謀略
「……またお前か」
嫌悪を顕わに、それでもバルは招待してもいない来客を部屋に入れた。
再びの敗北を喫した後でなんとかカーティスの宿に戻り、もうザガンたちとも赤麗姫とも関わることはあるまいと思っていたのだが、ジャミはそんな彼の前に三度現れた。
「聞くだけ聞いてやる。なんの用だ」
――――この疫病神が……。
最後の言葉を呑み込んで、ベッドに座った。
「決まってんだろ。赤麗姫を掻っ攫うんだよ」
うんざりした様子で、バルは気怠げに目を伏せた。
「ということは、またしくじったんだな」
「お互い様だろうが」
前回来た時と違い、ジャミ自身は手傷を負っていないためか、傲岸な態度だ。
対してバルは、全身に巻いた包帯に血が浮かび、まだら模様になっている。それでも前日よりかは顔色も良く、幾分かマシな状態ではあったが。
「だがこんどは戦わなくてもいいんだ。どうせ敵いっこねぇからよ。男の方をおびき出すだけで、約束をすっぽかす……」
「……どういうことだ?」
先ほどよりいくらかは興味を持った様子で、バルは聞いた。
「あの小僧が砂漠で待ちぼうけしてる間に、赤麗姫を襲うんだよ。小娘がついてるだろうが、お前の腕なら淫魔一匹くらいわけねぇだろ?」
――――最初からこうすりゃ良かったんだ。
そう言って笑う蝙蝠男は、バルの顔にどす黒い怒りで陰影が刻まれていくことにも気づいていない。
血管が浮いた手がサーベルに伸びる寸前に、ジャミはまた口を開いた。
それが、結果的に彼自身が突き殺されるのを防いだ。
「赤麗姫を買い取るっていうのはどこの組織なんだ?」
「ああ?」
意味を捉えかねて、バルは聞き返した。
「お前のご主人様のところへ連れて行くんだろうが。違うのか?」
ジャミはよくぞ聞いたと言わんばかりに、またにんまりとした。
バルは衝動的に目の前の顔を両断してやりたくなったが、なんとか想像だけに留めた。
「それよ。俺はザガンもあのガキ共も一緒に出し抜くつもりさ」
得意気な様子でジャミは話を続ける。
「いいか?ザガンの手下はほとんどやられちまった。俺の他にはラショウって野郎だけだ。こいつも目が潰れて使い物になりゃしねぇ。ザガン自身は長く城を空けられないから、奴が追って来ることもねぇ」
「…………」
「馬鹿正直に姫を渡すこたぁねぇや。賞金が出るんだろ?二人で山分けにしようや。それでトンズラよ」
赤麗姫の城に眠る財宝のことはおくびにも出さない。
そちらは当然、独り占めする気なのだ。
城の黄金の存在をバルが知るわけはないが、それでもいけ好かない蝙蝠男の眼に卑しい光が差しているのには気づいていた。
「……なんだ、不満か?」
黙り込んだバルの反応が予想外だったのか、ジャミは唾を飛ばして言った。
「テメェは知らないだろうがな、ザガンは狂ってやがるぜ。人を切り刻んで改造するのが趣味みたいな奴さ。不老不死にしてやるとか言ってるが、俺は御免だぜ?あいつに体を弄られるなんてよ。そもそも手術が成功する保証もねぇ。俺は五体満足で金が手に入ればそれでいい」
言い切ってから、ジャミは息を呑んだ。
バルが据えた眼で、正面から睨んでいた。
「お前さん、仲間を裏切る気か?」
初めて会った時……アリーシャの町で張り倒された時以上の、凄みのある声だった。
ジャミは自分でも気づかずに一歩下がった。
しかし、それでも精一杯の虚勢を張って言った。
「あ、あんな連中どうでもいい!いずれは手を切ろうと思ってたとこだ!それよりやるのかやらねぇのか、はっきりしやがれ!」
ヒステリックに叫んだその時だった。
安普請の扉が、破裂したような音を立てて開いた。
いや、強引に破られたのだ。
なにごと!とジャミは振り返り、バルは剣を手に立ち上がった。
誰かが入って来る気配があったが、乱暴に侵入した割にはドアを閉めて鍵を掛ける音まで聞こえて、バルは困惑した。
ベッドの他にはテーブルと椅子が一つずつあるだけの、一人で使うのがやっとの狭い部屋だ。早足で入って来る足音の主は、ほんの数歩で二人の前に立った。
ジャミの心臓はひきつけを起こした。
突然の闖入者が頭巾から覗かせる眼は――――その両目はしっかりと開いている!――――冷たい憤怒に彩られていた。
そして、上着のポケットからはみ出ている器具には見覚えがある。
アリーシャの町で赤麗姫の泊まる宿を襲撃した際に、ジャミ自身が使っていた盗聴器だったのだ。
「初めてお目にかかるな。俺はラショウ。ザガン様の部下で、こいつの上司だ」
バルは緊張を解いて、挙動不審なジャミの顔を覗いた。
瞬きも忘れた眼の奥で、何かこの場を切り抜ける言い訳を探しているのがありありとわかる。
裏切りの計画を上司に聞かれたのだから、この小心者が恐慌をきたすのは当然の反応だった。
「俺はバル……」
そう言って、苦々しい顔でベッドに再び腰を下ろした。
深い溜息を一つ挟んで、
「ただの年寄りだ。他に言うことはない」
ぶっきらぼうにそう言った。
バルは暴漢に追い詰められた女のように怯え切った蝙蝠男を見て、なんだか全てが馬鹿馬鹿しい、どうにでもなれという気になっていた。
「いや、貴公の腕は聞き及んでいる。もう一度、あの男を始末する手助けを願いたい」
ラショウはジャミに一瞥をくれると、トラベラーポーチから何か小さな物を取り出した。
固い音を立ててテーブルに置かれたのは、例の秘薬である。
視力を取り戻したラショウはしばらく城で仲間の帰りを待ってみたものの、誰一人として戻って来ないため、部下たちが全て討たれたかと考えた。
ともあれ協力者のバルを訪ねてみようとカーティスまでやって来たが、思いがけずジャミの後ろ姿を見つけ、虫の知らせからコッソリと後をつけていたのだ。
「おい、赤麗姫の居場所は掴んでいるな?」
ラショウの一言で、ジャミは跳ね飛びそうなほど狼狽した。
自分以上の冷酷と暴力が向けられると、いつもこうなのだ。
「あ、アリーシャの町にいる!サウサンって宿だ!赤麗姫の病気が悪化したんだよ!だから一旦砂漠に隠れたが、また戻ったんだ!」
口の端に泡を付けて、ジャミは聞かれた以上の情報を喚くように喋った。
それに冷ややかな視線を向けていた二人は、もう彼がその場にいないかのように話し始めた。
「俺ではとても敵わねぇ相手だ。あんたはどうなんだ?お仲間はみんなやられちまったらしいが……」
当然の如く、その仲間という括りの中にジャミは含まれていない。
バルとラショウはいま初めて出会ったが、この蝙蝠男は唾棄すべき卑怯者、という認識で一致していた。
「策は考えている。まずは奴を竜骨の橋におびき出す」
「……竜骨の橋か」
バルはその名を繰り返した。
アリーシャの町から北に向かって進んだところに、大きな地割れがあるのだ。
終わりの見えない、奈落にまで続いているかというほどの深さに加え、底には危険な毒ガスが充満しており、落ちればまず命はない。
その地割れを跨ぐように、巨大な古代生物の骨が横たわっているのである。
観光名所というにはあまりにおどろおどろしく、地元の者も余所者も近づこうとしない場所であった。
「奴が橋の上までやって来たら、確実に始末する自信がある。直接は俺が手を下すが、その手伝いをして欲しい」
バルは沈黙してラショウを見た。
そして、しばらく考えた後、低い声で言った。
「……いいだろう。だが、どうやってそこまでおびき出す?」
「主から赤麗姫の従者の服を預かった」
ラショウは引き千切られたと見える水色の布切れを見せた。
これが、リーバが攫われた際に身に着けていた衣類の一部なのだろう。
「これを手紙と一緒に宿に届ける。奴らが従者を求めているなら確実に現れるだろう」
「……それで、その間にこいつが赤麗姫を攫うのかい?」
バルは未だに細かく震えているジャミを指した。
「いや、それは領主様が直々に行うとのことだ」
「ザガンがか?わけあって城から長く離れられないと言っていたが……」
ラショウは主を呼び捨てにされて気に障ったのか、僅かに険を含んだ声で言った。
「……余計なことに気を回さなくてもいい。明日、竜骨の橋で待っているぞ」
それから出口に向かうかと思えば、振り向いて、それまで忘れていたかのように言った。
「貴様も来るがいい」
見えない鎖に引かれるように、ジャミは小さくなってラショウについて行った。
静寂が訪れ、一人になったバルは、唯一残った黄金色の小瓶を横目に見た。
しかし、見ただけで手に取ろうともせず、ベッドに仰向けになった。
その眼は天井を透過して、彼にだけ見える何かをジッと見据えているようだった。




