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Succubus Honeymoon~魔界旅行記~  作者: 晦
砂漠の花
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幻画殺法

 馬上の人となったマハールは、脇目も振らずに街を走り抜け、止めようとする門番も跳ね飛ばして砂漠に舞い戻った。

 いくらなんでも、あんな場所で戦うのはまずい。

 町人に自分の術を目撃されてしまう――――もっとも、これは既に見られてしまったばかりか、ポー少年を始め数人を殺傷した後だが。

 加えて、すぐに官憲がやって来て、戦おうにも邪魔が入ってしまうだろう。

 タイガを街中で攻撃したのは彼の意思ではない。

 ましてや、なぜかあの場にいたポーを殺すつもりなど毛頭なかった。

 あれは刺青にしたダチュラが、怨敵を見るや勝手に襲い掛かったに過ぎない。

 生前の彼女がまさに蛇の如く執念深く、物恨みする性格なのは知っていたが、まさか自分の術の制御を外れてあのような暴挙をしでかしたのはマハールにとっても予想外だ。

 あんな女を自分の体に彫ったことを後悔しながら、ラショウにどう説明したものかと考える。

 おそらく奴らはすぐにでも町を離れてさらに西へと進むだろう。

 そうなれば、なおさら追跡は困難になる。

 経緯は違えど、ジャミが似たようなことをやらかして制裁を受けたばかりである。

 と、その時。マハールは背後から自分を追って来る騎馬に気付いた。

 初めはアリーシャの官憲が追って来たかと思ったが、相手は一騎だ。

 馬はその名が示す通り、疾風はやての如き速度で追いついて来る。

 そして、その上に乗っているのは、黒の外套を纏った異国の男――――。

 おそらく、仲間に居場所を報告される前に始末しようと追って来たのだろう。と思い至り、数瞬遅れて手綱を引いた。

 ――――これぞ怪我の功名!

 マハールは馬から飛び降りた。無論、戦うためにである。

 相手は以前に完敗を喫した強敵だ。そして、いまは仲間もいないというのに、恐れもせずに不敵な笑みすら浮かべている。

 それもそのはずで、マハールはタイガを自分一人で討つつもりだったからだ。

 そうでなければ、味わった敗北感と屈辱は永遠に払拭されない。

 だが、現実主義のリーダーはこんな嘆願を受け入れてくれるはずもないとわかっていたので、一人でタイガたちを追跡しながら機を窺っていたのだ。

 マハールに追いついた黒衣の青年は、胸元から透明の玉をあしらったペンダントを取り出し、自分の馬にかざした。

 すると、彼が乗って来た黒馬は一条の光となって、宝玉の中に吸い込まれた。

 市場に流通していない、見たこともない魔道具だった。

 タイガは愛馬ハヤテをこうした方法で、必要に応じて出し入れしていたのである。

 二人の間に言葉は無く、視線が一瞬の火花を散らしたのみ――――それが戦闘の合図だった。

「これを見よ!」

 マハールが背中に背負っていた布のロールを放り投げた。

 それは空中で絨毯のように伸びて、砂の上に広がった。

 布にはこの地方で遥か古代に使われていたという象形文字が隅を囲うように羅列され、その真ん中に大剣を持った戦士と思しき者たちが独特の平面図で描かれている。

 マハールは胡坐あぐらを掻き、手で印を組むと、歯を食いしばって唸った。

 筋肉が、その表面を走る血管が盛り上がり、全身からオーラが湯気のように昇る。

 膨大な魔力――――と言わざるおえまい。

 南方発祥のサンドオーガは、オーガ系の中では比較的魔力が高く、それ故に剣だけでなく魔術を覚えようとする者も多いが、マハールは肌の色から明らかにサンドオーガではない。

 本来なら魔力の行使を苦手とする普通のオーガ族が、これほどの力を発揮するとは……。

 やがて、動いたのは彼の体に彫られた蛇女ではなく、いま広げられた布のほうだった。

 描かれた戦士たちの輪郭が蠢いたと思うと、沼から這い出るように立ち上がった。

 その数四人。

 どれもが立ち上がると二メートル半はあるような巨躯で、持っている剣もそれに見合う巨大な得物だ。青黒い体は背後の景色を透過させ、目は描かれたとおりの、瞬きもしない描眼でタイガを一斉に見据えた。

 例の布を見ると、彼らが本来いるべき場所には空白が出来上がっている。

 刺青は言うなれば自身の体の一部である。故に魔力を伝えやすいのだが、触れてもいない布に描かれた物すら実体化させて操る。それも四体も同時に!

 これがどれほど高度な技か……。

 マハールの天賦の才と、それにおごらずに積んだ修練の重さを感じさせずにはおかない光景だ。

 戦士たちはタイガを取り囲みながら、巨大な剣を体の前で風車のように回し始めた。

 タイガは竜巻の中に取り込まれたかの如く、髪や服の端が、刃が生み出す猛烈な風にめくれ上がった。

 同時に、飛び散る砂のつぶてにも襲われ、目も開けていられない状態だが、砂が打つのはタイガだけで、戦士たちの体は通り抜けていく。

 刺青の蛇と同じく、彼等は一方的に現実に干渉するだけなのだ。

 いや、タイガの剣なら斬れると既に知れているが、四人に囲まれたこの状況、迂闊に手を出せば残る三つの刃が同時に降りかかるのは必定だ。

 ヒヒッ!と気味の悪い声をあげたのは、マハールの体に宿ったダチュラだった。

 自身の仇が絶体絶命の状況にあるのを見て、我慢ができず勝手に鎌首をもたげた上で嘲笑っているのだ。

 タイガを包んだ刃の風車は、徐々にその距離を詰めていく。

 そして、四人の互いの剣が触れ合うギリギリまで近づいた刹那――――。

 熟練の技量を感じさせる動きで、一つの刃は頭に振り下ろされ、他の刃は胴を凪ぎ、あるいは肩を狙って斜めに走った。

 いかなる場所にも逃げ道はない。

 そう思えた。

 上から襲い掛かった一刀が跳ね上がった。

 翼が空気を打つ音がして、砂の上に何者かの影が浮かんだ。

 一瞬、マハールはジャミがやって来たのかと思った。

 だが、違う。

 黒の剣を片手に空から見下ろしているのはタイガだ。

 背中にはデーモンの翼を生やし、無表情な眼で見上げる戦士たちの武器が届かぬ場所で力強い羽ばたきを繰り返している。 

 脂汗を流すほど術に集中していたマハールも、この時ばかりは驚嘆の声が口を突いた。

 ――――やつはオーガ族ではない!

 そもそもラショウたちはタイガのことを、恐ろしい剣技を持つが、種族自体はどこにでもいるオーガだと思っていたのだ。

 運動能力に優れたオーガは武術を、魔力に秀でたデーモンは魔術を志すのが一般的なのだが、この青年はデーモンでありながら術らしい術を使わず、剣と槍を持ってラショウ一味と渡り合っているのだ。

 タイガは滑空しながら、自ら仕掛けた。

 あらゆる戦いにおいて、相手より高所を取るのは優位に繋がる。

 それは、マハールが実践したとおりだ。

 戦士たちは上空を縦横に飛び回るタイガに向けて刃を振るった瞬間、手首を落とされ、また額を割られて倒れ込み、その体ごと群青の煙となって消滅した。

 訓練を重ねた必殺の陣形が破られれば、四体それぞれに精密な連携を求めるのは不可能なのだ。

 声も出さず表情も変えないまま、一体ずつ無に還って行く幻を前に、マハールは夢でも見ているかの如く何もできずにいた。

 最後の一人を袈裟懸けさがけに斬ったタイガの背後に、またもやひとりでに飛び出したダチュラが吠えながら飛びかかったが、次の瞬間には顔を縦に割られて目を剥いたまま、先の戦士たちと同じ道を辿った。

 戦場に風は止み、静寂が戻った。

 マハールは手を組んだまま、腰の刀を抜くこともなかった。

 その顔は数分の戦いの間に頬がこけ、唇は紫色に変わって戦慄わなないている。

 まるで二百年も一度に歳を取ったかのようだった。

 自分の奥の手を正面から完膚なきまでに破られたことで、急速に精神が衰弱したのだ。

「おい、お前に聞きたいことがある」

 翼を消して、地に足をついたタイガは息も乱していなかった。

「…………」

 体が一回り小さくなってしまったかのようなマハールは、落ち窪んだ眼で青年が近づくのを見ているだけで、立ち上がろうともしなかった。

「まず、なぜ俺たちを狙うのか。そして、連れ去った連中をどうしているのか……」

 そこまで聞いて、マハールは歯を剥いてニッと笑った。

 と思うと、曲刀を抜くや、またも首無しとなった蛇が彫られた腹に突き立てた。

 これには流石のタイガも理解を絶して目を見開いた。

「言うと思うか……そのような無様な姿を晒すとでも……」

 震える手でギリギリと自分の腹を横に引き裂くマハールの膝は、既に赤一色だ。

「俺は……いまは名前を変えているが、元々は大和の剣士だ……貴様のような若造は知らないかもしれないが、大和の剣士は同じ相手に二度敗北することは許されない……」

 それは、もはや時代遅れにすらなった感のある、東の国のおきてだ。

 立ち竦んだタイガは、しかし彼の行った行為の意味を――――自分が育った東の国の習わしを思い出し、言った。

「……すまない、お前のことは武人として覚えておこう」

 タイガは一刀を握り直して、マハールの後ろに回った。

「…………」

 既に死人の顔色になっているマハールは、垂らした首をそっと前に伸ばした――――。

 唸った刀身は抵抗なく頸椎けいついを断ち切り、首は声一つ上げず転がった。

 砂に落ちた頭を拾ったタイガは、倒れた体のあるべき場所にそれを置いてやった。

 そして何を思うのか、しばらく無言で佇んでいたが、不意に体を捻りながら右腕を空へと伸ばした。

 砂漠にガラスを引っ掻く音にも似た、不快で甲高い悲鳴が響く。

 槍に貫かれて落ちて来たのは、一匹の大柄な蝙蝠であった。

 それを見たタイガは急に険しい顔つきになってハヤテを呼び出すと、来た道を駆け戻っていった。

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