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Succubus Honeymoon~魔界旅行記~  作者: 晦
砂漠の花
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砂漠行・1

 魔界――――バビロニア大陸南部。

 灼熱の砂漠地帯が大部分を占めるこの地方の端で、ひび割れた錆色さびいろの地面を、漆黒のバイコーンが一頭、ゆっくりと歩いていた。

 その背に跨り手綱を握っている青年が、吹きつけた熱風に眼を細めた。

 短い黒髪に色白の、細身だが筋肉質な体躯の美丈夫だ。

 顔つきからしてこの辺りの者ではなく、大陸東の大和やまとの国出身と思われるが、ただ一騎でこの危険な不毛地帯を横断しようとしているところを見るに、貿易商ではなさそうだ。

 腰にはトラベラーポーチを巻き、スイギュウの皮をなめした黒のパンツを履いている。これは典型的な魔界の旅人のスタイルである。

 ただ、この暑さゆえか上半身は袖の無いシャツ一枚で、風塵ふうじん対策の外套がいとうは、いまのところ丸めて馬の首の後ろに縛ってあった。

 男の背中には、寄り添う影が一つあった。

 透明感のある白い肌、風に流れる長く美しい髪、そしてルビーのように赤い瞳。

 魔界の野を行く者らしく、全体的にスリムなシルエットだったが、開いた服から見える胸元には谷間ができている。

 凛とした顔立ちは聡明さを感じさせると同時に、まだ少女のような愛らしさも僅かに残っていた。

 健康美と神秘性を併せ持った、人目を惹かずにおかない女だった。

「アイリス。けっこう進んだが、まだ砂漠に入らないのか?」

 馬上の男、タイガが言った。

 大和の国から南部に入り、そろそろ半日が径とうかという頃だ。

「なに言ってるの。とっくに入ってるわよ」

 そう応えたアイリスは方位磁石と地図を手にしている。

「ここみたいな岩盤だけの土地も砂漠って呼ぶのよ」

「ほう、そうなのか。俺はてっきり砂だけの土地をそう呼ぶのだと思っていた」

 二人は魔界標準語を話していたが、タイガは若干の東方訛りが混じっていた。

「そういうイメージが強いけど、気温が高くて水が極端に少ない場所は全部砂漠ね」

 アイリスはコンパスと地図をいったんポーチに仕舞った。

 二人はまだ若い――――どちらも二十歳前後である。

 種族や個人によって非常に大きな差はあるが、一般的な魔界の住人――――オーガやデーモン等の寿命の平均が二百歳から三百歳ほどであることを考えると、まだ子供と言ってもいい年齢だ。

 だが、二人の薬指には同じリングが光っていた。

 この砂漠は新婚旅行というには余りに厳しい道中だが、二人はそれすらも楽しみのうちとして旅をしているのだった。

「いや、それにしても暑いな。どうなってるんだ?」

「地熱の影響ね。原因は不明だけど、大陸南部はどこもこんな調子で、植物も根がやられちゃうからオアシス以外では緑が極端に少ないわ」

 暑いという割には、二人とも汗一つ掻いていないのが不思議だった。

 この地に生まれた者なら知らず、他地方から来たものは絶えず汗を掻き、口を開けば喉をやられ、持ってきた水をがぶ飲みしてしまうものだが、この二人は平然と話しながら、腰のポーチから水筒を取り出しもしない。

 よく見れば、馬も……この地方原産の種ではないにもかかわらず、この暑さを苦にもしていないようだ。

 光の加減で群青色にも見えるたてがみが、土埃の混じった熱風に幾度となく遊ばれて立ち上がっても、馬自身は息切れも起こさず同じペースで歩き続けている。意外にもつぶらな瞳は、若い好奇心に輝いてすらいた。

 と、前方の丘の上に小さな影ができた。

 砂狐だ。

 頭の上に立った耳は大きく、顔と同じほどの長さだった。それを前後に器用に動かしながら、二人と一頭を見下ろしている。

「見て、タイガ。狐がいるわ」

「ほう。南部の狐はあんな耳をしているのか。森羅しんらの狐と随分違うな」

 森羅とは大和の国の北にある、比較的冷涼な地である。

「ええ、あの耳は熱を効率よく放出するために進化したらしいわ」

 アイリスはよどみなく説明した。

 タイガは感心したように頷いて言った。

「あいつ、こんなところでなに食べて生きてるんだ?」

「なんでも食べるらしいわ。ネズミが主食って言うけど、蛇とか虫とか、植物も食べるって」

「そうか……まあ、こんな環境じゃ選り好みはできないよな」

「そうでもないわよ。サボテンだけ食べて生きてる動物もいるって言うし」

 不意に、狐があらぬ方向を向き、飛び跳ねるように丘から姿を消した。

「ハヤテ、止まれ」

 同じ間隔で地面に蹄の跡を残していた馬が、騎手の命令に立ち止った。

 その背に揺られていた二人は話すのを止めて、狐が見ていた方角に眼をやった。

 遠くで土煙を上げて近づいてくる一団がある。

 十数名からなる者たちは、銅のような褐色の肌色から、サンドオーガと思わしき集団だった。

 それらはあっという間にタイガたちに追いつくと、数人が馬から下りて、南部伝統の幅広の曲刀を抜いた。

「おお、こいつは上玉だ」

 男の一人がアイリスを見て言った。

「馬もなかなかの物だ。男のほうも、これだったら奴隷にできるぜ」

 口々に下品な言葉で褒める男たちは、言うまでもなく盗賊である。

 獲物を前にして、狂喜して笑う彼等の中に、無事な歯並びをしている者は一人として見当たらない。

 トラベラーポーチも表面が擦り切れて、繊維がほつれた年代物だ。

 馬はどれも茶色と白の混ざった毛並みで、バイコーンの特徴である二本角は横に並んでいるものもあれば、縦に並んでいるものも、あるいは根の方で枝分かれした根菜のように一体化しているタイプまでいた。

 顔つきや体格までがまちまちなところを見ると、雑種の寄せ集めだろうが、それでも持ち主たちよりかははるかに上品に見えた。

 タイガは表情も変えずに馬から下りると、自分からならず者に近づいていった。

「てめぇ、余計なこと考えるんじゃねぇぞ!おとなしくしていれば、命くらいは残るぜ――――」

 一人がタイガの喉元に刃をあてて、ダミ声で恫喝したが、タイガは感情が無いかのように無反応だった。

 二人の間で、閃光が走った。

 まるで世界の時間が止まったかのように、盗賊たちの笑い声はピタリと止んだ。

 男は急に軽くなった自分の両手を見つめ、目を丸くして絶句している。

 そこにあるべき手は無く、真ん中の骨を肉がロールしている断面が覗き、心臓の鼓動に合わせて男の顔に新鮮な血を何度もひっかけた。

 吹き飛んだ曲刀が、サクリと音を立てて地面に刺さったが、そのつかには浅黒い手首が付いたままだった。

 タイガは直前まで確かに武器など持っていない、完全な丸腰だったはずだが、いまは冷たく光る漆黒の剣を片手に握っている。

 あまりに速く、鮮やかで、斬られた瞬間には痛みすら感じさせない剣撃。

 それが盗賊の両手を骨まで断って飛ばしたのだ。

 男の眼に涙が膨らむように浮かび、開いた口から意味を成していない嗚咽おえつが漏れた。そして、よろよろと後退したかと思うと、力無く座り込んだ。

「や、野郎ー!」

 いち早く我に返った盗賊の二人が同時に襲い掛かるが、タイガは一人の首をあっさりと飛ばし、横殴りの一閃をしゃがんでかわしながら、返す一刀でもう一人の足を薙ぐと、倒れた男の喉に逆持ちにした刃を突き立てた。

 その背中に三つの刃が振り下ろされたが、次の瞬間には全てが砕き折られていた。

 仲間に続いて突進しようとした盗賊たちが、一斉に立ち止った。

 僅か数秒で一人が両腕を失い、二人が死に、武器を失った三人が首を差し出すかの如く、棒立ちになっている。

 そして、これだけのことをやってのけても、殺気や怒気すら浮かべずに涼しい顔をしているタイガに、全員が心臓を凍った手でしぼり上げられるような感覚を覚えたのだった。

「ひ、引き上げろ!」

 頭目らしき男がかすれた声で言うや、盗賊の集団は統率もなにもなく、弾かれたかのように逃げ出した。

 腕を失った者も、無様に馬の背に抱きついて、子供のように泣きながら遠ざかっていく。

 追いかけようともせず見送ったタイガは、まるで何も起きなかったかのように振り返った。

 馬は乗り手と同じようにケロリとしているどころか、終わったか?と聞くように自ら主人に近寄って鼻を寄せた。

 アイリスに至っては、首が無くなった男のトラベラーポーチを物色していた。

「治安が悪いとは聞いていたが、まだ一日目でこれか……」

 タイガは馬に跨った。

 手にも腰にも、先ほどの黒剣は見当たらない。出てきた時と同じく、唐突に消えてしまった。

「ほんと、盗賊なんかのさばらせておくなんて、ここの領主はなにやってんでしょうね」

 ひっくり返したポーチの中から、真珠しんじゅの粒を一つ見つけたアイリスは、他を放り出したままにして馬に飛び乗った。

「……どっちが盗賊だか」

 タイガはそうつぶやきながら馬を進ませたが、ふと、うるさい羽音に顔を上げた。

 血の匂いを嗅ぎつけて、早くも死肉を漁る猛禽もうきんがやって来たのかと思ったが、それは一羽の蝙蝠こうもりだった。

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