領主ザガン
その城はトントとカーティスの間、やや北の位置にある。
周囲には絶えず大きな竜巻が停滞して荒れ狂っており、それは現領主のザガンが入城してから百年以上もの間、外敵を寄せ付けなかった鉄壁の守護者だ。
また、観光客にとっては一種の名物でもあり、砂漠を行く者には灯台のような目印にもなっていた。
だが、その竜巻が時々蜃気楼か何かのように消え失せる時がある。
それはほんの一瞬で、また猛烈な勢いを取り戻すため、知らずに通りかかった旅人はそういうものなのかと気にも留めないが、その地域の者は城の人間が出入りする時のみ、なんらかの力の干渉を経て風が止むのだと知っていた。
そして今日、数日ぶりに竜巻が止んだ。
招集を受けたラショウたちは、速やかに領主ザガンの居城に戻った。
石造りの城は主人の意向で最低限の使用人しか雇ってはおらず、そのせいか廊下ですれ違う者はいなかった。
等間隔で並ぶ壁龕の奥の窓は、風と飛び交う砂に耐えられるよう設計された頑丈なガラスが使ってあるが、長い年月の間に表面に無数の傷がつき、曇りガラスのようになって向こう側はほとんど見えない。もっとも、見えたところで目に入るのは踊り狂う竜巻と、巻き上げられた砂の雨だけだろう。
一同は城の真ん中にあるオアシスと呼ぶには小さな、しかし十分過ぎる水量の泉で顔を洗い、服を着替えて領主の下へ赴いた。
頭巾を取ったラショウの表情は固い。
呼ばれた理由はわかっている。
アリーシャの町でマハールが暴れた件だ。
隣接する領地とは休戦協定を結び、友好とはいかないが、互いに距離を保っていたというのに……それをこちらから破るとは、下手をすれば沈静化していた戦火が再び燃え上がる大事だ。
それをマハール自身に弁解させようにも当人が戻らず、おそらくあの剣士に討たれたと見える。
――――なんという馬鹿な真似を!
ラショウは堅物で何を考えているのか分かり難いマハールを思い出し、ついでに彼がアリーシャで起こした事件を報告したジャミを見て苦虫を噛み潰したように口を歪めた。
どんな形であれ、仲間が残していった置き土産の始末をつけるのはリーダーたる彼の役目である。
領主の片腕を自負しているラショウは、よもや首を差し出せとまでは言われないと高を括っていたが、自分のあずかり知らぬことで責任を負うのが気持ちいいわけがなかった。
申し開きの言葉を考えながら、影を引きずるようにしてラショウたちは石造りの城内を歩いていく。
この城は絶えず補修を繰り返しているが、土台となった部分は二千年ほど昔から存在しているらしく、その間に持ち主が目まぐるしく変わって来た経緯がある。
盗賊の拠点に身をやつした時代もあるが、名前も残っていない貴族や、王を自称する者が居座ったことも、一度や二度ではないらしい。
それ故に品格は伴わずとも、一応の玉座もあった。
だが、ラショウたちが謁見の間に着いた時、王の椅子は空だった。
それはいつものことであり、彼らはまた無言で城の奥へと進む。
やがて鉄製の、他とは違った雰囲気のドアの前で立ち止り、ノックした。
顔を出したのは、カエルのように横に平べったい顔をした小男だった。
ザガンの研究の助手を務める男、ゲーチスだ。
ラショウは――――その部下たちも彼を嫌っていた。
武力ではなく頭脳面でザガンに買われている男だが、まだそれほどの歳でもないのに老班のような染みが顔中に浮かび、小さくてショボショボした眼で侮蔑の籠った視線を無遠慮に他人に投げかける。
そして、時に主の言付けを伝えに来たりするが、そういった場合はまるで自分が飼い主だと言わんばかりの態度だ。
若くて血の気の多いギルやアジールは、何度闇討ちしようと考えたかわからない。あるいは聞こえるように襲撃の計画を話して、慌てて逃げていくゲーチスを見て鬱憤を晴らした。
今は亡きダチュラに至っては、本人を前に“汚らわしい”と痛罵して、不要な恨みを買っていた。
よくよく部下に恵まれない自分に嫌気を覚えつつ、ラショウは残った仲間を引き連れて部屋に入っていく。
その瞬間、濃厚な血の臭いと、本能が有害だと訴える異臭……そして部屋を彩る悪趣味なインテリアに、胃液が逆流しかけた。
壁は棚で埋め尽くされており、そこに並んだガラス瓶の中に、臓物やら眼球やら得体のしれない肉塊が、毒々しい緑やオレンジ色の液体の中で保存されている。
そこかしこにある台のいくつかには人の形に膨らんだ皮のシートが掛けられ、中には青くなった足が飛び出しているものもある。
洗い場には生々しく血脂の付着したメスや鋏が、金属ボウルの中で鈍く光っていた。
ここは研究室なのだ。
領主ザガンは学会には顔を出さないが、一流の錬金術師であり、科学者だった。
「ただいま帰還しました」
ラショウがその場で片膝を突いた。続く仲間たちも同じように礼を取る。
部屋の奥、手術台の前に立った薄汚れた白衣の背中は振り向きもせず、なにやら手を動かしている。
ラショウの言葉に返事も無く、代わりに軽い金属音が部屋に響いていた。
その沈黙と作業音自体が、首を真綿で絞めるかの如き拷問であった。
それが数分続き、やっと白衣の男――――領主ザガンは振り向いた。
体の前にかけられたエプロンは血で汚れており、一際大柄なのも相まって肉屋か何かに見える。少なくとも、支配者の姿には相応しくないが、吹き出すような者は誰もいなかった。
ザガンは一言も喋らず、瞬きすらせずに部下たちを睥睨した。
一見して種族的特徴の薄い顔――――恐らくオーガ族。それも、黄色っぽい肌を見ると、サンドオーガではなさそうだ。
本人の弁では、四百歳以上の高齢らしい。
だが、飛び出しそうなほど大きな双眸にはギラギラとした精気が漲っており、濃い揉み上げが顎まで伸びて髭と合流し、四角く長い顔全体を囲っていた。
ザガンは低く響く声で独演するように言った。
「少し前に、アリーシャの町から使者が来た」
「…………」
「貴様ら、街中で暴れたらしいな。町人が何人か死んだと……話を聞いた限りでは少なくともマハールはその場にいたらしいが……」
ラショウたちは平伏するのみだ。
ザガンはいきなり声を荒げた。
「貴様らいったい何をしている!マハールはどうした!?ダチュラはなぜいない!」
大股で近づくザガンは、そのままラショウを蹴り上げるのではないかという勢いだ。
直前までの落差のせいか、目の前で雷が落ちたかのような迫力だった。
「順を追って申し上げます……」
ラショウは屈辱に耐えながらここ数日の顛末を話した。
「なるほど、その男はダチュラの術が効かなかったか……」
ザガンは一応はラショウの話に耳を貸した。
「そしておそらくマハールも倒したとは……興味深い男だ……いや、実に興味深い……」
部屋の中がしん、と静まり返って動く者も無かった。
いや、唯一動いたのは、ザガンの口の端――――それが、ゆっくりと吊り上がっていき、やがて不気味な笑い声が漏れ出した。
先ほどとは打って変わって上機嫌だったが、異様な光を宿した瞳はやはり瞬きもしない。
世にこれほど恐ろしい笑顔も少ないだろう。
だが、ラショウは表には出さずに心中ほっとした。
同時に、呆れもした。
部下を二人も討たれたことより、隣の領地と望まぬ戦になる心配よりも、学者としての好奇心が勝ったのだ。
随分経ってから、ザガンが再び口を開いた。
先ほどの怒りは消え、厳かな声だ。
「だが……それとこれとは話が別だ。あれほど木人形を狩るのは領内だけにしろと言い含めておいたにもかかわらず、アリーシャに乗り込んで暴れるとは……代償は高くついたぞ」
おそらく、隣の領主に相当な違約金を請求されたに違いない。
ザガンは目的のためなら金を惜しまないところがあるが、同時に無駄遣いをしない倹約家な一面もある。
城の中にほとんど余計な飾りがないのも、その性格が反映されているのだろう。
しかし、それに関してはしつこい追及はせず、ザガンはがらりと話題を変えた。
「その男も面白いがとりあえず置いておけ、他に優先すべきことがある。赤麗姫の件でな……」
意外な名前が出て、ラショウは僅かに眉を上げた。と、同時に俄かに嫌な予感を覚えた。
「西に潜伏させていた部下が知らせて来たのだがな、赤麗姫の城は時折主のものと思しき魔力に包まれて赤く光るが、ここのところそれが見られないらしい」
ザガンはラショウを見下ろした。
何か意見を求めているのだろうか。
ラショウは言った。
「……赤麗姫が死んだということでしょうか?」
「いや、私はそうは思わん」
ザガンは濃い眉を歪めた。
「これもつい最近の話だがな。年端もいかない少女が、その城の近隣のオアシスで多数の住人を殺傷するという事件があったそうだ。その少女は金色の髪に、白い肌、赤く輝く瞳をしていたらしい。その後は砂漠を東に向かって行ったと……」
ラショウはぎょっとした様子で顔を上げた。
その少女の特徴は、全て赤麗姫と一致するからだ。
彼らは割と最近に、主人の命令で得体の知れない女魔族の城から、その寵愛を一身に受けていると言われる従者を攫って来たのだ。
それはポー少年の力を借りて首尾よく成し得た。
赤麗姫は従者失踪の裏にいるザガンたちの存在に気付いてもいないはずだった。
だが、その女主人は砂漠を東に向かった……ということは、途中で進路を変えなければいずれはこの領地に行きつくはずである。
「こちらに向かっているのは偶然なのか、それともなんらかの方法でここに従者がいると察知したのかもしれぬが……」
ザガンは目玉を見開いた。
瞬きを忘れるのは、考え事をしている時の癖だった。
「ここを目指しているとすれば、どの道手を打たねばならぬ」
顎の髭を太い指が撫でまわし、目の前の部下たちの存在を忘れたかの如くまた思案に耽った。
「し、しかし……こちらから仕掛けるのは、むしろ疑惑を生みませんか?偶然に東へ進んでいるとすれば、それで赤麗姫が我々の下に従者がいると感付かれるのでは……」
それは、かかわりたくない、という本音から生まれた、ラショウの控えめな進言であった。
ザガンは部下をジロリと見た。
極端に瞬きが少ないにもかかわらず、まったく充血していない。その白さが不気味だ。
「その通りだ。だが、なんとしてでも赤麗姫を捕まえる必要があるのだ。奴の従者――――伝説によれば不死身の存在のはずだが、腐敗こそしないものの復活する気配は未だない」
それは、姫が求める恋人を手に掛けたという意味か。
この場にあの少女が居れば、どれほどの狂乱に陥ったであろうか。
「見ろ」
ザガンが手術台の横のテーブルに乗っていた“モノ”を、髪を引っ掴んで起こした。
それは数日前に彼らが連れ込んだ検体――――ダチュラの術の餌食になった盗賊の頭だった。
だが、様子が――――というより、全てがおかしかった。
元は突き出ただらしない腹をしていたが、首から下を取り換えたのかというほどに頑強な体つきになっており、皮膚は膨れ上がった筋肉に引き延ばされて突っ張っている。
その膨張した筋肉量もまちまちで、右腕は左腕より二回りも大きく、丸く盛り上がった肩は頭より大きい。あきらかにアンバランスだ。
両足も長さからして違っており、これでは体を斜めに傾けて歩かねばなるまい。
そして身体に明らかな異常をきたしているにもかかわらず、頭領は白目を剥いたままの凄絶な笑顔で、歯をカタカタと鳴らしている。
それがまるで、まだ自分は生きていると必死に訴え、助けを求めているようで、百戦錬磨のラショウたちですら目を背けたくなる有様だ。
……いや、一人だけ。ラショウの後ろ、アジールの隣にいたギルだけは無表情にそれを見つめている。全身が鉄でできているかのような頑強な男だが、その心まで冷たく無機質なのだろうか。
「ゲーチス」
ザガンが顎で合図すると、ゲーチスがその“失敗作”を頭の方から大きな袋に入れて、たいそう難儀しながら横付けしたカートの上に転がして乗せた。
まるで、物を扱っているよう――――いや、実際に彼等からすれば実験素材に過ぎないのだろう。
ラショウはあえて見ないようにしていたが、領主たちとのやり取りの間にも、視界の端でゲーチスがカートに乗せた大きな袋を運び出していた。
あの中身は同じく実験台にされた盗賊だろう。
どんな処置を施されたのか――――そんなことは知りたくもなかった。
「こんな奴等はいくらいようと、たいして役には立たん。だがあのサンプルは別だ。かの錬金王しか届かなかった不老不死の奇跡に続く唯一の可能性なのだ」
ザガンは薄く笑みを浮かべた。
錬金術の最終目標の一つが不老不死であることは常識であるが、この男もまたそれを夢見ているらしい。
だが、比較的頭のまわるラショウはそれに疑問を覚えた。
赤麗姫の従者が本当に不老不死だとして、ならばそれを可能とした錬金王はなぜ自分自身も不死身の存在へと進化しなかったのか。
考えられる可能性はいくらでもある。
体質的な問題で難しい条件があったのだろう。あるいは成功率が低く、自分自身に施すのに躊躇したのかもしれない。
いずれにしても、錬金王は確実にその死を確認されているのである。
「とにかく、いまは情報を集めろ。赤麗姫の動きを把握し、その実力を測るのだ」
話がどんどん無茶な方向へ進んで行く。
ラショウは肩に重りが圧し掛かってくるような気分になりながら聞いた。
「実力を測るとはどうするのでしょう……?」
「簡単だ。奴がどこかの街に入ったら……貴様らは軽く手出しをして逃げろ。赤麗姫が暴れれば、当然衛兵がやって来よう。それでどれほどの力を持つのかある程度は見極められるだろう」
軽く手を出して逃げる。
言葉にするのは簡単だが、実行するのは恐ろしい。
伝え聞くところでは、その当時に強大な力を持っていた各地の支配者たちも、赤麗姫には手を出す事は出来なかったのだから。
間違いなく命に関わる役回りだ。
「ただし、今回のように全員で乗り込んで暴れるような真似はするな。あくまで素性が知れぬように行動するのだ」
先の部下たちによる失態を思い出したのか、ザガンは苦い顔をした。
しかし、ラショウはそれよりも気になった部分があり、主人に聞き返した。
「全員で……とはどういうことでしょう。少なくとも私とギルとアジールはアリーシャには近づいていませんが……」
領主はまた部下たちを見返した。
「体から蛇を出す男、バットリンク、加えて三名が町から逃走したと聞いた。ダチュラがそれ以前に死んでいたのなら、数もあっていようが」
「…………」
おかしな空気が研究室内に流れた。
だが、最終的にすべての視線は報告を齎したジャミへと行きついた。
「そ、それは……たぶんバル一味が勘違いされたんだ……」
視線に耐えきれず、自信なさそうに言ったジャミだったが、次に口を開いた時には、急に饒舌になってまくし立てた。
「いや!たしかにあの女、バルたちをザガンの手下だと言って、役人をけしかけていましたぜ!」
そう言って、彼だけが知る一連の情報を喋り出した。
赤麗姫が弱体化し、なぜか件の男女に守られていること。
バル一味が姫を狙ってそれと敵対していることも――――一瞬の逡巡の間に、ジャミの頭の中でどのような計算が成されたのかは当人しかわからないが、少なくとも嘘は一つも言っていない。
話が終わった時、領主ザガンは肩を揺らし、歯を剥きだして笑っていた。
逆に、部下たちの顔は不吉な予感に包まれ、死刑を宣告された囚人のようだった。
「これは好機やもしれぬ……」
落ち着かないのか、ザガンは意味もなく狭い研究室内を歩きまわる。
「私はなんとしてでもあのサンプルの謎を知りたい。赤麗姫は間違いなくそれを知っているはずだ。あれを創った錬金王は死んだ……もはや、その復活の秘密を握るのは、この魔界で彼女ただ一人であろう!」
次の瞬間、血塗れのエプロンをはためかせてラショウに向き直った。
「赤麗姫をここに連れて来い!最優先事項だ!そのためにはいかなる犠牲も惜しまぬ!」
「や、やつらはもう我らの領地を離れていますが……」
「かまわぬ!邪魔する者がいれば、役人だろうが排除しろ!不老不死の秘密がわかれば、全てを投げ売っても……この領地を捨てることになっても、それに勝るものはない!」
先ほどとは言っていることが違う。
本当の忠臣であれば、ここは無理にでも主人を止める所だろうが、こうなってしまうとザガンは手が付けられないのだ。
ラショウは眩暈を覚えながら、心中でジャミを呪った。
彼はマハールがアリーシャの町で暴れたということしか聞いていなかった。
赤麗姫の話まで事前に聞かされていれば、そんな話は黙っておけ!と釘を刺していただろうに。
「では行け。良い知らせを待っているぞ」
「御意に」
ラショウは短く返事をして、主人に背を向けた。
一秒でも早く退出の許しが出ることを望んでいたものだから、ようやく解放の時がやって来て緊張が抜けたのだろう。
頭がクラクラしていたし、気持ち的には走り出したいくらいだが、足に力が入らない。
それでも生存本能に突き動かされて、実験室の扉に向かう。
――――ここにいるくらいなら、砂漠でも天国だ!
しかし、その背に再び声がかかった。
「待て」
ラショウ以下、ほとんど逃げるようだった足取りが、その一言でピタリと止まった。
「ハイドデーモンの術を使う淫魔がいると言ったな」
「はい」
ラショウは声が震えないように努めるのに、全精力を注ぎこんだ。
「ちょうどいい物がある。きっと役に立つだろう」
そう言って両手を広げて笑ったザガンを前にして、手下たちは狼に追い詰められた兎のような気分になった。




