙の中で、兵士とバイコーンの悲鳴があがった。

 荷台から転がった木箱はひっくり返り、中身を晒していた。

 積み荷は加工されていない、自然にあるがままのきん――――この馬車は金の鉱石を運んでいたのだ。

 石の裏から虫が這いずり出るように、兵士達は馬車から離れた。

 追跡者達はそれらに見向きもせず、溢れるように零れ落ちた荷――――黄金色の輝きを内包した石に飛びついて顔を近づけた。

 盗賊ならばいざ知らず、知性があるかも疑わしい虫達が金を求める理由は如何に?

 化け物の口から、オレンジ色の液体が垂れた。

 驚くべきことに、その液体に触れた金鉱石が――――一体化している岩石部分を除いた金だけが液状化し始めたのだ。

 そして、虫は溶けた金に口をつけて吸い上げた。

 この蟷螂のような化け物は金を喰うのだ。

 馬車の影から、兵士の一人が立ち上がった。

 幸運にも軽傷で済んだらしいその若い兵士は、勇敢にも槍を構えて怯える様子も見せない。

「おい、なにをしている!やめろ!」

 おそらくずっと年長であろう別の兵士が叫んだが、腕に自信があるのか、その兵士は頭を垂らして金を舐めている虫に、激烈な突きを喰らわせた。

 金属質な鈍い音が、山間に響いた。

 槍は先が潰れてしまい、兵士の手に伝わる衝撃と痺れは鉄を突いたが如しだった。

 そして、虫の方はというと、額に僅かにかすり傷が付いた程度――――だが、無機質な眼は食事の邪魔をした男をじっと見据えた。

 金縛りにあった兵士が、血と臓物を撒き散らして両断されたのは、一呼吸の間だった。

 他の虫達が軽く飛翔し、馬車に取り付くと、幌を破いて頭を荷台に突っ込んだ。

 隠れていた兵士が女子供のような高い悲鳴をあげたのに反応し、感情など読み取りようがない眼を一斉にそちらに向けた。

 その顔が電流でも走ったかのように震えると、虫達は目当ての金も無視して、荷台から飛び降りた。

 遅れて兵士達も気がついた。

 少し離れた場所に、大柄な影が寂然と立っていることに――――。

 それは、一頭の青みがかった黒馬――――手綱を握るのは、黒のコートに身を包んだ精悍な顔つきの青年。

 その背中から顔を出して覗いているのは、遠目でも映える赤い瞳を持つ美女だった。

 二人共、左の薬指に同じリングを着けている所を見ると、どうやら夫婦らしい。

「おい、アイリス。あいつ金を食ったぞ」

「たぶん、エルドラ・ゴールドサッカーってやつね。私も初めて見たわ」

 目の前で兵士が殺されたというのに、二人の声音は平常であった。

「昔、黄金郷の人々が増長して――――」

 アイリスの言葉を耳障りな羽音がかき消した。

 蟷螂は自分の体を可能な限り大きく見せようとしているのか、後ろ足だけで立ち上がり、羽を広げ、両腕の鎌を左右に開いて持ち上げている。

 これが彼らの威嚇の構えなのだ。

 馬上の二人は一応そちらに顔を向けた。

 彼らだけでなくその馬も、しげしげと虫を眺めているが、怯えの色は皆無だった。

 青年たちの態度に怒ったわけではないだろうが、先頭の虫が鎌を振り上げて飛びかかった。

 が、その体が空中で不自然に折れると同時に、背中から地面に落ちた。

 いつ放たれたのか、黒柄の槍が虫の胴体を貫いていたのだ。

 その青年――――タイガはひっくり返ってもがく虫から無造作に武器を引き抜くと、頭にもう一撃加えて止めを刺した。

 殺気が突風のように吹きつけた。

 虫達の顔に表情筋など無かったが、この青年を明確に敵であると定めたようだった。

 二体の虫が飛びかかった。

 体は金属でできていても、その速度は俊敏だ。

 タイガのコートの裾が翻った。

 カッ!と、硬質な音が鳴り、火花が散る。

 兵士達の眼には、その二匹の虫が空中で破裂したように見えた。

 一瞬前まで、確かにタイガが持つ柄の先端は槍の穂であったが、それが幅広の刃――――薙刀なぎなたの形になっている。

 鉄の羽音が仲間の仇に殺到した。

 虫達は恐怖を感じないのか、タイガに真正面から襲いかかるのだが、それは旋回する刃に自ら飛び込むも同然で、一方的に粉砕されるのみだった。

 薙刀が風を起こすと、鎌が、羽が、そして千切れた頭や、真っ二つになった胴がバラバラと飛び散っていく様子は無残とも見えた。

 タイガは若い。

 魔界の住人は保有する魔力や種族によって寿命に大きな差があり、見た目だけで年齢を判断するのは軽率だが、一般的なオーガやデーモンの基準であれば、おそらくニ十歳前後――――まだ大人と言い切れない年齢に見える。

 そして一見するとそれほど逞しくも見えない彼が、一度は槍の先を跳ね返した鉄の体を、紙かなにかのように造作もなく切り裂くその光景を、兵士達は呼吸することも忘れた様に見入った。

 全てが終わった時、青年は息も乱していなかった。

「こいつらの体は本物の金属でできているらしいけど、伝説で言われるほどじゃないわね。見掛け倒しだわ」

 女は馬から降りると、自分の顔が映る薄羽を拾って眺めた。

 が、やがて興味を失ったように、それを地面に放り捨てると、タイガを化け物でも見るように遠巻きから眺めている兵士達に言った。

「この辺りに国があるって聞いたんだけど、どっちの方角かしら?黄金郷エルドラの後継だとか勝手に名乗ってるらしいけど」

 兵士達はよほどの衝撃を受けたのか、咄嗟に言葉が出て来なかった。

 アイリスが少し機嫌を損ねたような様子で言った。

「聞いてる?」

「そ、それはおそらく我が国の事かと思いますが……」

 隊長格の兵士が、やっとそれだけ言った。


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